序章2
ニニチャキが故郷コロナエを旅立ったその日、アオイセナはクムラギへ帰還した。世界中で集めてきた呪文材料を、背中の背嚢に背負い。あの日たずさえて旅立った錫杖をつき。
旅立ったときはまだ何処かしらあどけなさの残る顔立ちだったが、すっかり精悍な大人の男の顔で戻ってきた。何故ゆえか師匠イオワニに似た雰囲気。やさぐれた口調や、眉間皺寄せる処など。
集めた呪文材料は隕石の欠片や珍しい鉱物、希少種の竜の爪や骨、その竜が絶滅種であればその化石。さらには大地の奥深く、洞穴の最深部に沸く水、等々。
目に懐かしいクムラギの街路行く彼だが、道行く人は誰一人彼に気付かない。
「旅のお方、葡萄酒はいかがかな?」バルの客引きに声をかけられた。いや、客引きではなく店主のようだ。いでたちで旅人だとは分かっても、九年前蠻族の大襲撃からこの町を護り、冥界入りを果たした英雄だとはまるで気付いていない。アオイも、その店主の顔は見たことがない。すっかり様変わりした街の人々。
「うん。一杯貰おうかな」幾分愉快に感じニヤリと笑い、店主に続いてのれんくぐると、薄暗い店内はガランとして他に客はいなかった。
カウンターの前に立ち、椅子にも腰掛けずいると。「ほう。お客様は通だねえ。クムラギのひっかけ方をご存知ときた」店主が言ったので思わず苦笑した。
民芸ガラス風の無骨なコップに注がれた葡萄酒が目の前に差し出された。代金をカウンターに置き、一口飲んだ。
「へえ。ラエモミの葡萄酒じゃないな……。西国の葡萄酒か。マーホーズかな?」
店主は嬉しそうに笑った。
「さすが旅のお方。よくお分かりで」
「マーホーズにも立ち寄ったんでね。あそこの風使いのお爺さんに世話になった」
「あの町の人は航海術に長けてますからねえ」
「うん。船を用立ててもらった」
その後はたわいないない世間話を少しした。
店の奥から見たことある顔が出て来た。九年前このバルの主人だったおじさん。すっかり老けてお爺さんになっているが一目で分かった。入れ物が同じであれば面影あれば分かる。しかし逆はなかなか分かりづらい。
お爺さんはアオイの顔を見てなにやらハッと吃驚した様子。それから怪訝な表情で一生懸命考えはじめた。
アオイは大騒ぎになるのを避け、「美味しかったよ。ごちそうさん」と、お爺さんが気附く前に店を出た。
一杯ひっかけ心地よい足取りで、タパの廟堂に向かった。そこは既に廟堂ではない。住む人もいない。そこは冥界入りで散った仲間達を祀る霊廟となっている。
懐かしい門構えを前にすると、なみなみならぬ思いがこみあげてくる。昨日の事のように思い出される。ここで過ごした日々が。今はいない人々の面影が。
門をくぐると浴堂がなくなり玉砂利の庭が面積を広めている。廟堂の建物はあるが使用されていない。霊廟となっているのは高楼。
法隆寺の五重塔風の建造物がそれ。廟堂に住まいしていた時はほとんど入ったことが無い。
霊廟の外観は手入れが行き届いていて、いかにクムラギの人々がこの霊廟を大切に護っているか分かる。入り口の扉へと上がる石段は、たった今掃き清められたかのよう。砂粒一つない。
アオイは軋む扉を開き、中へ足を踏み入れた。
薄暗い建物の中に献花台があり、今も絶えぬ花やお供え物並んでいる。その奥に四つの厨子がある。厨子とは仏具であり、本来なら仏像・舎利・経巻などをおさめる物だが、ここにある物も厨子とほぼ同じ形で、ここでは故人の遺品をおさめている。リリナネの厨子の中にはリリナネのケイ『メアマタギ』がある。
アオイはひざまずき、目を閉じ、頭を垂れ、懐かしい仲間達に心の中で語りかけた。
シュスさん。今帰りました。なんとか勤めを果たすことができました。少しはシュスさんみたいな……、英雄らしくなったでしょうか。
カタさん、お久しぶりです。呪文材料集めは楽勝でした……、なんちゃって嘘ですけど。
イオワニ師匠、今帰りました。かなり腕を上げましたよ。今なら負けないかもです。
最後にリリナネ。
リリナネさん、やっと帰ってきたよ。ただいま。
彼は今二七歳。リリナネの歳を追い越している。それでも、さん付けで呼んでしまう。
ただいまって、変か。ずっと側にいてくれてたよね。
いつも感じていた。
夜空を見上げればまたたく星に。青空を見上げれば雲に光に。そよぐ風に。その人を。あの日つないだ手の、おぼろな温もりの記憶を。側にいる時感じていた優しい感覚を。
彼は立ち上がった。
懐かしい思いでいっぱいだった。早くユタに、成長したサラとユウに会いたい。オニマルと語らいたい。
霊廟を後にした彼はミチモリ家へ向かった。今宵はミチモリ家に一泊させてもらい、翌朝ウタルルに向かう腹づもりだ。
