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08 魔法使いの出番だぜ・後編

 大きなタライに水を張り、夜空を映し込む。

 揺らめく水面に白銀色の月が映り込んでは、ゆらゆらと揺れている。

 ……山奥の人里離れた小屋の中、真っ暗な夜の窓辺で四人が立ち尽くすさまは、傍から見ると結構不気味だ。


「水鏡の術だね」


 ハクが水面をのぞき込む。

文字通り水面を鏡のように使う魔法や魔術のことらしいが、映すものは過去だったり未来だったり、現実の姿だったり幻影だったりと多岐に及ぶのだそうだ。

 出来ることや精度などは術者の力量が反映されるのは言うまでもない。


「王子の精神世界にちょいとばっかり干渉して、みている夢を水面に映すんだよ」


 ……精神世界に干渉とか、言っていることがコワいのだが。

 意識と意識を繋いで直接やり取りも出来るそうだが、今回はギャラリーが多いため媒介を使うことにしたそうだ。


 四人そろってタライをのぞき込めば、スヤスヤと眠るクリストファーが映り込んだ。

コウモリの魔道具がクリストファーの頭上に乗っかってる。

……知られたら不敬だと怒り出しそうだなとエヴィは思った。


「さ、さっさとお始めようかね。……夢よ開け、餡! ポン! 端!」


 タライの中の水がざわざわと小さく波打つと、次第に映像が浮かぶように映り始めた。

 映し出されたそれは、多くの人にかしずかれ玉座に座るクリストファーの姿であった。ついでに隣には熱愛のお相手である男爵令嬢・ミラがしなだれかかっている。


「……何だか、絵にかいたような夢だねぇ」


 おばば様が呆れたように言う。

 隣ではハクが豊かな袖で口元を隠した。ハクの暮らす東の国では『着物』と呼ばれる民族衣装なのだそうだ。下にはこれまた東の国で身につける『袴』とういものを穿いている。


「相変わらずどうしようもねぇ奴だな」

 魔人は太い眉を顰めた。


「じゃあ、始めるよ」

 おばば様の言葉にエヴィが頷く。


 夢の中の人がひとり、またひとりと姿を消し、いつの間にか玉座も消え去った空間に、クリストファーひとりとなった。

 たったひとりとなった彼は、キョロキョロと焦ったように辺りを見回している。


「もしもし。クリストファー殿下」

「わ!? 貴様はアドリーヌ!!」


 いきなり目の前に現れたエヴィにびっくりしたのであろう、大げさに身体をびくつかせては手足を大きく動かした。


「お久しぶりでございます」

「……夢枕に立つなど、死んだのか?」

「生きておりますよ?」


 なんだか、天然VS天然の、おかしな問答が始まった。


「貴様は勝手に出歩かずに家に帰れ」

「殿下が国外追放だと仰ったんじゃないですか」

「うるさい! 戻れと言ったなら戻れ!」


 一瞬、驚いたような顔をしたクリストファーは、血管が切れるのではなかと思う程に顔を赤くして怒鳴る。殆ど逆らったり意見をしないエヴィが、自分の言葉に真っ向から逆らったからだ。

 エヴィはどこ吹く風である。


「既に国王、王妃両陛下を始め、両親にも報告済みです。了承していただいております」

「じゃあ、どうしてミラは私と別れるなんて言い出すんだ!」

「……別れたのですか?」


 あら。

 クリストファーの言葉に、エヴィは碧色の瞳を瞬かせる。


「いきなり手紙が送られて来た」

 急にしょぼくれた声でそう言うと、クリストファーはガックリと肩を落とした。

 状況がわかっていないエヴィも、同情するような表情と声で言う。


「……フラれたのですね」

「フラれてなどないっ! 無理やり別れさせられたのだ」

「うーん? そうなんですの?」


 まあ、解らなくもない。冷静になり色々目の当たりにして考えれば、自分……いや、自分たちの置かれた状況がなかなかにマズいことが見えて来るだろう。

 ただ別れさせたのでは、またどうひっくり返るか解らないので、国王辺りがミラが諦めるように事を運んだのであろうとクリストファー以外の全員が思った。


「婚約破棄をするくらいの恋なのですのもの。留学が終わったらお迎えに行けばよいのではないですか?」


 ある程度の線引きを越えて『やっちまった』のだから、突き進めばいいだろうに。

 相手にも気持ちが残っていたなら、元に戻ればいいだけだ。

 ……勿論そう簡単にはいかないであろうが、王太子剥奪にまでなった恋なのだ。とことん貫かなくてどうすると言いたいのはエヴィだけなのだろうか。


「可哀想に。皆に責められて心が傷ついているに違いない。それなのに、簡単に元になんて戻れるわけないだろう!」

「さあ……私に言われましても……」


 相手が傷ついているからこそ、自分の気持ちは変わらないと知らしめるべきだと思うが。

 自分の意見しか正しいと思わないクリストファーに言ったとしても理解されそうもないので、黙っておく。他の人の意見もあまり聞かないが、エヴィの意見だと知るや否や、幼い頃から頭から真っ向否定するのだ。


