怒った民衆が王宮に攻めて来たけれど、降伏するのはまだ早い
会談は王宮の正門の前で行うことになった。テーブルの前には目の前にはいかついおっさんが三人。農民、職人、商人代表だという。
リーダーを連れて来い、と言ったのに三人も来た。烏合の衆だと知らしめているようなものだ。おそらく派閥間の調整があったのだろう。少なくともライランズ王国打倒に団結したわけではない。それがわかっただけでも収穫だとアレンは思った。
城門を遠巻きにして群衆が詰めかけている。その数は女子供も合わせれば五万を越えている。会談の成り行きを見守っているのだが、誰もが殺気立っている。
交渉が決裂すれば一気に王宮へとなだれ込むだろう。門の内側にはジェイコブ率いる騎士団が隊列を組んでいる。ぶつかればどちらにも死傷者が出る。そうならないようにするのが、アレンにとって今回の最重要任務だ。
「……というわけで、新たな『結界』を張って魔物はもう入ってこられない。内側に入り込んだ魔物も順次討伐している。魔物がいなくなれば早急に復旧作業へと入る。家を失った者に仮設の家を用意する。炊き出しも今準備中だ。だから王宮へ攻め入るのは、中止してもらいたい」
新たな『結界』を作り、魔物の被害はこれ以上起こらないと説明するが、反応は芳しくなかった。
「陛下は即位されたばかりとお伺いしましたが……」
最初に口を開いたのは、商人代表だ。本来であれば平民が直接話しかけるなどあり得ないのだが、会談中は直答を許すと前もって告げている。
「半時(一時間)前か」
「大変お若いようですが」
「先月で十八になった」
前世も含めればアラフィフだが。
「今まで病に伏せっておられたと……」
「それは表向きでな。先王の不興を買って、八つの時から十年間、塔に幽閉されていた」
別に隠す程度の話でもないのでありのままを告げる。
「そのような方が突然現れて、自分を国王とおっしゃっても誰が信じるとお思いですか? 我々は第十七代国王バイロン二世に会いたいのです」
「これが見えないのか?」
と頭の上の王冠を指さす。
「疑うのなら、教団にも確認するといい。教皇代理のお墨付きだ」
この世界では国王の権力は神から与えられたという思想が普及している。それ故に神の使いである教団の権威は強い。王国の儀式や式典にも必ずと行っていいほど出席している。
今度の戴冠式にも出席し、アレンに王冠を授けている。もっとも教皇代理といっても逃げ遅れた司教を捕まえ、金を握らせてムリヤリ儀式を執り行わせたのだが。
「先王は既に逃げ出した。今頃、隣国で風呂にでも浸かっている頃だろう。追いかけて首を刎ねたいのなら止めはせぬ」
国王アレンの名前で、国王や王太子を含め、逃げ出した王族全員の籍を剥奪する旨を準備している。公爵並びに侯爵家の連中についても爵位を剥奪するつもりだ。明日には諸国に向けて発表できるだろう。国の一大事に真っ先に逃げ出すようなネズミどもをかばうつもりはない。
「なら、陛下がこの不始末の責任をまとめて取られると。そうおっしゃるんですかい?」
伝法な口調でしゃべり出したのは、職人代表の男だ。腕には竜だか狼だかの彫り物も入れている。
「陛下の兄貴が余計なマネさえしなけりゃ俺たちは今でも『結界』の中で安心して暮らせていたんだ! 国王もとんずらして、大勢の死人も出た。この落とし前をどうつけようってんです? え!」
すごんだ声でにらみつけてきた。十八歳の若者なら恐ろしくて震え上がるところだが、前世でもこの手の輩とは何度か交渉している。サラリーマンをなめてはいけない。
「先王はもはや王族ではない。無論、隣国へは引き渡しを要求し、その上で裁判を……」
「それで済む話じゃねえんですよ!」
どん、とテーブルを拳で叩く。大きな声と音は、脅しの常套手段だ。職人代表といっていたが、もしかしたら本業は無頼漢の方なのかも知れない。
「魔物のせいで、俺の弟分も弟子の女房も亡くなったんだ。陛下が誠心誠意、謝罪するってんなら、あいつらまとめて生き返らせてもらおうじゃねえか!」
魔法の存在するこの世界でも死者蘇生は出来ない。現実に不可能なことを要求して、相手を威圧するのも脅しの手段だ。だが、調子に乗ってしくじったようだ。
「ほう。『生き返らせろ』、か? 本当にいいのか?」
職人代表の顔がしまったと青ざめる。赤子の名付け親から死者の弔いまで、人生の至る所に教団は関わっている。死者蘇生が出来ないのは、物理的な理由ではなく、教団が禁忌としているからだ。教団に逆らえば、人とは見なされなくなる。ましてここは国王との会談の場だ。酒場で仲間同士の雑談とは違う。
