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序章3


 その夜、ミチモリ家に十数名の人が密かに集まり、アオイセナの無事の帰還を祝った。クムラギ政治堂の、いわゆる大年寄りと呼ばれる人々。役職的にそう呼ばれるだけで、本当にお年寄りなのではない。実際の処は、まあまあそこそこ年配の実力者の集まりだが中には若年者も含まれている、そんな感じ。二十歳のリュウミチモリも既にクムラギ政治堂参議であり、あと数年で大年寄りの仲間入りだろう。ここに姿ないがオニマルサザキベは既に大年寄りの中心人物である。


 アオイに思い当たる処あり、これは後期室町時代の自由都市堺の政治形態が伝わったのではないかと思う。政治形態だけでなく大年寄りという呼称まで同じである。とはいえ確かめようのない事柄であり、人に吹聴できる事柄でもなく、一人心の中で推理して楽しむだけである。


 この夜集まったのはアオイには懐かしい顔ぶれ。馴染みの武人や職工の師匠衆、大商人など。

 アオイの話す遠方の国々の様子を皆興味津々に聞いてくれ、逆にアオイの留守の間の町の様子も口々に教えてくれた。

 いわく、希代の刀工キトラニケは残念ながら四年前に他界したらしい。革職人ヒワマナカは相変わらずがめついが腕はますます上々とのこと。ヒワマナカの作る戦靴せんか鬼津靴は高値で引っ張りだこらしい。絵師キコナカハはウタルルに入りびたりで後進をしごいている。ナカハ屋ののれんが傾くほどののめり込みようだが、その分ウタルルの商品の出来映えが当初とは見違えるほど素晴らしくなっているそうだ。ウタルル産の着物がクムラギのみならず彼方此方の都市で高い評価を得ているという。

 ここに顔を出しているがモモナリマソノは既に隠居して政治にはかかわっていないと言った。しかしその貫禄や一家言成す雰囲気で、誰もが一目置いている。

 ニシヌタ老婆のお弟子さんも来ていた。当時ニシヌタの廟堂で何度も顔をあわせていた。話してみると、今はニシヌタの後を継いで南の廟堂の巫術師となっていると分かった。名は、ミチザネヲヅヌ(道真・小角)。


 一人見たことのない女性がいる。まだまだあどけない顔立ちで二十歳そこそこ。口数少なく、末席に座り、人々の話に耳傾けている。話の流れの中で、ツキツキの興行家シシイナタの後を継いだシシイナタの娘だと分かった。サナイナタという名らしい。父親とは似ても似つかぬ善人顔だが、利発そうな面立ちをしている。この席にあり余計な事を言わず聞き役に徹している処も聡いと言えよう。


 様々な話の中で当然出てきたのは、ウタルルに住まうマナハナウラの御子の話。

 いわく、サラが早くも反抗期とのこと。

「へえ……」アオイはあんぐりと口をあけた。あの可愛らしかったサラが? 俄に信じられない、というより、想像できない。


 給仕をして回っていたコハルが遠慮がちに口をはさんだ。

「あの……。ウタルルまでお米やお酒を運ぶ時にご一緒させて頂いたのですが、その時にサラハナウラ様と少しお話しする機会がありまして……、特にうちとけて話したわけではないのですが、それでも、あれではサラハナウラ様があまりにもお可哀想かと……」


「え? それはどういうこと?」


 返ってきたのは至極もっともな答えだった。

「サラハナウラ様はクムラギやラエモミへ遊びに行きたいのです。ずっとウタルルの小さな村に閉じ込められたままですから。そのお気持ちを考えるとやはりお可哀想で……、同情してしまいます」


 なるほど尤も、の話だった。


 リュウミチモリも口を添えた。苦笑しながら。

「ユタが時々ここを訪れるのですが。あいつも手を焼いているようで。手を焼いていると言うよりも、どう扱っていいか分からず困り果てている様子で」


「なるほどね……」アオイは答えた。さもありなん、の話だ。


 人々は優しさゆえ、彼女の出生を隠した。絶対に分からぬよう、辺境に、そして蠻族の襲撃の心配ない場所に村を築いて育てた。処が今はそれがあだになりサラの心を傷つけている。


 当然のことながら、サラをクムラギへ遊びに来させるわけにはいかない。論外。彼女の名を聞いた途端、人々は地にひれ伏して手を合わせて拝む。

 では、名乗らなければ良いかと言えばそれも甘い。結果は同じこと。噂で聞くだろう。今までまったく聞いたことのない話を。冥界で生まれた御子がこの人間界に連れ来られ、今はウタルルという辺境の村で育てられている、と。

 それはクムラギに限らず他のどの町に行っても同じ。


「ううん。困った問題だね」唸ったアオイ。


 他の人々も、そうなのです、とばかりに顔を見合わせて頷きあった。


「ちょっと早いけど……。もう、全部本当のことを話すしかないんじゃないか?」アオイは言ったが。


 皆、気が進まぬ様子で首をひねっている。いやそれは、とか。ううむ、とか。


「ユタミツキ様に妙法あるようです」

 ニシヌタの後継者、南の廟堂の巫術師ミチザネヲヅヌが口をはさんだ。


「え、一体どんな?」


 ミチザネヲヅヌは仔細を話した。

「それは……」アオイは絶句した。「また無茶な」居合わせた人々もまた。

 ミチザネヲヅヌは苦笑い返した。

「ただしかし、ユタミツキ様たってのご依頼ですがそれは左道外法、つまり邪法でして、私どもでは扱うことができません。そこで材料だけをお渡ししました。イホハラのオババなら、材料さえあればその粉を作ることができるはずとお伝えして」

