異世界なんてありえない!
ルミ先輩。
自称、恋のキューピットなんて頭の悪いことを言う少し背の小さな先輩。それが、彼女の名前らしい。
名字まで言わないのは俺のことをからかっているのかそれとも……。
ルミ先輩に「ここじゃあなんだから」と、連れられるまま教室を出た俺たちは体育館裏の茂みにやって来ていた。ここならめったに生徒も来ないだろうし、ファンクラブとやらに囲まれていた紅葉が来ることも察知できるだろう。
何となくだが、俺はルミ先輩は紅葉を避けているように感じていた。
「ところで、ルミ先輩は何で俺のことをマサカドって呼ぶんです? 俺の名前は……」
「平将平だろ? オセロみたいな名前だったから何となく覚えていたんだ。君も色々と忘れているみたいだけど、マサカドって君のあだ名だったろう?」
マサカド……、脳内でその響きを反芻させていると何故だか妙にしっくりくる気がしてきた。とても懐かしい音のような……。
「たしかに、みんなからマサカドって呼ばれてたような。誰かが俺のこと平将門の子孫と勘違いしたからだっけか……?」
「いやー、そこまでは知らんし」
興味があるのかないのか。
ルミ先輩は知らん知らんと手をぷらぷら振ってジェスチャーする。
それに少しカチンと来そうだったが、俺が話したいのはそんなことではない。
色々とおかしなこの状況で、ルミ先輩は忘れていた俺のあだ名を知っている。気にも止めていなかったが、俺たちが通っている高校は公立だっていうことも知っていた。いや、覚えていた。
唯一と言ってもいいほど、彼女は俺の記憶と同じ記憶を持つ人物なのだ。
何かがわかるかも知れない。
「……ところで、マサカド君はこの世界のことどこまで気づいた?」
「どこまでって、今朝起きたらこんな感じで……正直まだ夢の中だって言われても半分くらいは信じますよ。それに、俺のあだ名にしてもそうですけど記憶がごちゃごちゃで」
「まあ、無理もない。マサカド君は今朝からなんだろ? だったらまだ設定が固まってないんだよ」
「設定すか。え、なに……それってキャラ設定みたいな?」
俺の言葉を聞いてルミ先輩はパチンと小気味いい音を指で鳴らした。ついで、ザッツライト! なんて上機嫌で言ってくれた。
「あー、今のは気にしないでくれ。ボクにも変な設定がつけられてるんだ」
……あ、先輩ボクっ娘なんだ。
そう考えていたのがまるわかりだったのか、ルミ先輩はみるみるうちに顔を赤く染めていく。
「それが、この世界でわ、わた……ボクの受けた影響だね。口が勝手にそう口走る。ほんと、面倒な属性だよ。身長も低いし……くそ、誰得なんだよ。チビでツインテでボクっ娘なんて」
「まあ、俺得ではあるっすね。けっこう好きなんすよ、ボクっ娘」
なにがとは言わないがシャープなところもポイント高いと思う。うん。
「あんな美人な彼女がいて浮気とはいいご身分なことだね」
「いや、高瀬は彼女じゃない……というか、幼なじみってのもよくわからないというか……」
「ふーん……まあ、いいや。とにかくボクの知る情報を少し教えてあげよう」
言って、ルミ先輩はえっへんと胸を張る。なにがとは言わないがまな板みたいな……(以下略)。
「まず一つだが、ここは異世界みたいな場所だ」
「一発目からなかなかぶっ飛ばしますねぇ」
「しょうがないだろ。それくらい今の状況はおかしいんだよ。マサカド君だってわかるだろ」
ルミ先輩の言わんとすることはわかるので静かにうなずいた。
「まあ、異世界っていうと最近流行りのアレみたいだから少し訂正するとパラレルワールドみたいな場所だね、ここは。ボクの知る世界と基本は何も変わらないけど、人物……敢えて登場人物という言い方をすると、ここの登場人物の設定がみんなおかしい」
「たしかにクラスメイトも変になってたし、先生なんてロリ化してたもんなあ……」
「うん、まずおかしいのはそこだ。そして、ボクが気づいた点はもう一つある」
