Not Companions
「風香、おつかれ~」
「あ、彩菜。おつかれ」
講義が終わって帰ろうとすると、友達の井上彩菜に話しかけられた。
「勉強頑張ってるの?」
彩菜が聞いてくる。
「頑張ってるよ。心理カウンセラーになるんだもん」
私は中学生の頃からの夢の心理カウンセラーになるために、今年の四月に地元の大学の心理学部に入学したのだ。彩菜はふーんとうなずいてから話題を変えた。
「ねぇ風香、私軽音楽部に入ってバンド組んでるんだけど、風香も軽音楽部入らない?」
「軽音楽部?」
今まで音楽に縁がなかったから考えたこともなかった。
「でも私音楽なんかやったことないよ?」
「大丈夫だって。私だって初めてだけど先輩がいろいろ教えてくれるし」
彩菜は楽しそうに言う。
「軽音楽部の友達が、ギタリストを一人募集してるんだって。入ってあげてよ」
ギターか。やったことはないけど少し興味はある。私は彩菜と一緒に軽音楽部の部室へ行くことにした。
部屋に入ると、楽器の音が騒がしく鳴り響いていた。広い部屋に3~6人のグループがあちこちにできている。1番手前で練習していたグループの1人の男性が私たちに気づいて話しかけてきた。背は小さめでおとなしそうだ。何かに怯えていそうなおどおどした感じだ。
「彩菜、その子は?」
「町村風香ちゃんだよ。見学したいって」
「そうなんだ。僕は谷口蓮です。ボーカルやってます。よろしく」
蓮と名乗った男性はキョロキョロしながらそう言った。
「町村風香です。よろしくお願いします」
すると蓮の後ろでドラムを叩いていた男性も近づいてきた。
「俺は西本健司です。よろしく。ちなみに蓮とは小学生のときからの付き合いだよ」健司は体つきががっちりしていて迫力がある。さらに、その横にいた綺麗な黒髪の女性も、
「上田優希です。ベースやってます」
と自己紹介してくれた。
「僕たちこの3人でバンドを組もうと思ってるんだけど、ギタリストがまだ見つかってなくて。よかったら町村さんやってくれないかな?」
蓮が緊張気味に言う。
「え、いやでもギターなんかやったことないし」
そもそも軽音楽部に入るともまだ言っていないんだが…。すると彩菜が口を挟む。
「だから大丈夫だって風香。みんな初めてなんだから」
「そうそう。これから練習すればいいよ」
健司も加わる。
「…じゃあやってみます」
全く自信がないが、楽しそうだと感じたのは確かだ。とりあえずやってみよう。
「やった!私は別のバンド組んでるけど一緒に練習しようね風香!私もギターだし」彩菜が嬉しそうに言う。
「ありがとう町村さん。助かるよ」
健司もニコニコして言った。その日のうちに私は正式に入部し、3人とのバンド活動が幕開けた。
次の日講義が終わって部室に入ると、
「風香、こっち!」
と優希が手招きしている。小走りでそこまで行くと、
「自分のギター買うまでこれ使ってくれ」
と健司に部室にあったギターを手渡された。
「うん。ありがとう」
「…僕たち3ヶ月後にライブに出るんだ。初めてだからどんな感じかわかんないけど頑張ろう」
蓮がスマホのカレンダーを見せながら言う。3ヶ月後のライブで、Night Berryというバンドのコピーバンドをやるのだと聞かされた。
「俺の尊敬するバンドなんだ。ほら、これライブ映像。かっこいいだろ?」
健司が楽しそうにパソコンの画面を見せてくれる。みんなが本当に楽しんで音楽をやっている感じでキラキラしていた。
「さぁ、練習しよう!」
健司が手を叩いて言う。私はそれから先輩のギタリストの人たちにギターの基礎を教えてもらった。難しかったが思ったよりも奥が深いようで面白かった。教えてもらったコードの練習をしながらちらっと横を見ると、蓮がボーカルの練習をしていた。あのか弱そうな身体からは想像できないほどしっかり歌声で、思わず聞き入ってしまっていると、健司が話しかけてきた。