「そうですか……」


 イホハラはウタルルの草原に一番近い村。そのような僻地では、古くからの一族が綿々と続いており、正統な巫術や魔術に属しない民間呪術を代々継承している。イホハラの長老の姉だか従姉妹だかの齢九十の老婆は、そういった民間呪法に長けている。アオイがウタルルを出発してイホハラに立ち寄った時齢九十近いと言っていた。だから今は九十代後半のはず。


 あのお婆さんがまだ元気なのか、それも吃驚だった。


「まあ、でも……、ユタに任せておけばそんな粉使わずとも大丈夫でしょう」リュウミチモリが言い、皆「うむうむ」と頷いた。



 その夜は皆遅くまで語りあい、話尽きることがなかった。数人は酔いつぶれてミチモリ家に宿泊することに。宴がお開きとなったのは深夜二時だった。


 そして夜は明け。


 泊まり組となった人々が三々五々起きだして、昨夜の続きのように和やかに語らいあう中朝食の支度がなされ、女中さんが「朝食の用意ができました」と人々を呼び集め、全員が大広間に用意された朝げの卓を囲んで座した、時には皆既に気付いていた。


 やけに、いや、実に騒々しい。外からワイワイ聞こえてくる。


 使用人がやって来てリケミチモリに伝えた。

「表が黒山の人だかりでございます」


「さては」

 皆顔を見合わせた。


「アオイセナ殿のご帰還が知れたのでしょう」


「うむ。違いない」苦虫噛み潰したかのように唸った武人。


「いったいどなたが洩らしたのでしょうか」

 不思議そうに小首傾げたのはサナイナタ。年若い女性が深酒して酔いつぶれて泊まったわけではない。この女性は滅法酒に弱かった。隣の人が気付いた時には正体なく昏睡状態だった。


 洩らしたとすれば泊まらず帰宅した人の誰かに違いないが、それにしては噂が広まるに早過ぎる。なにしろ、皆が帰ったのは深夜二時なのだ。寝静まる町の人々を叩き起こして告げて廻らねばこうはならない。


 アオイも首をひねった。しかしふと横を見ると、さっきまで元気いっぱいに給仕していたコハルが真っ赤な顔してうつむいている。

「ん?」覗き込むと涙目になっていた。


「ひょっとして君が……?」

「誰にも内緒って言ったのですが……」消え入りそうな涙声。

「なるほどね」

 アオイは笑った。女の子達の『誰にも内緒で』は『大至急全員に』と同じ意味。むしろ『大至急全員に』と言った方が噂の伝播度は低いに違いない。


「気にするなよ。バレちゃったなら仕方ないさ」

 優しく言っても、首をうなだれしょげている。

「それに、話したのは君だけじゃないかも知れないし」

 昨夜の宴の準備の際、出入りする酒屋などが立ち聞きして知ったかもしれない。ミチモリ家の使用人は口が堅いが、それら出入り業者は推して知るべし。


「ともあれこうなってしまった以上」リケミチモリがリュウに命じた。

「政治堂へ走り、護衛と沿道整理の人員を要請しなさい」

「はい」とリュウは席を立ち、涙ぐんでいるコハルに「気にするなよ」と笑顔で言い残して部屋を出て行った。


 朝食を済ませ支度して玄関を出ると、歓声が湧いた。

 見ると門の前は勿論、塀の上にも黒山の人だかり。アオイが手を振ると更に湧いた。


「ううむ。うちの塀が倒れそうだ」アオイの隣でリケミチモリが苦笑いして言った。


「瓦は間違いなく踏み破られてますね」後ろで微笑んで言ったのはサナイナタ。

 立派な屋敷ゆえ、塀の上は瓦葺き。戯けて跳ねている人もいる。


「トンピンさんですね」

 サナイナタの言った意味はおそらくお調子者という意味だろう。何処の地方の方言かわからないが。当然、本人に聞いても知り得ない事柄。

 アオイはしかしその言葉の語感が気に入った。

「トンピンだな」笑った。


 門の前の人垣が割れ、武人引き連れたリュウミチモリがにこやかに姿現した。

「アオイ様、こちらへ」


「うん」頷き、連れ立つ人々をふり返った。「行きましょうか」

 泊まり組となった五人のクムラギ政治堂の人、ミチモリ家の人々。皆、クムラギの外まで見送ってくれる。


 門を出ると歓声ひときわ大きく沸いた。

 アオイからしてみれば照れくさいばかりだが、しかし壮観だった。

 クムラギの目抜き通り、見渡す限りの沿道を人が埋め尽くしている。長い棒持った衛兵が、等間隔で立っている。

 これじゃあまるで英雄が凱旋したみたいだな、彼は思ったが、それは彼に自覚が無さ過ぎるというもの。

 しかし歩むにつれ、照れくささよりも嬉しさが先に立った。沿道の人々の中に懐かしい顔いくつも見つけて。

 昔と変わらぬ顔もあれば、すっかり凛々しく成長した顔もある。浴堂で毎日顔を合わせていた近所の人達。イオワニの道場で共に稽古した少年達。どの顔も少年期の面影一目で見て取れる。

 アオイはその度足を止め、言葉交わし握手を交わした。

 自分の思い違いに気付いた。

 満面の笑みで彼を迎えてくれる人々。この人達に一言の挨拶もなく立ち去るつもりでいた自分を恥じた。


 後ろ歩いているコハルを振り返り言った。

「俺が間違っていたよ。コハルのおかげで不義理せずに済んだ。ありがとう」

 コハルはキョトンとしていた。


 その後もずっと、まるで凱旋パレード、あるいは聖者の行進、それがクムラギの街路尽きるまでずっと続いた。


 そしてこれが、アオイがクムラギの人々を見た、クムラギの人々がアオイを見た、最後となった。


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