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02 スローライフって何ですか?

「ひゃ~~~~っ! すっかり寝坊をしてしまいました!!」


 バタバタとエヴィがダイニング兼リビングに顔を出した。

 一見外からは狭く見える小屋であるが、中は意外に広い。


 魔法で空間をどんどん増やしているからだ。


 おばば様の部屋の中には、普段使いの部屋とは別に、倉庫のように色々なものが放り込まれている部屋が壁の中に存在しているし、魔人の部屋にもナイショの部屋が存在する……らしい。


 整理整頓をきちんとする上、特に大きな荷物もないエヴィは今のところひと部屋だが、充分だと思っている。


「寝坊って言っても、まだ普通の人間が起きる時間だけどな」

「つくづく自堕落には生きれない性分だねぇ」


 そんな言葉を背に受けながら、エヴィは井戸まで行くと零さない様にゆっくりと水を汲んだ。

 冷たい水で顔を洗えば、眠気に半開きだった瞳がぱっちりとする。


 何だかんだと言いながらおばば様は薬作りの手を止めてテーブルの上を片付ける。

 魔人はタイミングよく魔法で保管してあった焼きたてパンを籠いっぱいに盛った。


 スープはガルビュールだ。白いんげん豆とキャベツはマストだが、各家庭で加えられるものはまちまちだ。さいの目に切った根菜類を軽く炒めて一緒に入れる事が多い。更に味に深みを出す為にコンフィや豚肉、生ハムなんかを加える事が大半だ。今日は先日買った腸詰めに焼き色を付けた物を一緒に入れて煮込んである。

 隠し味に豆の茹で汁で煮ると旨味と深みが増すのだ。


 庭の畑で採れた葉野菜を様々に、大きめに切ったゆで卵、キノコのマリネ、茹でたアスパラガスにオレンジの香りが利いた人参ラぺを乗せ、更に炙った大ぶりのベーコンと焼き色すらも香ばしいベイクドポテトを乗せて、こっくりとコクのあるドレッシングをかける。

 目にも食感にも楽しいペイザンヌサラダの出来上がり。


 おばば様は牛乳たっぷりのミルクティー、魔人は砂糖たっぷりのコーヒーを。エヴィは季節のフルーツたっぷりのフレッシュジュース。

 デザートには魔人特製のジャムが乗ったヨーグルトが添えてある。


「うわ~! 今日も美味しそうですね!」

 おざなりに顔を拭いたエヴィが定位置に座る。


「さあさ、朝食にしようかね」

「エヴィ、ちゃんと顔を拭いたのか? ガビガビになるぞ」


 それぞれに言いたいことを言いながら、賑やかに朝食をとり始めた。


 エヴィが王城や実家で食事をする時、口を開くのはご法度だった。ゆっくり過ぎず早過ぎず、一定のペースで周囲に合わせ、優雅に口に運ぶのがマナーなのだ。

 だがここでは自由に語り、時に文句を言い、笑いながら自由なペースで食べて良いのだ。美味しいものをお替りしたってはしたないなんて言われない。

 食事とは楽しくておいしいものなのだと改めて知ったのは、多分おばば様の家に来てからだとエヴィは思う。



 食事が済んだら、エヴィはいつもの日課に勤しむ。

 赤ん坊の頃に王太子妃になるべく育てられた彼女は、当然のことながら辺境暮らしのノウハウなどというものは持ち合わせていない。王太子妃になんぞならなくても、王都育ちの貴族令嬢は誰しもが持ち合わせている人間の方が稀かもしれないが……


 まずは水を汲む。エヴィのノルマは一日バケツ一杯だ。


 本来は水瓶いっぱいになるまで溜めるのだと聞いて、エヴィは水瓶の底を覗き込んだ。一体何往復すればよいのかと考えては碧色の瞳を瞬かせる。

 かなりの重労働である事が察せられるが、基本おばば様と魔人揃って彼女の前からいなくなるなんていう事は発生しないだろう。万が一に備え、やり方とそういう行動が必要なのだという事がわかっていればよい。


 滑車にひっかけた縄を引っ張り上げながら、零さない様にゆっくりと専用のバケツに汲みいれる。そしてひっくり返らない様に気を付けながら水を運び、水瓶へ流し込んで終了だ。


