表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

前編

 この国の王位後継者は、配偶者を迎えて一年経っても懐妊の兆候が見られない場合、二人目の配偶者を迎えるという不文律がある。

法で強制こそされていないが、従わなかった者は暗黙の了解で王位から退いてきた。


 今の王配は勇猛果敢な騎士団長ワイアットだが戦場での残虐さでも有名だった。

まだ年若い女王が威圧感のある騎士団長を怖がり初夜さえ済ましていないのではないかと噂されるほど、普段からまともな会話すら無い二人は子を授かれないまま、とうとう一年が経とうとしていた。


「どうでしたか?」

年老いた宮廷医に不安そうに聞くアリーナ女王陛下は儚く可憐な見た目をしている。

飾り気のない白いシーツの診察台にあっても、流れるように広がる金の髪が美しい。

「残念ながら……」

アリーナは眉を下げる宮廷医を見たあと、王家特有の菫色の目を静かに閉じた。

「そう……最後のチャンスだったのに」

小さな頃から女王を見守って来た宮廷医は無念さがこみ上げこぶしを握る。

この腰の曲がった小さな老体では背の高いワイアットの顔には届かないだろうが、朴念仁の王配を殴ってやりたい。

せめて女王と一緒に悲しんで慰め合ってくれればいいのだが、あの不器用な性格では無理だろう……。


 世間の噂と違い夫婦の間に行為はあったが、いかんせんワイアットが結婚して直ぐに半年間戦場に出ていた上に、夜の誘いの言葉も言え無い程に口下手な夫なのだ。

恥ずかしさを押し殺しながら「今夜お待ちしております」と声を掛けるのはアリーナにとってもハードルが高くどうしても回数が少なくなってしまう。


「次の夫を決めなくてはいけないのね……」

執務机に乗せられたリストをぼんやりと眺める。一か月以上前に渡されたリストを今まで無視してきたが、次の夫を決めなければ私の退位を支持する風が吹く。

王位に未練はないが、一人っ子の私が退いてしまうと国を混乱させることになる。

兄弟を作ってあげられなくてごめんねと謝る心優しい両親をこれ以上悲しませるのは忍びない。彼らだって第二子を望んで、ありとあらゆる手を尽くしたのだ。

だが成人したての娘に王位を譲るほど王自身が病弱で寝込みがちだった。

むしろ私が産まれた事すら奇跡だったかもしれない。


 ワイアットと宰相を執務室に呼び、心を押し殺し端的に告げる。

「次の夫を選びます。つなぐべき縁はありますか?」

ワイアットの方は見れなかった……。


彼を愛している。

彼にとっては断れない命令のような結婚だっただろうが、私は子供の頃からワイアットとの結婚を夢見ていた。

幼いころから傍で守ってくれていた屈強な護衛騎士のお兄ちゃん。お転婆な私を心配していたお兄ちゃん。

木に登った私に無言で両手を差し出しながら心配のあまり瞳を揺らすワイアットの事が憧れから好意に代わったのは早かった。

いつでも助けの手を伸ばせるように、張り付くように後ろを歩く無口で優しい彼を好きになった。

それが護衛騎士の仕事だと言えばその通りだ。だけど無愛想な彼から優しさが垣間見える度、勝手に胸が高鳴ってしまったのだから仕方がない。

彼が護衛騎士の任を解かれてからも、遠くからでも姿を見たいとついつい目で探してしまう日々を過ごした。

幼い頃に無邪気に告げた「大きくなったらお嫁さんにしてね」の言葉は「王配になるつもりはありますか?」と言葉を変え、否を受け付けない命令となった。

「謹んでお受けいたします」と頭を下げたまま短い返答をした彼の表情は窺えなかった。

だが部屋を出て行く際、一瞬だけ見えた横顔は歯を食いしばっていた。

――――あの時、愛してしまった事を初めて悔やんだ。


政略的には国防を担う騎士団長との婚姻に問題は無かった。むしろ国に安定をもたらす。そこに付け込んで彼を無理やり縛ってしまったのだ。

自分勝手な恋心を押し付け彼の一生を狂わせてしまった。

恋人がいたかもしれない。結婚を約束していたかもしれない……恨まれても仕方がない。



