32 大魔術師は山の麓で暮らしている
こちらで最終回となります。
長い間お付き合いいただきまして誠にありがとうございました。
月日が流れた。
ルーカスとマリアンヌは子どもに恵まれ幸せに暮らしている。
宣言通り熱心に学び留学先から戻ったクリストファーは、弟を補佐しながら自分は教会で暮らしている。約束は果たされているらしく、未だ記憶を消す魔法が発動された形跡はない。
フラメルは引退できずに未だ魔塔で扱き使われているし、魔塔も魔族も狭間の森も変わりなく日々を過ごしていた。
人間と魔族の関係は少しずつ軟化して来ており、先の魔法陣の出現以降、人間を守ってくれた魔族がいたと知れ渡り、交流するが少しずつ広がって来ている。
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「う~ん。老化が止まっているのかねぇ」
アビゲイルが魔法でエヴィの身体の異変を探りながら、首を傾げた。
いつからか、エヴィの見た目は変わらなくなった。ある時から身体の成熟が止まり、年を取らなくなってしまったように見えるのだ。
もしくは、非常にゆっくりとなってしまったと言えばいいのだろうか。
高位の魔族たちや、非常に魔力の強い魔法使いたちに見受けられる老化の遅滞であるが、ミジンコ数匹分の魔力であるエヴィには本来起こりえない現象である。
「……大悪魔ベリアルの呪い、か」
魔人の言葉を聞いたハクとルシファーが難しい顔をした。
「あの時か……」
何年も前の大悪魔ベリアルとの一件。
対峙したルシファーが違和感を覚え大魔法使いたちが調べたものの、これといった不調や異変は見受けられなかった件である。
「他に何か不味いことが呪われていたりはしないのでしょうか?」
成人したくらいの容姿のままで時を止めたエヴィが首を捻る。
「どこをどう調べても出て来ないね。ベリアルめっちゃ弱ってたから、単純にこれしか呪えなかったんじゃないかと思うんだけどね」
アロンがそう言っては、エヴィとは反対側に首を傾けた。
「浄化されて融ける寸前でしたからね……」
シモンは口元に手を当てて、未だに魔力でエヴィにおかしなところはないか確認を続けている。
「呪いってことは、もう消滅しちゃったから解除しようがないんだよね?」
呪いは呪った本人が解かない限り誰にも解くことが出来ない。
大魔法使いである者たちには解りきっていることであるが、聞かずにはいられなかった。おばば様がアビゲイルに頷く。
「それこそ『何でも浄化しちゃう水EX』も飲んでみたんだがね。全く変化なしだよ」
『何でも浄化しちゃう水』は年々効果を向上させ、名称も新たに展開している。
浄化や癒しが必要な場所に散布する薬品として、廉価販売も行なっている。基本水であるため、勿論飲むことも可能であるのだが。それは別として。
「ベリアルが、ルシファーや魔法陣を起動していた大魔法使いたちに一番ダメージを与えられるのが、エヴィに呪いをかけることだと思ったんだね」
ハクの言葉は的をついている。
彼らは自分が攻撃されるよりも、エヴィに攻撃される方がずっと精神的に打撃を与えられることを知っていたのだ。
エヴィは非常に優秀で努力家で忍耐強いが、魔力も武力も人並以下の人間である。
今も彼らはエヴィを守り切れなかったことを心の底から悔いているのだ。
「……そんなに嘆かないでください。本来自分の身は自分で守らねばならないのですから、私に向けられた攻撃を私が受けるのは順当なことです」
エヴィはごく当たり前だと言わんばかりに力強く頷いた。
「それに、莫大な財力を投じて不老不死の研究にのめり込む人もいるくらいですから……それをタダで叶えられるなら、普通はお得と考えるのではないですか?」
ですぜい、と付け加えた。
エヴィ以外の全員が、横目で視線を絡ませる。
「それは不老不死になりたい人の考えだけどね」