 次に洗濯。大半のものは魔人が洗濯をしてくれるが、下着などは自分で洗う様にしている。恥じらいと嗜み――慎みや心掛け、そしてやはりいざという時の為である。


 水が冷たいのでお湯を少し分けて貰い、洗濯桶に再び汲んだ水を足してゴシゴシと洗う。汚れ落ちも良い上に香りも良いので石鹸で洗うが、石鹸がない場合は灰を使ったり叩き洗いをしたりするのだと教わった。


 普段は入浴中に済ます事も多いが、疲れた時や用事があった時などは翌朝行う。

 水を何度か変えてすすぎ、パンパンと洗濯物を叩いて皺を伸ばしながら干して行く。毎日行っているせいか、少しずつ手際が良くなっている気がすると本人は思っている。


「エヴィ、終わったらひと休みするか? それとも畑仕事をするか」


 洗い物を終えた魔人がひょっこりと扉から顔を出した。

 食器洗いも時間があれば手伝うが、今日は洗濯があったために全て行ってくれたらしい。家事に手慣れた魔人にとっては何でもない行動だし、面倒なら魔法で一瞬で終わりなのだから、エヴィが思う程重労働ではない。


「畑仕事をします!」

「じゃあ、この前買って来た種を植えるか」


 山の麓にある山小屋は、見渡す限り山と野原が広がっている。

 誰に憚ることなく開墾し放題であるが、元々面倒臭がりのおばば様と仕事を増やしたくない魔人が住んでいた事も相まって、必要最小限に耕されていた。


 小屋の横……庭先と呼んで良いのかわからない空き地に、わっさりと草が生茂った薬草畑が広がっている。一見雑草と区別がつかないが、知る人が見たら垂涎モノの貴重な薬草がたんまりと植わっているのだった。


 その一画を遂に小さなシャベルで耕し、好きな花や野菜を植えてよいと許可をもぎ取ったエヴィである。辺境暮らしに備え、一応最低限の畑仕事も覚えた方が良いだろうという配慮だ。


 鋤や鍬を使わないのはひとえに危険だからであり、小さなシャベルで可能な範囲の家庭菜園だ。もしも本当に自給自足をしなければならない事態に陥った場合、足りないものは基本農家や街で買うようにとおばば様と魔人に口を酸っぱくして言われている。


 川で魚を捕り……まではどうにかなるにしても、鹿や熊に対応出来る筈もないエヴィは、『肉は買いに行く』と五十回復唱させられたのだった。

 鳥の羽を毟るのもウサギの皮を剥ぐのも無理な彼女にとって、確かに狩りは無理にも程があるだろう。命を頂くというのは思いの外辛く、同時に神聖で。呆気なくもあり重労働であるのだと日々痛感するエヴィだったが。


 そんな事を思い出しながら道具置き場から素早くシャベルを取り出しては、自分の区画を掘り返して開墾して行く。


「人参の種と菜物の種だ。土はふかふかになったか?」

「この通りですぜ、ですよ!」


 ドヤ顔をしながら小さな区画を指さす。チロリと指差された方向を見れば、丁寧に耕された区画が見えた。だいぶ小さいが……まあ、大きくしたところで魔人の苦労と気苦労が増えるだけなので、少しずつ増やして行けばよいであろうと納得する。


 ついでに以前、平民に混じるには言葉が綺麗過ぎると指摘したら、おかしな言葉遣いをするようになった。最初の方は都度指摘していたが、無意識に『です・ですわ』がついてしまうらしい。

 面白いので最近は指摘せずに放置することにしている。


「……間隔をあけないと大きくならねぇから、こん位の所に指で穴をあけて、種を数粒入れて……」


 魔人は彼が耕した方の畑で腕を広げたり歩幅(?)で測ってみたり、柔らかな土にぶっとい指をさしてみたりと実演してみせると、真剣に頷いているエヴィを確認する。


 魔人に種を分けて貰うと、エヴィは難しい顔で長さを測りながら同じように土に指を突き刺した。ひんやりとした冷たさと、しっとりしている土の感触が伝わって来る。

 何かに感じ入っているらしいエヴィの後姿を見て、魔人は口元だけで薄く笑うと、やれやれと小さく嘆息した。


 一気に自分の種を植え、無詠唱でこっそりと庭全体に獣除けのシールドと適温になるように空間魔法を重ね掛けする。おばば様に知られたら過保護だと言われるだろうが……初めての畑仕事が失敗に終わったら、さぞやがっかりして悲しむだろうから。


