見たことのない景色
ものすごくいい匂いがして目が覚めた。
目を開けると、ヴィデル様の両手には美味しそうなホットサンドがある。
「朝食だ。食え」
「はぁ、ありがとうございます。いただきます」
そのうち片方を受け取り、とりあえず一口齧ると、チキンとトマトとチーズとハーブの味がした。とにかく美味しいやつだ。
黙々と食べ、完食すると、今度はお水の入ったカップを渡された。
とりあえず一口飲んでみると、ほのかにレモンの香りがする。口がさっぱりする美味しい水だ。
ごくごくと全部飲み切った。
「ふっ」
ヴィデル様が笑った。珍しく、優しい笑い方だ。
「何で笑うんですか?」
「犬より犬らしいな、おまえは」
表情は優しくても、言うことは酷い。
ヴィデル様はいつの間にか脱いでいたジャケットを羽織り、シャツの襟を軽く直している。
「アジュリアに入ったところだが、一件寄るところがある。ここで待て」
ドアを開けて出て行ったヴィデル様を目で追っていると、高い建物に入っていくのが見えた。
周囲の看板などに書かれた文字から、ここはアジュリアの商工会議所のようだ。
ふと、こないだヴィデル様が研究室で処理していた書類の束を思い出す。中身は、魔道具や魔石に関する領内からの要望書だったはずだ。
ヴィデル様は、ウィザーズネビュラの他にも何箇所か用があると言っていたから、要望書の出所を回って話をしたりするのかもしれない、と思った。
*
窓の外を眺めながら、頭の中で、耐魔室が完成したらやりたいことを整理していると、ヴィデル様が出てくるのが見えた。
遠くから見てもかっこいい。
ヴィデル様が馬車に乗り込むと、程なくして馬車が動き出した。
商工会議所のあたりは、まだ緑も多く、建物は茶色や白といった落ち着いた色合いのものも多かったが、進めば進むほど様々な店が増えてきて、色彩豊かな町並みが姿を現した。
馬車の中にいても、あちこちから売り買いや品定めのため店員とやりとりする声が聞こえてくる。
私のお目当ての、家具屋らしき看板もちらほら見えた。
窓にかじりつく私に、抑揚のない声が掛けられた。
「用事が全て終わったら連れて行く。それまで待て」
……心を読まれている。この人は、人の心を読めるのかもしれない。
そんなわけないと思いつつも、これまでヴィデル様を前に、心の中でまずい発言をしなかったか、気になってくる。
記憶を辿り、思い出そうと試みたが、大したことは思い出せない。大したことがない、ということは、問題ないということだ。
……そのとき、窓の外から見える景色に、私は一瞬で心を奪われた。
まだ朝なのに、その一帯だけ仄暗い。そして、様々な大きさの色とりどりのライトが、至る所で光り、周囲をぼんやりと照らしている。
見たことのない光景だった。ここには、幻想的で妖しい雰囲気と、陽気で活気のある雰囲気が共存している。
聞かずとも分かる。ここがウィザーズネビュラなんだ。
ネビュラとは、星雲という意味だと聞いたことがある。ウィザーズネビュラとは、たくさんの魔道具が星の数ほど集まるという意味でついた名前だと思っていたが、この光景にぴったりな名前だと思った。
すると、馬車が止まった。
「何件か回ってくる。待っていろ」
私も行きたい! 私も行きたい! 私も行きたい!
ヴィデル様を見つめ、心の中で全力で叫んでみたが、その声は届かなかったようだ。
一人でさっさと馬車を降りたヴィデル様は、目の前の建物に消えて行ってしまった。
だが、魔道具屋を見て回れないとしても、この景色を見れただけで、連れてきてもらった甲斐があった。
窓の外を食い入るように見ていると、見知った後ろ姿が視界に入った。
ここはアトラント領内であり、見間違いだろうと思うのに、目が離せない。
その人が振り返り、目があった。
「お、お父様!?」
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