「禁忌がそなたの望みか。いいだろう。貴様から教団へ願い出るといい。許可が出れば蘇生の儀式を執り行おうではないか」
「いや、その……」
職人代表はすっかり縮み上がってしまった。情けない、とアレンが思った時、最後の一人が口を開いた。
「死んだもんは仕方がねえ……」
農民代表の男だ。がたいは大きいが一番細身で、骨も浮き出ている。
「けんど、聖女様もオラたちもなんも悪いことしてねえ。なのに、どうしてこんな目にあわなくちゃなんねえだ……」
まずいな、と聞きながらアレンはうめいた。この男が抱いているのは不公平感である。誰しもが抱く単純な気持ちだが、これが積もりに積もれば王国をはじめ社会制度への批判につながる。その結果が、目の前の群衆である。これを解決とまではいかなくても、少しでも解消してやらなければ、王宮へとなだれ込む。
「そうだな」
アレンは立ち上がると、三人から見える位置に膝を曲げて座る。
「全て、余の責任だ。すまなかった」
それから体を折り曲げ、額を地にこすりつけるように謝罪した。日本のお家芸、土下座である。
群衆がざわついた。まさか国王が奴隷のように地べたに這いつくばって謝罪するとは思わなかったのだろう。
アレン自身、土下座は初めてだが前世では何度かやっている。別に恥とも思わない。土下座したところで問題は何も解決していないのだが、相手の気持ちが晴れるのなら安いものだ。
「この度の不始末、国を預かる者として、誠に、誠に、申し訳ない……」
テレビドラマの真似事のつもりだったが、我ながら大げさすぎた。三文芝居もいいところだ、とアレンは心の中で苦笑する。けれど国王という肩書きは大根役者を名優に変えてくれた。
「あ、頭を上げてくだせえ! オラたちゃ別にそんな……」
「え、ええ」
「私たちはただ、陛下に我々の窮状を知っていただきたく」
代表三人が感極まった様子でアレンを立ち上がらせる。額や服に付いた土埃を払いながらアレンは言った。
「聖女殿については我々も捜索中だ。ただちに国王の名の下に名誉を回復の上、誠心誠意謝罪する。聖女殿が望めば、元の職に就いていただく用意もある」
これは嘘ではない。新しい『結界』があれば魔物は防げるが、長年居続けた精神的支柱がいなくなったのだ。この事態を収拾しても、民衆の心にはまだまだ不安は残るだろう。聖女クララには一度、戻って来ていただく必要がある。
「余の母は貴族ではない。そなたらと同じ、元は平民であった。五歳まで平民として育てられた」
父が国内を巡視中、たまたま立ち寄った村の娘に手を付け、生まれたのがアレンである。母はアレンが五歳の時に亡くなった。その後父の使いによって王宮に引き取られたのだ。
「余は父とは……先王とは違う。約束しよう。必ずや、この国を以前より豊かな国にすると」
幸せになれるかどうかは本人次第だが、豊かさは政治の仕事だ。
アレンは三人の手を重ね合わせるとそこに自分の手を置いた。
「見ての通り、余はまだまだ若輩者だ。どうかそなたらの力も貸して欲しい」
「アレン様、万歳!」
群衆の中から歓声が上がった。
「アレン陛下!」
「国王アレン!」
歓声は次々と伝播していき、やがて王宮を揺るがすほどの大音声となった。
「あー、疲れた」
王宮の奥にある、国王の私室に入るとベッドに倒れ込む。
「いくらなんでもやり過ぎではないでしょうか」
魔物討伐から戻って来たプリシラが眉をひそめる。ジェイコブから顛末は聞いているのだろう。平民相手にへりくだりすぎではないかと案じているのだ。
「いいんだよ、あれくらいで」
今、民衆の支持率はゼロに等しい。そこから一気に上げようと思えばカンフル剤が必要だ。群衆の中に家来を紛れ込ませ、折りを見てアレン支持へと煽動するのもまあ、必要な措置だった。とはいえ、これは一時的なものだ。興奮が冷めれば元に戻る。
「魔物の討伐は終わったか?」
「王都内部は掃討完了しました」
群衆の目がアレンに向いている間に、プリシラ率いる討伐隊が虱潰しに王都内部の魔物を退治していった。
「炊き出しは進んでるか?」
「仰せの通り、国庫の食糧を放出しております」
宝物庫はバカな親兄弟のせいでほとんど空っぽだが、食糧はほぼ手つかずで残っていた。籠城に備えて、数ヶ月はあるはずだ。
「ですが、この勢いではすぐに底を付いてしまいます。それに復興にはお金が……」
プリシラの顔がまた曇る。
「あ、ワタシが領地に戻って確保して参ります! 痩せても枯れても伯爵家。多少なりとも陛下のお役に」
「まあ、待て」
今にも部屋を飛び出しそうなプリシラを呼び止める。
「そっちも考えている。心配するな」
アレンは仰向けに寝転がる。豪奢な天蓋を見ながらぽつりとつぶやいた。
「とりあえず、次は資金集めだな」