03 スローライフのお供と言えば、趣味。
エヴィがおばば様の家に住み始めてからすぐのこと。
リビングの本棚に置かれている本は好きに読んで良いと承諾を得たので、暇があれば拝借して読みふけっている。
大概が薬師の仕事に関する蔵書で、材料になる植物や生き物の図鑑から始まり、医学書や調合に関する蔵書たち。また、近隣諸国の書籍や娯楽小説、極々簡単な魔術書などが無造作に放り込まれている。
元々自ら学ぶ事に長けた人間であり集中力も記憶力も優れているエヴィは、新しい薬学の知識を貪欲かつ効率的、かつ高速で身につけていた。
目の前に高名な薬師であるおばば様がいるのも大きいだろう。
本の通りに刻まれ、すり潰され、煮込まれる薬草たち(&怪しい生き物の黒焼きやよくわからない物質)。毎日毎日、好むと好まざると……大変ありがたいことに目の前で実演しているのである。
エヴィがおばば様の家に住み始めてから早数か月。
簡単な薬――いや、大半の薬は既に調合出来る知識量が、既にエヴィの頭の中にあると言ってもよい。
あくまで知識だけはである。
だが哀しいかな、彼女には極々簡単な、刻んだり煮込んだりというスキルが圧倒的に足りない。
刻むにしてもただ切り刻めばよい訳ではなく、品質が安定するように均一に刻むという小ワザが必要なのである。言い換えれば品質を安定させたり向上させたりするためには、几帳面さというか緻密さというか。手際の良さが必要という訳で。
ただ切るのでさえも指を切り落としかねない、鍋を火にかければ焦げ付かせるのは必須のエヴィにとって、知識の習得よりも作業そのものの方が問題なのである。
「そういえば、傷薬に使うあの草が無くなりそうでしたわね……」
そう言って散歩がてらせっせと薬草を摘み。
丁寧に洗浄しては、再びせっせと陰干しをしておいたり。
「……そのお薬はヒレハリソウを使うのではないのですか、だぜい?」
「ああ、無けりゃ別にフキタンポポでも代用が利くんだよ。オトギリソウでも大丈夫だね」
「そうなのですね! 効能の違いはどうなのでしょうか、だぜい?」
マニアックな調合の割合や代替品……
日に日に、急速な速さで積み上がって行く知識に、おばば様と魔人は呆れたような感心したような、何ともいえない表情で顔を見合わせているのであった。
スローライフの皮を被りながら、本来ファストライフである筈の山の麓の辺境暮らしは、おばば様と魔人の、もといほぼほぼ魔人の働きによってスローライフを維持している。
辺境の暮らしのための練習と訓練をして、おばば様の薬師の手伝いをして。エヴィの収入である投資のあれこれを行った後は自由時間なのだ。
ここでは社交をする事も無く決まった勉強も公式行事もない。
ここにはおおよそ娯楽めいたものどころか、全く何にもない。
薬作りは誰かの役に立つうえ奥深く、面白い。
時折繰り出される魔法は、子どもの頃読んだお伽噺以上の不思議さをもって目の前に広がっている。
無造作に棚に収められている書籍を手に取れば、その知識や概要を知ることが出来る。
充分に捻出できる自由時間を使って、エヴィは自分が楽しいと思っていること、イコール興味がある事象を、凄まじい好奇心と集中力でもって吸収している真っ最中なのであった。
そして初級の魔術と魔法の説明書。
あんまりにもエヴィが色々と知りたがるので、おばば様は辟易したのか物置部屋……ならぬ自室に魔術で展開されている倉庫から古い書物を持って来ては、リビングの棚へ置いてくれた。
説明が面倒臭いので、知りたければ勝手に読めということらしい。
魔力に恵まれた幼少期のおばば様が、見る必要もないのでろくすっぽ開いてすらないやたら立派な教科書は、彼女の魔法の師から貰ったものだ。
魔力に恵まれ過ぎていたおばば様は、理論的な事はわからなくても感覚で自然と『使えてしまっていた』訳で。一辺倒の理屈だけ浚っては、さっさとその先に進んでしまったのでその辺の事を上手く説明するのが苦手だというのもあった。
だって使えるんですもの。
魔人も人間ではなく魔人なので然りだ。
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かつては沢山存在したという魔法使いや魔術師たち。技術の進歩や古代魔術の消失など、様々な事が重なって今は殆ど存在しなくなった。
技術がない時代は、それをカバーする能力が必要なのだ。
さながら目が見えなければ耳が敏感になるように。
人が知恵をつけ文化や文明が生まれ、発達し、様々な技術や学問が進むにつれて、不確かだったり不安定だったり、はたまた面倒だったり。魔法やら魔術やらという説明がつきにくいものは退化して行くのが時の流れだ。
