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12 ルーカスとマリアンヌ・前編

 王都の端の方にある、極々目立たない小さな教会。

ベイカー子爵家が支援している教会と孤児院である。


 孤児院の多くは教会に併設されており、資金もお布施や教会への支給金、貴族や豪商からの寄付で賄われている。お布施や支給金など雀の涙であるため、その多くは寄付で賄われていると言っても過言ではない。


 ベイカー家は代々このような目立たない、資金繰りが厳しそうな教会や孤児院を探しては、救いの手を差し伸べて来た家柄であった。



「ようこそおいでくださいました」

 教会の責任者であり、孤児院の院長でもある司祭がふたりを出迎えた。


 馬車から先に降り立ったルーカスは、マリアンヌの手を取りエスコートする。司祭は若いふたりの様子を見て小さく微笑んだ。

 敬虔で慎み深いマリアンヌが男性同伴で孤児院に来ることは殆どなかった。いや、親兄弟以外では初めてであろう。

 彼女が幼い頃からを知る司祭は驚き半分、いよいよ婚姻かと思い嬉しさ半分で頭を下げた。


「ルーカスと申します」

 彼は家名を名乗らなかった。


 相手に名乗る場合フルネームが基本ではあるが、寄進などを行なう場合や純粋に善意からである場合は、ファーストネームだけでも可能となっている。


 ルーカス自身はそこまで殊勝な考えでの行動ではない。

 公爵家の人間であると知られれば教会の関係者だけでなく孤児たちにも気を使わせてしまうだろう。更にはベイカー子爵家が大切に守って来た孤児院であるので、子爵家の面目を立たせたままにしたいという気持ちも大きかったといえる。


 とはいえ、目の前の青年が高貴な生まれであることは言わずとも察せられた。

 立ち居振る舞いも佇まいも、マリアンヌよりも高位の存在であろう。

 司祭は粗相のないようにと自らに言い聞かせて、孤児院へ案内を進めた。


 孤児院についた途端、子ども達に両腕を引っ張られて鬼ごっこをさせられたルーカスは、庭を目いっぱい走らせられては座り込んだ。 


「大丈夫でございますか、ルーカス様」

 庭の近くにあるテーブルで刺繍を教えていたマリアンヌが、心配そうに腰をかがめる。


「大丈夫です……しかし、こんなに走り回ったのは初めてかもしれない。明日は筋肉痛かもしれませんね」

 息を切らしながら苦笑いするルーカスにつられて、マリアンヌも微笑んだ。


「もっと遊ぼうよ!」


 小さな男の子がルーカスの腕を引っ張る。元気いっぱいな子ども達にとっては、まだまだ序の口といったところなのであろう。

 ルーカスとマリアンには顔を見合わせて笑うと、男の子の頭を撫でた。


「よぉし。きちんと勉強が出来たら、また遊ぼう」

「本当?」

 男の子の問いかけに、ルーカスは大きく頷く。


「本当だよ。だからきちんとお勉強も出来るかい?」

「出来る! この前名前を教わったの」


 今度はテーブルの方へルーカスを引っ張り、名前を書いて見せるようだ。


「あの子は、ルーカス様に随分懐いているようですな」


 ゆっくりと近づいて来た司祭に、マリアンヌは頷いた。


「はい。いつも訪問は母や侍女などの女性ばかりですので、一緒に思いっきり身体を動かして遊んでくださる方が嬉しいのでしょうね」


 司祭を始め教会の修道士も年配者が多いため、もっぱら読み聞かせや手遊びなどが主だ。


 ふと勉強をしていたテーブルを見れば、ルーカスは多くの子ども達に囲まれて、順番に文字の確認をさせられていた。


「まあ、大変だわ! 私もお手伝いをしないと」


 一斉に声をかけられ石板を差し出されたルーカスが、困ったように対応している。

 マリアンヌは司祭に頭を下げると、いそいそとフォローに向かった。


******


 今日は算術の授業だそうで、簡単な足し算・引き算の方法をマリアンヌが説明していた。


 紙芝居のように大きな紙に計算の方法を書いた紙を読み上げ、補足の説明などをしている。

 聞けば沢山いる子ども達にわかり易いよう、マリアンヌが作ったものだという。

 子ども達の様子を確認しながら、ルーカスは前に立つマリアンヌの様子を眺めていた。


「マリアンヌ先生! 十より大きくなったらどうするの?」


 指を折り曲げたり開いたりしながら考えていた女の子が、手を上げて質問する。

 両手の指では足りなくなり、途方に暮れているようだ。

 

「十より大きくなったら、それはお隣の十の位に置きます。一の位の数字は計算したそのままで、下に降ろします。十や二十など、一の位に置けなくなってしまった数はそのお隣に置きますよ。大きくなったのでお隣の『桁』……十の位にお引越しします」


 次の紙を開くと、そこには書き方がちゃんと説明されている。


「この前、『数の増え方』をお勉強しましたね? どんな風に増えるのでしたか?」

「十、二十、三十……って、一の位と同じように増えていく!」

「必ず『じゅう』ってつくんだよ」 


 子ども達は競うように答えていく。

 マリアンヌは嬉しそうに目を細めると、大きく頷いた。


「そうですね! 皆さんよく覚えていました。

 では、今から問題を出します。石板に書いて計算してみましょう」


 彼女は『マリアンヌ先生』と呼ばれていた。こうして週に一、二度援助する孤児院で勉強会を開いているのだそうだ。

 子ども達は集中して、皆熱心にマリアンヌの授業を聞いている。


 説明をするマリアンヌも、いつものどこかおどおどするような様子ではなく、実に堂々としたすがたであった。

 良く通る声で前を向き、ひとりひとり子ども達を確認しながら丁寧に授業を進めている。


 ルーカスは活き活きと子ども達に教えるマリアンヌを見ては、眩しそうに瞳を細めた。


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