殺したいほどに
屋敷へと帰るとアリーシャ様と執事とティオナと、他の皆も外まで出て出迎えてくれた。
「エリサちゃん、お帰りなさい。……無事でよかった」
アリーシャ様はそう言って、優しく抱きしめてくれた。
「あなたたちも、ご苦労様。本当によくやってくれたわ」
私から体を離し、リュカさん、マルスさん、サイラスさんに労いの言葉をかけるアリーシャ様に、三人は礼を返す。
「アリーシャ様、ただいま帰りました。あの、アトラント領が勝ちました」
「ええ、あなたたちのお陰でね。一時間半くらい前に、前哨基地から光の通信があったわ。『敵は撤収、エリサとストレイン領軍は帰還。兄弟は後処理を終えたら帰る』とね」
「そうなのですね……そう、そうなんです! ストレイン領から援軍が来まして、しかもカサル様が先頭で!」
「ふふ、それについては私にも何が何だか分からないのよ。あの二人が帰ってきたら聞いてみましょうね」
「は、はい!」
「とっても疲れたでしょう? お風呂の用意が出来ているから、ゆっくり入ってくるといいわ」
「ありがとうございます、アリーシャ様!」
ふんわりと柔らかくて、でも凛としていて。
ルヴァ様が不在の時には、当主代行としての判断が出来るくらい他国のことも領のことも、戦いのこともきちんと知っている。
辺境伯家当主の妻ってそういうものなの?
自分の母親も、義母も、当主代行なんてしているところを見たことがない。
……そういうのは全部、兄がしていた。
きっと、カサル様とヴィデル様のどちらが後を継ぐのかが決まれば、その人が当主代行をしたりするのだろう。
そんなことを考えながら本宅にある大きなお風呂にゆっくりと入っていた、その時だった。
屋敷の中が騒々しくなり、その音が徐々に近づいてくる気配があり、気付けば浴室のドア越しに声が聞こえ始めた。
「エリサ様は今ご入浴中です」
「俺はエリサの夫なのだから何も問題ないだろう?」
「ヴィデル様もご一緒に入浴される、ということでしょうか?」
「そうじゃない、エリサに今話がある」
そんな声が聞こえたら大急ぎでお風呂を出ざるを得ない。
「ヴィデル様! もう出ますから、お部屋でお待ちください!」
そう、浴室の外に向かって声を掛けた。
すると予想外の答えが返ってきた。
「ここで待つ。早くしろ」
えっ!? 何!?
ティオナに手伝ってもらって着替えと髪を乾かすのとをバタバタと済ませ、浴室を出た途端、戦闘用の見慣れない服に身を包んだままの夫に無言で腕を掴まれ引っ張られた。
ずるずると引っ張られて辿り着いたのは研究室。さらに引っ張られて向かったのは耐魔室だった。
しかも、ご丁寧に研究室の入り口にも地下への入り口にも耐魔室への入り口にも鍵を掛けていらっしゃる。
……これ、私、殺されるな。
そう覚悟せざるを得ない殺気を放つ夫は尊大に言い放った。
「そこへ座れ」
「はい」
迷うことなく正座する。
「何から言えばいいのか分からない。だから思いつくままに言う。一回で覚えろ」
え? 殺されるのでも怒られるのでもなくて、なんかのテスト?
「俺が魔力を送ったら必ず返事しろ」
「はい」
首飾りのことね。覚えた。
「ダメだと言ったことは絶対にするな」
「はい」
ま、当たり前だよね。覚えた。
「次にお前が俺の言いつけを守らなければ殺されると思え」
「ひっ」
この顔。
この人本気で言ってるよ……。
「返事」
「は、はい……」
正座する私を立ったまま見下ろしていたヴィデル様は、私の前に跪いた。
……あ、ヴィデル様の匂い。
いつもの良い匂いの中に、土と焦げた匂いと汗の匂いが混じってる。
きっと、私と話すために着替えもせずシャワーも浴びず飛んで帰ってきたんだ。
話が終わったら、また基地に戻るのかもしれない。
「……首を絞めたくなるのも、何かを突きつけてしまうのも、お前だけなんだ」
……なんだろう。
言い方はいつになく甘いんだけど、言ってることはホラーなんだよな。
「思い通りにならないのも、言うことを聞かないのも、そのせいで殺したくなるのもお前だけだ」
そう言ってヴィデル様は、そっと片手を私の喉に当てた。
「でもお前を殺したら、お前は動かなくなるだろう?」
「それはそうですね、さすがに……」
手に力入れないで! 動かなくなるよ!!
