どうすれば喜ぶか
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皆さま本当にありがとうございます!!!
本話、少し長くなってしまいましたが、削らず投稿させていただきます!
「分かった。一週間後、お前にクラルティ伯爵位を与える」
一週間後。
つまりヴィデル様が成人するその日に爵位が与えられるということだ。
「ありがとうございます」
ヴィデル様の声色からは、感情が読み取れない。
「時間がありませんので、今から王城へ行って参ります」
そう言って軽く頭を下げ、執務室の出口へと向かおうとしたヴィデル様をルヴァ様が呼び止めた。
「ヴィデル」
立ち止まり振り返るヴィデル様に、ルヴァ様は言った。
「思うままにやりなさい。責任は私が取る」
「……ありがとうございます、父上」
ヴィデル様はそう言うと、部屋を出て行った。
「心を決めたのですね」
「ああ」
カサル様の顔は優しさに満ちていて、ヴィデル様の決断を良い方に捉えていることが伝わってきた。
ルヴァ様の顔には、はっきりと安堵の色が浮かんでいた。
…….私は今、どんな顔をしているだろう。
ヴィデル様の決意を聞いてまず胸に広がったのは動揺。
その後すぐに、申し訳ない気持ちが胸の中を満たしていった。
どんな顔でいればいいのか正解が分からず、床に敷かれた見慣れない絨毯の模様を見つめているとカサル様が口を開いた。
「父上、『その可能性』とは何のことです?」
あ、それは私も気になっていた。
「……国王陛下がこの件に関与している可能性だ」
なっ!?
「だがあくまで可能性であり、証拠は無い。本件に係る王命が出たとはいえ、リュミル宰相が陛下にどこまで話していたのか分からないんだ」
……国王陛下が、関与しているかもしれない。
ヴィデル様の言葉が頭をよぎる。
『前回は大臣、今回は宰相。どっちも王家の手足に過ぎません』そして『王家の膿を出し切らなければ』と言っていた。
もしも王家の頭とも言える国王陛下が腐敗の根源であるならば、いくら手足となる宰相や大臣をすげ替えてもまた同じことが繰り返されるのだろう。
それは、分かるけど……。
あれは、そういう意味で言っていたの?
それならその後にルヴァ様が言った『本当にやるつもりか?』って問いかけは、『本当に国王陛下の罪さえも暴くつもりなのか?』って意味だよね……?
その問いに、ヴィデル様は迷うことなく『はい』と答えていた。
言葉の真意を知り、思わず耳を疑ってしまいそうになる。
でも、あの言葉がヴィデル様の本心であることは疑いようもなくて、間違いなく私のためなのだ。
カサル様が言いにくそうに言った。
「……もし陛下がこの件に関与していたら、リュミル宰相に責任を押し付けるか、この件を揉み消すかのどちらかでしょうか」
ルヴァ様が深くため息をついて頷く。
「揉み消されるのが一番まずい。リュミル宰相含めこの件に関わった罪人の罪を一切問えなくなってしまう」
ルヴァ様とカサル様は「揉み消されるくらいなら、いっそリュミル宰相のみ責任が追及されるように裁判を展開させるべきか」とか「まずリュミル宰相を捕らえてから陛下の関与の証拠をじっくりと集めるしかないか」とか話しているけれど、それらを他人事のように聞いている自分がいた。
私の浮かない顔を見てとったのか、ルヴァ様が「部屋に戻って休みなさい。朝食も部屋に運ばせよう」と言ってくれたので、ありがたくその場を後にした。
のろのろと自室に戻り、ドレスのままベッドに飛び込む。
枕も布団もシーツも全てがパリッとしていて、まるで昨日使われなかったことを主張しているかのようだった。
静かな部屋の中、私の頭の中だけが煩い。
