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10 ルーカスの婚約・前編

 騒ぎも収まり緩やかな日々が続くある日。

 まったりと新聞を読んでいた魔人がギョロ目をさらに大きくして覗き込んだ。


「これ、あのルーカスじゃないか?」


 そう言ってとある記事を指差す。


 ……隣国の公爵家嫡男の婚約の記事で、名前も年齢もルーカスのものであった。


「まあ! おめでたいですね、ですぜ!」


 千切り機で薬草をザックザックと切り刻んでいたエヴィが、覗き込んでは顔を綻ばせた。


 隣国……元々はエヴィが生まれ暮らしていた国であるが、関りが深いために超高位貴族の冠婚葬祭に関しては記事になることが多い。


 近隣国には親類がいることも多く、領地の事業をはじめ出資している団体など様々に関係があったりするからである。



 数少ない親切に対応してくれたルーカスは三歳年上で、高等教育課程ではよくパートナーを務めてもらった仲だ。


 かつて王太子の婚約者という立場だったエヴィ。

 残念なことに元婚約者であり元王太子のクリストファー王子とは相容れない仲であった。


 その従兄弟であるルーカスは何でだか責任を感じ、可哀想に思ったようで色々と気に掛けてくれるお兄さん的人物なのであった。


(まあ、そんなただの優しい人物だと思っているのはエヴィだけだけどねぇ)


 おばば様はゴリゴリと乾いた薬草を粉にしながら思う。多分魔人も同じことを思っていることであろう。


「初恋は実らないっていうけど、本当なんだねぇ」

「初恋? ルーカス様はどなたかに恋をしていらっしゃったのですか?」


 おばば様がため息まじりに呟く。エヴィは初めて知ったとばかりに首を捻る。


(……どうして関りがないおばば様がご存じなのかしらだぜい?)


「…………もしかして、読心術というヤツですか? だぜい?」


 確信めいたエヴィの言葉に、自動かまどの前で薬をあかき混ぜていたユニコーンも、ちょこまかとゴミを拾っているマンドラゴラも残念そうな目でエヴィを見ながら首を横に振った。


「こいつ、全然解ってねぇじゃねえか!」

「ルーカスも哀れだねぇ」


 魔人とおばば様も嘆くような口ぶりで首を横に振る。


(初恋は実らない……)


 ルーカスはエヴィが行方不明になった後、率先して探索を続けてくれた人物だ。

 親戚とはいえ目上の、更には年上の人間に進言するのは大変な事だったであろうと思う。


(まかり間違って初恋の相手が私なのだとしたら、それは止めた方がいいわ)


 流石に鈍いエヴィでも目の前の反応を見れば、彼の想い人は自分だと思われているのだろうと解る。

 自分のことを言っているのなら尚のこと、婚約破棄した伯爵家の娘と公爵家子息の結婚は止めた方が良いと考えている。

 公爵家の女主人というのはなるべき人が成るものである。


 古いと思われても、貴族社会というのは現時点ではそういうものだ。

 外聞の悪い女主人は双方にとって不幸でしかない。


 針の筵……そんな言葉がぴったりの苦行だ。


 王族に婚約破棄された人間が隣国の王子の婚約者になったり、公爵令息の結婚相手になるのは物語の中だけである。愛だけで済まないのが現実であり、家や家門を盛り立てるという役目にはあり得ないと考えるのが貴族社会だ。


(それに、愛が未来永劫続くわけでもないですからね……燃え上がる愛ほど冷めるのも早いのですわ。無理を押し通すと破綻も早いのです)


 家事においては天然という域を超越している天然のエヴィであるが、貴族のうんぬんに関しては中堅と言えるくらいの経験とスキルを持っている。

 年齢に似合わず現実的なのは、その育成歴から来るものだ。


 優しいルーカスが生活や役目という現実に負け、葛藤し、傷つく姿は見たくない。

 ……万が一にも優しい筈の彼に罵られ傷つけられたら、クリストファーにされたよりももっとダメージが深いだろうと思う。

 

 厄介そうな初恋ならば綺麗に、どこか湾曲されて美しいまま、記憶のどこかにしまい込んで置いたら良いのだ。

 そして気が向いた時に眺めたら、いつの間にか懐かしいだけの風化した思い出になっていることだろう。


(恋とはそういうものですわ)

 

 そして隣には、本当に愛を注ぐべき相手がちゃんといるのだ。

 優しい彼には優しい相手がいいだろう。

 お互いに愛情を与え合えるような、そして現実を生きていける相手がいい。


「ルーカス様でしたら婚約者様を大切になさるでしょうから、安心ですねだぜい。未来の公爵夫人はどなたなのでしょうか……」


 ですぜ、と言いながらエヴィは、優しい気持ちで小さな新聞記事を読み進めた。

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