「それは困る」
「はぁ」
ヴィデル様の手の力が抜けていく。
今日のヴィデル様、なんかいつもと違う。
何か迷っているような、そんな感じ。
「だから閉じ込めておこうと思った。それで足りなければ鎖で繋いでおけばいいと。でも、そうしたらお前は喜んでサボるだろう?」
「うーん……まあ、そうですね。おそらく」
このお屋敷に来てからというもの、閉じ込められていない時間なんてほとんどない。
だから閉じ込められるのは慣れっこだ。
それに鎖とやらで繋がれても、お屋敷の天使たちがご飯を運んできてくれるワケで、大したことないっていうか有難くゴロゴロするっていうか。
……いつの間にか感覚がおかしくなってる。
なんかまずいな。いや、別にまずくないか?
「だから決めた。お前はいつでも俺の目の届く範囲にいろ。出かける時は必ず一緒に来い」
「えっ!?」
何がどうなってそうなったの!?
「俺の目の届く範囲でヘラヘラしているのはいい。俺の目の前で言うことを聞かないのも許す」
いつも許さないじゃん!!
「でも俺の手の届かないところで勝手をするのは許せない、殺す」
あ、これは……分かった。
ヴィデル様は、私が基地の近くに行ったのを怒っていると同時に、すごく心配したんだ。
ダメだと言ったのに勝手な事をして、いつだって私を守りたいと言ってくれているのに自分から危ない場所へ行って、だからそれが許せなくて、殺したいくらいだったと。
そういうことだ。
「ごめんなさい、ヴィデル様」
「……」
「本当に、ごめんなさい」
私がそう言うと、ヴィデル様は私の喉に当てたままだった手をそっと頬へと動かした。
冷たい手に、頬の熱が吸い取られる。
「……前に、俺は誰も好きになったことがないと言ったな。だから、おまえを好きか分からないと」
「え? あ、はい。そんなことを言われた記憶があります」
「……基地でお前の魔力が送られて来て、お前が近くにいると察した時。お前が足りないとか、いたらいいとか、そんな生優しい感情ではなく、お前を今すぐ思い通りにできないのならいっそ殺してやりたいと思ったんだ」
何回殺したいと言われただろう。
その言葉には怒りと殺気しか感じないのに、なんでそんなに優しい声をしているの?
「これが、好きということでないのなら……これが違うのなら、俺は一生好きということを知らないままだ」
なんで、そんなに優しい目で私を見ているの?
私、言いつけを破ったのに。
いつだって守りたいと言ってくれるこの人に、殺したいと思われるほどのことをしたのに。
「だからエリサ」
「……は、い」
喉が詰まって上手く声が出てこない。
「俺は、お前のことが」
「はい」
「す……」
「……す?」
あれ? 黙っちゃったよ?
横を向いたヴィデル様の目元も耳も、なんか赤い気がする。
「うるさい」
「ええっ!?」
胡座をかいて床に座り直したヴィデル様が、私の体をグイと引き寄せ、自分の脚の上に座らせた。
そして、突然口付けを落とされた。
無機質な仕事部屋。
鍵のかけられた小さな部屋。
私達だけの部屋。
ヴィデル様らしい。
私達らしい。
なんとなく、そう思った。
柔らかく甘い唇が離された後、目の前の赤く光る黒い瞳をしっかりと見て、言った。
「私も、ヴィデル様のことが好きですよ」
「……」
ヴィデル様が、照れてる!
絶対照れてる!!
赤くなってるもん!!
片手で私の顔を容赦なく鷲掴みにして、もう片方の手で自分の顔を隠してしまったけれど、二つの手の隙間からチラチラと見えるのです。
うわー!! こんな顔初めて見た!!
可愛すぎて頭おかしくなりそう!!
「ヴィデル様、顔を隠さないで、もっと見せてください」
「黙れ」
「もっと見たい、見せて」
そう言ってヴィデル様の手をどかそうとしたら、逆に両腕を掴まれ身動きを封じられ、さっきより強くて長いキスで口も封じられた。
……息が、苦しい。
苦しくて口を離したいのにそれすら許されず、仕方なくヴィデル様と唇が触れ合ったまま「ぷはっ」と息継ぎをする。
「調子に乗るな」
息を整える私を睨むようにそう言ったヴィデル様はもうすっかりいつもの顔で。
あーあ、照れ顔は終わっちゃったのか……。
すんごく可愛かったのにな。
「あ、そういえば、なんでお揃いの石をくれたんですか?」
聞こうと思って忘れていたのをふと思い出した。
それに、あの石がどうやって作られたものなのかも聞きたいんだった。
「……」
ええっ!?
また赤くなってる!!
ヴィデル様、どうしちゃったの!?!?
「……ろす」
「え?」
「やっぱり殺す」
「ええっ!? ぐえっ」
締まってる! 首、締まってる!!
ちゃんとずっと目の前にいるのに、どうしてそうなるのよ〜〜!?!?
お読みいただきありがとうございます!!!
今後ますます、サイコパス的な甘さを増していきたいと思っています!!
引き続きよろしくお願いします!!




