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故郷は魔王に焼かれて想うもの9


 サラはもう一度プレ・キエを唱え、蔓の壁を出現させた。続けて焰呪唱えた。

「ツニ」(tungi[ppn] 焼く・燃やす→tungi 転訛して tuni)

 焔は蔓に燃え移り、焔の壁を型作った。


 彼女は後ろを振り返った。

「誰か、誰か扉を開けて!」

 兄はもう動けない。扉さえ開けてもらえれば移動呪で屋敷の中へ逃れられる。けれど聞こえなかったのか、扉は開かない。


「サラ……」優しい兄の声。「さっき、お兄ちゃんと呼んでくれたな……。またお兄ちゃんと呼んでくれるのか……」


「うん……、うん」ズビズビあふれる鼻水を啜りながら答えた。

 ずっとお兄ちゃんだった。五歳の頃を思い出しても六歳の頃を思い出しても七歳の頃を思い出しても八歳九歳の頃を思い出しても、ずっとお兄ちゃんだった。お兄ちゃんと呼ばなくなったのはここ一年位。


「俺は良い兄でいられたか……?」

「うん……、うん」どうしてこんな事言うんだ、と口惜しかった。これじゃまるで死んでしまうみたいだ。


「サラ……、俺には見える……、お前が世界をすく……う未来が」

 彼女は唇を噛んだ。必死に支える兄の体から徐々に力が失われている。グニャリと倒れてしまいそうだ。斬馬刀握り締めていなければ、そして彼女が支えていなければ、とっくに倒れていたろう。


 兄は空を仰いだ。何かを聞いたらしく耳を澄ましている。満足気に小さく呟いた。

「天よ。導きに感謝する」


 その時には彼女の耳にも届いていた。蠻族の絶叫。猛々しい蹄の音。


「サラ。勇者キヴァラギだ……」


 焔の壁が崩れ落ちた。蠻族が斧を振るい、焼け落ちた蔓を打っている。払っている。が、次の瞬間破裂するように門が打ち破られ、庭に飛び込んできたもの。蠻族共は一歩も動けなくなった。

 牛よりも大きな獣、牛よりもずっと猛々しい。鼻先には太いツノがある。頭部は兜で覆われている。その背に跨る人。壮年の勇者。たくましい体躯鉄紺の同服につつみ、長槍を手にした男。

 庭に踊り込むや蠻族を蹴散らし、次々長槍の餌食とした。太く、雄々しい声が轟いた。


「ユタミツキ殿!」


 支えている兄の体がぐらりと傾いだ。彼女の力では支えきれない。声が届いた。「サラハナウラ様、こっち!」振り返ると屋敷の扉開いていた。


「フルっ」


 屋敷の中に跳んだ。跳んだと同時に、床板の上に倒れこんだ。兄も、支えていた彼女も。兄は倒れても斬馬刀握り締めていた。彼女は夢中で起き上がり、兄の鎖頭巾外した。血の気失せたその顔に触れた。ギクッとして撫でた。撫で回した。なにも変わらなかった。既に生き絶えていた。


「あ……、あ……、あ」言葉が出てこないサラ。


 弓を持った少年達が跪いた。女の人達も跪いた。広間にいた人皆が跪いて手を合わせた。年長の少年が弓を脇に置き、両手をつき、深々と頭を下げた。

「ユタミツキ様。見事な最後でした」


 ユタの亡き骸はイホハラの人達の手で丁寧に運ばれ、この広間に一枚しかない畳の上に横たえられた。誰かが花を持ってきて、手向けてくれた。

 ユウがすがりつき泣きじゃくっている。サラも枕元に座り、ずっと兄の顔見つめていた。記憶にある限りの思い出が蘇る。けれどもう涙には変わらなかった。


 優しかった兄の思い出。幼い頃の、つい最近の、何気ない日常や、何気ない一言、それら思い浮かべると涙に変わる。それら思い浮かべる代わりに、今日この日、目に焼き付いた、闘う兄の後ろ姿思っていた。涙は出ず、代わりに何かとても強く真っ直ぐなものが、それはもう途轍もなく真っ直ぐなものが彼女の内に生まれ、それは彼女の中に収まり切らず、彼女の前へ、真っ直ぐ伸びた。迷う必要もないくらい、真っ直ぐな道となった。


 ゴシゴシと拳で目を擦り、ギュっと口結ぶと立ち上がった。

「泣くな」泣いてる弟の手を取り立たせた。眠る兄の顔、眸子にしっかりと焼き付けて、背を向けた。


「行くのかい?」

 小さなお婆さんが言った。

 サラは黙ったまま頷いた。お婆さんはこう言ってお祈りしてくれた。

「忘れるでない。ラアテアは常にそこにある。御子の行く道に光あらんことを」

 他の人たちも同様に手を合わせてお祈りしてくれた。口々に。「マアシナの御子に光を」「ラアテアと共に歩まれますよう」


 彼女はお辞儀して、出口へ向かった。重く大きな扉開くと、兜竜に跨がった勇者待っていた。背後に累々と連なる蠻族の屍。

「全部退治したんですか?」そう聞くと、

「逃げ出した者以外は」と答えた。


 彼女はいったん弟の手を離して重たい扉を閉じた。それは何かとの決別の瞬間だった。それはきっと、子供時代。横たわる兄の姿が見える。お婆さんが側にたち、こちらを見ている。目を逸らし、扉を閉じて。向き直り、勇者の顔見上げた。既に夕陽、陽が傾き、逆光の中にあるその人。厳ついけれど穏和な色漂う目、しっかと結ばれた口元、厳しい人生を物語る、顔に刻まれた皺。


「私は、……何をすればいい?」


「旅立て。我が護り従う。ウェナに宿された呪文を強化するため精霊を訪ねながら壮大な旅路行く。クムラギからハラタフィトを辿り、太古の森へ分け入る。プアロアに祀られたシュスローのケイ『ハハキリ』を受け取り、焔の精霊棲まうパリクラを訪ね、そこから山岳地帯へ入る。険しい山々を越え、霊峰タオの守宮猿の聖地訪ねる。守宮猿から呪文文言とマアシナの剣受け取った後、北の荒原、イロキノの地底宮目指す」


「うん……」


「昨夜妖霊星カイハア妖しく輝いた。悪龍イロキノの霊力が極限まで高まったか、あるいはそれに近い状態にあると思しい。いつ何時、終末の焔灯されるか分からぬ状態と言えよう。もはや一刻の猶予もない」


「終末の焔って……何……?」


「今より三十年前、一人の愚かなる魔導師がこの世界焼き滅ぼす術修めんとして、数知れぬ人命を犠牲に己を悪龍と化した。名乗ること終末の龍」


「それが……イロキノの名前……」聞いてみれば全然大した名前じゃなかった。


「それは受肉した闇、闇の原理の造物。されど忘れてはならぬ。お前達二人こそ、光の神子であることを。守宮猿が古来守ってきた剣を受け取り、光の呪文で奴の闇の霊力を祓い、滅ぼす。お前達二人ならばそれができる」


「ちが……う、私には、光なんて欠片もない。でも、やる。だって、皆んなが……」胸の奥から何かがせり上がってきて、喉が詰まりそうになり、それ以上言うのをやめた。


 彼女の気持ち解したか、勇者は無言で頷いた。




 かくしてサラハナウラは旅立った。頰に残る涙の跡もそのままに、弟の手を引いて。兜龍に跨がる勇者と共に。折り重なる屍の中歩み、赤い太陽溶け落ちる櫓門を後にして。



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