「……まあ不老は当てはまりますが、不死かどうかは判りませんね」
「えっ! そうなのですか!?」
シモンの冷静な指摘に、エヴィが思わず驚いたというような声をあげた。
「意外にも、大悪魔の恐怖は長い生だったんだね。……意外でもないか」
言ってアビゲイルはため息をついた。
追い詰められてかける呪いは相手を苦しめるためのものであるが、一方で一番自分が惨いと思うものでもある。
「……悠久の時を封印されて、孤独に過ごして来ただろうからね」
不老不死を追い求める人間は多いが、本当に手に入った時に幸せなのかどうなのかは解らない。
(周囲が時を重ねて老いて行くのに、自分だけ変わらないなんて――)
呪い以外の何ものでもないと思うのは気のせいだろうか。
「……大丈夫か? どうにか解除できないか、魔塔の総力を挙げて研究するか?」
黙って成り行きを見ていたフラメルが初めて口を開いた。
(大切な者を見送る悲しさをずっと続けなくてはならないなんて)
――ただの人間には解らないであろう、長い長い孤独という呪い。
人間でありながらそれを知る大魔法使いたちが、気遣わし気にエヴィを見遣った。
「私は皆さんがいらっしゃるので、全然大丈夫です!」
そう言ってエヴィは微笑んだ。
(長い時を生きようとも、決して孤独ではないですもの)
ひとかけらも不安がないと言えば嘘になるが、まあそれは心の中に押し込んでおくことにした。
「しかし、二重に防護壁が張ってあったのにどうやって呪いをかけたんだろうね?」
アビガイルが首を傾げる。
地上に攻撃を通さないためにルシファーが戦いながら防護壁を張っていたのだ。その上ベリアルの瘴気を吸い込まないよう、反射魔法が使えないエヴィのためにおばば様が防護壁で包んでいたのである。
「……案外単純な方法だと思うぞ。例えばだが、空高く呪いの媒介になるような何か呪いの籠ったもの……雨粒とかを発生させといて、防護壁を解いた瞬間に落ちるようにしとけばいいだけだ」
魔人がもっともらしく言う。それを聞いたおばば様が鼻で笑いながら返した。
「流石、自分が嵌った呪いには詳しいじゃないか」
……自分が嵌った呪い?
「…………ん?」
ハクとルシファー以外の者たちが首を傾げた。
「……魔人は元人間だからな。『人ならざる者になる呪い』をかけられて魔人になったのだ」
ルシファーが手短に説明をする。
「あれは勇者の野郎がすっ転ぶから、俺様が代わりに呪われる羽目になったんだ!」
「へぇ。ふーん、そうかい?」
言い合いを始める魔人とおばば様を指差してハクが続ける。
「元パーティメンバーらしいよ。魔法使いと戦士だって」
『良いコンビだな』
「ブッヒフン!」
部屋の片隅で大人しく話を聞いていたフェンリルとユニコーンが頷きながら言った。
『……アンガイ、ワザトカカッタノカモネ?』
タマムシ……ならぬ、ニジイロクワガタが意味ありげに魔人とおばば様を見る。
『ゥァァァァ!』
マンドラゴラがブルブルと震えた。
「…………。可能性はあるな」
「…………。そうだねぇ」
そう言って、しばし顔を見合わせたルシファーとハクがニヤリと笑った。
ルシファーは紅い瞳を妖しく細めて呟く。
「まあ、これで時間に縛られることはなくなった訳だ」
「エヴィはアンガイ鈍感だからね。百年じゃとても足りないからね」
これまた中性的な美しさの白狐のハクが、なまめかしく微笑む。
魔王と大妖が静かに火花を散らす様子に、蒼銀の髪を靡かせた精悍な青年の姿のフェンリルが割って入る。
『我もいるのを忘れるでないぞ!』
「ブヒヒン!」
長い首の上に、人化し馬面をくっつけたユニコーンも参戦した。
エヴィ争奪、人外戦である。
「うへぇ、魔王に大妖に神獣だって!」
「一応ユニコーンも入れておやりよ」
「孤独を感じる暇はなさそうですね」
「……呪いを解く方法を捜しておくべきだな」
