18 頑張りも思いやりも、形は様々に変化する
「だいぶ東の国の言葉も読めるようになって来たね」
「ハク様のおかげです」
にっこり顔のエヴィを見て、ハクは感心しつつも苦笑いをした。
使い込まれたテーブルの上にある図録を再度見遣る。
小さな頃から周辺国の複数の言語に親しんで来たとはいえ、元々言葉に対するセンスがあるのだろう。
彼女が初めて見たという東の国の言葉だったが、短期間でごく簡単な読み書きが出来るようになっている。
勿論エヴィの努力があってこその結果ではあるのだが。
元来努力家な彼女は、ハクに教えてもらった内容の復習をきちんとこなし、わかりにくいところは次に質問と確認をして残さないというスタンスで学んでいた。
本が図録であるため、薬草などの名称や説明が簡潔に書かれているものだというのも大きいのだろう。複雑な文法は使われていない。専門的な名称や言葉が出て来るという難点さえ目を瞑れば比較的平易な表記になっている。
「これはフランソワーズも教え甲斐があるだろうねぇ」
ハクのボヤキというか感嘆というかの声を聞きつけたおばば様は、相変わらずの仏頂面でお茶を飲んでいる。
「全くだよ! この家の薬学書と医学書は全部読破済みだからねぇ」
「……全部って凄いね」
ハクは耳をピンと立てた。
驚くのはその記憶力というか理解力もだ。
普段はおっとりしているので忘れがちであるが、エヴィは何度か読めばその内容を覚えてしまうという特技を持っていた。
性質でもあるのだろうが、忙しい日々に身につけた能力というか、名残である。
「知識はベテラン薬師並みだねぇ」
「知識はな」
「知識はね」
魔人とおばば様が声を揃える。
「圧倒的に経験と実技が追いついてないだけだね」
それも見習いになって間もないため致し方ないことであった。特に経験はいかんともしがたい。
決しておばば様は責めている訳でもけなしている訳でもない。むしろ凄い知識の吸収率と認めている。事実を言っているだけだ。……信じられないくらいに実技と知識の乖離が激しいという事実を。
そして、今は千切り機や自動安全かまど、零さないロートといった道具で賄えている。
裏を返せばそれらがあれば苦手な作業も人並みに熟せるということ。道具は使ってナンボなのだ。あるものを上手に使うことに罪がある筈はなく、むしろ推奨されるべきであろう。誰しも得意不得意はある。短所を賄う方法を知っていることは幸運だ。
……が、道具が使えない状況下での調合は壊滅的なものになるだろうという予想は悲しいかな、現実である。万が一に備えて、練習を怠らない方がいいのは間違いがない。
どこかの国で言う『備えあれば患いなし』だ。
「まあ、見習いだからな。大丈夫だ」
魔人がギョロ目を左右に揺らしながら言う。
苦しい言い訳だ。今後に期待ということで強引に纏める。
そして部屋の中を見渡せば、珍しい原料の数々。
元々山小屋の隣にある草原ないし薬草園は、珍しい薬草が多く植えられている。
先日ユニコーンに貰ったモーリュは魔法を防ぐ効果がある薬草なのだとエヴィは知った。
マニアックな薬草は、伝説のとか、幻のというレベルのものであるとおばば様の本に書かれていた。その効能といえば、悪意ある魔法から身を護る秘薬の材料となるのだという。今は枯らさないように大切に薬草園に植えてある。
魔族の子ども達から手土産として貰った薬草類はやはり珍しいものばかりで、怪我だったり病気だったりに良く効くと言われているもので。
人間が行けない場所に生息しているものも多く、高品質な薬品作りに欠かせないものが多い。
丁寧に刻んだり乾燥させたりして、劣化防止の魔術が施されている薬棚にしまってある。必要に応じて有難く、大切に使わせてもらうつもりだ。
「素材コレクションもなかなかだねぇ。とても薬師見習いが持つモノとは思えない品々だ」
本来薬師自身が栽培したり採集をしたり、ギルドや冒険者などから購入したりする。
もしエヴィが今まで貰った素材を購入するとしたら、なかなかの金額になることだろう。
自分で購入するだけの資産がない訳でもないが、そういうことではない。
そう。行動や想いの熱量に対し、きちんと同じだけの反応やモノを受け取れているということである。
素材の数々は、言い換えればエヴィの努力や頑張り、そして他者への思いやりや行動が目に見えるよう結晶化したものである。
エヴィの想いや愛情、種族を越えた者への公平さと親切心、周りの人々への感謝などが形となって素材に変化し、現れているのだ。
本人は全くの無意識であるが。
「周りの皆さんのおかげなのです、ですぜ」
三人と、窓の外に締め出されている一頭がそれぞれに視線を合わせる。
「結局、そういうところだよな」
「計算なく本心だからねぇ」
「今やるべきことに全力で取り組むことも、楽しんでするってことも大事だよね」
「ブヒヒン!」
「?」
それぞれの言葉に、三人と一頭が頷く。
想いや行動、感謝は、『何か』に変化して返って来る。循環していると言ったほうが正しいのだろうか。
循環するのは同じような行動だったり、時には物質化してお金という形になったり、物に変化したりと様々だ。人望もしかり。
言い換えればそれは『豊かさ』である。
勿論逆の感情や行動もある。いわゆる東の国の言葉の『人を呪わば穴二つ』だ。一時的に逆のことになったとしても、最終的には同じモノに行き着く。歴史上の多くの人と事が証明している。
そして、豊かと言われると経済面に目が行きがちだが、別の形の場合もある。
健康だったり人脈だったり。子宝だったり。
精神的な豊かさは物質的な豊かさに比べて当たり前だと思われ易いが、同等の財産である。
感じ方も人それぞれで、同じものを渡したとしてもある者は大きいとおもうだろうし、別の者は小さいと感じるかもしれない。仮に小さいと感じた場合は、同時に他の面でも、知らぬうちに享受していることがあったりもするものだ。
「とにかく、有難いことです、ですぜ。少しでもお返しをしないとです!」
エヴィは自分に何が出来るだろうかと鼻息荒く思いを巡らせる。
「まさしく循環とはよく言ったものだねぇ」
おばば様はため息をつくと、まんざらでもない顔でエヴィを見た。
「ヒヒーーーーン!」
ユニコーンは同意するかのように嘶くと、部屋に入れてほしいのだろう、窓を割らないように顔と蹄を、窓ガラスにぺったりとつけた。
……黙っていればとても美しい白馬である彼だが、如何せん行動と表情が残念なユニコーンなのである。
おかしな表情のユニコーンを見て見ぬふりの魔人と、ご機嫌なのだろう、ゆらゆらと楽し気にしっぽを揺らすハクを、彼は恨めし気な表情で見つめた。