「風香、疲れたら休憩しろよ」
「うん。ありがとう」
健司はドラムのスティックをクルクル回しながら続ける。
「何かあったら相談しろよ?て言っても俺も音楽初めて数ヶ月だけどな」
そう言ってニヤッと笑った。
「ありがとう」
私も笑顔で返す。不安はあるけど、このメンバーなら楽しくやれそうだ。
「え?バンド組むの?」
その日家に帰ってお母さんに話すと意外そうな顔をされた。
「うん。やっぱ向いてないかな?」
心配になってそう聞くと、
「そんなことないよ。ちょっと意外だったけど風香ならできるよ」
と答えてくれた。しかしお母さんは少し眉をひそめて、
「…プロになるなんて言わないよね?」
私は思わず飲んでいた紅茶を吹き出しそうになった。
「言わないよ!ただの趣味としてだよ」
「だよね。よかった」
お母さんは安心したようにコーヒーを口に運んだ。
午後からは健司の家に集まって練習し、休憩のときにみんなでバンド名を考えた。
「Companionsとか、どう?」
健司が提案した。
「英語で、仲間」
「え、ちょっとダサくない?」
優希が照れたような呆れたような表情で言う。
「いいじゃん。Companions。なぁ、風香」
健司が私を見て言う。
「うん、いいと思う」
Companions。少し照れくさいような気もするが、素敵な名前だと思った。こうやって私たちのバンド名はCompanionsに決まった。
そして3ヶ月後。いよいよライブの日。だいぶ簡単にアレンジしてたくさん練習したが、できる気がしない。不安しかないままステージに上がる。それは他の3人も同じのようでみんな表情が硬い。
「みなさん、Companionsです!楽しんで行ってください!」
蓮の声がライブハウスに響き渡る。そこから何が何だかわからないまま曲が始まり、気づいたら終わっていた。全く上手くできなかったと思うが、今まで味わったことのない興奮があってしばらくぼーっとしていた。
「みんなお疲れ様!楽しかったな!」
健司の声でようやく我に返った。
「すごかったね!風香ギターめちゃくちゃ良かったよ!」
「ありがとう!ベースも最高だった!」
私は優希と抱き合った。
「無事に終わってよかったな!みんなありがとう!」
健司も興奮しているようだ。音楽が、バンドがこんなに楽しいなんて知らなかった。もっともっと練習して上手くなって、自信を持ってステージに立てるようになりたいと心から思った。
「Companionsめっちゃよかったじゃん!」
同じくライブに出ていた彩菜がそう言ってくれた。
「ありがとう!Sunnyもよかったよ!」
Sunnyは彩菜が組んでいるバンドの名前だ。すると彩菜は顔を近づけて言った。「ねぇねぇ風香、マジでCompanionsでプロ目指せるんじゃない?」
「へ?プロ?」
思わず変な声を出してしまった。
「めっちゃよかったからさ、それも考えてみたら?」
そう言うと彩菜は自分のバンドの元へ戻って行った。プロという言葉がやけに胸に残ったが、その後の打ち上げでその会話はすっかり忘れてしまった。
それからさらに3ヶ月経つ頃には、毎日講義が終わると4人で練習して、休みの日も毎日遅くまで練習して、完全に音楽中心の生活になっていた。今日も大学は休みだったが練習して、遅くに家に帰ると、お母さんが心配そうに話しかけてきた。
「風香、毎日遅くまで練習して、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ」
私は上着を脱ぎ捨てながら言う。
「勉強もちゃんとしてるんでしょうね?あんた、心理カウンセラーになるんでしょ?大学院行くんでしょ?」
