故郷は魔王に焼かれて想うもの6
●
「一緒に、一緒に逃げよう」彼女はニツに何度も言った。けれどニツは泣きじゃくりながら首を振るだけだった。
兄に体を押し込まれた。地下道の入り口に。彼女はジタバタした。「私も残る。私もニツと一緒にいる」そう言って。
「いい加減にしないかっ」ユタに怒られた。普段の優しい兄からは想像もできない厳しい口調だった。その時。
「よう、あんまり遅いから様子見に来たら、なに駄々こねてやがるんだ?」見上げると彼女の天敵の顔。その後ろには染め屋のおじさん達の姿。ニツを庇って立つおじさんの姿も。ココオリベは大仰に肩をすくめてみせ言った。
「ま、子供だからしゃあねぇか」
彼女はコイツなら何か教えてくれると思った。
「お前、お前なら話してくれるだろ? なぜ皆んな逃げない。なぜ私達だけ逃げる」
ココオリベはちっとも話してくれなかった。
「こんなに人だかりがしてちゃ奴らに気取られる。せっかくニツが勇気出して一人で待ってたてぇのに。無駄にすんじゃねぇよ。早く行きな」
「嫌だっ、私も残る。ここに皆んなと一緒にいる」
「子供がナマ言ってんじゃねぇよ。時間切れだ。コイツは自動で閉じるんだぜ。じゃあな、あばよ。達者でな」憎まれ口を叩く、けれど優しい笑顔のココオリベが石の向こうに消えた。蓋が閉じてしまった。
彼女は灯火の棒振り回して兄に喰ってかかった。
「嫌だ、行かない、私も残る、皆んな、皆んな死んじゃうじゃないか」と。
振り回す棒が兄の顔に当たった。口の中が切れたのか、口の端から血が一筋流れた。流石の彼女もハッとして手を止めた。
ユタは顔色一つ変えず、拳で血を拭いこう言った。
「皆、覚悟はできている。それがこの村で暮らす者の約定。皆の思いを無駄にするな」背中を向け、先に立って階段を降り始めた。泣きべそ顔でユウが後を負った。
彼女もついて歩きながら、けれど頭の中がグルグル回っていた。混乱混乱混乱。
皆、覚悟はできてるってどういうこと––、何の覚悟––、何がこの村で暮らす者のなんだ––? 頭の中がグルグルするばかりでちっとも考えまとまらない。この村のどこにそんな大仰な意味があった––? 後にした村のこと考えても、辺境の地にある何もない村、兄の言った言葉とちっとも繋がらなかった。
まさか––! その時彼女は気づいた。
ウェナだ––! この世に二つと無い破格のケイ。蠻族はウェナを狙って襲ってきたのだ。蠻族は悪龍に操られているという。悪龍はずっとこの村を狙っていたのだ。
じゃあ、もしかしてひょっとすると––。当然そこから導き出される答え。
もしも私が真面目に修行してウェナを使えるようになっていれば、蠻族を追い払えた……。暗闇の中で真っ青になったサラハナウラ。私がウェナを使えないから……、皆んなは私にウェナを持たせて逃げさせるしかなかっ……た……。
抜け道は既に階段を降りきり、長い横坑になっていた。石の壁、石の天井が続いている。天井や壁から水が滴り落ち、足元は水溜りになっている。革の半靴は多少の防水機能あるものの、既に水を吸い込みしとうずまでずぶ濡れになって気持ち悪い。こんな抜け道まで用意して、蠻族の襲撃に備えていた村。彼女は歩きながらずっと、繰り返し思った。
私のせいだ––、私が悪いんじゃないか––、と。何度も、何度も、繰り返し。
どれほど歩いたか分からない。長い時間が経った。地下の通路は物音一つしない。地上の様子は分からない。再び急勾配の階段。今度は入口の階段よりも狭い。進めば進むほど狭くなる。昇りきると板で蓋がされていた。ユタが肩で押し上げて外した。
板は上に草切れを乗せて偽装していた様だ。パラパラと穴の中へ落ちてきて、上見上げる彼女の顔にかかった。外には星空広がっていた。外へ出たユタはユウの手を引っ張りあげて穴から出し、続いて彼女の手も引っ張りあげて出してくれた。そこは草原のど真ん中だった。チラリと後ろを振り返ったユタはグッと口結び。眦を決すると背を向けた。「行こう。灯火の棒は捨てていけ。蠻族に見つかる」そう言って草原の中を歩き始めた。
