10 古代の書・前編
おばば様が険しい顔で珍しく本を読んでいた。
「……何か気にかかるのか?」
こちらも珍しく気遣わし気に、おばば様にお茶を差し出した。
長く一緒に過ごすふたりには、言わずとも判る雰囲気というものがあるのであろう。
おばば様が手に持っていたのは古い時代の書物である。かつておばば様のお師匠様から引き継いだ過去の覚書であるのだが、おばば様の部屋の奥にある物置部屋から引っ張り出して来た代物だ。
何もない辺境の地でありながら、酷く刺激的な環境である山の麓の小屋が離れがたく、マーリンから進捗報告があるまでここにいても問題なかろうと、大魔法使い見習いのふたりは暫く居座ることにしたのであった。
「古代の書ですか?」
シモンがおばば様の手の中にある稀覯本を見て口を開いた。
「お師匠さんのそのまたお師匠さんと言った具合に、過去の覚書らしいんだけどねぇ」
とはいえ文字が出来てからのこと。おばば様の知りたい更に古い過去のことについては、殆ど記されていないに等しかった。
「魔塔の中に過去の記録があるだろう?」
「ええ」
マーリンの先代の魔塔長がシモンである。様々な管理の最高責任者であるので彼に聞くのが早いであろうと考えた。
「古代文字が発祥する前の時代について書かれた書物ってあるのかい」
「古代以前ですか? 幾つかはあると思いますが、伝聞の域を出ないと思いますが」
深刻そうなおばば様の様子に、エヴィは口を開かずに、静かに座っている。
離れた場所ではアロンがサラマンダー達を輪っかにして回して遊んでいる。更にはフェンリルとユニコーンに飛んでくぐってみろと言っては嫌がられている姿が見える。
その隣でタマムシがやんやと囃し立てていた。
「禁足地や過去の封印について、問題は無いんだよね」
おばば様の言わんとすることを察したシモンが、表情を引き締めて言葉を選んだ。
「数日前にフラメルやマーリンと話した時には、その事について話は出ませんでした。今回のような場合は一番最初にそれらを確認するでしょうから、現段階では問題がないものと思われます」
「ふうん……」
生真面目な回答は思った通りのものである。
実際に過去のそれらに問題が生じた場合、のんびり警備機関に任せて置くなどという事態にはなっていないであろう。
魔法鎧でガチガチに固めた魔法使いたちが、総出で討伐に出ているはずだ。
「魔界に回収されている分も問題はないと言っていたから……あれらの記録は、どのくらい前のものからあるもんなんだい?」
強い瘴気ということから、基本的には強い魔力を持った存在が瘴気のあった辺りをうろついていたと考える方が自然なのだ。
「『魔界に回収』と記載があるものは、本当なのですね」
おばば様はシモンの疑問に頷く。未だ人間界に魔族がいた時代だ。封印された魔物たちの大半を魔界側が引き取って管理している。
同胞を自分たちの手で引き取りたいと言う部分もあるであろうが、万が一封印が解けた場合、とても人間では対応できないだろうからだ。
「ただ、あまりにも古い時代については、魔界でも把握できていない可能性があると言っていたんだよ。元々記録なんて向こうはとっちゃいないだろうからね」
シモンが思わず、誰がと訊ねそうになったが言葉を呑み込む。聞くこともない、魔王その人であろうからだ。
魔塔が出来たのはここ数百年程のことだ。魔力が弱まった今、それよりも前から生きる魔法使いなど存在しないといっていいだろう。
辛うじて人間界と魔界を分けることになったという記載された書類が残されているが、誰も見たことがない魔界という存在は、魔塔の人間にとってもお伽噺のようなものである。
そして当時の人間はそれを隠蔽したかったのであろうか……魔界が結界の中に移り、狭間の森の中に境界線があると言う程度の記載しかないのである。
「回収した封印の中には数百年度どころか千年前のものもあるんだろ? それよりも古いものは……」
「確かに記録通り、数千年越えのものが幾つかあります。それ以前は最早神話の時代でしょうから……仮に記録が残されていたとしても、本当かどうか怪しい伝聞でしかないと思います」
まあそうであろうと思いながら、おばば様は魔人と顔を見合わせた。
「その、本当かどうか怪しいものは確認は取れているのかい」
シモンは静かに頷く。
「一応は。ただかなり古い封印ですから……既に封印されていた魔物が消滅し、魔石になっていたものばかりでした」
人間より長く生きるだけで、魔族とて不死身ではないのだ。いつか命は途絶えてしまう。
魔物や魔族が息絶えると、姿は消え魔力の籠った石が残るのだ。
「全部かい?」
「記載があるもので『魔界回収』となっているもの以外は魔塔内部で厳重に封印してあるか、魔石となっているか。どうしても動かせないものは再度封印を重ね掛けして結界を張り、禁足地にしてあります」
「ルシファーが何か言っていた?」
エヴィと同じように黙っていたハクが口を開いた。金色の瞳がおばば様を見つめた。
「ああ。かなり古いものであれば封印が解けることもあるだろう。現代まで封印が解けなかったということは、かなり強い封印がされていると言っていいだろう。逆を言えばそんな封印されている奴も余程力が強いものだったと言えるだろう」
ハクは視線をテーブルに落とす。
「魔塔側が知りえない程に古い時代の封印が、あるかもしれないってことだね」
おばば様は視線だけで返事をする。
古い時代の伝聞が漏れたのか、紛失したのか、そもそもそんなものは無いのか。
「……確かめようがありませんね」
シモンは困ったように眉を顰めた。
(古い時代……神話……)
エヴィは幾つか神話がもとになっているお伽噺を思い起こしていた。
神話はそもそも言い伝えだったり、政治や時の権力者たちがその都度残したいものをいいように改ざんして、シンボリックに伝えたものだったりする。
そしてお伽噺は、躾や教訓などを子どもにわかり易く伝えるためのものと言う側面があるのだ。
「初代勇者と初代聖女選出のお話……」
四人がエヴィを見遣る。
「人間を守るために選ばれた初代勇者様と初代聖女様のお話がありますが、そもそも何から人間を守るのでしょう?」
「…………」
あらゆる危険から人々を守り、幸せに暮らしましたで終わる話だ。
自分の国のことだと言い張る国が幾つかあるような有名な話。
自然災害からかかもしれないし、乱暴な魔族からかもしれない。はたまた森が今よりも近かった時代だ、凶暴な獣からかもしれない。
「全部、かもしれない?」
「……だぜい」
ハクとエヴィの言葉に、三人は顔を見合わせた。