私は心理カウンセラーになるための「公認心理師」の資格をとるために大学院に行くつもりだった。でも、その気持ちが薄れてきている自分がいた。
「そんなことで大丈夫なの?」
お母さんがさらに聞いてくる。
「わかってるよ!私もう大学生だよ?ほっといてよ!」
「あなたのことが心配なのよ!お母さんは、風香には幸せな人生歩んでほしいの!」お母さんの言葉を無視して私は部屋に逃げ込んだ。ベッドの上でうずくまる。私は高校時代頭が良かったわけじゃないから、大学受験のときかなり頑張った。辛くても、いろんな人に寄り添える心理カウンセラーになりたくて、頑張った。でも、その気持ちが変わってきていることに気づいた。気づかないようにしていたけど、気づいてしまった。心理学の勉強よりも、心理講習よりも、バンドの活動をしているときの方が圧倒的に楽しくて、生きている実感がするということに。
「ちょっとオリジナル曲作ってみたんだけど…」
次の日、昨日のモヤモヤを感じながらもメンバーと練習していると、休憩のときに蓮がパソコンを開きながら言った。
「え、すごい!」
「先輩たちに教えてもらいながら、短いけど作ってみた」
連はそう言って恥ずかしそうにうつむきながらデモを聴かせてくれた。曲名は「仲間」。仲間の大切さや尊さが謳われた曲だった。
「めっちゃ良いじゃん!」
私は心からそう言った。健司と優希もうなずいている。
「次のライブまでまだ時間あるから、次この曲やってみないか?」
健司が言った。
「賛成!やりたい!」
優希が言う。
「風香もいい?」
健司が私に聞く。
「うん!もちろん!」
ワクワクする。初めてのオリジナル曲だ。
初のオリジナル曲披露の前に、私たちは2年生に進級した。気持ち新たに頑張ろうと4人で焼肉を食べに行ったその帰り道、お母さんからLINEが来た。
『風香、まだ帰らないの?』
「今から帰るよ」
そういえば、バンドの練習に夢中で、最近お母さんたちと話していない。
『来週の日曜日、久しぶりに家族で映画にでも行かない?』
お母さんからそう誘いが来たが、
「ごめん、その日ライブあるから」
するとこう返事が来た。
『風香、バンドもいいけど、他のこともきちんとしなさいよ』
「わかってるよ」
私はスマホの画面を閉じた。正直家族との関係はあまり良くないが、その不安よりも、来週のライブへの期待の方が大きいのだった。
「カンパーイ!」
日曜日、ライブを終えた私たちは健司の家に集まってジュースで乾杯した。
「今日は特によかったな!」
健司が満足そうにジュースを飲み干す。初のオリジナル曲は緊張したが、練習の成果を発揮できた。お菓子をつまみながら感想話で盛り上がる。
「蓮のあのハイトーンめっちゃよかったね!」
「風香のイントロのギター最高だったよ!」
「ベースがよく響いてたよね!」
「あそこのドラムソロかっこよかった!」
なんてことないポテトチップスがすごく美味しい。
「ちょっと話があるんだけど…」
だいぶ落ち着いてきたころ、健司が切り出した。
「何?」
優希が聞く。健司はゆっくりと話し始めた。
「俺さ、軽音楽部に入ったとき、バンドは趣味でいいと思ってた。でも、この4人で練習して、ライブやってめちゃくちゃ楽しくて、趣味だけで終わらせたくないと思うようになったんだ」
私は胸がドキッとした。最近私が思っていることと全く同じだったから。健司は一呼吸置いてから続けた。
「よかったら、4人でプロを目指さないか?」
健司はそう言い切ると3人の顔を見渡した。私も、一回目のライブのときに彩菜に言われてから、プロになりたいと意識するようになっていた。だけど、健司の言葉にすぐに返事することができなかった。
「…ぼ、僕も、ずっとそう思ってた」
沈黙を破ったのは蓮だった。
「…4人で音楽をやるのがめちゃくちゃ楽しくて、でも2年後に大学を卒業したらそれで終わりになっちゃうのかと思ったらすごく悲しいしもったいなって」