 ……それならそれで、誠心誠意ミラを説得するしかないであろうとエヴィは思う。

 本当に愛しているなら立場をかなぐり捨てでも行動すればいいのだ。どうせもう王太子ではないのだから、名ばかりの王族に甘んじるよりも、ミラの手を取って未来へ進めばいい。

 王冠を捨てた今、とことん愛に生きればいいのだ。……他人に迷惑をかけない範囲で。


「結婚させられていたらどうするんだ」


(確かに)

 四人は心の中で相槌を打つ。

 クリストファーにしてはなかなか鋭いというか、まともな答えが返って来た。


 あれだけのことをしでかしてしまい、男爵家としては王都には置いておけないだろうし。

 先々を考えれば傷の浅いうちに適当な人と縁づかせてしまおうと考えるのが貴族の大半の考え方であろう。もしくは修道院に入れるかだ。


「それはあり得ますわねぇ。その場合は仕方ないではないですか。お相手の幸せを願って差し上げるのも愛ですわよ」

「軽々しく言うな!!」

「軽々しくなんてありませんわ」


 何を言っても耳にも頭にも、心にも届かないのだ。

 エヴィは、王太子(予定)の地位を剥奪されても、遠い国に強制留学させられても変わらないのだなとある種感心をしていた。


「何だか全くかみ合わないねぇ」

「相性最悪だな」


 おばば様と魔人が苦々し気にいう。ハクは苦笑いをしながら小首を傾げていた。


「とにかく、私は他の国で魔法使いのもとで勉強をしておりますので。家にも国にも帰るつもりはございません」


 魔法使いへの師事――それは自らも世俗を離れ、魔法使いや魔術師になる為に研鑽するということである。

 流石にクリストファーが目を瞠った。


「貴族令嬢として生きて行くことを止めたのか。まあ、傷物の貴様などまともな結婚も出来ないであろうが」


 その傷をつけたのは紛れもないクリストファー本人なのだが、なんだか他人事のような言い草である。


「まともな結婚を出来ないのはお互い様でしょうけども」

「私は貴様とは違う!」 


(だとよいのですけど……)


 廃嫡は免れたものの王太子として不適格という落印を押されたクリストファーは、今後かろうじて王族としての席を残したまま、弟殿下の補佐をすることになるだろう。


 かつて取り入ろうとしていた人間たちが、手のひらを返したように冷たくなるだろうことが目に浮かぶ。きっと鬱々とした長い日々を過ごすことになるだろう。


(せめて補佐として有能であるという強みを作っておかないといけないでしょうに)


 助言したところで聞き入れてもらえるとも思えない。お互い不愉快になるだけであろう。


「まあ、それでもいいですわ。ではこちらは平民として日々恙無く暮らしておりますので、殿下もお勉強を頑張ってお幸せに」


 埒が明かないと思ったエヴィは、会話にならない話しを切り上げることにした。

 ……元々会話が成立するとは思っていないのだ。言うべきことと伝えるべきことをはっきり聞いてもらうのが目的なのだ。


「これ以上探したり、こちらに危害を加えると禿げる呪いをかけておきますね! ツルッツルのつるっ禿ですよ?」

「な!? 止めろ、不敬だぞ!! おいコラ……」


 パチン、と音が聞こえる。

 ふさふさ・サラサラの髪に手をやりながらも、怒りに震えるクリストファーの姿が、ふっと消えた。


 空間は消え去り、山の麓の家が現れ、目の前には水面がかすかに揺れるタライがあるのみであった。

 おばば様が同調というか干渉というか、魔法を切ったのだ。


 目を覚ましたらクリストファーの目に入るよう、魔導具のコウモリが『これ以上の追跡は不要。ハゲ注意』というメモを顔の上に落とし飛び去って行く。

 夢だと流されないように念押しをする為だ。夢ではないと知ったクリストファーはどんな反応をするのだろうか。

 ……禿げの呪いはただのハッタリで、口からでまかせであるが。

 案外怖がりな元婚約者のあれこれを思い出して、エヴィは思い出し笑いをした。


「面白いね、エヴィは」

 ハクは着物の袖で口元を隠し、クスクスと身体を揺らす。


 禿げる呪い。

 それは呪いなのかどうかわからないが、先ほどの反応から見るに、クリストファーには効果てきめんであるように感じる。


「全然緊迫感ねぇな」

「まったくだねぇ」


 おばば様と魔人は呆れたようにため息をついた。

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