ミチモリ家の門の前で、背後から声をかけられた。
「まさか! アオイセナ様では!?」
振り返ると綺麗な面立ちの若者が一人。吃驚した顔でこちらを見ている。切れ長の一重の目、細面。一瞬、オニマルに似ていると思ったが、少年時の面影がそこに見て取れた。
「リュウ? リュウミチモリか!?」
「はい!」満面の笑みで答えた若者。
「吃驚したなあ。随分イケメンになったじゃないか!?」
「行け……行けめ……面?」面食らった様子で、笑顔が怪訝な表情に変わった。
「いや。その……。ハンサムになったなということだ」
「半……さ?」
「いや。気にするな。男前という意味だ」この位伝わるようにしとけ、ハンサムなんて昭和じゃないか、心中フィオラパに毒づきながらも笑顔は崩さず、父親が在宅か訊ねた。
「リケミチモリ様は?」
「家にいます。ささ、お入りください。きっと大喜びするでしょう。クムラギへは今お帰りで?」
「ああ」
「では、私は皆さんに知らせに走りましょう」
「あ、いやいや。あまり知らせないでくれ。大袈裟にしたくない。お世話になった人達にだけ挨拶したら、すぐに出発するから」
子供の頃から聡い少年だったが、リュウはアオイの意をすぐに解してくれた。ニコッと笑い「分かりました」と答えた。
「では、町の主だった人にだけ知らせましょう」そう言うと、門の中をのぞき込んだ。ちょうど庭木に水を撒いていた使用人の女の子を呼び寄せ「コハル、お父様にお取り次ぎを。このお客様をご案内しておくれ。くれぐれも粗相のないように」言いつけて、「ではアオイ様。のちほど」爽やかな笑顔残してくるりと背を向け駆けていった。
使用人の女の子は一二・三歳くらい。手にさげていた桶と柄杓を足もとに置いてペコンと頭をさげた。「では、お客様。どうぞこちらへ」と先に立って歩き始めた。
はじめは礼儀正しく口数も少なく案内してくれていたが、途中で我慢できなくなったのか「あの……」と足を止め振り返った。
「お客様はまさかあのアオイセナ様ですか?」
なんでバレたんだ? 思ったが、思い返してみればリュウが去り際に名前で呼んでいた。隠しても仕方ないと思い「そうだけど」と笑って答えた。
女の子は飛び上がらんばかりに喜んだ。「感激です」と。目を輝かせて。まるで伝説の勇者に会ったかのよう。
九年前もだったが、更にの感がある。九年間の間に逸話におひれはひれ附いて五割り増しくらいで伝わっているのだろう。面はゆい。さらにミチモリ家の人間は信用しているが一応口止めしておいた。
「内緒だぜ。みんなに知れちゃうと足止めされちゃうから」背中の背嚢を指し「ようやく呪文材料を集めて帰ってきたんだ。これを早くウタルルに届けたい」
女の子は分かってくれたようだ。真面目な顔に戻った。まるで密命を言い渡された女スパイのように真剣な表情でこくんと頷き「決して他言いたしません」唇をキュッと結んだ。
面白い子だなと思った。
リケミチモリの歓迎ぶりは予想通りだった。予想以上。予想通り、予想以上の歓迎ぶり。
大仰この上ない言葉を身振り手振り駆使してアオイを迎え、一段落つくと側にひかえていた女の子を振り返り口早に言いつけた。
「コハル。みんなを走らせてすぐに町中に知らせなさい。お前も行きなさい」
女の子は達者な口調で言い返した。言い返したと言うより、昂ぶり過ぎの主人をいさめた。
「旦那様。勇者様は呪文材料を早くウタルルに持ち帰りたいのです。町を挙げての歓迎となれば幾日引き留められることやら。それくらいお察しになられてはいかがですか?」
やっぱり面白い子だった。女の子版のユタミツキだと思った。
「ううむ……。確かにお前の言う通りだな」クムラギ政治堂第一位の執政が少女の前に形無しだった。
「では、町の主だった人にだけ知らせてくれ」
「それはリュウ兄様が既に知らせに走っています」
「むむ、そうか。ではお前は炊事番に伝えて、宴の準備をしておくれ」
「はい」
「急で申し訳ないが手に入る限り最上級の酒と肴を用意しておくれ」
「任せてください」満面の笑み浮かべ、少女は嬉々として足早に去った。
アオイはリケミチモリに聞いた。てっきり使用人だと思っていたが。「今の子は……、ミチモリ様のお子様ですか?」リュウを兄と言っていた。リュウに妹はいなかったはずだが……、と思い。
「いやいや」リケミチモリはかぶりをふった。「遠縁の親戚の子を預かっているのです。工芸や美術を勉強したいとこの町へ。パリクラから来た娘です。ですが、まあ、なんと言いますか、しっかり者というか口が達者というか……、こっちが叱られてばかりです」そう言うと大きな声で笑った。
あわせて笑ったアオイ。本当に誰かソックリだと感じた。