「外交的には隣国の第三王子のルーカス殿下をお迎えするのがよろしいでしょうが、どの近隣国とも安定した関係ですので、他に選ぶものが居なければという程度でしょう」

宰相の言葉に現実に引き戻される。

今日どうしても夫に告げなければいけない。離縁してワイアットを自由にしてあげると。

「内政を優先するなら私が一番でしょうね」

離縁の申し出をすることに気を取られていて宰相の言葉を理解するのに時間が掛かった。

「……あなたと?」

「はい、陛下より八歳上ではございますが、ワイアット殿が十歳年上なので問題にはならないでしょう。内政も安定はしておりますが、お若い陛下に不安を覚える方もおります」

「エヴァン!陛下に向って不敬だ!直ちに取り消せっ」

ワイアットは普段は宰相を名前で呼んでいるのね。私の名前は閨でも呼んでくれないのに。

男性に対して嫉妬するなんて馬鹿げているけれど、それほどまでに彼を愛している。

「事実でございます。お飾りの女王になりたくないのであれば、耳が痛い事も知って頂かなければなりません。私、というか宰相との婚姻となれば不安の声も消えますし……私は陛下に真実をお伝えすると誓います」

玉座についた当初、私に上がってくる話は耳障りの良い上っ面な話ばかりだった。

どうせ理解できないだろうと、議会で決まった話に承認印を押す事だけを求められた。

その中でエヴァンだけが真実を教えてくれ、一生承認印を押すだけの人生を送りたいのかと問うてくれた。

議会で議員たちに馬鹿にされないように、夜遅くまで勉強に付き合ってくれた。

ワイアットが女王の剣なら、エヴァンは女王の頭脳だ。彼のお陰で今の私が作られたと言える。この一年、彼に対する信頼は増すばかりで減ることは無かった。


エヴァンは第二夫となって、内政を掌握したいのかもしれないし、国を動かすことに挑戦したいだけかもしれない。

でもギブアンドテイクの関係として割り切ればいい。少なくとも差し出せるものがある。奪っただけのワイアットとの関係とは違う。

「前向きに検討します。他に優先すべき候補はいますか?」

「陛下!エヴァンの口車に乗せられてはいけませんっ。彼は腹の中は真っ黒です!」

「ワイアット殿、ひどい言い草だな。宰相なんて仕事は腹黒じゃないと務まらないんだよ。陛下が私を選んでくれるなら後悔はさせない」

私に決断を迫るエヴァンの強い視線を目を伏せることで断ち切る。

「エヴァン、他に優先すべき候補は?」

もう一度尋ね、残念そうな表情になったエヴァンと、彼を睨むワイアットを無視して話を進める。

こんな話は早く終わらせてしまいたい。今日候補を絞り、次の話し合いで決定しよう。


 今後の人生を左右する決断だと分かっているが、国に取ってマイナスにならない人物なら誰であっても受け入れる。プラスになるなら歓迎もする。

それにワイアットを手放してあげる為には新たな王配が必要不可欠だもの。

「そうですね、私かルーカス殿下をおすすめしますが、あえて次を挙げるならおいとこ様ですかね」

「テオ様だと!?まだ子供じゃないか!」

私のいとこはまだ十四歳だ。彼が十六歳になるまで婚姻は出来ない。

「お前、自分が選ばれるように問題のある人物ばかり提案していないか?ルーカス様も放蕩者だと聞いた事があるぞ!」

ルーカス様はともかく、いとこは結婚さえできないのだからそう思われても仕方ないだろう。

「まさかそんなことはありませんよ。貴族たちが虎視眈々と自分の息子を第二夫にしようと狙っているのは、ワイアット殿もよくご存じでしょう。しかし隣国の王子を第二夫にすれば貴族たちは黙るしかない。ルーカス殿下は放蕩者ですが腐っても王族です。それに……何より美丈夫ですからねぇ。どちらに似ても綺麗な子供が産まれます。国民だって人間ですから綺麗な子が産まれれば喜びますよ」

「顔で夫が決められるか!国民だって放蕩者が我が国の王家に入るなんて納得しないだろう!?」

「彼は……まぁ恋多き男ですから経験豊富なんですよ。誰かさんと違って、陛下を上手に導いていく手腕があるでしょうね。その分懐妊の可能性も上がります。国民だって子供が出来れば放蕩者の夫にも目をつぶりますよ」

