08 決着
会場は、ちょっとした興奮の坩堝と化していた。
観客の声は暑いうねりのように闘技場内を満たし蠢いている。
いつも沈着冷静なルシファーが雰囲気に呑まれるとは思わないものの、行き過ぎた対応は後になってからでは取り返しがつかないのだ。
(……まあ、王が「行き過ぎでない、妥当だ」と言えば大抵妥当になってしまうものなのですが)
現実的には行き過ぎでも、妥当で無くてもだ。
過剰な正義は正義ではない。正義の皮を被った暴力になり得る。
人間たちもそうやって多くの過ちを重ねて来た。
(抑止力は必要だけれども)
悪行にたいして罰は必要だが、過剰な制裁は後々自分の首を絞めることになる。
魔界には魔界のルールがあるだろうが、闘技場の雰囲気は危うい気配に満ちていた。
気持ちや思想を統一するために敢えて動きに乗ることもあるのだろうが、こと種族間に関することでは避けた方がいい。
「エヴィ様、こちらでございます」
執事がアリーナへ出るための道を案内する。
おばば様を始めとした仲間たちも一緒に廊下を走り抜ける。
眩しい光が見えて来て、外の風を感じるようになる。出口で一度止まり呼吸を整えると、前へと一歩踏み出した。
「……あれ、誰か出て来たぞ?」
目敏い魔族がエヴィ達を見つける。
「本当だ。あれが噂の『エヴィ様』じゃねぇか?」
知らない誰かの言葉に、更に別の魔族が言葉を重ねる。
「本当だ。通行証を持っている……」
ルシファーも、魔王の手の中の悪魔――タマムシもエヴィの方をみた。
力比べは決闘のようなもの。
いわばそれぞれの名誉と矜持をかけた戦いなのだろう。
それならばこちらも礼を尽くして対応する必要がある。
エヴィは久しぶりに背を伸ばし、カーテシーをする。
果たして魔族にカーテシーが通じるのかは解らないが、敬意と礼を尽くしていることは通じる筈だ。真心を込めた行動は、文化が違ってもその心を感じられるものだ。……と思う。
「力比べの途中に不躾でございますが、御前失礼いたします」
「……よい。楽にするといい」
いつものほわほわした町娘ではなく、令嬢然としたした様子に一瞬目を瞠る。
行動の内容までは判らずとも、意図は判ったのであろう。金色の髪をしたルシファーが小さく頷いた。
「魔王様の勝利をお祝いしたく、はしたなくも急ぎ馳せ参じました」
「…………」
「お相手様は既にそのお姿。どうぞ勝鬨を」
どこの国でも勝負ごとに口を挟むのは無粋と言われるが、明らかに勝利と分かった場合、エヴィの出身国では勝ちを仲裁人が宣言するよう勧めることが出来る。多分だが、人間界も気にかけているルシファーであれば、きっと近隣国の決まりを熟知しているであろう。
命を懸けた時代もあったらしいが、無意味に血を流すなと、命の重みを慮れるほどに思想が成熟した証拠ともいえる対応なのだ。
幾つも理由があるとはいえ、一番の発端となった人物が間に入るのが一番無難であろうと考えたのだ。
更に水を差さす事で観客の魔族たちも冷静さを取り戻すきっかけになるであろう。
(魔界では違うと言われてしまったら、引き下がらざるを得ないのだけど……)
エヴィは観客たちにアピールするかのように、再び頭を伏す。
ルシファーは手の中のタマムシを見て、小さくため息をついた。
魔力の開放を止めると、いつもの見慣れた黒髪と赤い瞳に戻って行く。
「場合によっては大怪我どころか死んでいたのかもしれないのに……相変わらずお人よしだな」
「恐れ入ります。魔王様に通行証をいただいた上、師匠とその友人達と一緒におりました。私が怪我をすることはございませんでしょう」
ルシファーは苦笑いをしてタマムシを差し出す。
「最大の被害者がそう言うのであれば受け入れるとしよう。これの処遇も任せよう」
ルシファーはニヤリと笑う。
「叩き潰すなり放つなり好きにするといい。どうせ元の姿には戻れぬからな」