 勿論畑仕事の現実をわからせる必要もあるだろうが……それはもっと慣れてから、次々と実る野菜で学んで貰えば良いであろう。

 


 それから三人でお茶を飲み、おばば様は少し離れた集落に薬を収めに行く。魔人とエヴィは散歩がてら季節の山の恵みを頂きに行く事にした。食べれるものと食べれないもの。危険な場所や危険な行為を学ぶ為だ。


 とびきりの高貴な人間として暮らしていた彼女は、政や数字、統計や視察で垣間見る情報ではない『暮らし』について、何も知らない幼子と一緒だ。

 季節ごとに違うそれらを、魔人やおばば様はひとつひとつ丁寧に教えて行く。

 いつか元の生活に戻るならば、楽しい思い出になるだろう。新しく何処かへ羽ばたいて行くのなら、無駄にはなるまい。

 このままここで過ごすのならば、確実に必要であろうそれら。


「あ、ついでに薪を拾って行きましょうか」

「なるべく乾いてる木がいいぞ」

「干す手間が省けますもんね!」


 魔法で水分を飛ばす事は造作もないが、魔法の使えないエヴィは乾かす事になる事を踏まえて行動するように説明してある。

 ゆっくりだが着実に暮らしの術を身につけ始めている。


「私、お魚もお肉も買いに行くのが良いと思いますの……漁や猟をする方やお店の収入にもなりますもの」


 先日魚釣りをしたが、彼女だけまったくのボウズだったのだ。

 釣っている間中、真剣にガッチガチに構えていた上、餌のミミズに鳥肌をたてながら挑戦していたエヴィは結果にガックリと膝をついた。


 魔人の釣った魚を持たせれば、ビチビチと跳ねる魚と一緒に川に落ち、おばば様が捌く様子は恐ろしくて全く見れず……散々だったのである。


「万が一は自分で捕獲しなくてはならないのでしょうけど。そうならないようしっかり稼いで、好きな時に好きな食料を買えるように頑張る方が確実だと思うのです。捌いて貰ってあるものを」

「賢明だな」


 好きな種類のお魚とお肉が買えますしね。そう付け加えられた言葉に、真理だなと頷き返す。

 まあ、住所が山の麓にあるだけで、食料を自給自足するも購入するも、それは住人の自由という訳で。


「自然の中での暮らしは、さもスローライフだと持て囃されているようですけど――山の暮らしの過酷さ・大変さ・行う事が多過ぎなこと――全然スローではない現実が、きちんと説明されていないと思うのです」

「言ってることは合ってるな……」


 得てして辺境の地で暮らすのは、いちいち枚挙にいとまがない上、手間がかかるし忙しいものである。その点は魔人もおばば様も異論はない。

 エヴィが行っている作業が過酷で大変で多過ぎるのかは、話し合いの余地が大き過ぎる気がするが。


 エヴィはエヴィで、先日街の本屋さんで購入した『素敵で丁寧なスローライフ』という本を読んでは眉間に深い皺を寄せたのであった。


 本に記載されている内容――ゆったりした自然の中でお茶を楽しむとか、殆どあってないようなものである。現実は虫や動物と戦い、家事に明け暮れ。日々の暮らしに追われるように暮らすのである。

 おばば様や魔人と暮らしているからスローライフをさせて貰っているが……エヴィが一人で暮らしたとしたら、本気で水を汲むだけで一日が終わりかねない。


「ハード&ファストライフですわ……!」


 全然全くスローな暮らしではない。

 それが現実だ。


 エヴィは小さく呟いて、ギュギュっと眉間に力を入れる。

 珍しく何だか深刻そうなエヴィを見ては、魔人は首を傾げた。


 ぽかぽか陽気の道の真ん中で、同時に草むらから顔を覗かせたガマガエルがふたりを見て、急いで首を引っ込めたのであった。

お読みいただきましてありがとうございます。

また明日更新させていただきます。


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少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。

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