物事を事前に察知する能力や、手を当てれば治る治癒能力然り。
人間には誰しも魔力はある。ただ、非常に小さな魔力だ。魔法を使えるだけの大きな魔力があることは現在は稀である。退化して行くのは使わなくてもそれ相応に暮らす能力と技術力が備わったからであろう。
魔力はその人の中にある目に見えないもので、その強さは遺伝的要素が強い。遺伝には優性と劣性とがあって、魔力は当然劣性遺伝だ。
これは優れている劣っているというモノではなく、遺伝し易い(優性)・し難い(劣勢)という意味であり……勿論突然変異もあるが、大体はその血筋で決まることが多い。
劣性遺伝ということは、いうまでもなくその血筋に生まれても遺伝し難いということである。段々に数が減少して行くことや弱まって行くことが察せられるだろう。
その上人間は易きに流れる。訓練すれば多少の向上はあるだろうが、努力せずとも技術や科学で解決できるのに、目に見えない努力を続ける人間がどれだけいるのか。
『……『魔法』は自らの魔力を使って超常的な現象を起こす事。『魔術』は通常では起こりえない事を特別な訓練や方法、すなわち原理や原則を用いて引き起こす事……?』
エヴィは首を傾げながら、はしたなくもベッドの上で本を読み進める。
『膨大な知識と研鑽が必要な魔術を全て学ぶ事は不可能に近い。実際は魔力を持つ魔法使いが、より大きな魔法を発動させ引き起こす為に魔術を併用する事が殆どである』
(うーむ)
書いてある事を二度ゆっくりと読み直しては、エヴィは反対側に首を倒した。
魔法使いたちが魔法を使う時に発する詠唱や、魔力で描く魔法陣が魔術の類なのだろう。そういったモノを使わずに、自分の魔力だけで事象を引き起こすのが魔法。
魔法と魔術は似て非なるものであるが、非常に似ているように見えるし、親和性もあるのだろうとは思う。
「原理をわかって使うならば、魔術なら誰でも使えるということ……?」
しかし研究しているであろう学者たちが使用出来ていないという事実。きっと途方もない上に途轍もない知識が必要か、難しい条件下なのか。はたまた前提が間違っているのかだ。
いまいちわからないままにページを捲ると、思わぬ一文が目に飛び込んで来る。
『魔力を増やす方法。筋肉と同じです。無理のない範囲で極限まで使い、を繰り返して魔力を強く大きくして行く事が必要です……?』
(極限まで使うって……どうやって使うんだろう?)
筋肉ならどこにあるかもわかるが、魔力ってどこにあるのかと本に向かって突っ込みを入れる。
繰り返しだが、人間には魔力を使えないだけで、誰でも極々微量の魔力が存在するという。いつだったか、エヴィが『自分も魔法が使えるのか』と聞いたら、魔人は『殆ど無いから使えない』と言っていた。
(『殆ど無い』っていうことは、裏を返せば極微量にはあるってことなのよね……?)
更にページを捲ると、『魔力の循環法』とか『魔力を留める』とか、『放出』『吐き出す』とあり、更に首を捻った。魔力とは水か、はたまた空気のようなものなのか。
どうやって留めるのか。どうやってどこに出すのか。
更に読み進める。事柄が起こる事の原因と引き起こされる出来事、結果が書かれてあった。
『火は水で消え、風で消える。火は油で燃え、風で広がる……?』
当たり前の内容の記述に碧色の瞳を瞬かせた。
更にページを捲れば、良くわからない様々な自然の原理……らしいものと摂理らしいものが。延々と。
書いてある文章は理解出来るが、意味が捉え所がなくて理解出来ない。
何度もくり返し読み込みながら、とりあえず魔力の増やし方のページにあった実践方法を行ってみる。
まずは魔力を感じること。
「…………。………………?」
魔力は感じられないが、仕方がないのでとりあえず何かが身体を循環しているイメージを浮かべておく。そして身体の各所……頭や指先、へその下に濃く溜めるようなイメージを繰り返す。
放出し易い――イメージし易いためだが――指先から、魔力を放出する。
わかり易く、カーテンを揺らすために初級の風魔法を放つ(あくまでイメージ)。
「風よ、衝撃を。『ウィンドショック』!!」
……シーーーーン。
勿論カーテンはぴくりとも動かない。
静まり返った部屋の無音が耳に痛い気がするのは気のせいなのか。
カーテンに向かって、詠唱と共に魔力を放出するために伸ばした指先が何とも。
「…………」
(ま、まぁ。仮に使えるようになったとしても、魔力が殆どない自分がすぐさま出来る筈がないわよね……)
エヴィは自分に言い訳をしながら、小さく咳払いをしては再び目を瞑って意識を集中した。
頭を使ったからなのか、この日からよく眠れるようになったのである。