蓮はじっくりと言葉を思いだすように話す。
「私も、みんなとずっと一緒にやりたい」
優希も言った。
「風香は、どう?」
健司が私の顔を覗き込むようにして聞いた。
「私も、この4人でずっとやりたい。でも、こんなことして良いのかって思っちゃうの」
「どういうこと?」
私は拳を握って続ける。
「3年前、私が高校生のときね、妹が誰かに殺されたの」
隣にいる蓮が息を飲むのがわかる。
「もちろん私もめちゃくちゃ辛かったけど、特にお母さんが病んじゃってね。一時期精神科に入院してたの」
私は当時を思い出して泣きそうになる。友達と遊びに行くと家を出たきり帰って来ず、翌日遺体で発見された二つ下の妹。犯人は今も見つかっていない。事件の後しばらくの間マスコミなどが毎日私たち被害者家族のもとを訪れ、普通の生活ができなかった。これでまともにいられる方がおかしい。
「でも、その精神科にいた心理カウンセラーの人がね、すごく優しくて親身になって話を聞いてくれて、お母さん少しずつ普通に暮らせるようになっていったの。それを見て私もこんな心理カウンセラーになりたいと思って大学の心理学部に行って、お母さんもすごく喜んでくれて…だから、音楽やるのが楽しいからって、簡単に諦めちゃっていいのかなって…」
私は涙を拭いながら話し終えた。
「ごめん風香、辛いこと話させちゃって」
健司が優しく私の肩に手を置く。
「でも、風香がやりたいことをやるべきじゃないかな?」
健司は続ける。
「妹さんが亡くなったのも、お母さんが病んでしまったのも、風香は悪くないだろ?そこまで気にしなくてもいいんじゃないかな?俺たちは、風香とバンドをやりたい。風香のギターをもっと聞きたい。なぁ、みんな」
健司は蓮と優希の方を向いた。
「え、あ、うん。もちろん!」
蓮はこんな話の後に急に振られたからか、ぎこちなかったがそう答えてくれた。
「私も!風香とやりたい!」
優希も言ってくれる。
「どうかな?風香」
健司が聞いた。
「うん!みんなとずっとやりたい!」
私はみんなの優しさに、さっきとは別の涙を流しながら答えた。
「よし、じゃあ決まりだな!」
健司が嬉しそうに言った。
「親に言わなくちゃね」
おそらくお母さんたちには反対されるだろう。でも、自分の気持ちをしっかり伝えよう。
「お母さん、お父さん」
私はその夜、テレビを見ている2人に声をかけた。
「ん?何?」
「ちょっと大事な話があるんだけど…」
2人はテレビを消して私の方を向く。
「あの…」
勇気が出なくてなかなか言い出せない。でも、意を決して口を開いた。
「実は…私、プロのバンドマンになりたい。Companionsでプロを目指したい」2人とも黙っている。怒鳴られるかもしれない。そう思って目を瞑ったとき、お母さんが言った。
「いいわよ」
予想外の言葉に私は顔を上げた。
「そう言い出すんじゃないかって思ってたわ」
お母さんは続ける。
「千香が亡くなってから、風香にはずいぶん辛い思いをさせちゃったわよね。いろいろ我慢もしてもらったし。これからは、風香の好きなように生きなさい」
お母さんはそう言って笑った。
「応援してるぞ、風香」
お父さんも言った。
「ありがとう!」
私は2人に抱きついた。不安もたくさんあるけど、この4人ならやっていける。私にはそんな自信があった。
「すぐに相談とかできるように、4人でアパート借りて暮らさないか?」
次の日、4人とも親に認めてもらったと分かって安心していると、健司が提案してきた。
「いいじゃん!それ!」
優希が言った。
「実は私快く認めてもらったわけじゃないんだよね。だから家に居辛くてさ」
「あ、そうなんだ」
確かに一緒に住んだ方が何かといいかもしれない。
