聖女様たちの仕事がなくなりそうだけれど、クビにするのはまだ早い
フラムスティード王国との交易は順調に進んでいた。鉱石や生糸や山菜を輸入し、ライランズ王国からは麦を中心に塩や海産物を運んでいた。通行料も取っ払ったため、行き来する商人は日々増え続けている。
そうなれば必要なのは街道の整備である。国境から王都への道を中心に道を切り開く。工事が完成すれば、ちょっとした交易路になる。
ちょうど王都との中間地点に町がある。元々国王の直轄地なのだが、そこに代官として信頼の置ける文官を据え置く。その町をモデルケースとして発展させることにした。
新型の『結界』を町とその周囲に張る一方で、王都を行き来する商人相手の宿を作らせる。この世界において魔物の出ない土地というのは、それだけで価値がある。王都が栄えた理由であり、同時に『結界』消失により被害が甚大になった理由でもある。
これからは国の主要都市に『結界』を張ろうとアレンは考えている。地方分権ではないが、ある程度人口を分散させれば、被害も減らせる。万が一、王都に不都合が生じて住めなくなってもそちらに避難することもできる。理想は全ての町に置くことだが、魔法陣の製作にも金が掛かる。
追々進めていけばいい。ほかにもやりたいことは山ほどある。
品種改良でもっと美味い野菜が欲しいし、畜産だって広めたい。教育体制も充実させたい。今は平民どころか、貴族にすら読み書きの出来ない人間がいるくらいだ。学校を作って知識層を広げたい。最初は貴族中心になるだろうが、いずれは全国民が受けられるようにしたい。
教団は昔から頭の切れる子供を拾い上げて、僧に育て上げている。優れた人材を総取りされては、国力の発展など望めまい。
アレンの目標は議会の設立である。国王という最高権力者であれば意志決定をスムーズに進められる。反面、何でもかんでも自分が決めなくてはならず、煩わしい。現在も貴族会議はあるが、侯爵以上の上位貴族のみである。大多数の不満や要望を無視している。
こちらも最初は貴族のみになるだろうが、いずれは平民も参加出来るようにしたい。アレンの寿命が尽きるまで間に合わないかも知れないが、道筋くらいは作っておきたい。やることは山積みなのだ。
だから、余計な手間を掛けている暇などないというのに。
「魔法陣を取り払え、と」
訴えて来たのは、聖女一族の長老のような人物である。イーデンという筋骨隆々の大男である。謁見の間に現れた時には、白い法衣のようなものを着込んでいた。
五十は超えているだろう。頭ははげ上がり、眉やひげも白いものが混ざっているが、手の甲も岩のようにゴツゴツしている。アレンは戦国時代の僧兵を思い出した。
イーデンの主張はこうだ。国法によれば『結界』を張るのは聖女の務めであり、魔法陣はその権利にして義務を阻害しているのだという。早急に魔法陣なる邪法を撤去すべきだと。
「だが、取り払ってどうする? 新たに聖女となれる者はまだ育っていないのだろう? 聖女クララ殿もまだ見つかっていない」
「これは異な事をおっしゃる。そもそも聖女クララを追放したのは先王陛下と王太子殿下ではありませぬか。無論、我々とて新たな聖女を生み出すべく修行を施してはおります。が、物事には順序がございます。まずはクララの捜索を最優先にすべきです」
にやりと笑う。イーデンは痛いところを突いてやったと思っているようだが、アレンにすれば痛くも痒くない。魔物から民を守るのと、聖女クララへの謝罪は別問題だからだ。
「見つからなければどうする? あるいは不運な目に遭っているやも知れぬのだぞ」
最悪の場合、どこかで野垂れ死んでいるかも知れない。
「なんという言い草! 咎なくして追放の憂き目にあった聖女クララが哀れとは思われませぬか? 寝食を惜しんで護国のために祈り続けた者へ報いるには、上下に至るまで、聖女と同じく忍耐と苦渋を以て報いるのが道理というもの!」
聖女クララが見つかるまで探せ。新しい聖女は用意してやるがそれまでの約四年間、魔法陣の『結界』を使うな。それが誠意というものだ。
まるでヤクザ者のインネンではないか。アレンは頭痛を感じた。
「聖女の保護は恐れ多くも三代・グレゴリー一世の定められた国法。祖先より伝わる法を蔑ろにされるお積もりでございましょうか?」
「国法というが」
アレンも昔、聖女に関する法律は一通り調べてある。
「確かに『聖女法』には聖女とは『結界』を張り、王都を守護するものと定められているな」
「なれば……」
「だが、『結界』を張れるのは聖女だけとはどこにも書いてはおらぬし、魔法陣で『結界』を作ってはいかん、とも書いてはおらぬな」
「なれば我らはどうなるというのです。我らの一族は、ライランズ王家に四百年近くお仕えし、王都を守護して参りました。それを今更お払い箱と? そんな無法が許されるとお思いですか?」
「それは貴様の方であろう」
アレンは冷ややかに言った。
「『聖女法』には聖女が病気や死亡などにより、『結界』が張れなくなった場合は新たな聖女を用意し、王都守護に当たらせる、とある。だがこの数ヶ月新たな聖女は育っておらぬ。この場合、新たな聖女を用意する義務を破ったのは貴様らだ」
