04 浄化水
「これは魔王にでも見てもらおうかね」
おばば様はそう言うと、真っ黒な小石を封印魔法で厳重に閉じ込めた。
「話では街中だろう? 瘴気を垂れ流すほどの魔獣がいたら一発で解るだろうし、魔族か?」
魔人は太い眉毛を潜めながら首を捻る。
「何にせよ、魔塔には連絡が行っていないのかねぇ」
最近はエヴィとハクが頻繁に行き来するせいで、フラメルやらマーリンやらがちょっとした厄介事を持ち込むことが増えた。
「でも、人間界に紛れて暮らす魔族の皆さんの大半が、大人しく真面目に暮らしている筈、ですぜい?」
基本的に結界の外に出るのは魔王の許可がいる。決して人間界には迷惑をかけないという約束のもとに人間界に紛れることを許されるわけで、約束を破れば先のワーラットの薬師のように重い処罰を受けることになるのだ。
「……そもそも魔族だからといって、そんなに瘴気……? だらけにならないのですよね?」
普段エヴィが接する魔族たちは、見た目以外人間と何ら変わりがない。触ったり吸い込んだりしたら困るようなものは纏っていないし、乱暴などころか心優しい人ばかりだ。
「もしかするとだけど、聖女の不在で浄化や癒しの結界が弱まりつつあるのかもね」
いわゆる、何か深い絶望を感じるような出来事に遭遇した魔族が、闇落ちしてしまっているのではないかと推測した。
「人間界にも瘴気がある場所はあるのですか?」
「魔界ほど濃くないが、あるっちゃあるね。魔塔が管理しているはずだけどね」
おばば様はそう言うと、サラサラと聞きなれない言葉で詠唱を囁いては綺麗な蝶を幾つか作り出した。通信魔法の蝶である。
『ぁぁぁぁ!』
マンドラゴラがぴょんぴょん飛びながら手のような根っこを伸ばした。
キラキラと光を乱反射させながら、ひらひらと一斉に飛び立った。
魔塔の管理する瘴気の場所は、特に問題なく管理されているとの回答があった。
行方不明者に関しては魔塔でも気になっているそうだが、はっきりとした魔力の痕跡があるわけではないため、今のところは警備機関の管轄ということになっているのだそうだ。
「そう言えば、西の方で人攫いや暴力沙汰が増えているって話は聞くね」
旅の一座の踊り子が、思い出しているのだろう、視線を左右に揺らしながらそう言った。
彼女の正体はれっきとした魔族で、青い鱗が美しいリザードンだ。
「掴まったのは普通の人間だったみたいだけどね。魔族が瘴気をそんなに喰らったら、人化が解けちゃうだろうし」
一発で魔塔案件だと付け加えた。
強すぎる瘴気を纏えば理性を無くし、凶暴化してしまう。本来の強い身体能力を活かせるよう人化を解いて本来の姿に戻ってしまうだろうということであった。
「そうかい……何かあったら教えとくれ。くれぐれも気をつけるんだよ」
「解ったよ、ありがとう」
仏頂面したおばば様に向かって人懐っこい微笑みを向けると、エヴィにも声をかけた。
「じゃあね、エヴィも気をつけるんだよ?」
「はい」
素直にこっくりと頷く。踊り子はそんなエヴィを見て目を細めた。
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数日後のこと、魔王ルシファーが子ども達を連れて山小屋にやって来た。
相変わらず子どもの姿でやって来たルシファーは、本来ならば見目麗しい青年の姿をしている。子ども達と人間界にやって来る時は目立たぬよう子どもの姿をしているのである。
「……確かにこれは瘴気だな」
ふくふくなほっぺに似つかわしくない難しい表情をしながら小石を確認する。
「……心当たりがあったりするかい?」
おばば様の問いかけに、丸い顎に指をあてて考え込んだ。
「大元はかなり古いもののようだ。様々な色合いが混じって漆黒になっているようだから、ひとりの思念ではなく、幾人もの人間や魔族や……そういった者たちの負の感情を取りこんで出来ているように感じる」
「……そんなことまで解るのですね……」
エヴィはただゾワゾワするだけの小石とルシファーを見比べた。
ルシファーは瞳をまん丸にして首を傾げるエヴィに柔らかく微笑んだ。
「これは浄化して返却すれば良いか?」
「いや。どうせ浄化するならエヴィにやらせるよ」
おばば様の言葉に、今度はルシファーが紅の瞳を瞠った。
「浄化魔力が発現したのか……?」
浄化の魔力を持つ人間は少ない。大きな浄化魔力を持つ人間は、聖女として崇められる。
「そんな訳あるはずないだろう?」
おばば様がジト目で魔王に言い捨てる。その脇でエヴィと魔人、ユニコーンがうんうん頷いている。
「アンタのその目は節穴じゃないなら、エヴィの魔力がミジンコ二匹分だってことが解るだろう?」
「…………。確かに」
ミジンコかどうかはさておき、相変わらずかなりの極小魔力である。それでもこの数か月で倍に増えたようで、ミジンコ一匹が二匹にまで上がっていた。密かに魔力を増やす為努力をしていることが偲ばれた。
どんなに極小でも浄化魔力は浄化魔力であるが、勿論激レアの浄化魔力である筈はなく、極弱なただの風魔力である。
「ユニコーンと一緒に、また変なモン作ったんだぜ」
「ブヒフンッ!」
呆れた魔人をものともせず、ユニコーンが胸を張った。
エヴィに好意を持つ同士、一緒に製作出来ていいだろうというマウントであろうか。
そんな周囲のあれこれに頓着することはなく、エヴィはポーションを入れる瓶に入った液体を小石にかけた。
ジュワッ!
熱く燃える鉄に水をかけたかのような音と共に、微かな煙が立ち上った。
黒ではない白い煙だ。
そして小石……瘴気を吸い込む魔道具であるが、それが見る見るうちに浄化され、虹色に光る本来の姿を取り戻した。
「…………成功のようだね」
「何だ、これは?」
検分をして頷くおばば様の隣で、ルシファーが遠慮がちにエヴィとユニコーンに尋ねた。
「浄化水です。『何でも浄化しちゃう水』?」
「ビヒフ!」
ルシファーは目の前にいる三人と一匹、そして零れた『何でも浄化しちゃう水』を拭き掃除しているマンドラゴラを交互に見遣った。
「『何でも浄化しちゃう水』……?」
またとんでもないものを……と思ったが、事の重大さを解っていないらしいエヴィがコテンと首を捻ったままなのがおかしくて、続くはずの言葉を呑み込んだのであった。