ヴィデル様が助けてくれる。
だから、絶対に大丈夫。
……そう思う反面、そのためにヴィデル様がした決断を思うと居た堪れない。
いくらヴィデル様が嫡男であるとはいえ、セレスティン王国では爵位継承の拒否権がある。実際、嫡男が拒否権を行使するケースは極めて稀らしいけれど。
ヴィデル様が拒否すれば、ルヴァ様の実子ではなくとも法律上は嫡出子の扱いであるカサル様に継承権が移るし、さらにカサル様が断ればルヴァ様の兄弟なり他の親族なりに移ることになる。
だからヴィデル様は他の道を選ぶことだって出来たのだ。
ヴィデル様が望む道なら、どんな道でも応援したいと思っていた。
けれど私のために、ヴィデル様が望む道とは別な道を選ばせてしまったとしたら、私はどうすればいいんだろう。
ルヴァ様の指示で『私の体調が悪い』と認識したらしい使用人たちが食べれそうなものを聞いてくれるけれど、何にも食べたいものがない。
……否、フルーツは食べれそう。
こうしてフルーツだけの贅沢な朝食の後、煩い頭を空っぽにすべく手を動かすことにした。
この『手を動かすと頭が空っぽになる』という自分の特性に、何度助けられたか分からない。
ペンを持って紙に向かいながら、ヴィデル様のことを考える。
ヴィデル様の役に立ちたい。
喜んでくれそうなもの。
褒めてくれそうなもの。
何がいいかな。
そうして湧いてくるアイディアを夢中で書き留めていると、少しずつ元気も食欲も出てくるから人間って不思議。
でもまだ、ルヴァ様とカサル様にどんな顔を向ければいいのか分からない。何を言えばいいのかも。
だから、体調が悪い設定を存分に活かして昼食も夕食も部屋に運んでもらうという贅沢をした。
……アトラント領のお屋敷にいる時は、それが普通だった。
美味しいご飯を運んでもらって、優しくて温かい人たちに囲まれて、好きなことを思う存分にやって、いつもヴィデル様がそばにいて……。
なんて贅沢だったんだろう。
奴隷の私に魔道具開発をしろと言ってくれた。
私を貶めた人たちの罪と、私の無実を証明してくれた。
いつも守ってくれる。
いつもそばにいてくれる。
感謝していることを挙げれば挙げるほど、胸の中の申し訳ない気持ちが感謝の気持ちで上書きされていく。
ヴィデル様が帰ってきたら、お礼を言おう。
私が伝えるべきなのは謝罪じゃなくて感謝だ。
……そう思って待っていたけれど、気持ちを伝えたい相手は夜中まで帰ってこなかった。
*
ソファに座っていたつもりがいつの間にか眠っていた私は、隣の部屋のドアが閉まる音で目を覚ました。
時計を見れば、二時を過ぎている。
ヴィデル様に少しだけでもいいから会いたい。
お礼を言いたい。
……でも、こんな時間。
絶対疲れているはずだ。
逡巡の後、意を決して自室を出て隣の部屋のドアをノックした。
「エリサです」
すると早足でこちらへ向かう足音がして、ドアが開かれた。
「まだ起きて……いや、今起きたのか。起こして悪かった」
「いえ、起きてました」
ヴィデル様の表情はいつも通りで、でもその声は時間を考慮してか少し小さく、優しく感じた。
離れていた時間は一日にも満たないのに、顔を見ただけで心臓がきゅぅぅと締め付けられる。
「ならその顔に付いた跡と髪の癖は何だ?」
「えっ?」
顔と髪をペタペタと触って確かめる私に、表情を緩めて「どうした」と聞くヴィデル様。
「あの、言いたいことがあって。お疲れのところすみません。すぐ終わります」
ヴィデル様は何も言わず、でも入れと言うようにドアを押さえたまま数歩下がった。
おずおずと部屋に入り、閉まったドアの前に立つ。
部屋の主がジャケットを脱ぎ、中に着ていたベストのボタンを外している姿に見惚れていると「それで?」と聞かれた。
