19 魔力が増えました
エヴィはカーテンに向かっていつもの詠唱をする。
「風よ、衝撃を。『ウィンドショック』!!」
シーーーーーーン。
今日もひとりきりの部屋に沈黙が響いた。
勿論カーテンが激しく動くことなどなく、微動だにしないことは言うまでもない。
それでも毎日の魔力鍛錬を行なう。
おばば様から譲り受けた教科書によれば、魔力を増やす方法は筋肉と同じであり、無理のない範囲で極限まで使うを繰り返して魔力を強く大きくしていくのだという。
それならば筋肉を増やす鍛錬と同じで、日々コツコツと続けることが、結局は近道である――と考えている。例えそれがミジンコ並みの魔力だと言え、極々超微細にある魔力が増えて行けばいつの日か、何かしらが出来るかもしれない。
諦めたらそこで終わりである。
勿論人間諦めが肝心ともいうが……進化があり得るのなら歩みを止めないことこそが未来を変える一歩であるだろう。そうやって人間は様々なことを解明し発展してきたとも言える。
いまだに魔力らしきものなど全くと言っていいほどに感じられないが、取り敢えず身体に魔力が循環するようなイメージや、溜まって行くような妄想、示した指から放たれるさまを思い浮かべる。
ひと通りの鍛錬をし終えると、エヴィはベッドに倒れ込むように横になった。
イメージをするため肩などに余計な力が入るのか、いつも軽い疲労を感じることが多い。そして猛烈な眠気が襲って来る。
いつもの如く、閉じそうになる瞳は辛うじて半分ほど開いている状態だ。
眠気に抗いながらも風邪をひかないように掛布団を引き上げたところで、エヴィは意識を手放す。
エヴィが倒れ込んだ時の小さな空気の振動か、窓に掛かるカーテンがかすかに揺れ動いた。
******
おばば様は怪訝そうな顔をしてエヴィをみた。
何のことはない、普通の薬を作るためにエヴィがひとりで製作をしていたのだが、極微量とは言えエヴィの魔力が入っていることを感じられたからだ。
手伝う気マンマンのユニコーンが角でかき混ぜると、魔力たっぷりのポーションが出来上がってしまうため普通の薬として売れないから遠慮して貰っていたのだが……
「…………。極々微かに、魔力が上がっているねぇ」
おばば様の言葉に、魔人もギョロ目を細めてエヴィを見つめる。何が見えているのであろうかとエヴィは居心地悪い感覚に、丸い瞳を左右に揺らした。
「本当だな……いつの間に増えたんだ?」
何の役にも立たないレベルの魔力ではあるが、ミジンコよりも小さいと言っていいくらいのささやかな魔力だったことを考えると、薬に溶けだす程の魔力になったというのはもの凄い進歩だと言う。
まるで褒められているのかけなされているのか解らないとエヴィは思うが、とにかくあり得ない増加量だということは判った。
「普段おばば様が調合の際に加えるくらいの量ということですか!?」
おばば様は普段の薬作りの際、ほんのちょっとだけ効能を上げるために魔法をかけるのだそうだ。
おばば様的にはもっと加えても問題ないのだそうだが、ある一定量以上になってしまうとポーション扱いになるらしく、そうすると値段が大きく上がってしまい必要な人に届かなくなってしまうので、ほんのちょっと加える程度だと言っていた。
「いや。その千分の一くらいだよ。よくよく注意してみないと解からない程度だから問題ないよ」
魔人もうんうん頷いている。
「千分の一……」
喜んだのも束の間、本当に塵程度の魔力なのだと判ってガックリしたエヴィだったが。
一方おばば様と魔人は考える。
そんな急激に増える訓練とはどういうものか……半分を使い切る程度では、数か月続けたところで至って緩やかな上昇であろう。そもそもそんなに簡単に魔力とは上がらないものなのだ。
毎日気絶するまで使い切るという暴挙を実践しても、倍にするには数か月はかかるであろう。
そんな事をするのは余程の物好きか、あり得ない程に病的な努力家だけである。
(あり得ない程の努力家……)
おばば様と魔人はエヴィをジト目で見遣る。拗ねたような表情のエヴィがふたりを見つめ返した。
(とはいえ、人の身体に砂粒ひとつ分の魔力があったとして、毎日気絶するまで使い切るなんて訓練をある程度続け倍になったとするだろ)
倍になっても砂二粒分である。大きさは比喩としても気の遠くなる話だ。魔人はそこまで考えてゲンナリした。
「もしかしなくても、アイツに貰った実を食ったからか」
「多分そうだろうねぇ」
魔族の子どもから貰った天界の実である。
数日前に食後のデザートとして三人の腹の中に納まった。蕩けるように甘いのに後味すっきり。口に含めばよい香りと瑞々しい果汁があふれ出す大変美味な実であったが、まあそれは良い。
……ふたりが心から願った家事能力については、全くこれっぽっちも向上していないことは言うまでもない。
まあ、魔力に反応すると言っていたのでそれはそうであろう。きっと身体能力(?)に対する努力よりも、魔力に対する努力の方に反応しやすいだろうことは想像がつく。
そしてエヴィには家事能力には潜在する能力がそもそも無い。枯渇状態なのだろうとも思うのだ。
「人間には役に立たない――つまり、人間が待つ程度の魔力では効かないって言っていたと思うんだけどねぇ」
おばば様がつい最近の記憶を浚っては、苦々しい表情で考え込む。
「『努力している潜在能力がちょっとだけあがる』とか、『普通の人間には大して役に立たない』って言ってなかったか?」
元々の魔力――潜在的な能力――が小さかったとして、あり得ない程の尋常じゃない努力で魔力訓練をしていたとしたのなら、どうなるのか?
