いつかの報告
人里離れた辺境の山の麓の山小屋に、ひとりの青年がやって来た。
古びたボロい……いや、年季の入った扉を叩けば、中から女性の声がした。
「はーい。今開けますね~」
そう言いながら顔を出したのは、頭に薬草の切れ端をくっつけた少女であった。
テオは思わず面喰って、今は自分より遥か下にある顔をまじまじと見る。
「……えっと、エヴィさん……?」
「はい、そうです」
にっこりと微笑む表情は確かにエヴィのようであるが、テオは思わず心の中で唸った。
エヴィと会ったのは今から十年ほど前であるが、全くといっていいほどに変わっていないように見える。既に二十代半ばを過ぎているはずだが、自分よりも年下に見えるくらいだ。
エヴィは白い肌にそばかすの浮いた顔の青年を見て口を開く。
「随分大きくなりましたね! もうテオ君ではなくてテオさんですね」
そう言ってクスクスと笑う。
「今日はどうされましたか? お手紙の代筆ですか?」
「覚えてたんですか!?」
驚いたような声は高い少年のものではなく、低い大人の男性の声だ。
エヴィは碧色の瞳を細めた。
「勿論ですよ。代筆業の初めてのお客様ですもの!」
彼は幼馴染の少女に送る手紙を代筆して欲しいと依頼してきた元少年である。
再び訪ねて来たテオを、山小屋の中へと招き入れた。
因みに、エヴィの代筆屋は相変わらず開店休業状態であったのは言うまでもない。
やはり全く変わらない山小屋の中をおずおずと進めば、かつてと同じ光景が広がっていた。
(…………)
シャーコ、シャーコ。
おばば様はナイフを研ぐ手を止める。
「おや、ラブレターの少年じゃないか」
(覚えてる!?)
思わずびくついたテオは、大きく肩を揺らしながらおばば様をみた。
(何でいっつもナイフを研いでる!? つーか、婆さんも変わってないな!)
まあおばば様ほどになると、十年二十年経ったところで変わったように見えないのかもしれないが……挙動不審に横歩きをしながらテオは蟹のように進んだ。
シャーコ、シャーコ。シャーコ、シャーコ。
シャーコ、シャーコ。シャーコ、シャーコ。
ナイフを研ぐ音をBGMに、エヴィはにこやかに頷いては、テオに向き直った。
「今、飲み物をお持ちしますね。こちらで座ってお待ちくださいだぜい」
「ど、ども……?」
テオは相変わらず不愛想に頷くと、おばば様が気になるのか視線をチラチラと向けたまま俯いている。
恐怖と緊張のあまり、エヴィの相変わらずおかしな口調には気づいていないようであった。
ニヤリ。……テオには笑顔に見えたのかは不明であるが、おばば様は笑顔を向けた。
(ひぃぃぃぃいい!!)
恐怖に慄くテオは、内心涙目でエヴィの帰りを待っていた。
一方、ルンルンなエヴィはテオに何を出すのが良いだろうかと首を傾げる。
(……うーん。流石にお酒はないでしょうから、お茶が無難でしょうか)
自動安全かまどでお湯を沸かしている間、慎重に茶葉を用意する。
プルプルと震える手でポットに入れてから、零れないロートで移すのだったと思い至り絶望した。
「お待たせしました」
零さないように慎重に運ぶエヴィを、これまた鉢植えの振りをしたマンドラゴラが緊張感を湛えた表情で見遣る。
「…………(ぐぁぁぁぁ!)」
心の中で絶叫しながら、目をカッと見開いてエヴィが転ばないか、はたまたトレイをひっくり返さないかガン見していた。
壁に留まってただのクワガタの振りをしている元タマムシも同じである。
無事、使い込み過ぎなテーブルの上にお茶一式を着地させると、大きく息を吐いて汗を拭った。そしてにっこり笑ってテオを見ると、なぜだか彼も脂汗を垂らして青い顔をしている。
「……大丈夫ですか?」
「大丈夫です!」
切羽詰まったような様子に、エヴィは不思議に思いながらも頷いて椅子に座ることにした。
「実はやっと結婚することになりまして」
テオの口から出て来たのは、結婚の報告であった。
「まあ、おめでとうございます!」
エヴィは我が事のようによろこんではお茶を進めた。
「相手はあの時に書いていただいた手紙の相手で……エヴィさんに取り持っていただいたようなものなので、お礼をお伝えしようと思いまして伺いました」
恥ずかしそうに話すテオを、エヴィもおばば様も瞳を細めて見つめた。
「そんな、でも教えていただいて嬉しいです! わざわざありがとうございます。念願が叶ってよかったですね」
「はい」
エヴィの優し気な対応にほっとして頷き返した時、視線を感じた。
……ふと窓を見ると、馬が窓から顔を覗かせている。
馬車や畑を耕すのに必要なのでおかしくはないのだが、なぜだかその馬は目が合うと愛想笑いのような笑みを浮かべて会釈をして来た。不思議に思いながらもテオもつられて会釈する。
更に部屋の中を見回せば、風もないのにブルブルと動いている鉢植えと、どういう訳か壁に大きな七色に光るクワガタが留まっていた。
思わずクワガタと目が合う。
『…………ミーンミンミンミンミン、ミーン!』
そして鳴き声が聞こえた。
(……蝉?)
不思議な家に内心で首を傾げながら、テオは礼を言い、いそいそと帰って行った。
手には土産として、カチンコチンクッキーと『何でも浄化しちゃう水』のセットを持たされていたのは言うまでもなかった。
「なんだよ、結界張って締め出しやがって!」
夕食の獲物をぶら下げた魔人が、ブツブツと文句を言いながら帰って来た。
今日は山鳥らしい。
結界を破って帰ってくることは勿論可能であるが、帰ってくるとマズいという合図であろうと察した為に、時間を潰す羽目になったのである。
「代筆でラブレターを書いた男の子が、結婚の報告にやって来たのです!」
なぜだか胸を張って報告をするエヴィを、魔人がジト目で見た。
「人の縁結びしてやる前に、魔王とハク、あとフェンリルを何とかしてやれや」
そう言うと、勢い良くユニコーンが扉を開けて入って来た。
「ブフンブフンッ!」
「はぁ?」
凄い剣幕で文句を言っているようであるが、おばば様は仏頂面で、魔人は呆れたような顔で怒れるユニコーンを見ている。
肝心のエヴィと言えば相変わらずキョトンとした顔で首を傾げていた。
「?」
「……ブヒフン……」
ガックリと肩を落とすユニコーンに、魔人が声をかけた。
「……まあ、気長に頑張れや」
 