ワイアットが唸るような声を上げ黙ってしまった。

ルーカス様にお会いしたことはあるが、珍しい銀髪だったと覚えていても顔はぼんやりとしか思い出せない。幼少から今までワイアットしか目に入らなかったので、他の男性に対して異性としての興味はなかった。

「ルーカス様のことも、貴方のことも候補として検討します。でもいとこのテオのことはどうなの?テオはまだ十四歳よ。婚姻できないわ」

「テオ殿については……保険を掛けることが出来ます。テオ殿と婚約することで周囲を黙らせ、テオ殿が成人するまでにワイアット殿との子が出来れば良し、出来なければ予定通りテオ殿と結婚して一年以内に子供を作る。そしてそれでも子が出来なかった場合、陛下が退位してテオ殿に王位を譲るための布石にもなります」

金属の擦れる音がして、机を飛び越えたワイアットがエヴァンの首に剣を当てる。

「お前っ!どれだけ陛下を虐げれば気が済むんだっ!今すぐっ!この場でっ!首を切り落としてやるっ!!」

「っ!ワイアット!剣を収めなさい!やめなさいっ!」

ワイアットの背中に飛びつき剣を持つ手を押さえる。

「しかし、このくそ野郎がっ!!」

「良いのです。真実です。二人の夫を迎えたにもかかわらず、子が出来ないなら私に問題があると判断されます。そうなればテオに王位を譲らねばなりません」

「しかしテオ様が王位を継げば、あなたの立場がっ!」

テオの母は私の父の妹だ。私の世代で王家に一番近い血筋はテオになる。それにテオが父の養子になり跡を継ぐ案は昔からあった。

ただ王の資格は成人にしか許されない。父が病弱だったので、テオが成人するまで生きていられるか疑問視する者も多かった。

だから王不在の期間を作らないためにテオより三歳年上の私が即位したのだ。


 私に子が出来ないとなると、テオが王位を継ぐのは間違いない。この先二十年も私を女王に据えたまま、テオの子が成人して私の養子になるまで国民は待ってくれない。

昔から王家には子が出来にくい。何世紀もの間、常に国民は王家の後継ぎを熱望する日常を送って来た。

懐妊するだろうか?無理じゃないか?と、不安と疑心と共に過ごしてきたのだ。

王政が安定しているからこそ、それが続くように願う。そのためには後に続く王が必要なのに子が出来にくい。

だから国民は後継ぎ問題にはシビアだ。作れないなら次の伴侶を、それでも無理ならもっと伴侶を取れ。それでも無理なら子を作れる王に代われ。

厳しい声にさらされながら、空っぽのお腹のまま座り続ける王の席は針のむしろのようにも思えた。


「私の立場などどうなっても構いません。国民も私の退位を望むでしょう。さぁワイアット落ち着いて。座ってちょうだい」

ゆっくりと元の席まで歩く背中はいつものワイアットより一回り小さく見えた。

彼にも苦労を掛けた。嫌な言葉を何度も言われただろう。

抱きたくないのに抱いた日もあっただろう。それでも懐妊しないことに無力感を感じたに違いない。でももうすぐ自由にしてあげられる……。

「ワイアット殿、今更悔やんだってどうにもなりませんよ。毎晩二人で過ごしていれば違った結果だったかもしれない。あなただってもっと努力するべきだったんだ」

「エヴァン!口が過ぎます!ワイアットは努力してくれました。王族とはいえ夫婦のプライベートなことに口出しは無用です」

珍しく声を荒げてしまったが、ワイアットが責められる事だけはさせてはならない。すべての責は私にある。

「……申し訳ございません。そうですね。剣を向けられカッとなってしまったが口出しすべきことではなかったですね。第二夫の話に戻りましょう」

ワイアットと二人になってから告げるつもりだったが、今、告げる方が良いだろう。

迎える夫が第二夫と第一夫では候補が違うかもしれない。

少なくてもテオとの婚約話は無理だ。国民はワイアットと離縁して、テオと婚約しただけでは納得しないだろう。

すぐに子作り可能な新しい第一夫を選ぶ必要がある。

熱くなる目頭をまばたきで振り払う。私が悲しむことは許されない。

「ワイアット……あなたには感謝しています。今まで本当にありがとうございました」

「陛下?いったい何を……」

最後まで名前で呼んでもらえなかったわね。

愛する人の妻で居られた日々は悲しくもあり幸せだったわ。

「離縁しましょう」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