19 大悪魔ベリアル
黒い竜巻のようなもの、実際は大悪魔ベリアルと同化したクリストファーの身体の周りから漏れ出した黒い靄と魔力の渦が、高速で回転しているのだが。……それは何かを探しているのか、フラフラとした軌道を描きながらはるか上空を飛んでいた。
どのくらいぶりなのだろうか。実体を伴う姿は非常に動き易く気分がいい。
完全に馴染むまで、同化したあの日から更に数日かかった。
今でも勇者や聖女がいるのかは解らないが、みつかると面倒なので身体を慣らすことも兼ねて暫し知らない街を歩いた。
その間、様子をみながら今現在の状況を確認して行く。
時代は閉じ込められている間に確実に進み、人間界に魔族はいなくなっていた……いや、ごく少数の魔族がいたが、人間に化けて人間の中に埋もれ、隠れて生きているようであった。
いなくなった同胞たちは、どこへ行ったのだろうか。
何処か別の場所にいるのか、それともほぼ滅んでしまったのか。
食料を売る店の人間に魔族について聞いてみたが、お伽噺のことかと苦笑された。
(……これが、かつて魔王が目指した世界だったのか?)
戦い敗れた魔王に掴みかかって聞いてみたかったが、その魔王が今も存在するのかすらわからなかった。
それだけではなく、なぜだか人間たちの魔力も薄くなっていた。以前はあんなにも浄化の魔力に満ちていた世界は淀んだ空気を漂わせている。
はっきりとした瘴気こそないものの、浄化も癒しもほとんど枯れかけた世界は退廃的ですらあった。緑の、水の、空気の何とくすんだ色なことか。
魔族がいなくなったように、勇者も聖女も滅んだのであろうか。
(あの憎き者たちがいないとは! 何と気分がよいことか!)
もっと広いところから多くのことを確認したくなり、思い切って空へと飛翔した。
万が一にも聖女に見つからないよう、遥か上空を目指す。
取り敢えずは同化したクリストファーの生国へ行き、すべて滅茶苦茶にすることを考えていた。――それが混ざりあった今感じられる、クリストファーの切望だからだ。
急に結婚することになった王子の従兄弟の結婚式が行われるのは今日。
(絶好の復讐日和じゃないか! 一番幸せな日であろう一日が、人生が終わる日となるなんて)
奥深くに沈み込んだクリストファーの意識に向かって話し掛ける。圧倒的な力の差があるためか、クリストファーは混ざりあいながらも深く沈み込み覚醒しない。
(そうそう。お前が逆恨みをしているらしい元婚約者をみつけたら、そいつも道連れにしてやろう)
低く笑いながら、クリストファーの生国を目指した。
しばらく移動していると、大きな魔力の揺らぎを感じて下界を見下ろす。
(防護壁……?)
そこそこの魔力がある者もいるらしく、町一体を包み込む防護壁がみえる。
魔力の質から勇者や聖女ではないと確信すると、大悪魔ベリアルはにたりと笑みを浮かべる。
(いい餌になるだろう)
いたぶって、絶望したところを喰ってやろうか。
そう考えると血肉が湧きたつ感覚がして、身体中が沸騰するような快感を覚えた。――弱い人間を仲間だと守る奴らもいたが、所詮魔族は瘴気から生まれた魔なるものである。
光よりは暗闇が。善より悪が。聖よりも瘴がお似合いなのだ。
防護壁の弱い部分に穴を開け、強風で巻き込んだ石や枯れ木を落としてやる。
焦った顔をした男たちが手のひらを魔法陣に向けながら詠唱しているのが見えた。
「ほらほら、しっかり補強しろよ! そんなんじゃあ大穴が開くぞ!」
ベリアルは楽し気に防護壁に穴を開けては、人間の近くに瓦礫を勢いよく落とした。
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「なにやっていやがるんだか!」
出来得る限り気配を隠した魔族たちが、防護壁の中へと滑りこんで行く。
もちろん危害を加えることなど微塵も考えていないため、防護壁はひとりの魔族をはじくことも無く吸い込んで行った。
防護壁の中は阿鼻叫喚であった。
逃げ遅れた年寄りや子どもが、恐怖に泣き叫びながら震えている。誘導しようとしていた自警団員が運悪く瓦礫にぶつかったようで足を押えて呻いていた。
「酷いことをしやがるねぇ!」
踊り子は一座の団員たちに目配せをする。男の魔族たちは泣き叫ぶ子どもを宥め、思うように動けない年寄りを抱えて走り出した。
「……ひっ!」
ミノタウロスが人化を解き丸々と太った自警団員を抱えようとするが、魔族と解り引き絞るような悲鳴を上げた。
「大丈夫、助けに来たんだ。アンタを安全な場所に運ぶまでの一瞬で良いから信用してくれ! 危ないから早くみんなのところへ!」
懸命に説明をするミノタウロスの様子に嘘は感じられなかったのだろう。それでも怖々と顔を引きつらせながら、自警団員は抱えられて行った。
再び防護壁の穴を大きな石が飛んでくる。危うく防護壁を守る魔術師にぶつかりそうになるところを、オークの団長が跳ね除けた。
ズン、と重たそうな音をたてながら土にめり込む。
「……すまない、恩にきる!」
魔塔の人間である魔術師はハクたちを見慣れている為、不可思議な存在がいることを既に知っている。更にその者たちは、決して乱暴な訳ではなく、自分達と友好に共存して行こうとしていることも知っていた。
防護壁の中、避難が遅れる人間を魔族が助けるために走り回っていた。
そして手が空いている魔族たちは、歯を食いしばりながら防護壁を守る魔法使いや魔術師たちと一緒に手のひらを魔法陣に向けた。
踊り子も魔力を最大限に利用するため人化を解き、青い鱗が美しいリザードンの姿になる。
「アタシたちは魔族で魔力があるから一緒に町を守る。……アンタ疲れてるんだろう? ちょっと休みなよ、魔力枯渇するよ!」
魔力の弱い魔術師がひっくり返るかのように尻から倒れた。魔力の弱いところをついて来るため、休むことが出来なかったのだ。
「……ありがとう」
魔術師ははにかむように笑った。
「困った時はお互い様だよ!」
踊り子は瞳孔を細め、笑いながらそう言った。




