11 魔術の練習
そんなことやあんなことがあり……少しだけ時が過ぎ落ち着いて来た頃、エヴィは魔術の練習をしていた。
「どうせ練習するなら役に立つ方がいいからな」
そう言って魔人がまず教授したのは、防御魔術である。
「いいか? 身体の中の魔力をペン先に込めて防御魔術の魔法陣を描いてみろ」
「魔力がペン先に込めているかどうか、全く解らないんですが……ですぜ」
今でも毎日魔力鍛錬はしているものの、流れが解った試しがないのだ。
申し訳なさそうなエヴィを見て、そうだったと思い出す。
「……そうだなぁ。取り敢えずは体中の『魔力』を集めるようなイメージをして、描いているインクに溶けだしてるような想像をしてみるしかねぇだろうな」
「ふむふむ」
真面目なエヴィは至極真面目に体中に巡っているだろう魔力を、頭の先からつま先まで全て引っ張り集めるように右手に集め、指を通り羽ペンを通り、インクに溶けて紙に描かれる様を妄想する。
……一枚描いたところでヘロヘロである。
魔法陣の本は時間があればくり返し何度も読んでいるので、初歩のものに関してはしっかり記憶していた。複雑な文字や記号が織りなす不思議な模様は、見ているだけで楽しかったのである。
「じゃあ、それを前に出して掲げて、『防御』だ。言ってみろ」
やけにあっさりとした詠唱に、エヴィは首を傾げた。
「詠唱はそんなに短いのですか?」
エヴィの過剰なアクションを知る魔人は、ジト目で彼女を見つめる。
「あのなぁ。防御魔術を使う時は急いでる時だぞ? いつものおかしな呪文や振付をやってる時間なんてねぇんだよ」
確かに。魔人の言っていることはもっともである。
ただでさえ逃げ足が速いとも思えないのに、立ち止まってポーズをつけていたら、危機的状況が待ったなしであろう。
「前にもババアが言っていたと思うが、実際のところ詠唱なんて何でも構わねぇんだよ。魔力で魔法をぶっ放すか、魔術で強制的に引き起こすかだ」
でも、とエヴィは思う。
「それは自力で魔法を使う場合ですよね? 『魔術』は、自然や超越した存在から力を借りる為に正しく詠唱をするのではないのですか?」
魔人はうんうんと頷く。
「大前提はそうだな。施行する魔術の種類や大きさによって違いがあるって言った方がしっくりくるかもな」
魔人は魔法陣を指差す。
「それは小規模の防御魔術だ。元々詠唱は長くない上、既に魔法陣が手元に顕在している。
――魔法使いが魔法を使う場合、詠唱と共に魔法陣が出現して魔法が施行されるわけだが。あれは魔力で詠唱と共に魔法陣を描いているんだ。魔法の力が強い、もしくは上手いほどに短時間かつ大小様々な魔法陣を描き出すことが出来る。そしてその魔法陣に魔力を込め、力を最大限に発揮する」
魔人が凄まじくもっともなことを、真面目に話している。
まるで先生みたいだと思ったが、よくよく考えれば、今現在はエヴィの魔術の先生であった。
「魔術は魔力ではなくインクやおどろおどろしいヤツは血とか、他のもので代用して描く。更に少ない魔力なり贄なりで発動させる訳だ。詠唱で魔力を乗せたり何かから力を借りたり、召喚物に前借だったりとその辺も魔術によってまちまちだな」
血とか贄とか怖い発言に、エヴィは思わず魔法陣を見つめる。
防御魔術の中でも初歩の初歩であり、範囲も効果も極限定的な魔術の魔法陣であるそれは、比較的簡単で単純な紋様で描かれていた。
高度な魔法陣などは、どうなっているのかと凝視しなくては理解できないレベルの緻密さで描かなくてはならない。
「だいたい他に贄を求める類のモンはあぶねぇ魔術なことが多い。悪魔召喚とか呪いとかな。何かから借りるのも一緒だ。後でどんな要求をされるかもしれねぇから、自己解決できるなら自己解決した方がいい」
エヴィの周りの不思議な存在達が好意的なので忘れがちだが、魔なるものも妖なるものも聖なるものも、人間とは全く違う理屈や思考回路で動く。
本来彼等は欲望に忠実であり、勝手で気まぐれな存在なのだ。
人間の常識や建前なんかを期待したとしても、全く顧みられないことだってあり得る。