彼女も振り返った。彼女は歩けなかった。遥か彼方、後にした村が見えた。初めて見る、村の外から見た村の姿。中から見るとあんなに高く感じる石壁が低く見える。その石壁の中が燃えている。夜空にもうもうと黒煙吹き上げて、真っ赤な炎を散らして。今日まで当たり前にあって明日からも当たり前に続くと思っていた物、それが音もなく燃えていた。寝る前に思った、簡単に来るはずの『明日』は来なかった。ここは護ってみせるなんて、オニマルおじさんは最後まで嘘つきだった。誰も彼も、皆んな嘘つきだった。ケチョンケチョンとは、こういう事だった。彼女はしゃがみこみわんわん泣いた。今の彼女は冷凍少女でもツンドラ女王でも虚無の哲人でもなく、普通の十一歳の子供だった。
●
気づくとユタに背負われていた。彼女をおんぶして、兄は草原を進んでいた。
「ごめんなさい」兄の背を降りた彼女は頰についた涙の痕を拭いた。
背の高い草を足で踏み分けて進む兄に彼女は聞いた。
「劔竜は? 大丈夫なの?」
兄はいつもの優しい声に戻っていた。
「この背の高い草むらにはいない。それから余程近づかない限り、劔竜は人を襲わない。村を出たら食べられるっていうのは、子供が壁の外へ行かないよう脅してるんだ。鈴を鳴らして行ければより安全だが、それだと逆に小鬼族に見つかる」
その時、夜空が妖しく光った。一瞬玉虫色に光り、そして元の星空に戻った。顔を上げて夜空を捜すと。妖しい星が一つ。まるで月のように傘を付けて、その傘がきみ悪い緑色に光っていた。その星はお爺さんから教えられている。魔導師なら誰でも知っている星。けれど昨日までは普通の星と同じ色だった。彼女は目を見張って呟いた。
「……妖霊星カイハアが……」
兄の顔が険しくなったのが、暗がりの中でも分かった。
「くそっ」口惜しそうに言った。「なぜ、今なんだ。早過ぎる」と。
「なんなの? どういう意味?」彼女が顔を見上げると。
「あとで詳しく説明する」と言った。
「まずはイホハラへ向かう。その後キヴァラギ様の村へ行く。そこで全てを話そう」
●
早朝の森を抜けてイホハラへ向かう三人。青白い光に包まれ、朝靄漂い、小川せせらぐ森の景色は、サラの心をかりそめ慰めてくれた。彼女にとっては本の挿絵でしか見たことない光景。観光で来たのなら目を輝かせて小走りになるところだが、当然そうはならない。
彼女の心捉えずっと陰鬱に沈めているのは、後にした村の人々の安否。
ニツが死んだかも知れない––。いや、あの規模の火災ではきっと誰一人助からない。ニツだけじゃない。お爺さんも、ルル姉さんも、オニマルさんも、ラナイさんも、レイカナカも、皆んな死んでしまった––。最後に目にしたのがココオリベの顔というのが気に食わなかったが、勿論ココオリベにも死んで欲しくなかった。
ブンブンと頭を振って思い直す。
案外助かっているかもしれない––。壁の外に逃げおうせて。いや、でも壁の外には蠻族の大群押し寄せている––。色々考えて頭がグルグルしていた。たとえ数人助かっていたとしても、そこにニツがいれば良いという話ではない。村人のほとんどは知り合いだ。誰一人死んで欲しくない。
当たり前のことだが、生まれてから全ての記憶はあの村にあり、彼女の思い出の全てを構築していた。それが消え去ってしまった。皆んな皆んな消えて私の心の中にしか存在しないなんて––。
しょげかえり黙り込んでいる彼女の様子見て、ユタはこう言ってくれた。
「イホハラに着いたら、イホハラの若者たちに村の様子を見に行ってもらおう。彼らなら蠻族の軍勢をかわして村まで行って返ってこれるだろう。俺たちはキヴァラギ様の村で待とう。彼らの知らせを」
そう言ってもらえて漸くほんの少し安堵したサラハナウラ。
「うん……」と、小さな声で答えた。
森を抜けると既に日が高く昇っていた。農地が広がっている。この辺りはちょっとした平原広がっている。なにがしかの傾斜のついた土地しか知らないサラには、奇異な感覚だった。
「うわぁ。地面が平たいよ。どこまでも真っ直ぐだよ」ユウが呑気に喜んだ。
平原中央に集落がある。遠目でも分かる。そこがイホハラだった。