「4人でお金出し合ってさ、より仲深まりそうだし」
健司の言葉に優希がうんうんとうなずく。
「蓮もそれでいいだろ?」
「…あ、うん。いいよ」
蓮は何か考え込んでいたようで、慌てて答えた。
「どうしたの?何か悩みでもあるの?」
私が心配して聞いたが、
「ううん。何でもないよ、大丈夫」
と蓮は言った。
「じゃあ、俺アパート探しとくな」
健司は嬉しそうに言った。
「風香、ちょっといいかな?」
帰る時間になって健司と優希が部屋を出ていったとき、蓮が話しかけてきた。
「どうしたの?」
「…僕、やっぱり不安なんだよね」
蓮はうつむいて言った。
「この4人で上手くやっていけるのかなって…風香もそう思わない?」
「私も不安はあるよ。でも、私は蓮たちが大好きなの。みんなとならできるって思ってる。一緒に頑張ろ?」
私が笑って言ったとき、突然ドアが開いた。
「2人とも何やってるんだよ!もう外暗いぞ!」
健司と優希が慌てたように入って来た。
「あ、ごめん。帰ろう、蓮」
「うん」
蓮はメンバーの中で一番繊細だし、作詞作曲もしててプレッシャーもあるだろうから、しっかりサポートもしてあげないと。私はそんなことを考えながら大学を後にした。
数日後、私は3人を家に呼んだ。
「風香がどんな子たちとバンド組んでるのか知りたいわ」
とお母さんが言うので、遊びに来てもらうことにしたのだ。何となく恥ずかしくてライブにも呼んでいなかったから、お母さんは3人と初めて会うと思っていたが、やって来た3人を見てお母さんは言った。
「あら、健司くんじゃない」
「え、お母さん健司知ってるの?」
私は驚いて聞いた。
「私と健司くんのお母さんは高校の同級生なのよ。最近は会えてないけどよくご飯とか行ったわ。家もけっこう近くだし」
衝撃の事実だ。健司もここが地元なのは知っていたが、親同士が仲良かったとは。
「健司、知ってるなら言ってくれればよかったのに」
私が健司に言うと、健司は慌てて首を振った。
「…いや、俺も知らなかったよ」
「子ども同士を合わせたことはなかったからね。さぁ、とりあえずみんな上がって」お母さんは3人を部屋に招き、得意の料理を振る舞った。
「めっちゃ美味しいです!」
健司の言葉にお母さんは嬉しそうだ。
「みんないい子ね」
お母さんは私に言った。
「うん!」
お母さんと一緒に食べ終えた皿を片付けていると、健司が話しかけてきた。
「何か運命感じるよな」
「え?」
「親同士が仲良いなんて」
健司はそう言って笑った。
「確かに」
私も笑って答える。
「風香、お手洗い借りていいかな?」
蓮が立ち上がって聞いてきた。
「うん。部屋を出てすぐだよ」
「ありがとう」
準備とかでいろいろ大変だったが、お母さんがみんなを褒めてくれたし、すごく楽しかった。
夕方になって3人を見送ろうと外に出ると、優希が軽く肩を叩いてきた。
「ねぇねぇ、風香と健司って何かいい感じじゃない?」
「え!?」
私は顔が赤くなるのを感じた。
「付き合っちゃえば~?」
優希がからかうように言った。健司には特別な感情を抱いていると、自分でも思う。ちらっと健司を見ると目が合った。健司は私の方に来て、
「風香、今日は楽しかったよ。ありがとう」
と笑って言った。
「僕も楽しかった。またね」
横にいる蓮も言った。
「うん!バイバイ」
私は笑顔で3人を見送った。
2ヶ月後に、言っていた通り4人でアパートへ引っ越した。このとき知ったのだが、健司のお父さんは有名企業に勤めているらしく、必要な費用をほとんど全額出してくれた。
「親父に感謝しろよ」
健司はおどけてそう言って笑った。
4人で過ごす初めての夜、興奮してなかなか眠れない。それは他の3人もそうらしく、電気を消してしばらく経ってから、優希が起き上がり、
「ちょっとお腹空いたからコンビニ行ってくる」