四方の大魔法使いと大魔法使い見習いたちがそれぞれにツッコミ合う。
「どうしたんだろう、だぜい?」
そんなカオスな山小屋の様子に、エヴィは大きく首を傾げた。
更に月日が流れる。
どのくらい流れたのであろうか。
数年かもしれないし、数十年かもしれない。はたまた数百年かもしれない。
その間、大魔術師が誕生したと風の噂で囁かれていたが、定かではない。
大陸を守る魔法陣は聖女がいなくなって浄化と癒しの力を無くしていたが、噂の大魔術師が聖女不在の不具合を改編し、欠けのない元の力に満ち溢れた魔法陣に再編したのだという。
大陸は五人の大魔法使いたち、そして大魔術師によって、今も平和に守られている。
――因みに大魔術師という存在は非常に稀有な存在だ。そもそもそこに至るまでの力量があるのなら、魔法使いを選択するのが常識である。
仮に魔術師を選択するのであれば、大魔術を施行するために神獣や精霊などと契約が必要である。……が、そんな魔力量の魔術師がそんなにも力のある存在を御せる筈などなく。
大魔法使いになるよりも難しいと言われている大変におかしな存在なのである。
本当に存在したのか、はたまたしているのか。それは魔塔のトップシークレットとなっている。
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人里離れた辺境の山の麓の山小屋に、薬師兼占い師の魔法使いとその使い魔のランプチャームの魔人、加えて薬師見習い兼魔術師見習いが住んでいるという。
そして人ならざる不思議な生き物たちが、跋扈しているとかいないとか……
さてさて、存在が秘されている『大魔術師』であるが。
もちろん辺鄙な山小屋に住む、スローライフをエンジョイするどころか常にファストライフな……忙しい生活の半分は自分にも責任があるのだが……な、あの婚約者に捨てられた元伯爵家のご令嬢、エヴィのことである。
不屈の努力が幸いして、どういう訳か大魔術師と呼ばれるようになった。
魔力は相変わらずミジンコ並みであるし、言葉遣いはおかしいし、家事は多少マシになった程度である。代わりに膨大な知識と膨大な財産(投資で儲けている)、愛すべき仲間たちには恵まれている。何よりである。
人生プラスがあればマイナスもある……実に帳尻が取れているということであろう。
魔力を殆ど持たない大魔術師エヴィ・シャトレは、知識のみで大魔術師に上り詰めた人物だ。大魔術師であるにもかかわらず、その魔力量の少なさのために自由に魔術を使えないという顛末であるのが何とも哀しみを誘う。
……何をやらかすか解らないため、また周囲を大騒ぎの渦に巻き込みかねないため、神獣も精霊も彼女とは契約を結ばない取り決めをしている。
破ると怖い大魔法使いや大妖怪、果ては魔界の魔王に大変な目に合わされるからであろう。
その代わり真に必要とあれば、件の大魔法使いや大妖怪、果ては魔界の魔王までもがその大いなる魔力を惜しげもなく差し出したとか出さないとか。
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「さあ、今度こそ成功させますよ!」
山小屋の隣にある畑で、ちょっとだけ成長したようにも見えるエヴィが、ふんす! と大きく鼻息を吐くと、大きく身体を動かしながら大声を出す。
『春を齎す愛と豊穣の女神よ、季節を紡ぎて花々を咲かせん。フル・ブルーーーーム!』
植物の成長を速める詠唱である。
魔族の子ども達が、ちらりと右手を突き上げたままのエヴィを見る。
そこには、静寂が満ち満ちていた。
どこか遠くで、カエルの鳴き声と子ギツネの忍び笑いだけが聞こえたのは気のせいだろうか。
お読みいただきましてありがとうございます。
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