それこそがこの変な世界から脱出するヒントになるはずだ。
そう言って、ルミ先輩はこう続けた。
「ここはさ、高瀬紅葉。彼女が神様の世界なんだよ」
「は?」
「たがら、彼女を満足させることができたら私たちはここから出ることができる」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 高瀬が神様って何かの冗談……じゃないのかよ。まじかよ」
ルミ先輩の、その眼差しは真剣そのものだ。
おかげで、ありえないと頭ではわかっていても、同時、冷静な部分が高瀬紅葉が神様だと仮定して今朝からのことを分析していた。
「いくつか理由がある。マサカド君は今朝からって言うけど、ボクが違和感に気づいたのはこの春休みから……というより、この世界に迷い混んだっていう方が正確か。春休みにはここに来ていた。だから、君よりは少し先に色んなものを見て考えることができた」
「色んなことを見たって例えば」
「うーん、そうだね。私の記憶と変化のない人間とか」
「え、そんな奴いるの? あー……いや、変なのばっかで忘れてたけど、別にみんながみんなキャラ付けされてる訳じゃないのか」
「そそ。で、マサカド君は何人かいたボクの持っている記憶とそう変わらない人物。だから、接触してみたってわけ」
同じくこの世界に誘われた迷い人として。
ルミ先輩の口振りからするにクラスメイトたちや先生みたいに強烈なキャラ付けがされていなくても彼ら彼女らは皆この世界の住人なのだろう。
「で、俺も先輩と同じ記憶があるからビンゴと」
「そゆことー」
「でもさ、先輩。それだけじゃあ」
「高瀬紅葉が神様だっていえない?」
「お、おう」
なんだか妙な感じだった。
こっちの言いたいことや考えを見透かされたようにズバズバと言い当てられる。話が噛み合う……。
これが、この世界へ来た一日の長というやつなのだろうか?
「確かにね。でもさ、少し冷静になって考えてみなよ。この世界で誰が一番得してる?」
そんなの……。
言われて少し考えてみる。すると、答えは簡単に導きだされた。
「うん、どう見るかによるけど君か高瀬紅葉のどちらかだ」
「え、俺も?」
意外な回答に驚いてしまう。
紅葉がそうだというのはわかる。学校一の美少女にして勉強にスポーツなんだってできるらしい。そんな彼女の噂で校内は溢れていた。しかし、俺まで得しているというのは……朝から動揺ばかりしているというのに。得というよりむしろ困っている……。
「そりゃあそうだよ。学校内で一番のアイドルにしてヒロインの可愛い幼なじみだよ? それに面白いクラスに教師。ちょっとしたラノベやマンガの主人公みたいじゃあないか」
「言われてみれば、まあ」
「そ。でもマサカド君は今日突然この世界に現れた。だから、ボクの中では彼女こそがこの変な世界の原因にして……」
「そんなことできるのは神様ってか」
またもパチンと小気味いい音が鳴った。
見るまでもなくルミ先輩の顔は赤く染まっていった。ここは触れないでおこう。
「まあ、そんなとこ。順序は逆だけど、ボクは初めから高瀬紅葉だけを怪しいと思っていたんだ。君はそれを確信させてくれたピースってとこ」
「なるほどなぁ、俺が第二の神様って線もあるけど、同じ世界の記憶を持ってるし除外したってわけか」
「へぇ」
言って、ルミ先輩は妙に妖艶な笑みを浮かべる。
今日、初めて見るようなその表情に一瞬ドキリとしてしまった。
「え、なんすか」
「いやいや、第二の神様。ボクはその考えに至らなかったけどそういうのもあるね。けどさ……」
「色々と理屈は言ったけど、ボクはこの世界の神様は高瀬紅葉しかいないと確信してたよ」
「は、なんで……」
俺のそんな問いに。
ルミ先輩は、当たり前のようにこう答えた。
「だってさ、彼女だけなんだよ。ボクの記憶にも、君の記憶にも存在しない人物はさ」