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13 髪は長い友達

 同じ頃、とある友好国に留学中の王子様が父王から送られた書物を手にとっては、大層落ち込んでいた。


「何なのだ、これは……!」


 自国の要職についての説明と一覧表。そして王子として熟すべき仕事の説明書だ。

 中には、かつてアドリーヌ(エヴィ)にやらせていた仕事も含まれている。


 以前王太子として任されていた仕事に比べれば、だいぶ少ないと思う。

 次代の王となるべく学び、務めて行く人間に与えられる役目や役割は多く、そして大きい。


 手元にあるのはその役割から滑り落ちたものたちだった。機密事項や重要なものは取り除き選別された、だけれども王族として熟すべき事柄。


(父上は、本当に弟を王太子にするつもりなのだな……)


 数少ない仕事を大切に思っている訳でもないが、今は書類たちを投げつける気力もない。

 クリストファーはため息をついて説明書を閉じ、机の上に置いた。


 隣にはこの国の貴族学校の教科書が並び置かれている。

 既に自国の学園の卒業資格は満たしているため、遊学扱いであった。学園での成績は悪くはなかったので斜に構えて教科書を開いたが、意外にもかなり難しい内容で意識を改める必要となった。

 遊学先は学問や研究に秀でた国として有名な国であったと思い至る。


 ただ頭を冷すようにとミラを始め様々な事々から距離を置く為だけではなく、本当に王族として身を立てるだけの研鑽を積んで来いということらしい。


 おおまかな事情を知っているらしい学園の生徒たちは、腫れものを扱うような対応で遠巻きに見ていることが解かった。半年なのか一年なのか。それとも数年なのか……どちらにしろ僅かな時を関わるだけの人間たちと積極的に交流をとる気にもなれず、クリストファー自身も当たらず触らずの対応を続けていたのであった。


 小さな自室のベッドに寝っ転がり、窓の向こうの空を見た。

 貴人用の個室を与えられたといえ、学生寮の広さは限られている。狭い部屋はそのまま自分の未来を示しているような気がして、再びため息を呑み込んだ。


 夏の終わりに人生が急展開し、この地へやって来た。そして今は初冬。冬らしい薄灰色の空を見ながらぼんやりとする。


(父上が冷静になれば、元に戻るだろうと思っていたが……)


 その可能性は低いことが察せられる。

 今回に関しては、初めに言った主義主張を変えるつもりはないのであろう。


(幼い日から今まで、未来の王太子として務めて来た日々はなんだったんだろうな)


 弟に比べ、小さい頃から周囲の目にさらされて来た。マナーもかなり厳しく叩きこまれた。甘やかして育ててしまったと言われたが、言われる程甘やかされた記憶はない。


 鬱々とした毎日の中、山積みとなる課題や役目たちの緊急性のない務めをアドリーヌに多く投げたことは認めるが、これほどの叱責を受ける程のことなのだろうか。


 大臣だって官吏だって、部下なり何なりと他の人間に仕事を振ることなんて当たり前だろうに……国王ならば出来る人間を見極め、役目を振るのは最早役目なのではないのかと心の中で問いかける。


「まぁ、あの国の人々にとってはそうなのだろうな」


 たとえ暫く離れたとしても、何も変わらないと思ったミラまでもが自分から去って行った。アドリーヌは嬉々として自分の好きな道を進んでいるらしい。そう自ら宣言しにわざわざやって来た(多分)。

 弟には王太子の座が転がりこんで来て。


 クリストファーは、自分だけが貧乏くじを引いているような気がしていた。



 ある日、珍しく国賓としての役目が舞い込んだ。

 遊学をしてるということで、時折夜会や晩餐会などの社交が舞い込むことがある。気乗りはしないもののこれも役目と割り切って出席することにしていた。


「クリストファー王子、お久しぶりですね」


 この国の王太子はクリストファーより三つほど年上であった。過去に何度か面識があったため、会えば言葉を交わす間柄だ。


「学園はいかがですか? ご不便などありませんか?」

「いいえ。快適に過ごさせていただいております」


 お互いにこやかに会話をする。侃々諤々(かんかんがくかく)の政治の場以外は、基本的に穏やかで友好的に対応するのがセオリーである。


 そして彼の隣には、やはり子どもの頃からの婚約者だという妃が立っている。昨年婚姻の義を行ったのだ。クリストファーも来賓として出席したのでよく覚えていた。


 クリストファーは彼女が苦手だ。

 華やかさより慎ましさを美徳とし、いつも一歩下がっては夫の後ろに付き従っている女性。彼女を見ると嫌が応にもアドリーヌが連想されてしまう。だが、この国では勤勉で心根の優しい賢妃として国民に絶大な人気を得ているのだそうだ。


 幸いにもというべきかふたりは仲睦まじいようである。思い遣りに満ちたお互いの視線に、クリストファーは居心地悪く思う。自分が選ばなかった未来を見せつけられている気分になるから――それは事実でもあり被害妄想でもあるのだが。


 彼等も面識のあるアドリーヌの様子を気にしているようではあったが、大まかな状況を知っているのだろう。クリストファーに訊ねることはしなかった。


 彼等に、他の人間に惹かれたことはないのか、互いに対して不満はないのかと聞いてみたかったが、止める。彼等は『正しい』王族であり、『正しくない』自分とは違う世界の人間なのだ。


 今後他国との交流も弟が担うのであろう。その方がいいだろうと今は思っている。



「それでは、本日はお招きいただきまして、誠にありがとうございました」

 クリストファーはにこやかな作り笑いで礼を述べる。


(作り笑いが得意なのはアドリーヌだけではない)

 彼もまた、生まれてから今日まで仮面をつけ、取り繕いの世界で生きて来たのだ。


 はらり。


 宴の煌々とした光の中、金色の何かが空を舞った。

 王子と妃が見送りながら、クリストファーの遠ざかる後姿を呆然と見ていた。


「……クリストファー王子……」


(後頭部が……!)


 声なき声が空気を震わすのみ。唇からは遂に音は発せられなかった。


 初冬の冷たい夜空の下で、ふたりの視線は一点を見つめたまま、いつまでもその場に立ち尽くしていたという。

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