と服に着替え始めた。
「こんな時間に女1人で出かけさせるわけにはいかないから、蓮も一緒に行ってやれよ」
健司が言った。
「…あ、そうだね。一緒に行こう」
そう言って蓮も布団から出た。蓮と優希がアパートから出ていくと、健司が私の布団に入って来た。
「風香」
健司は私の胸をそっと触った。
「え、ちょっと…」
すると健司は私をぎゅっと抱きしめた。
「風香、大好きだよ」
私も抱きしめ返す。
「付き合ってください」
「はい、喜んで」
私がそう答えた瞬間、唇と唇が重なった。私はこの日、初めての彼氏ができた。
ライブを1週間後に控えた私たちは、昼間は大学のスタジオで練習して、夜にアパートでお互いの反省を言い合うのが日課だ。と言っても反省会はすぐに終わり、後半はずっと夢を語り合った。
「ツアーとかやってみたいよな」
「アルバム出したいね」
簡単に叶わないとわかっていても、こうやって話すだけで楽しかった。
そして2日前、私と健司はホテルへ行き、初めて熱い夜を過ごした。私は初めてだったが、健司は何度か経験があるようで、私を先導してくれた。人を好きになるってこんなに楽しいのだと知った。
1週間後のライブは、今までで最悪の結果だった。特に蓮が、初めてプロを意識し始めたからか、音が外れたり速くなったりすることが多かった。でもこれは全員の責任だから、誰も蓮を責めたりはしなかったのだが、帰りのバスで蓮はずっと
「ごめんね…」
と謝っていた。
「蓮のせいじゃないって」
私が慰めても、連は
「違う…違う…」
とつぶやいて泣いていた。
その夜私は健司の誘いで、2人で散歩をしていた。
「蓮、落ち込んでたね」
私は話しかけた。
「そうだな」
健司は空を見上げた。
「そりゃ上手くいかないこともあるよ」
「だよね…」
すると健司は足を止めた。
「なぁ風香、どうしても今お金が必要でさ、1万円でいいから貸してほしいんだ」
「うん、いいよ」
これから長く付き合っていくんだから、困ってるときは助け合わないと。この前バイトの給料をもらったばかりだから、4人で出し合っている生活費とかを抜いてもまだ余裕があるし。
「ありがとう。愛してるよ、風香」
そう言って健司は私の頬にキスした。
4人ともバイトをしているから、どうしても予定が合わないときが週に一回は必ずある。そんな夜は、決まって健司とホテルに行った。でも、健司のことは愛しているけど、疲れて気分が乗らないときもある。だけど、私が断ると健司は悲しそうに眉をひそめて言う。
「風香は俺のこと好きじゃないんだ?悲しいな」
健司を傷つけちゃだめだ。こんなに愛してくれているのに。そう思って私は疲れていても健司と抱き合う。
「風香、大好きだよ」
今日も私は健司とホテルにいる。
「なぁ風香」
「ん?」
健司は私の腰に手を回したまま話しかけてくる。
「お金貸してくれない?」
「また?」
「うん。どうしても必要で」
「わかった。後で渡すね」
「ありがとう、風香」
健司を傷つけたくなくて、嫌われたくなくて、私は自分の昼食を我慢したりして、健司にしょっちゅうお金を貸していた。
こんな毎日を過ごしていたが、1つ心配なことがあった。蓮のことだ。いつ見ても何か思い詰めたような表情をしているし、1人で泣いているのも見たことがある。今日も大学の食堂で蓮が1人で机に突っ伏していた。
「どうしたの?」
私が声をかけると、蓮はゆっくりと顔を上げた。
「何か悩みがあるなら話してよ?」
すると蓮は私の目を見て言った。
「…風香、気をつけて…」
「え?何を?」
私がそう聞くと蓮は首を振って、
「…言えない。…言っちゃだめなんだ。僕に、言う資格なんてないから…」
と涙を流しながら言って、フラフラと立ち上がって歩いて行った。
(言っちゃだめ…言う資格なんてない…どういうこと?)