凶悪的な表情のルシファーを見て、タマムシになった悪魔がブルブルと震えた。
助けられたことにプライドが許さないのか、引き起こしてしまったことを後悔しているのか。それとも本当に死が目の前に迫った今、本能的な恐怖なのか。
頭が冷えた観客たちは、高位魔族である悪魔からただのタマムシに代わってしまった姿を見て震えた。……怒らせたらムシにされてしまうと解れば、魔力が大事な魔族には屈辱と恐怖で耐えがたい事実だ。
やり取りを見ていた半魚人が声をあげる。
「勝者、魔王・ルシファー!」
勝者の確定に、観客席は再びわっと歓声が上がった。
******
「本当にお人よしだねぇ」
おばば様がため息をつく。
「でも、潰されたら大変じゃないですか。この姿で生きて行くと示せた時点で、目的は達成してるはずです。だぜい」
「どうすんだ、それ」
魔人がエヴィの手の中で震えているタマムシを顎で指す。
元々悪魔であったのに、放してはたして虫として生きて行けるものなのだろうか。エヴィは思わず首を傾げた。
タマムシとなった悪魔は、すくりと立ち上がる。
『……イロイロト申シ訳ナカッタ。謝ッテ済ムコトデハナイケド、本当ニ申シ訳ナイ』
タマムシはペコリと頭を下げた。
『もう少し早く改心していればよかったモノを』
「ブヒヒン!」
フェンリルとユニコーンがため息まじりにタマムシに向かって言う。
『今後ハ改心シテ、悪サハ致シマセン』
命だけは助かろうという魂胆なのか、それとも余程身に染みたのか。
人が変わったかのように、ペコペコと頭を下げている。
「魔王様も、出過ぎた真似をいたしまして失礼いたしました」
エヴィは控室で再び頭を下げた。
「いや。手打ちにすべきところを考えてだろう? 観客がかなり興奮していたからな」
元々穏やかな気質であるエヴィが、血を流すことを良しとしないだろうことはルシファーも解っていた。
「心底反省しているようだが……その気持ちを忘れぬよう数百年はこのままの姿で過ごさせよう。それが罰だ」
タマムシは負けを認め受け入れたのだろう、ペコリと頭を下げた。
またこの姿を魔族たちが目にすれば、抑止になるであろうという考えもある。
『モウ、ルシファー様♡ノコトハ諦メマス。今後ハ姐御ノオ役ニ立テルヨウ、頑張リマス!』
「……えっ?」
その場にいた全員がまじまじとタマムシを見た。
「『あねご』って何ですか、だぜい?」
首を捻るエヴィに、魔人が真面目腐った顔で言う。
「イナゴの仲間だぜ」
「嘘を教えるんじゃないよ」
おばば様は呆れたように言うと、エヴィ以外の全員が笑った。
******
「いやしかし、凄かったな」
「あんな虫にされちまうだなんてゾッとするよ。二度と魔王には逆らわないと思ったよ」
「お前なんぞが逆らったって、魔王様は屁でもねぇや!」
「違いねぇ」
笑い声と共に踊り子の横を通り過ぎていく。
興奮冷めやらぬ魔族たちが口々に戦いの様子を話しながら闘技場を出て来た。
よもや負けるとは思っていないが、やはりルシファーが勝ったと解り、踊り子はホッとする。
「悪さして負けた奴なんて潰しちまえばいいと思ったけど……あの人間の女の子は優しいんだな」
「本当だな。自分を傷つけようと思った奴を助けようだなんてな」
「甘いって思ったけど、あれはあれでいい気味だな!」
激し易い魔族であるが、からっとさっぱりしているのもまた魔族である。
(何だかよく解らないけど、エヴィが何かやって株を上げたんだね)
踊り子は微笑んで闘技場を見た。
これで反人間派も少しは大人しくなるであろう。
「さて、もうひと稼ぎしようかね!」
気分よく出て来た魔族たちが家路に帰る前に一杯ひっかけて行くことだろう。
踊り子は腕まくりすると、そんなカモを呼び込むべく声を張ることにした。
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