「あ、えっと。お礼を言いたくて」
私がそう言う間、ヴィデル様はソファへと移動すると優雅に腰掛けた。
そして肘掛けに肘をついて頬杖をつき、ほんの少しの間、私を見つめたまま黙っていた。
「……俺はやりたくないことはやらない。つまり、やりたいことしかやっていない。だからお前が礼を言う必要は無い」
スラスラとまるで数学の証明のように必要無いと言われてしまい、この後言おうと思っていた感謝の言葉たちが行き場を無くしてしまった。
……どうしよう。用事が終わっちゃった。
ヴィデル様は朝早くからこの時間まで出掛けていたんだから、絶対に疲れているんだから、私は早く自室に帰らないと。
そう思うのに体が言うことを聞かない。
寝巻きのワンピースのスカートをぎゅっと握りしめ、ドアの前で立ちすくんでいた私に投げられた言葉。
「……ここで寝るか?」
嬉しくてコクコクと何度も頷くと、ヴィデル様は「ふっ」と優しく笑った。
「シャワーを浴びてくる。先に寝ていろ」
またコクコクと頷くと、ヴィデル様は部屋に付属の浴室へと消えていった。
それを合図にベッドに向かい、もぞもぞと布団に潜り込むとヴィデル様の匂いがした。
大好きなその匂いをたくさん取り込もうと深呼吸し続ける。
すぐそこに本人がいるのに。
今顔を見て話したばっかりなのに、恋しい。
こんな感情があるなんて知らなかった。
しばらくして水音が止まったので、ベッドを飛び出し浴室のドアの前で待ち構える。
そしてドアが開いた瞬間、今日一日求め続けた胸に飛び込んだ。
……何で涙が出てくるんだろう。
私、今すごく嬉しいのに。
ヴィデル様は、涙をぼろぼろと溢す私を一度ぎゅっと抱き締めてから、何も言わずにひょいと抱きかかえた。
昨日みたいに『運ばれたいのか?』って聞かれなかった。
それなのにヴィデル様はなんで私の答えが分かったんだろう。
……偶然? なのかな?
「どうして今日は聞かなかったんですか? その……運ばれたいのか、って」
涙で滲む目を擦りながらそう聞くと、ヴィデル様は涼しげな顔で言った。
「答えが分かっていることを聞く必要があるか?」
う゛〜〜〜〜!!
一層強く胸が締め付けられ、緩んだ涙腺からはまた涙が溢れ出す。
頬に流れた水滴は、ベッドにそっと降ろされた後にゴツゴツとした長い指で掬われた。
そして、同じ指が私の両手をシーツに縫い止める。
両手の自由がきかない。
そのことを喜んでいる自分に驚く。
……私、ドMだったの?
だってそうじゃなきゃ、両手を拘束されて嬉しいはずがないよね?
いつの間にか身に付けていた嗜好に困惑しながら綺麗な顔を見上げていると、その顔はゆっくりと降りてきて私の首筋を下から上へするりと舐めた。
……な、舐めた!?
予想外の感触に思わず身震いしぎゅっと目を瞑ると、今度は耳朶を甘く噛まれた。
……今、噛んだ!!
前世含めても比較できるほどの男性経験なんてないけど、そんな私でも分かる。
この人、めちゃくちゃエロい!!
色気とか色っぽいとかそういう言葉でオブラートに包めないくらいにエロい!!
何でなの!? どこで覚えたの?
天然なの? 生まれつきなの!?
脳内で激しくツッコミながら首と耳のコンボ攻撃に耐えていると、それは突然ピタリと止んだ。
「そういえば、返事を聞いていなかった」
「……え?」
返事?
「昨晩、分かったかと聞いただろう」
「あ、あれは何を聞かれたのか分かりませんでした……」
私を組み敷いて見下ろす男が、少し意地悪そうに言う。
「どうすれば俺が喜ぶか分かったか、と聞いたんだ」
「なっ! そんなの分かるわけ……」
いや……ちょ、ちょっと待って。
……つまりこういうこと?
