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ヴィデル様の過去

……まずい。


私とヴィデル様が籍を入れてから、二ヶ月ほど経っているわけだが、未だにヴィデル様のお義母様のアリーシャ様とお義兄様のカサル様にご挨拶すらしていない。


だが、決してずっと忘れていたという訳ではない。


私とヴィデル様の結婚が決まる少し前から、一ヶ月半ほど、アリーシャ様とカサル様はアリーシャ様のご実家に帰省されていたのだ。


執事に聞いたところによると、アリーシャ様は、アトラント領とは王都を挟んでちょうど反対側に位置するストレイン辺境伯家のご出身だという。


そのため、帰省するとなると、途中で王都の別邸に一泊しつつ、二日かけて移動することになる。


そのため、なかなか帰省する機会がなく、せっかく行くなら、と長期間滞在されたそうだ。で、先日ようやくアリーシャ様とカサル様がアトラント家のお屋敷に帰ってきたというわけだ。


一方、私はと言えば、研究室から基本出ないし、出るとしてもヴィデル様と一緒にアジュリアへ行くくらいで、本宅への用事は全くない。


……それで、気付いたら結婚から二ヶ月も経っているし、どんどん言い出しづらくなっているのだ。


こういうことは、きちんと夫に相談するべきだろう。……よし。言うぞ。


「ヴィデル様、ご相談があるのですが」


「なんだ」


「私、ヴィデル様の妻になったというのに、アリーシャ様にもカサル様にも結婚のご挨拶をしていないんです。さすがにまずいかな、と思いまして」


「挨拶など、必要ない」


はい! 言うと思った!


「ヴィデル様はいいでしょうけど、私は気まずいんですよ、ものすごく。一生会わない人たちならまだしも、今後何かとお会いする可能性が高い人たちじゃないですか」


「そんなことはない。俺たちは本宅に行くことはほとんど無いんだ、滅多に会わないだろう?」


「本宅に行くこと、あるじゃないですか。ルヴァ様のところにお話に行ったりとか」


「他には?」


「……と、とにかく、初めて会うのが数年後だったとしても、それはそれで気まずいんですよ! 数年越しに『初めまして、数年前から同じ敷地内に住んでます〜』ってどんな顔して言えばいいんですか?」


「別に普通の顔で言えばよかろう。変なことを気にするやつだ」


く〜〜〜! 普通の顔って何だよ〜〜〜!


「……相談相手を間違えました。ルヴァ様に相談します」


「そうしろ」


こうして私は、早速本宅へと向かったのだった。


  *


ルヴァ様の執務室へ行くと、お仕事中だったのだが、手を止めて私の話を聞いてくれるという。なんて優しいおとうさまなんだろう。


「ご相談したいのは、アリーシャ様とカサル様へのご挨拶が出来ていないことについてです。先ほどヴィデル様にご相談したのですが、『必要ない』の一点張りで……」


「……そうか。必要ないと言っているか」


「はい……あの、ずっと気になっていて、でもずっと聞けなかったことがあるのですが、ヴィデル様はご家族と仲が悪いのですか? 何があったのでしょうか?」


「エリサには、話しておくべきだね。むしろ、今までよく聞かずにいてくれたね。ヴィデルや私が悲しい話だろうと思って、聞かなかったんじゃないかい?」


「……はい。でも、例え悲しい話であっても、ヴィデル様と結婚した今、ヴィデル様とご家族に何があったのか、知りたいと思いました」


「少し長くなるが、聞いてくれるかい?」


「はい! お願いします」


ルヴァ様は、体の前で両手を組み、ゆっくりと思い出すように話し出した。


「……ヴィデルの母親のディアが亡くなった後にね、私はすっかり空っぽになってしまったんだ。深く深く、ディアを愛していたから、心に空いた穴が大き過ぎたんだと思う。


ヴィデルは優しい子だから、私を散歩へ誘い出したり、自分で手料理を作ってくれたりと、あの手この手で私を元気付けようとしてくれた。でも、私に空いた穴は、ヴィデルにも埋められなかったんだ。


そんな時、アリーシャに出会った。見た目はディアとは全く似ていないのに、どこか同じ雰囲気があったんだ。そして、私は少しずつ、アリーシャ自身を好きになっていった。


アリーシャは、元々オウリー伯爵家に嫁いでいたんだが、生まれた双子の兄弟のうち、兄のラテルばかりを可愛がり、弟のカサルは要らない子として扱う夫に耐えられなかったそうだ。


それで、オウリー伯爵とは離婚し、カサルだけを連れてストレイン家に戻った。


そういう経緯もあって、私と結婚することになった時、アリーシャは、カサルとヴィデルを対等に扱ってほしいと何度も私に言った。


私は、もちろん、カサルもヴィデルも対等に扱うつもりだった。


でも……たまたま、カサルの方が歳上だった。


『本当の意味で』対等に扱うなら、歳上のカサルを後継にするべきだろうか。それとも、今まで後継として育て、そして立派な後継となるべく努力し続けてきたヴィデルを後継にするべきか。