ふたりは再びジト目でエヴィを見た。
「……エヴィの努力レベルを見誤ったね」
「だな」
反応する魔力が極微量だとして、努力量がアホの類だったに違いない。
ふたりは納得した。
「それで、薬を作っている時に何か考えたかい?」
魔力はイメージであり思いの強さによってより多く引き出されることがある。
現実に魔法を使う人間は状況に見合った魔力を使うだろうし、特別な場合を除きある程度冷静に、一定数の強さにコントロールするだろう。
だが。もしも魔法や魔術に不慣れな人間が、とんでもなく強い思いを込めていたとしたら――
「……薬を飲んだ方が、少しでも早く体調不良が治るようにと考えてました。ですぜ」
「やっぱりな」
「祈りの力が強く働いたんだね」
おばば様と魔人が頷いた。
「そもそも、あの実の効果はいつまで続くんだ?」
「確か体内にある間じゃなかったかい?」
「じゃあ、流石にもう消えているのか」
食べたのは数日前の事。すっかりエヴィの血肉となったことであろう。
魔法を使いたいと願っていたエヴィが、多少とはいえ魔力を増やせたことは喜ぶべきことであるのだが。
(……物事が斜め上というか、明後日の方向に飛んで行く子だからねぇ)
(面倒なことになる以外の何ものでもねぇだろ)
ふたりは視線で会話をする。
「とにかく、ある程度魔力を得たならひとりで魔力訓練をすると危ないからね」
魔力は使えば使う程多くなっていく。
そう言うとまるで無限に増えるように思われがちだが、ある程度の上限はある。大きくなり過ぎた魔力を増加させるほどに使い切ることが難しくなるからだ。
なので魔力は一生増え続けるとも言えるが、一生増え続けられるほどに使い続けられないので、ある程度で止まるともいえる。
エヴィの場合は、魔力のある人間の百分の一にも満たない魔力量であり、通常は魔力がないと判定される程度の極微量の魔力の持ち主であるが。若干ある、と言える量にまで上昇したと言えるだろう。
普通の人間が到達しえない程の努力を行える人間であるため注意するに越したことはない。
おかしな実を食べなければ、早々極端に増えもしないであろう。
「俺様が直々に教えてやろう。極端に使い切ると危険だから、な」
「どうして危険なのですか?」
エヴィは首を傾げた。教科書には『無理のない範囲で』とは書かれていたが、そこまで危険危険と注意を促すような記述はなかった筈である。……エヴィのような人間があの本を手にすることはまず無いため、ひっくり返るまでひとりで毎日繰り返すとは思う筈もなく。そういうことは危険と知る者が読むことを想定してあるのである。
師匠らしくおばば様が説明をした。
「魔力っていうのは、体内に流れているものだっていうのは解かるだろう?」
「はい」
感じられはしないが、教科書にもそう書いてあったためきっとそうなのであろうと考える。
「同じ体内に流れている血液が、一気に無くなったらどうなると思う?」
「それは、マズいことじゃなですかですぜ!?」
青褪めたエヴィを、慰めるように続ける。
「まあ、血液程命に直結するようなものではないけれどねぇ……気を失う可能性があるから、介助なしで極端な訓練をするのは危険なのさ」
使い切る程に訓練をするのは精神が削られる。
自分の体内から、ある筈のものがどんどん失われていくと感じるのは、かなり恐怖が付きまとう。余程の緊急事態でない限り、すっからかんにするなんていうことは、普通、なかなか出来ないものなのである。
「なるほど……」
もしかすると。訓練をした後に起きていられない程の眠気が襲ってくるのは。
(眠気ではなくて、意識が遠のいていたのかしら……)
今更ながらに思い至り、エヴィは微妙な表情をする。
「殆ど無いに等しいから、まず魔力を感じられないだろうと思ってたのが間違いだったな」
体内に循環させたり動かしたり出来ないだろうと思っていたので、仮に自主練習をしたとしても、砂粒ふたつになるのも年単位でかかるだろうと高を括っていたのが間違いであった――魔人もおばば様も、そう思い反省したのであった。




