06 九尾のキツネがやって来た・前編
少し時は戻り、無事千切り機が出来上がって来た頃のこと。
「ふんふんふんふ~ん♪」
エヴィが鼻歌まじりに水を汲んでいると、木々の間からキツネが覗いていた。
「キツネさん、おはよう」
いつか見たキツネだろうか。
時折、様子を窺うかのように山小屋の周りに現れるキツネ。今も何かを確認するかのようにエヴィをみつめていたが、気が済んだのか踵を返すように後ろを向いて走り去って行く。
「なかなか慣れてくれませんね、ですぜ」
小さく息を吐き、いつも通り揺れる尻尾を見送った。
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「こんにちは」
朝食を食べ終わり三人がまったりと……ひとりだけ張り切っている薬師見習いが、猛然と薬草の千切りをして、擂り粉木をゴリゴリ回転させているが……思い思いに寛いでいると、粗末な扉がノックされる。続いて耳障りのよい張りのある声が聞こえた。
「入りな」
おばば様が面倒臭そうに扉に向かって言うと、一拍ほどおいてそれが開く。
開いた先には、白い髪に金色の瞳の美しい男が立っていた。
そこだけ異次元にでもなったかのように光輝いて見える。山小屋の中はしわしわのおばば様とムキムキの魔人が幅を利かせているため、見目麗しいという単語は存在しないのであった。
ともかく。扉に佇むその人は涼し気な目元を緩く細めていた。
細面の顔の中に黄金比とはこういうことと言わんばかりの配分で収まるパーツは麗しく、どこか中性的ですらある。
(もの凄い美人……だけど、男の人よね?)
この辺りでは珍しいシノワズリ風の服を身につけたその人の肩は広く、魔人ほどムキムキの筋肉美は誇らないまでも、しっかりとした骨格を持っていた。
そして。
(一、二、三、四、五……九。…………あの、お尻の辺りで揺れる沢山のもふもふはなんなのでしょう?)
そして頭の上にある、まるで猫か犬のような二つの耳のようなもの。
ふさふさした、幾つもある尻尾のようなものと獣の耳とに釘付けになりながらも、エヴィは男の顔とそれらとを交互に見遣る。
「おう、キツネ野郎。随分久しぶりだな」
先日大量に購入したクッキーをボリボリと齧りながら魔人がこともなげに言う。
「……魔人は相変わらず態度も口も悪いね」
苦笑いしつつも、キツネ野郎と言われたその人は楽しそうに魔人に応えた。
「何だい、こんな遠くまで。何しに来たんだい」
おばば様は面倒臭そうに顔を顰めた。そう言いながらも顎でしゃくって椅子を勧める辺りは、何だかんだで追い返そうというつもりがないのだと解る。
おばば様は、案外照れ屋なのである。そして素直になれないへそ曲がり。
所謂ツンデレという奴である。
「久しぶりにあちこちを回っていたんだけど。おばば様は元気かなと思ってね」
「アンタにおばば様と呼ばれる筋合いはないよ! アンタはアタシなんぞが逆立ちしても敵わないくらいにジジイもジジイじゃないか!」
おばば様の言葉にエヴィが目を瞠る。
失礼ながらおばば様は年齢不詳の……どう見積もっても八十以上に見えることに比べ、目の前の男性は二十代半ばほどにしか見えない。
「おばば様も相変わらずだねぇ。まあ、元気な証拠だよね」
ほっそりとした美しい手を口にあてると、『キツネ野郎』と呼ばれた青年の姿をした『ジジイ』が艶っぽい瞳で微笑んだ。
「そちらのマドモアゼルは初めましてだね? 私はハク。東の国で漢方を使った薬師をしている者だよ」
「東の国!?」
この大陸ではない、海を渡った他の大陸の、更にその先にある島国。
勿論エヴィが行ったことがある筈はなく、書物で読んだ事があるのみだ。
思ってもみない国の名前が出て驚いたが、この国の礼を取って名乗ったハクを見てハッとする。
礼には礼を持って返す。一見堅苦しい事のように感じるが、コミュニケーションの基本だ。東の国の人間が、王国のマナーでもって挨拶をしてくれているのだ。エヴィもまた簡素なワンピースをもってして、お見本のようなカーテシーを返す。
「失礼いたしました、ハク様。私はエヴィ・シャトレと申します」
「エヴィ、そう呼んでも構わないかい?」
砕けた言葉で話しかけながら、花のように優しく微笑む。思わず見とれてしまう程の麗しさであるが、ドキドキと胸が高鳴ると共に、どこか得体のしれないものを感じては、おずおずと頷いた。
(おばば様も魔人さんも普通に話しているし……多分悪い方ではないのでしょう)
それに、ケモ耳と尻尾をつけた変わった趣味のどえらい若作りなおじいちゃん……ではなく、彼もまた魔族なのだろうとあたりをつける。
「そいつは『妖怪』だ」
「ヨウカイ?」
聞きなれない言葉に、エヴィが首を傾げる。
「東の方の奇怪な奴らのことだね。『あやかし』とか『もののけ』とも呼ばれている」
奇怪な人達に奇怪といわれるというキツネのおじいさん。
解ったようで解らない説明に、エヴィは反対側に首を傾げた。
「魔族の方ではないのですか?」
「似たようなもんだ」
魔人が面倒臭そうに耳の穴をほじりながら答える。
ため息をつきながらハクは首を振った。
「全然違うよ。どちらかと言えば西の国々の『妖精』に近い存在だよ」
「妖精」
にっこりと口をVの形にして微笑むハクを見て、エヴィは碧色の瞳を瞬かせた。
「みんな妖しいってことにおいては、さして変わらないよ。ハクは九尾の狐。白狐の大妖さ」
おばば様がハクの正体を暴露するが、エヴィは見たこともないほどに綺麗な作り笑いを浮かべて固まっている。
(妖精に近い、妖怪の、『キュウビノキツネ・ビャッコノタイヨウ』の、魔族みたいな方?)
「?」
「……全然解ってねぇな」
「笑ってやり過ごそうとしているねえ」
三人の様子を見て、ハクは、ニコニコと楽しそうに眺めていた。




