衝動的で本能的な何か
予定では本話からヴィデル様のターンだったのですが、「寝る前に俺の部屋に来い」部分が長くなってしまったため、彼のターンは次話からとなりました。
次話も本日投稿できる見込みです。
よろしくお願いします!
王都セレスチアにあるアトラント家の別邸に到着したのは夜の十時を回った頃だった。
そんな時間でも、ルヴァ様と別邸の使用人たちが出迎えてくれた。
そして「話は明日の朝にしよう。今日はもう休みなさい」と言ってもらえたのがありがたかった。
半日の馬車の旅は、正直キツい。
アトラント領から王都までは舗装されていない道も多いから、けっこう揺れる。
久しぶりに少し馬車酔いしてしまい、ヴィデル様の肩を借りて無理やり寝て、なんとかやり過ごしたのだ。
メイドに案内されたのは、前回も使わせてもらった二階の部屋だった。
「エリサ様、お荷物は私の方で解いておきますので、よろしければご入浴なさってください。湯殿の用意は整っております」
そう言ったメイドは小柄で小動物のような見た目なのだけど、物凄くテキパキしている。
このメイドも初めて見たけれど、随分と屋敷内の人の数が増えたな。
服装から判断するに、主に警備の人が増えていた。
警備が強化されているから、ヴィデル様は私と別々の部屋で納得したのかな?
……って、すんごい惚気みたいじゃない?
いや別にそういう意味じゃなくて!
アトラント領のお屋敷だとヴィデル様とずっと同じ部屋で暮らして同じベッドで寝る生活が続いてたから、別々の部屋で過ごすのが不思議な感じがしただけだし!!
自分で自分にツッコミながらお風呂に入り、寝巻きに着替えて二階へ上がると、私が使っている部屋の隣の部屋からヴィデル様が出てきた。
え? タイミング良すぎない??
まるで私が来るのを待っていたかのよう……。
「来い」
……あっ!
昼間に『寝る前に俺の部屋に来い』って言われてたのすっかり忘れてた!!
体がほかほかのうちにベッドに入りたかったけど、ヴィデル様がドアを開けて待っているから仕方ない。
しぶしぶ隣の部屋へ入ると、花のようなとっても良い香りがした。
「何の香りですか? 良い匂いですね」
「座れ」
座るよう促された椅子の前のテーブルには、ティーポットとティーカップ、そして小さなお菓子が並んだお皿が置いてあった。
ヴィデル様が二つのカップにお茶を注いでくれる。
……優しい。なんか罠にかかってる気分になるな。
あ、お茶が美味しい。
金木犀みたいな香りがふわっと香る。
「で? 何を話したんだ?」
「カサル様とですか?」
「早く言え」
カサル様と話したことかぁ。
言うの恥ずかしいな。だって内容的に私の口から言うの変だよね? ポリ。
でも嘘付くのも嫌だし。ポリポリ。
「おい」
うーん。ポリポリポリ。
「一体何を言われたんだ?」
あっ! お菓子のお皿を取り上げられた!!
「食ってばかりいないで早く言え。今何時だと思ってる」
お菓子を用意してくれたのも、この時間に部屋に呼んだのもヴィデル様なのに!
「えー、では正直に言いますね」
「……」
「その……ゼフェリオとの戦いの後、ヴィデル様が私を心配して基地から飛んで帰ったと聞きました。それで、ヴィデル様が私を大切にしてるんだね、というようなことを言われました」
魅力的だとかお世辞を言われたのは黙っておこう。話が拗れそうだ。
「……それだけか?」
「はい」
「俺がお前を心配するのも大切にするのも当然のことだろう」
「……」
二人きりの仄暗い部屋で、こんな美形に真剣な顔でそんな甘い台詞を吐かれたら、そりゃあキュンとしますよ! そりゃあね!
だけど、私を心配したり大切にしたりするのを当然だと言うその口は、殺すぞと平然と脅してくる口と同じなのだ。
なんという矛盾。
「なぜ俺が戻った時に様子がおかしかったんだ?」
「それは、私も命が懸かってますので」
そう返事をすると、ヴィデル様はため息をついて言った。
「もう寝るぞ」
「あ、じゃあ私は部屋に戻りますね」
そう言って立ち上がった瞬間、ヴィデル様が表情を変えずに言った。
「ここで寝ろ」
「え!? でも……」
別々の部屋を用意してもらったのに一緒に寝たことをルヴァ様やカサル様に知られたら、ちょっと恥ずかしいな……。
躊躇っていると、ヴィデル様が立ち上がって私の横に来た。
そしてひょいと首を傾け、私の顔を覗き込むように視線を合わせてきた。
初めて見るその可愛らしい動作にまたキュンとしてしまう。
そして動作に合わせてサラサラと流れる前髪と、前髪の向こうに見える夜明け色のような瞳にドキドキしてしまう。
そんな私に、投げられた問い。
「運ばれたいのか?」
「え? 何をですか?」
「お前だ」
「……?」
運ぶ? 私を?