「それは詭弁でございましょう!」
イーデンが声を張り上げる。
「法文の中に我らが用意するなどとはどこにも書いてはおりませぬ」
「だが文面をきちんと読めばそうとしか解釈は出来ぬ。百五十年ほど前の法解釈でそう定められて以来、変更はない。なれば、責任はお前たちにあると見なすべきだろう」
色々と法律は勉強してきたようだが、法解釈までは対象外だったようだ。イーデンの禿頭から汗がしたたり落ちる。
「塔の中にいらっしゃった陛下はご存じありますまい! 二年前に起こったあの恐ろしい流行病を! 何も出来ずに年若い娘たちが倒れたのに、何も出来ぬ悔しさを! 我らが流した血も涙も知らず、よくもヌケヌケとそのような……」
「お前がどう思おうと勝手だが」
なかなかの熱演だったが、惜しむべくはここが劇場ではなく、国王への謁見の間であることだろう。
「魔法陣は取り下げない。それは決定事項だ」
イーデンの腹は読めている。聖女一族の地位を守るのと、賠償金の請求だ。大方、魔法陣を認める代わりに、金をむしり取る算段だったのだろう。そのうち何割がイーデンの懐に入るか、知れたものではない。まともな代替案も用意せずに要求だけ通そうなど、虫が良すぎる。
「しかし、そなたの気持ちもわかる。これまで王都を守護してきたそなたらの貢献を忘れたわけではない」
信仰対象にまでなっている聖女を放逐すれば、それこそ王太子の二の舞だ。
「今いる聖女候補たちを全員、余が預かろう。修行を終え、立派な聖女となれるように責任を持って育てようではないか。手筈はこちらで整える故、案ずるな」
話は終わりだ、とばかりにアレンは立ち上がった。
「お、お待ちくだされ!」
イーデンがとりすがるように前に進み出て、衛兵に行く手を塞がれる。
「それでは、まるで人質ではございませぬか! いかに国王陛下とはいえ、それはあまりに惨い仕打ち! 何より、聖女修行とはそのように簡単なものでは……」
「修行というのは」
アレンは振り返ると込み上げる怒りを懸命にこらえる。
「氷の張った池に飛び込ませることか? 骨と皮になるまでやる断食か? それとも、浄化と称して娘らにムチ打つことか?」
「それが何か?」
イーデンはきょとんとした顔をする。アレンはぶん殴りたくなった。無知で傲慢な老人の顔を。
「はっきり言ってやる。そんな修行は無意味だ。むしろ害悪でしかない」
『結界』を調べる過程で、聖女の修行についても調べたことがある。どれもこれも非効率的を通り越して無意味にしか思えなかった。ただ、ここは魔術が本当にある世界である。二十一世紀の日本人の記憶を持つアレンだからこそ持つ感覚なのだと思い、深く追求はしなかった。
だが、国王になって改めて調べたところ恐ろしい事実を知ってしまった。聖女候補の死亡率だ。無事に育つのは十人中一人いるかいないか。あとは病気で倒れるか死んでいる。昔から過酷な修行で知られていたが、ここ二十年ほどで死亡率が跳ね上がっている。
それが目の前の男のせいだと知った時は、久し振りに目が怒りで眩んだ。
元々は異教の信者だったそうだが、聖女一族に婿入りし、権力を握るようになった。そして異教の修行内容を聖女修行にも取り入れた。その結果、死亡率は跳ね上がった。聖女の一族という特別で閉鎖的な環境のせいで内部の者は口をつぐみ、外からは発見しづらくなっていた。
聖女候補たちが流行病に倒れたのも修行と称した虐待で、抵抗力が弱っていたからだろう。聖女クララが追放処分を解かれても戻って来ないのは、この男のせいかも知れない。
もっと早くに介入すべきだったのに、とアレンは後悔するが今更もう遅い。
手を上げると、衛兵がイーデンを両脇から抱える。
「色々と余罪があるようだな。覚悟しろ。この国で聖女を虐げた罪は重いぞ」
「陛下? 何をおっしゃっているのですか? 陛下? へいかあああっ!」
外へ引きずられていくイーデンの顔は、絶望に満ちていた。何の咎もないのに処刑されようという現実に。
「まったく……イヤになる」
やるべきことは山積みだが、放置できる案件ではなかった。おかげで今は後回しにした仕事に追われている。
保護した聖女候補の子供たちはおよそ二十人。みな怯えていた。修行を止めたり失敗をすれば、イーデンから折檻をされていたという。あのまま四年も放置していたらほとんど死んでいただろう。全員、王宮内に保護しているが、心の傷が少しでも癒えるよう祈るばかりだ。虐待される子供なんてのは、どこの世界だろうと見たくない。
「落ち込んでいるヒマはありませんぞ、陛下」
執務室に入ってきたのは宰相のジェイコブだ。一人ではなかった。彼の後ろから何人もの文官が続き、机の上に書類の束を置いていく。その後には額縁を抱えた者たちが次々と絵を飾っていく。いずれも若い女の肖像画だ。
一番上の書類を見て、アレンはうめいた。
「これは『身上書』か?」
釣書ともいい、自己紹介書の一つだ。現代日本でもお見合いの前に仲人や相手方の家族に渡す。
「然様です、陛下」
ジェイコブは言った。
「陛下には、お妃様を選んでいただきたく……」