私は、悩んだ。悩んでも悩んでも答えが出ず、ついに私は、ヴィデルの意志を尊重するという理由をつけて、ヴィデルにこう尋ねてしまった。『後継になりたいか?』と……。


最低だよ、父親としても、人としても。


ヴィデルはこう言ったんだ。『なりたくない。僕は魔道具を弄れれば、それでいい』と。


ヴィデルは賢い子だ。私の質問の背景を察して、自分が身を引くことで、私を助けようとしてくれたんだろう。……私がまた空っぽにならないよう、考えてくれたのかもしれない。


それから、ヴィデルは自分の部屋に篭るようになった。食事も、一人で取るようになった。


この後、ヴィデルに何度話をしても、ヴィデルを後継にしたいと言っても、『なりたくない』の一点張りだった。


そして、あいつは本棚三つ分の本を捨てたんだ……全部、将来立派な領主になるために、あいつが一生懸命勉強してきた本だった。


それからしばらく経った頃、ヴィデルが珍しく私のところにきて、私に『敷地内に研究室を作りたい』と言った。自分の居場所を、自分で作ろうとしたんだろう。


あいつは一部屋でいいと言ったけど、いつか、あいつに一緒に研究する仲間が出来たらと、離れの二階にはニ部屋作らせた。


そこへやって来たのが、エリサだったというわけだ。


……ありがとう、エリサ。ヴィデルの仲間になってくれて。そして、家族になってくれて」


私は、ルヴァ様の話を聞いて、居ても立っても居られなくなった。


お礼もそこそこに、ルヴァ様の執務室を飛び出した。


……ヴィデル様は、裁判の時、私が二度と家族に会わなくていいように、死刑を求刑してくれた。


ヴィデル様は、本当に死刑になればいいと思って言ったわけでは無いと思っている。ただ、私が悲しくならないように、家族と二度と顔を会わせなくて済むように、という気持ちが嬉しかった。


家族だから仲良くした方がいいとか、話し合えば分かり合えるとか、そういうことじゃない。


家族と顔を合わせるだけで、家族のことを考えるだけで悲しくなる気持ちを、ヴィデル様はよく知っていたんだ。


アリーシャ様やカサル様に結婚の挨拶をしないことで、私が気まずい思いをすることなんて、ちっぽけな問題だ。


ヴィデル様に悲しい思いをさせるくらいなら、挨拶なんて一生しなくたっていい。


勢いよく研究室に入ると、ヴィデル様はソファで本を読んでいた。……魔道具の本だ。


ヴィデル様は、私をチラリと見て、また本に視線を戻した。


そういえば、この部屋の棚を初めて見た時、ヴィデル様は少し驚いて、珍しくぼんやりとしていた。……本棚三つ分の本を捨てたから、本棚が三つ余っていたというわけだ。


あの時のヴィデル様の瞳に浮かんでいた、悲しい気配を思い出す。


私はヴィデル様の元へ歩み寄り、本を奪うと、ヴィデル様を抱きしめた。


「何するんだ、離せ」


ヴィデル様はそう言って、私を振り解こうとするが、気にしない。


「嫌です、離しません」


「…….何か、嫌なことを言われたのか?」


ヴィデル様は、いつも私の心配ばかりする。自分だって、たくさん辛くて、たくさん悲しい思いをしてきたのに。


「いえ、嫌なことなんて言われていません」


「じゃあ、なぜ泣いている」


「ヴィデル様の、話を聞きました。ヴィデル様が、辛くて、悲しかった話です」


「……俺は、辛くも悲しくもなかった」


「いいえ。ヴィデル様は、辛かったし、悲しかったんです」


「……」


「ヴィデル様、いつだったか、言っていましたよね? 私が、自分の過去は話していて悲しい話になってしまったと言ったとき、『同じだ、私も。おまえと』と」


「……」


「ヴィデル様は、悲しくて、辛いのが当たり前の経験をされたんです」


「……俺は、悲しかったのか?」


「そうです」


「俺は、辛かったのか」


「そうですよ」


その時、ヴィデル様の二つの瞳から、涙が一粒ずつ溢れた。


私の手でそっと涙を拭い、またヴィデル様を抱きしめる。


「ヴィデル様には、私がいますよ。ずっとずっと、そばにいますよ」


そっと、ヴィデル様の頭を撫でる。怒られないので、しばらく撫で続けた。


ヴィデル様は、私の手を振り解くことはなく、されるがままにしていた。


この人を大事にしたいと、心の底から思った。


お読みいただきありがとうございます!!


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― 新着の感想 ―
[一言] 正当な血筋の子がいるのに、 全く関係の無いよその子が後継者になるなんて、 血統重視の社会で 陪臣や親戚筋が許さないんじゃないかな。 今後にも目が離せませんね!
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