結婚
二十六話
「エ、エリサ……!」
十日ぶりくらいに見た父親は、複雑な表情をしていた。驚きと、喜びと、怒りが混じったような、そんな印象を受けた。
そして、勢いよくこちらへ歩み寄ってくると、外から窓ガラス越しに馬車内を覗き込んだ。そして、窓ガラスを二回叩いてこう言った。
「おまえに話がある。降りてこい」
いささか乱暴な口調に、良い話ではないことを確信するが、こちらは主人を待つため停車中の馬車内だ。逃げることも隠れることもできない。
なかなか降りてこない私に痺れを切らし、外から馬車のドアを開けようとする父親から、切羽詰まった雰囲気を感じる。
何だか怖い。まるで知らない人みたいだ。
ドアに鍵が掛かっており、開かないと分かると、父親は一度建物の方へ戻り、店の前に飾られた壺のようなものを持ち上げ、またこちらへ向かってきた。
まさかあれで窓を割るつもりなの!?
あまりの恐怖に、父親がいる側の窓からなるべく離れ、床にうずくまる。
ところが、窓が割れる音の代わりに悲鳴が聞こえてきた。
「うちの馬車に何か用か」
悲鳴の後に聞こえてきたのは、これまでに聞いたことがない、恐ろしい口調のヴィデル様の声だ。
ヴィデル様が来てくれたならもう安心だろう、と顔を上げて外の様子を窺う。
すると、ヴィデル様が父親の腕をねじり上げており、悲鳴を聞いて駆けつけたのであろう御者が、手に持っている鞭で父親を縛り付けようとしている。
父は、必死に抵抗しながら、話し出した。
「エ、エリサの、エリサの作った魔道具はどこだ」
「そんなものはない」
「嘘をつけ! 私は、知っているんだ、エリサが研究所でやっていた、魔道具開発が、エリサがいなくなってストップしたんだ。と、いうことは、エリサが隠しているか、売り捌いたか、どちらかだ」
男二人に押さえつけられ、息も絶え絶えに父親が語ったことは、私の話のようで、一つも私のことを話していない。
全て、私が作ったものの話だ。
「ほう、その話をどこから聞いたんだ?」
「マ、マックレル家だ。研究所に出資していたが、研究が、ス、ストップされて困っていると。しかも、その研究には王家もアトラント辺境伯家も出資していたというじゃないか」
マックレル家とは、元婚約者のシアンの家だ。マックレル家から僅かだが出資してくれているというのは、シアンから聞いていた。
「それを聞いて、自分の娘に予想外の価値があるのではないかと推測し、手放すのが惜しくなったというわけか」
「お、王家が出資するほどの魔道具だぞ? しかも、こないだご丁寧にアトラント辺境伯家の当主がやってきて、エリサに関する権利を手放せと言ってきた」
「なるほど。それでエリサとエリサの作る魔道具の価値を確信し、わざわざここまで確認しに来たというわけか」
「……私らが聞いていたエリサの給料は、至って普通だった。それに、王家が出資するほどの研究をしていることも、私らに黙っていた。……なぜ隠していた、エリサ! 私はお前の親だぞ! おい、エリサ! 聞こえているんだろう!」
途中から怒鳴り出した父親の声に、思わず身が竦む。昔の父は、あんな声で怒鳴るような人ではなかったのに。
「エリサは何も隠していない。強いて言うなら、隠していたのは研究所の方だ」
「何だと?」
「……血のつながった娘を信じず、その努力も才能も知ろうとしなかったくせに、生み出す価値だけ奪おうなど反吐が出る」
「さっきから偉そうに! おまえは何なんだ! 我が家の問題に口出しするな!」
「エリサは私の元で、正式な契約に基づき働いている。口出しする権利はあると思うが」
「な、なんだと? おまえはアトラント辺境伯家の人間か?」
「ああ」
「契約があろうとなかろうと、エリサは私の子供だ。親が口出しして当然だろう。エリサは戸籍の上でも、れっきとしたストラード家の人間だ」
「ほう。そうか」
そう言って、ヴィデル様は父親を御者に押し付け、こちらへやってきた。
いつの間にか、周りには人だかりができている。
馬車のドアを開け、私に手を差し出すヴィデル様。
どういうつもりか分からず戸惑っていると、優しく私の手を引き、私を馬車の外に降ろした。
私に向かって喚いている父を無視して、ヴィデル様は私に問いかけた。
「おまえはどうしたい? あの家に戻りたいか?」
「……いいえ、絶対に戻りません。戻りたくありません!」
「良い返事だ」
そう言ってヴィデル様は、また父に向かって口を開いた。
「戸籍がどうのこうのと言うのであれば、エリサの藉はすぐにでも移そう。それで文句無いな?」
「ど、どういうことだ?」
「エリサは、私、ヴィデル・アトラントと結婚する。これまでエリサを育ててくれたことに感謝しよう。そして、あなたと会うことは二度とないだろう」
そう言って、ヴィデル様は微笑むと、父親の腕を掴み、駆けつけた衛兵に向かって投げるように突き出したのだった。
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