「特に契約ごとは絶対だからな。人間みたいにやっぱりとか、ここはちょっと……なんて手心は通じねぇから」
その上狡猾な輩もいる。甘事や優しい態度で近づいて来て、雁字がらめにしてしまうなんて者も普通にいるのだ。お人よし過ぎるエヴィを見ていると、そんな奴に騙されやしないかハラハラするもの事実だ。
じっと様子を見ているユニコーンとフェンリルが何か言いたそうであるが、一般的な話である。
そんな奴らに付け込まれないように(契約はしていないとしても)気をつけろと魔人は念を押すように視線を向けた。
二頭は心得ているとばかりに小さく頷く。
「ま、だからこれの詠唱に関しては、『ガード』『プロテクト』『ディフェンス』……どれでもエヴィがイメージし易いものを言えばいい」
話が真面目な方向だったため、エヴィは何も言わずに頷いて、初めに魔人から伝えられた一番短い詠唱を唱えた。
「ガード!」
エヴィの声から一拍ほど置き、魔人は草の実を軽く投げる。
丸い種にはトゲトゲが沢山ついていて、服などにくっつく実だ。人間の子ども達が投げて遊ぶシロモノである。
実際に草の実の周りを歩いた猫や犬の毛にくっつき、遠くまで実を運ばせて繁殖を広げるための仕様なのだが。
「いたっ!」
小指の爪より小さな実が、エヴィのおでこに当たった。
おでこに当てるつもりはなかったが、避けようとしてなぜか魔人が投げた方向に身体を動かしたため、自ら当たりに行ったようなものだが。
――とにかく、防御魔術は発動していないらしい。
「ガード! ガード! ガード! ガード!」
魔人の投げる実がエヴィの衣服に複数くっついている。そのうち実だらけになってしまいそうだ。
何度目だろうか。エヴィが更に服に付く実を増やした時、魔人が魔法陣を指差した。
「?」
裏返してみると、黒いインクで描いた魔法陣に七色の光のようなものが溜まり、曲線や記号にキラキラと光が走っているのが見えた。
「これ……」
「エヴィの魔力だな。詠唱と魔法陣、エヴィの魔力によって魔術が発動するために動いているんだ」
本来なら一度で発動するものだが、あまりにも少ない魔力なので、少しずつ溜まるように改良してある。
「綺麗……。ですが、発動しなければ失敗なんじゃないのですか? だせい?」
「普通はな。その紙は魔力を蓄積しておける紙なんだ。魔道具の一種で、『スクロール』なんかも大まかには似たような仕組だな」
スクロールは魔術を発動させるカードや巻物のことだ。
魔力がなくても魔術を使うことが出来るマジックアイテムのひとつである。……きちんと説明すると全く同じという訳でもないのだが、まあそれはいいだろうと魔人は説明を省くことにする。
魔力の少ないエヴィが一回で魔術を発動させることが難しいのは予想出来ることで、その度に失敗になっていては永遠に魔術が使えない。そのため蓄積できるように作ったのだ。
凄い、と呟くように言うと、エヴィは碧色の瞳をキラキラとさせた。
めっちゃキラキラさせている。
「……さ。行くぞ?」
「はいっ! ガード!」
更に何回か繰り返した時。
「ガード!」
ポイン。
間の抜けた音がして、チクチクの実が弾かれて魔人の方に飛んだ。
緩やかな放物線を描いて飛ぶ実を、魔人は難なく弾いて遠くに飛ばす。
そして、エヴィの手の中の魔法陣が燃えてなくなった。
「わっ!?」
「成功だな」
ただでさえ丸い瞳をまん丸にして、パチパチと瞬いている。
見ていた二頭も蹄と小さな手を打ち合わせて祝っていた。
『よくやったぞ、エヴィ! 褒めて遣わす』
「やりました~! 出来ましたですぜい!」
「ブヒ、ブヒンヒン!」
エヴィはぴょんぴょん跳ねて喜んでいる。
――普通は一回で発動するんだぞと言いたかったが、魔人は言葉を呑み込むことにした。
魔法(魔術)に無防備すぎると却って危険なために教えてはいるが、無理に使わないことに越したことはないのだ。斜め上の行動をするエヴィなら尚のことである。
一回で発動しない方が安全なこともあると、自分に言い聞かせた魔人なのである。
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