私の頭の中はハテナだらけだったが、どれだけ聞いても蓮は答えてくれなかった。
次のライブも、その次のライブも、あまり上手くいかなかった。その理由は、蓮があんな状態だというのもあるが、1番の理由はみんなが前よりも熱心に練習しなくなったからだと思う。特に健司は、大学のスタジオに来ないことも多かった。この前まで健司は前に立って私たちを引っ張ってくれていたのに。一体どうしたのだろう。
「風香」
私がバイトを終えアパートで休憩していると、健司が隣に座って言った。
「ホテル行こ」
私は悲しくなって少し声を張り上げて言った。
「健司、そんなことよりも練習しようよ。この前のライブも全然合わなかったじゃん」
すると健司はこっちを見て、無表情で私の頬を殴った。
「え…」
私は唖然として頬を押さえた。健司は私の手を掴み、冷淡な声で言った。
「そんなこと言っていいの?俺が風香から離れてもいいの?」
「…だめ…離れないで…」
私は泣きながら答えた。私は高校時代に妹を亡くしてから、大好きな人がまた自分の前から消えてしまうのではないかと怖くなるときがあった。前にこのことを健司に話すと、健司は「俺は絶対に風香のそばにいるから大丈夫だよ」と優しく抱きしめてくれた。そんな健司を失いたくない。
「わかってくれてよかった。じゃあ行こう」
健司はいつもの優しい笑顔に戻り、私を立たせた。
「またお金も貸してね」
私は黙ってうなずいた。
あのことがあってから、私は健司のことが怖くなった。でも、それでも、健司のことが好きだった。あの優しい笑顔、優しい言葉に何度も救われたから。それが忘れられなかった。だけど、一緒にいても楽しくなくて、また殴られるのではないかとビクビクしていた。やがて私は講義が終わってもスタジオに行かなくなった。
「…あの、風香、何かあった?」
今日もスタジオに行かずまっすぐ帰ろうとすると後ろから蓮が来た。私が黙っていると、蓮はさらに続けた。
「…もしかして、健司に何かされた…?」
私は後ろを向いて蓮の顔を見た。
「ごめんね…」
蓮は静かにそう言った。
「何で蓮が謝るの?」
「…僕が悪いから…」
蓮はその場でうずくまって泣いた。
「蓮…?」
私は蓮の横にしゃがむ。
「ごめん…風香…」
そのとき、後ろから怒鳴り声が聞こえた。
「おい!何やってるんだよ!」
見ると健司が私たちを睨んでこちらにやって来ていた。
(また殴られる…)
私は無意識に後ろに下がったが、健司は蓮の元へ行き胸ぐらを掴んだ。
「お前いい加減にしろよ?」
健司はそのまま蓮を外へ連れて行った。私は何が起きているのかわからずしばらく立ち尽くしていたが、
「…優希は?」
我に返って私はスタジオに向かった。
「優希!」
スタジオのドアを開けると、優希が椅子に足を組んで座ってスマホを触っていた。
「優希、健司と蓮が大変なの…!」
私がそう言うと、優希はスマホから目を離さずに、
「まぁ大丈夫でしょ」
と言った。
「そんな…ねぇ、優希何か知ってるの?何が起きてるの?」
私は優希に詰め寄ると、優希はちらっと私を見て、
「私の口からは言えないんだよねぇ」
ため息混じりに言った。
「私は雇われてるだけだから」
と優希は続ける。
「雇われてるだけって…どういうこと?」
私が聞いても優希はそれ以上何も言わない。するとドアが開いて健司が入って来た。「健司、蓮は!?」
私が聞くと健司は後ろを見て
「走ってどっかに行っちゃったよ」
と言った。私は胸騒ぎがして、大学を飛び出してアパートへ走った。何度も転びそうになりながらたどり着き、息を切らしてドアを開けて部屋に入った。
「蓮!」
私は言葉を失った。そこには、柱にくくりつけられたロープで首を吊っている蓮の姿があった。
「蓮…蓮!!」
私は蓮に駆け寄った。
「冷たい…」
私はパニックになりながらも救急車を呼んだ。
蓮は亡くなった。搬送後の病院で死亡が確認された。警察の人から、蓮の服のポケットに、「もう生きていられません。ごめんなさい」と書かれたメモが入っていたと聞かされた。健司が、
「バンドが最近上手くいってなくて、蓮は責任を感じていたんだと思います」
と警察の人に話していた。
違う。蓮の自殺の理由はそんなんじゃない。健司や優希が何かしたんだ。優希が言ってた「私は雇われてるだけ」って何?健司が優希に頼んで蓮に何かしたってこと?蓮が亡くなった悲しみと健司や優希への怒りと何が起きているのかわからない恐怖が私を襲う。
蓮の葬式があった夜、アパートで私は健司に詰め寄った。
「ねぇ、蓮に何をしたの!?あんたたちのせいで蓮は自殺したんでしょ!?」
健司は無言で私を押し倒した。
「やめて!ちゃんと話して!」
起き上がろうとする私を健司は押さえつけ、笑いながら言った。
「知りたいなら、教えてやるよ」
健司は不気味な笑みを浮かべながら続ける。
「3年前のお前の妹が殺された事件、犯人は蓮なんだよ」
健司は何を言っているの…?
