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08 狭間の森

「エヴィ、悪いけど薬草を摘んで来てくれないかい?」


 おばば様が薬棚を覗いてから振り返った。

 ここ数日てんやわんやでクッキー作りを熟した皺寄せか、充分過ぎるほどにあった薬草が底をつきそうであった。


 反則的に魔法と妖力で生地を大量に作り、サラマンダーたちの協力により無事に、二万千個の目途がつきそうというところまで来た。


「はい! 了解ですぜ!」

 フェンリルと隣り合って型抜きをしていたエヴィが、任せておけと拳を上げる。


「例の通行証のお陰で森の中に入れるだろうからね。必要な薬草を書き出すから待っていな」


 家事に付随するものを熟すことはすこぶる苦手なエヴィであるが、薬草に関しての知識はかなりのものである。実際に見たものの姿かたちだけでなく書物で得た知識も、おばば様の折り紙付きである。


「私も欲しい薬草があるから、少し抜けるよ」

 ハクがおばば様と魔人に視線を向けながら言った。


 抜けている場合かと言いたいところであるが、ハクは本来手伝う義理もないわけで。好意と興味から手伝ってくれているだけなのである。

 彼は東の国の薬師であるからして、自分の分の薬草を用立てたいというのはごもっともな話であろう。だが。


「……わかったよ。なるべく早く帰って来ておくれよ」


 タイミングからいって、万が一のお目付け役として立候補したのであろう。

 しっかりしているようでどこかそそっかしいエヴィを心配して、護衛代わりについて行くのだ。殆ど心配ないとはいえ、変な人間や凶暴な獣、はぐれの魔獣や悪戯好きの妖精などがいないとも限らない。

 ふたりは、意外に過保護な大妖をちらりと見て頷いた。



******


「それにしても、こんなに売れるとは思わなかったよ」


 顔や手についた粉をおとしたふたりは、静かな山道を並んで歩いていた。

 ハクのふわふわな白いしっぽが、冬の香りが濃くなった風に揺れている。


 今日のハクは作業することを想定し、東方の遊牧民の民族衣装を着ていた。彼の出身である東の国の着物やその隣の国の漢服に比べ、袖幅がスッキリしているため動き易いのだろう。シックな琥珀色のデールという上衣の下に、焦げ茶のズボンを合わせている。

 焦げ茶に白いしっぽが映えて、寂し気な冬の景色の中にくっきりと浮かんでいるようだ。


「そうですね。流石にこんなに流行るとは思いませんでした」

 びっくりです、と続けるエヴィ。ハクは楽しそうに笑った。


「お菓子工房を作る勢いだね」

「うーん、どうでしょう……流行は一過性ですからね?」


 年齢よりも幼く見える顔で、何とも世知辛い発言が飛び出す。


「相変わらずしっかりしてるんだね」

 ハクは目を細めると声を上げて笑った。


 おばば様の若い頃や、かつての魔人のやらかしなどをネタに会話して歩けば、あっという間に狭間の森につく。相変わらず人を拒むように鬱蒼として、木も草も暗く生茂っていた。


 エヴィは高く伸びる樹々をみあげる。

 以前は不気味に見えた森だった筈が、先日魔界に行ってからそうでもないと思えるようになった。


「通行証、森に掲げた方がいいのでしょうか」

 勿論管理人や門番などはいる筈もないので、誰に見せるという訳でもないのだが。


「そうだねえ。多分持っているだけで大丈夫だと思うけど、服の上に出して置いたらいいんじゃないかな」


 言われるがまま、魔王から授かった通行証なる魔石を首からぶら下げ、ふたりは森の中へと入って行った。



 元々強い妖力のあるハクは、狭間の森で迷うことはない。

 その上魔王ルシファーとは旧知の仲であるために、自由に魔界へも出入りしている身だ。


 風もないのにうごうごと樹々が蠢いている。

 遠くから何かが近づいて来るのが見えた。小さな何かが、二足歩行で近づいて来る。


「何でしょう……魔族の子どもでしょうか?」

「精霊か何かかもしれないね」


 敵意の類は感じられない。それ程強い魔力も。

 ふたりは小首を傾げながら立ち止まっていると、目の前に小さな木が歩いて来た。


「……木……?」

「トレントの幼体かな? 初めて見たよ」


 体長ニ十センチくらいの、頭(?)に葉っぱを一枚つけた木の坊や(?)が、根っこを足のようにして立ち止まった。黒いまん丸の穴のような目でふたりを見上げている。そして腕のような二本の枝を揃えて頭を下げると、先を指し示すように腕で指し示し、歩き出す。


