21 オークな頭領息子がやって来た
「お前がエヴィか」
エヴィが井戸の周りで洗濯をしていると、若い男性の声がした。
振り返るとそこには、豚の頭を持つ魔族が立っている。
オークだ。
パッと見で若いのか壮年なのかエヴィには判断がつかないが、声の雰囲気からいって若そうだった。
「はい、そうですが……」
泡だらけの手を洗い流すべきかと迷いながら返事をすると、我が意を得たりと言わんばかりに大きく頷いた。
「家に案内せよ」
「…………」
井戸からでも見える山小屋に視線を移す。
すっかり山小屋の庭先に居着いているユニコーンが、エヴィの困惑したような様子を察知して走って来るのが見えた。
「おばば様にご用でしょうか?」
本来は聞かなくてもお客様を案内するのだが、よろしくない雰囲気を感じてエヴィが尋ねる。
「……そうだな。師匠だというおばば様にもひと言挨拶がいるだろう」
「ヒヒン?」
「おばば様のお客様らしいんだけど……」
エヴィを守るように付き添うユニコーンを宥めながら、どうぞと言い、山小屋へと歩みを進めた。
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そして今、おばば様とオークの青年がテーブルを挟んで鎮座している。
「何だ、この家は茶も出んのか?」
エヴィのイメージではお伽噺の影響もあってか、みんな戦士のような荒々しいイメージだ。
目の前のオークは人間の貴族服と変わらない装いをしており、なかなか横柄な態度だ。きっと良い家柄(?)のオークなのかもしれない。
「あ?」
ピンクのフリフリエプロンを掛けた魔人が、人相もガラも悪く凄みながら、水の入ったカップを叩きつけるように置く。
「で、用事って何だい」
不機嫌極まりないような顔と声でおばば様が言い放つ。
オークは気圧されながら口を開いた。
「おばば様の弟子である人間の娘だが、なかなか殊勝な働きをしていると聞く。同胞が親切にされたと褒めていた。他の種族の子ども達にも親身だと聞く。この辺で魔族と人間が再び手を取り合うのも悪くないであろう。下賤な人間を本当に信用してよいのか疑問があるが……私はオークの頭領家の嫡男だ。褒美として私の嫁に迎えたい。人間よ、有難く思え」
「はい?」
言ってる意味が全く解らない。
……いや、言葉自体は解るが……何でこのオークはそんなことを言っているのだろうか。
エヴィは碧色の丸い瞳をまん丸にして首を傾げた。
「お前はトロいのか? 私の嫁にしてやると言っているんだ! これからも魔族やオークの民たちのために身を粉にして働くんだぞ」
臨戦態勢のおばば様と魔人、窓の外のユニコーンが禍々しい気配を放っている。今にも怒鳴り出した上に攻撃魔法で丸焦げにしそうな雰囲気だ。
(これはもしかして、求婚されているのかしら……????)
全くそうは思えないが。
どちらかといえば召使いというか奴隷としての勧誘(?)のようである。
嫁に迎えると言う割にはエヴィの意見などまるで聞く様子もなく、ただただ上から目線であるが。
「お断りいたします」
エヴィが気負いもなく断りの言葉を告げると、オークは目を見開き、牙をむき出した。
なかなかの迫力である。
おばば様と魔人、ユニコーンはうんうんとエヴィに頷いている。
「貴様……っ! 人間如きが私に逆らうというのか!!」
「逆らうも何も……。えっと、仮にも妻として迎え入れようとする相手に『人間如き』と仰るのでしたら、無理に求婚する必要ないと思うのですが。人間と結婚しなくてはいけない縛りでもあるのですか? 同族の方か魔族の方とご結婚された方がよろしいのではないですか?」
何が悲しくて悪感情がある者と結婚しなくてはならないのか。
それはこちらもあちらもである。
エヴィは魔族に嫌悪感などないが、全く知らない人に上から目線で命令されて、もしかすると何か事情があるのかもしれないが……はっきり言って不快だ。
権力者の結婚というモノに夢も希望もないエヴィであるが、愛情が無いよりはある方がいいのは当たり前で。
だがこれでは愛情なんて湧くはずもない。
頭領息子といっていた彼は、オーク達の偉い人なのだろう。
なぜ人間であるエヴィに求婚してきたのかは不明であるが……魔族と人間の懸け橋的なものだったか……とはいえ、結婚後の政治うんぬんも考えれば今はまだ悪手ではないのだろうか。
「一族を束ねる立場なら、下々の方々が納得いく相手と婚姻を結んだ方がよろしいと思いますよ?」
あくまで冷静に提言する。オークはピンク色の顔を赤くして再び怒鳴った。
「お前のようなしがない小娘に、政治の何がわかるというのだ!」
「まあ、一応王太子の婚約者としてあれこれ手伝って参りましたから……」
「お、王……!?」
エヴィの言葉にオークの青年が目を白黒させる。
「この子はとある国の王太子妃となるべく、生まれてすぐから十六年、どっぷりだよ」
「お前なんかつい最近親父さんに教えられ始めたとこだろ? 新人とベテランくらいの差がある。足元にも及ばんから止めておけ」
「ヒン! ヒンッ!」
ユニコーンは汚いものを追い払うかのように前脚を払った。
「とにかく。自分の立場を誇示するんなら、よーく考えてからものを言うんだね」
おばば様が低い声で睨んだ。
オークの青年が細かく震えているのが見える。それでも虚勢を張ろうと声を上げたが。
「う、煩い! 私を誰だと……!」
「オークの頭領息子だろ? あんまりうるさいとひき肉にするよ!」
おばば様に凄まじい剣幕で怒鳴られ、哀れオークはしおしおと萎れ項垂れる。
「豚型魔人だぞ……人だぞ? 人間は本当に何でも食べるし獰猛だな……ドン引きだ」
「性懲りもなくまた来やがったら、ハンバーグになる覚悟で来いよ?」
極悪人顔で魔人がとどめを刺した。
流石に酷い言葉と態度だったため、エヴィも庇う気にはなれない。
三人と一頭の冷たい視線を受けながら、トボトボと帰って行くオーク。
(何か、ちょっと可哀想といえば可哀想ですかね……)
エヴィは困ったような表情でオークの哀愁漂う背中を見つめた。
「それにしても、なぜ急に大人しくなったんでしょうか? ですぜい?」
エヴィの言葉に魔人が答えた。
「多分、豚肉扱いされたからじゃねーか? 知らんけど」
「はぁ……そんなものなのでしょうか、だぜい」
「ヒヒン」
首を傾げるエヴィに合わせるように、ユニコーンも長い首を横へ倒した。
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「本当に、申し訳ございませんっ!!」
後日、事の顛末を知ったオークの頭領さんがすっ飛んでやって来ては、平謝りで謝り倒して行った。
余りにも必死な様子にエヴィが恐縮する中、おばば様と魔人がこれでもかと言わんばかりの苦言を呈していたのは言うまでもない。
どこからか、しっかりがっつりとバレたオークの頭領息子氏はこってり絞られ、その後二度と山小屋にもエヴィの周りにも近づくことはなかったのである。