あの時ヴィデル様が私にしたみたいに、唇にキスすることがヴィデル様が喜ぶことだと……そ、そういうこと?
しかもあの時、何度も何度も角度を変えていっぱいキスされたよね……?
いやいや、まさかね!
……でも、ヴィデル様の口の横にキスした時は『違う』って言われた。
つまり口の横じゃヴィデル様は喜ばないぞ、と。
そういうこと……なの、か……?
何それ……。すんごい甘い。脳みそ溶けそう。
「で、分かったのか?」
「いやぁ、何とも……」
言っていることはベタベタに甘いのに、それを平然とした顔で尊大な口調で言われることが、私を一層恥ずかしくさせる。
きっと真っ赤に染まっているであろう顔を少しでも隠そうと横を向くと、ため息混じりの声が聞こえてきた。
「なら……」
……なら?
「次で覚えろ」
「お、覚え……っ!?」
突然、下唇だけを優しく吸われて全身が固まる。
違うじゃん!!
昨日されたのと全然違うじゃん!!
こんなことされてないよ!!
私は何を教えられてるの!?
何を覚えればいいの!?
でもそれらの文句も質問も、口から出ることは無かった。
下唇の次は上唇、そして唇全体と次々に吸われていくうちに頭がボワワワーっとなって、頭の中身さえ吸い取られたかのようにキレイに消えていったのだ。
今朝からずっと煩かった頭の中が、静かになった。
しばらくして、微睡んだ口調で「覚えたか?」と聞かれたから、コクコクと頷いておいた。
するとヴィデル様はふわりと破顔して「お前は本当に……」と言いながら私の上から降り、私をその腕で包み込むようにして横になった。
間も無く、すよすよと寝息を立て始めた夫を見て湧き上がる愛おしさで満たされながら、しばらくその美しい寝顔を見つめ続けたのだった。
*
翌日。
私が起きた時、ヴィデル様はもう部屋にいなかった。
身支度を整えて食堂へと向かうとカサル様とリュカさんが並んで座っていて、私の後からルヴァ様とヴィデル様が入ってきた。
そして五人で朝食を取り始めると、慌てた様子の使用人がルヴァ様を呼びにきた。
「お食事中に失礼いたします。司法省の遣いの方が応接室でお待ちです。オスカ大臣印の入った書状もお持ちでした」
「……分かった。ヴィデル、お前も来なさい」
ルヴァ様とヴィデル様は使用人に連れられて食堂を出て行った。
……なんで突然、司法省の人が来たんだろう?
気になって食事が喉を通らず、お茶ばかり飲んで過ごしていると二人が戻ってきた。
感情が顔に出やすいルヴァ様に深刻そうな様子がないのが意外だった。
ルヴァ様は私たちに言う。
「ここにいる五名は一週間後に開かれる裁判に出席する。そのため、開廷までの期間はこの屋敷から出ることや外部の人間との接触、連絡などの行為は一切禁止だ」
えっ!? もう裁判が決まったの!?
しかもリュカさんも……?
「それから、開廷までの間に司法省から役人が来て証拠確認が行われる。各々証言を整理しておくように」
そう言ったルヴァ様と、ヴィデル様を交互に見て問う。
「その裁判は、リュミル宰相ではなくヴィデル様が要求してくださった裁判ということですよね?」
念のための確認のつもりで聞いたのに、ヴィデル様から予想外の答えが返ってきた。
「いや、裁判を要求したのはレナール殿下だ。つまり原告は殿下、被告は宰相、俺たちは五人はただの証拠人だ」
レナール殿下……って王太子殿下!?
なんで王太子殿下が裁判を要求したの?
これもヴィデル様の作戦のうちってこと?
レナール殿下は誰の味方なの……?
全然話が見えなくて、聞きたいことはたくさんあるのに何から聞けばいいのかさっぱり分からなかった。