「ついて来いってことでしょうか……?」

「多分そうみたいだね。エヴィが迷わないように、森に色々と伝えてあるんだろうね」


 そしてエヴィが道に迷わないようにか、樹々がわさわさと動き出すと、あっという間に行くべき道を作り出した。

 エヴィは驚きながら、ハクは楽しそうに微笑みながら道を進んで行く。


 木のトンネルのような道を進んで行くと、ちょっとだけ開けた場所に出た。先程のトレントの坊やが立っており、少し先を指し示している。

 見れば沢山の薬草やハーブが生茂っていた。


「まあ! 摘んで構わないの?」

 小さなトレントは何度も頷く。


「ありがとう。じゃあ、必要な分だけ摘むわね」

 そう断ると、おばば様に渡されたメモを見ながらせっせと採取を始める。


「手伝うよ。どれどれ?」

 そう言うとハクもメモを覗き込んで、必要な薬草を摘みだした。


 しばらく無心で採取していると、肩をつつかれた。

 エヴィが不思議に思って上を向くと、大きな木の枝が彼女の肩をつついては、やはり少し先を指示した。


 そこにはキノコが並んで生えている。


「あれもくれるの?」

 上を見上げながら訊ねると、木は肯定するかのように枝葉を揺らした。


 キノコをもぎると、先程のトレントが小さな腕に一杯の木の実を運んでくるところだった。そしてエヴィに差し出す。


「こんなに沢山! どうもありがとう」


 手のひらの上で山になった木の実とトレントを交互に見比べて礼を言うと、トレントはやはり何度も頷ていた。


「森に気に入られたんだね。よかったねえ」


 大きなかごに一杯の薬草を摘んだハクがやって来て、エヴィとトレントの幼体を見て言う。トレントはエヴィとハクを交互に見ては、やはり何度も頷いた。



「これで全部だと思うよ」

「はい! ハク様が手伝って下さったお陰で早く終わりました」


 手に持っていた荷物をマジックボックスにしまうと、ハクはもう一度メモを確認した。

 エヴィは足元にかがみ込むと、小さなトレントの枝を優しく取って礼を言う。


「あなたも。どうもありがとう」

 心なしか嬉しそうな様子で頷いている。


「そろそろ山小屋に戻ろう。みんな待っているだろうからね」

 ハクに促され、エヴィも立ち上がった。


 帰り道は来た時と同じように、万が一にも道に迷わないようにと樹々が道を作ってくれていた。

 見送りをする為にトレントの子も隣を歩いている。


 そして外の明るい光が見えて来た。もう出口である。



「本当にありがとう。皆さんも」


 エヴィがトレントと樹々達に向かって礼を言うと、森が大きく騒めいた。ぺこぺこと頭を下げるトレントに、エヴィはポケットから飴玉を出す。


「これをこの子にあげても大丈夫ですか?」

「問題ないよ。砂糖だから、養分になるだけだからね」


 ハクに確認し、オレンジ色の飴玉を差し出した。トレントは一瞬小さく首を傾げ、おずおずと受け取った。そして陽の光に飴をかざすと、嬉しそうに頭を下げた。


「じゃあ、またね!」


 エヴィとハクが手を振る。

 トレントの子どもが片方の枝で大切に飴を抱え、反対側の枝で手を振った。

 森の樹々も大きく葉を揺らしていた。 


「今度、森の木にも何か持って行かないとですね。やはり肥料でしょうか?」

 木は水と肥料以外に何が好きなのだろうかと思う。


「木でもあるけど精霊や魔物だろうからね。感謝の気持ちだけで充分だとは思うけど、今日みたいに甘いものが喜ぶんじゃないかな」

 ハクによると、妖精や精霊は甘いものが好きなのだそうだ。


「じゃあ、何かお菓子を持って行きましょう」

 そう言ってエヴィはもう一度、風変りで優しい狭間の森を振り返った。

 

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