……って、もしかしてアレのこと!?
「ね、寝ます寝ます! ここで! 寝ます!」
昨日の夜、お姫様抱っこから始まった一連の流れを思い出した心臓が勝手にバクバクし始める。
さっきから、キュンとしたりドキドキしたりバクバクしたりでずっと忙しい私の心臓。
過労死しないか心配だな……。
私の返事に満足したらしいヴィデル様はスタスタとベッドへ向かっていた。
「あの……私、お菓子をいただいたので歯磨きをしたいのですが」
「この部屋の予備を使え」
なんか、彼氏の家に来たみたいでいいな。
……夫だけど。
部屋に付属の洗面台に置かれた予備の歯ブラシで歯磨きしながらニヤニヤしてしまう。
そしてニヤけ顔のままベッドに向かうと、優雅に寛いでいたヴィデル様と目が合った。
その寛いだ様子もなんか良くって、思わず「へへ」とニヤけ声が漏れてしまった。
「変なやつだな」
「へへへ」
「早く寝ろ」
「お邪魔しま〜す」
そう言って私のために空けられた壁側のスペースに潜り込む。
すると仰向けに並んだ私たちの肩だけが僅かに触れ合った。
なんだかもどかしい。
なんか物足りない。
そう感じている自分に驚く。
……きっと、最近のヴィデル様が甘すぎるせいだ。
甘くて、近くて、なんだか色っぽくて。
もともと超がつく美形なのに、さらに色気を撒き散らされたら、もうどうしようもなくない?
……もう少しくっついても、いいよね?
そう思うものの。
立っているときに抱きつくのは簡単だったのに、横になっている今は手を握ることすら難しく感じてしまう。
布団の中、ヴィデル様側にある右手をそうっと動かすと、すべすべのパジャマに触れた。
その袖をちょっぴり摘んで、くいっと引っ張ってみる。
するとヴィデル様は顔だけをこちらに向けながら、とろりとした瞳で眠たそうに「ん?」と言った。
……たった一文字。
それなのに、そこに詰め込まれた圧倒的な色気。
もう無理。限界。
衝動のままに体を起こし、ヴィデル様の口の横あたりにそっとキスをした。
恥ずかしくなってすぐに離れた私の体に左右から腕が回される。
そしてゆっくりとヴィデル様の方へと引き寄せられながら「違う」と言われた。
何が『違う』のか分からないまま、私の唇はヴィデル様に導かれるようにしてさっきよりも柔らかな場所へと辿り着いた。
角度を変えて何度も触れるその優しい感触に、頭がぽーっとしてくる。
ヴィデル様は、茹で上がった私から唇を離し「分かったか?」と聞いた。
何が『違う』で、何が『分かったか?』なのか。
分かんないよ、そんなの。
ただ分かることは、ヴィデル様は私の願望を汲み取る天才ということだけ。
返事をしない私に不満げなヴィデル様が、また私を引き寄せる。
……このまま、返事をしないでおこう。
そう思った。
*
翌朝目を覚ますと、ヴィデル様は着替え中だった。
均質に筋肉の付いた逞しい背中がパリッとしたシャツで覆われるのをベッドの上からぼんやりと眺めながら、綺麗な体が隠れてしまったことを残念に思う。
……体が隠れて残念??
私、いつからそんな風に思うようになったの?
まるで変態のような自分の思考に困惑していると、ヴィデル様がこちらを振り返った。
すると、薄らと縦や横に線の入った厚い胸や硬そうなお腹が視界に入ってしまい、余計に目が離せなくなる。
くっつきたいな。
一緒に寝たばっかりなのにな。
……どうしちゃったんだろう、私。
今までだって、ヴィデル様のことをカッコいいなとか好きだなとか思っていた。
キスされたり抱き締められたりするたびにドキドキしたし、ずっとそばにいてずっと大事にしたいとも思っていた。
でも、明らかに今までとは何かが違う。
今までよりもっと衝動的でもっと本能的な何かが、私の中に確かにある。
もっと見たい。もっと触れたい。
枕を抱きかかえて悶々としていると、さっさと着替えを終えたヴィデル様がこっちに歩いてきた。
それを見て勝手に騒ぎ出した煩悩。
けれど、まるで冷水を浴びせるように「いつまで寝てるんだ、起きろ」と言う鬼に枕を取り上げられた。
仕方なくベッドからもそもそと起き出した私は、しょんぼりする煩悩を宥めながら自室へと向かうのだった。