「そんなわけ…」
「正確には、俺が蓮に殺させた」
思考が追いつかない。どういうこと…?
「前言ってただろ、俺の親とお前の親は知り合いなんだよ。俺はお前の妹に会ったことはなかったけど、こっそりお前の家を覗いて調べたことがあるから顔は知ってた。俺、お前の妹のこと好きだったんだよ」
健司は淡々と話していく。
「あるとき、夕方にお前の妹が1人で歩いてた。こっそり見てたんだけどめちゃくちゃ愛おしくてさ、俺だけのものにしたいと思った。そのとき、殺したら俺だけのものになるって気づいたんだ」
目の前にいる健司の言葉が何も理解できない。ただただ私は震えていた。
「でもさ、もし見つかったら俺は少年院に入れられるから、お前の妹を独り占めできないだろ。だから、俺は別の奴に殺させることにした。それが蓮だよ。俺と蓮は小学生からの知り合いなんだ。あいつは昔からビビりで、脅したらすぐに言うことを聞くから、俺は蓮にお前の妹を殺せって頼んだ。嫌がってたけど、言うことを聞かないとお前を殺すぞって言ったら従ったよ」
健司は楽しそうに話す。
「俺が計画を立てて、お前の妹が1人になるタイミングを見計らって蓮に殺させた。でも結局、お前の妹の死体はすぐに見つかって持っていかれちまったから遊べなかったけどな。でも俺たちが犯人だとはバレなかったから、俺は次の作戦を立てた。今度は姉のお前をターゲットにしたんだ」
私はその言葉にゾッとした。
「殺したら独り占めできないことがわかったから、どうしたらいいか考えた。向こうも俺を好きになってくれたらいいんだとわかった。お互いに愛し合えて一緒に暮らせたら、独り占めできるからな。だから俺はお前と付き合いたいと思った。でも妹が死んだばかりのお前に告白しても受け入れてくれないだろうと思ったから、少し待つことにした。効率的に近づくには、同じ目標を持ったらいいと考えて、俺はお前とプロのバンドマンを目指すという計画を立てた。お前のことを調べてどこの大学に行くのか知って。ちょっと時間はかかるけど、これで独り占めできるんだし、それに…」
健司は歪んだ笑みを浮かべて続けた。
「お前の妹が殺されるとこを見たとき、めちゃくちゃ興奮して、自分でもやってみたいと思ったんだ。だからお前を十分独り占めできたら殺してみようと思った。そんな楽しみが待ってるんだから、ちょっと時間がかかるなんて安いもんだろ。俺頑張ったんだぜ?ドラムの練習」
もはや怖さも感じなくなった。健司が何者なのか、自分が何者なのかも分からない。「でもそれは俺一人ではできないから、蓮も協力させた。やらなかったらお前が人を殺したこと警察に言うぞって脅せばいいから簡単だったよ。それでも誰かに話すんじゃないかってちょっと不安はあったけど、あいつはけっこう音楽の才能あったからそういう意味でも都合がよかった。まぁ、結局あいつ自殺して面倒なことになったけどな」
そう言って健司は首をすくめた。
「ちなみに優希と、お前の友達の井上彩菜も協力者だ。金払ったらすぐに乗ってくれたよ。なかなかみんな演技上手かっただろ?」
そんな…。優希だけじゃなくて彩菜も…?
「そいつらの協力もあってお前とバンドマンを目指せて無事付き合えたときはめちゃくちゃ嬉しかったよ。自由に遊べて最高だった。俺好きな人が辛そうなとこ見るのが大好きでさ、別に金に困ってたわけじゃないけどお前から無理やり金を借りたりもして、とにかくめっちゃ楽しかった」
健司は嬉しそうに声を上げて笑った。意識が遠のきそうだった。私は…一体何をしていたんだろう…何人の人にだまされていたのだろう…。
「さぁ、十分楽しんだし、最後のお楽しみといくかな」
健司はそう笑って、私の首をつかんだ。
We were not companions.