不安
同じ内容の契約書二枚にサインをし、そのうち一枚を執事に渡した。自分用のもう一枚は、部屋のチェストにでもしまっておこう。
「セドリック様、ティオナから聞きました。その……、身の回りの物を買うお金のこと。ありがとうございます」
「私は何もしておらんよ。お礼なら、ルヴァ様に言うんだな。魔道具師としてこの屋敷にいるんだ、またお話しする機会もあろう」
「はい!」
執事は、契約書を手に帰っていった。
ヴィデル様との話の中で挙がった課題を、忘れないようにメモしていると、ティオナが夕食を持って来てくれた。
「エリサ! 夜ごはんよ!」
食事が載ったトレイを置く場所を空けるため、テーブルの上の紙類を雑に片付ける。
「ふふ、エリサの令嬢時代が想像できないわ」
ティオナはにこにこしながら、トレイを置いてくれた。
「今の生活が好きすぎて、もう令嬢に戻れる気がしないわ。戻りたいとも思わないけれど」
「あなたのそういうところ、素敵よ」
どういうところかは分からないけど、褒められて嬉しい。照れている私を見て微笑むと、ティオナは出て行った。
目の前にあるのは、鶏肉のソテーとホワイトシチューにバゲット。
お肉だ! やったー! いただきます!
お肉の味を噛み締めながら、頭の中でアイディアを出してはダメ出しし、違うアイディアを出すことを繰り返す。
使えそうなアイディアを閃くと、紙にメモしていく。
……楽しい。そして、幸せ。
その気持ちが日に日に大きくなるにつれて、心配なことがあった。
それは、『もし私が義妹のテレシアを刺していないことが証明されたら、私はどうなるのか』ということだ。
例えば、もし真犯人が自首したら?
もし、元婚約者のシアンが密かに調べていてくれたら?
無いとは思いつつ、わずかな可能性を考えてしまう。
家からの勘当も、研究所からのクビも、婚約者との破談も、全て口頭で言われた。
何も、証明するものがない。
もし、所長が逆恨みして、研究所との契約書を持ち出して戻れと言ってきたら?
もしも、の考えが頭から離れず、ティオナがトレイを下げた後も、机から離れられなかった。
……今日は、もうヴィデル様はこっちに来ないのかな。
不安になったからだろうか。今、誰かにいてほしいと思っている。
昨日一緒に食事をしたばかりだ。また今日も食事をしに来ることなんて、ないだろう。
そうやって、期待しないように、何度も気持ちに蓋をするが、どうしても入口から目が離せない。
……カチャリ。鍵が開いた。
そして、サラサラの金色の髪が目に入ると、思わず涙が出て、視界が滲んでしまった。入口に立ったままのヴィデル様の、表情が分からない。
「……誰かに何かされたのか?」
いつもの、低くて無愛想な声が響く。
私が首を何度か横に振ると、ヴィデル様は両手に抱えた荷物を入口に下ろし、こちらへ近づいてくる。
そして、何も言わずに私の隣の椅子に座り、私の涙が落ち着くまで、そのままでいてくれた。
しばらくして、ヴィデル様が口を開いた。
「頼まれていた、素材や魔石を買ってきた。……何があったか知らんが、おまえは俺の言う通りに進めばいいだけだ。余計なことを考えるな」
聞きようによっては、『指示された仕事だけしていればいい』とも受け取れるが、ヴィデル様の真意はともかく、今の私にはありがたい言葉だった。
その後、ヴィデル様は二階に上がっていき、なかなか降りて来なかった。調べものか何かだろうか。
今日はもう、仕事をする気にはなれないし、お風呂も明日にして、早く寝よう。
なんとなく、私が二階に上がることをヴィデル様に気付かれないように、足音を消して静かに歩く。
自室のドアを開け、音を立てないよう寝巻きに着替える。
そっとベッドに横になると、ヴィデル様の部屋から、本棚から本を出したりしまったりする「カタン、コトン」という音が聞こえてきた。
時々聞こえてくるその不規則な音を聞きながら、眠りに落ちたのだった。
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