28 聖人誕生!?
「じゃあね!」
初めから終わりまで、ずっと賑やかだったアロンが元気に転移魔法陣の中に消えていく。
「また何かあったら呼んでおくれよ。……まあ、当分何もないことを祈るけどねぇ」
アビゲイルが艶っぽく微笑みながら高いヒールを履いた美しい足を魔法陣に滑り込ませる。全員が全くだという気持ちであろう。大魔法使いと見習いが一堂に会するというのは、大抵がとんでもないことを収束するために集められるのである。
「大変お世話になりました。もし何かお手伝い出来ることがありましたら、遠慮なくご連絡ください」
不思議生物に関する以外基本的に常識人であるシモンは、至って常識的な言葉を残して帰路についた。
「じゃあ、少しでもおかしいことがあったら至急知らせて欲しい」
神妙な顔をしたルシファーも、山小屋の面々に見送られて魔界へと帰って行った。
******
そんな大変だった日々から三日後、クリストファーが意識を取り戻した。
「……ここは……?」
寝ている間にも『何でも浄化しちゃう水』を飲まされていたためか、思ったよりもしっかりとした声が出た。
見慣れない質素な部屋を見回していたクリストファーがゆっくり立ち上がって扉を開けた。
目の前には恐ろしい顔の老婆と、おかしな生き物たちが蠢いている。
クリストファーが驚いた顔のまま立ち尽くしていると、恐ろしい顔の老婆が口を開いた。
「目覚めたかい? アンタは大悪魔に憑依されてたんだよ」
「……大悪魔、ですか?」
おずおずと問いかけ直す。かつて夢を覗きに行った時のようなぞんざいな口調ではなく、非常に丁寧な話し方であった。
思わず山小屋の面々全員が顔を見合わせる。
「…………」
(何だか、いつもと様子が違いますわね……)
クリストファーをよく知るエヴィも、彼の視界に入らないように注意しながら小首を傾げた。
いつものように愚かなことでもいうかと思ったら、姿勢を正す。
「私は助けていただいたのでしょうか? 大変ご迷惑をお掛け致しました」
あまりの変わりように、おばば様達は瞳を瞬かせる。
「……どうしたんだろうね?」
「変な所でも打ったのか?」
魔人も首を傾げながら、まじまじとクリストファーの顔を眺めた。
(……もしかして、『浄化』されたのかしら……?)
大悪魔ベリアルとクリストファーは同化していたらしい。
エヴィには正しく同化というものがわかる訳ではないが、まあ、文字通り混じり合っていたのであろう。さらにベリアルは人々の負の感情を養分に力を取り戻したと言われていた。
「もしかして、ベリアルによって宜しくないところを吸収されて、無くなってしまったのではないでしょうか?」
更にどの人類よりも高い場所で魔法陣の浄化と癒しを受け、それでもって『何でも浄化しちゃう水』の高濃度な霧雨も多分一番長時間受けていたのである。
残ったのは真っ当な部分のみのクリストファーというわけで。
エヴィの説明を聞いた山小屋の面々が大きく頷いた。
「……あり得るね」
「綺麗なクリストファーだな!」
やんやと盛りあがる一方で、クリストファーがかつて自分の婚約者であったエヴィことアドリーヌの姿を目にし、彼女の前に跪いた。
「アドリーヌ!……いえ、シャトレ嬢。あなたには謝っても到底許されないことをしてしまった……! 大変、大変申し訳ない」
心底申し訳ないと言わんばかりの表情で頭を下げる。
あまりの変わりように、全員がポカーン状態であった。
「無事でいてくれて本当に良かった! 何も不自由はないか? 身体は問題ないかっ!?」
「は、はぁ。大丈夫でございます?」
碧色の瞳を瞬かせ、目の前の王子の懸命な様子に若干引いているともいえるエヴィは、コクコクと頷く。
あまりの驚きに、自分のことなのに疑問形で返してしまったのはご愛敬だ。
「……なんか調子が狂うな」
「うーん、状況が状況だからねぇ。滅多にあることじゃないし、理由なんて解りゃしないねぇ」
決して騙そうとしているようには見えないクリストファーを取り敢えずソファに座らせ、おばば様が状況を整理すべく質問をし出した。
「……すると、占い師から受け取った護符を一度捨てて、拾い直した辺りから記憶がないんだね?」
例の育毛剤の補償説明会の帰り。詐欺だと判明し腹が立ったクリストファーは、騙されて購入させられた天然石に魔法陣らしきものが描かれた護符を路地裏に投げ捨てた。
……しかし心の支えにしていた護符を捨て去り切れず、拾うために建物と建物の隙間に手を差し込んだのだそうだ。
「そういう暗いジメジメした場所なんかに瘴気は溜まり易いからな。餌を探して潜んでいたベリアルに取り憑かれたんだろう」
魔人の言葉にハクが続ける。
「暗い場所や路地裏で事件なんかが多発するのは、物理的にバレにくいだけじゃないんだよ。良くないモノとか、そういった類の干渉を受けたりし易いからなんだ」
干渉を受け発作的に罪を犯す場合もあれば、呼ばれて繰り返すこともあるのだという。また時にそういう場所は、異界への入口になったりすることもあるのだそうだ。
「そうですか……何にせよ私の弱い心と不注意が引き起こしたことに他なりません。どのようにお詫びをすればよいのか……各地の被害は如何ほどなのでしょうか……?」
この世の終わりのような顔で呟くクリストファーを、全員がまじまじと見た。
「……まあ、取り憑かれたことに関しては故意じゃないし、アンタも被害者ともいえるからね。被害に関しては魔法使いたちが浄化して問題ないし、瓦礫も有志が加勢したからほぼほぼ片付くって話だよ」
幸いベリアル以外の死者はなく、瓦礫関連に関しては各地へ散らばり途中の魔族たちが手伝って解消しつつあると連絡が入っていた。
「そうですか! 多くの方々に恐怖心や痛み、本来は不要な損害を与えてしまったことについては決して解決いたしませんが……最悪の結果に至らず安心いたしました」
心底ホッとしたように大きく息を吐くと、穏やかな顔で微笑んだ。
「アンタはこれからどうするつもりなんだい?」
国に戻り父王に心から詫び、少しでも復権を――というのが本来の考えであろう。
ところが。
「取り敢えずは心を入れ替え、留学中は出来得る限り学んで帰りたいと思います」
(『出来得る限り学ぶ』)
クリストファーの口から出たとは思えない言葉に、エヴィは瞳を瞬かせる。
「帰国後は立太子する弟の補佐をするつもりではおりますが、あまり中央に近い場所にいると私を担ぎ出して良くないことを考える者もいるでしょう。教会に入り神職を得れればと思っております」
「…………」
「今までしてしまった罪を懺悔しながら神に祈りを捧げ、人々のために出来得る務めを果たして参りたいと思います」
清々しい顔で、クリストファーはそう言った。




