故郷は魔王に焼かれて想うもの5
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その夜彼女はなかなか眠れなかった。蚊帳越しに入ってくる月明かりに、左腕に付けた珊瑚石の数珠を翳して見ては、ふぅっとため息をついた。
枕元にはニツに貰ったコップを置いていた。時折それも手に取っては、月明かりに翳して見る。
村の様子がおかしいのは彼女も気づいている。なにやら慌ただしい。ユタはほとんど家に帰ってこない。けれどこういう場合常に蚊帳の外の彼女は、何も教えて貰えない。聞いてもはぐらかされるだけ。なので氷のバリアをますます厚く張る悪循環。
彼女にとっては村のことより、二つの贈物の方が断然大切だった。それがなぜ大切に思えるのかを、ずっと難しい顔して考えていた。
明日––。彼女は考えた。明日、レイカナカにお礼を言いに行こう。ニツにも何かお礼を持って行こう。
明日。眠ればすぐに明日は来る。それはいとも簡単に。お礼も、ひどい態度をとった謝罪も、明日できる。それは口にしてしまえば、こんなに簡単な事だったのかと呆れるに違いない。何も難しくない。ニツとは元通り仲良しになれる。レイカナカとも友達になれる。レイには絵を教えてもらいたい。友達になれば楽しいことが沢山あるはず。明日からやり直せば良い。明日––、そう思いつつうとうとした。
その浅い眠りを。
兄の声が突き破った。
「起きろ、サラ。蠻族の襲撃だ」
跳ね起きた彼女は、そんな馬鹿なと思った。蚊帳から顔を出すと、兄は鎖帷子を着込み、鎖頭巾を首の後ろに垂らしている。鎖帷子の上には、武人の着る同服を羽織っている。顔を見れば本当に蠻族が襲ってきた事明白だった。
「旅支度をしろ。簡単でいい。五分で済ませろ。俺はユウを着替えさせる」ユタは身を翻して階下へ降りて行った。背中に見えた図柄は多頭の蛇を踏みつける獅子。
あんなの持ってたんだ––、なんで? まるで武人じゃないか––。しかし直ぐにこんなこと考えている場合じゃないと気づいた。ベッドから飛び出した。
彼女は革製の背嚢に身の回りの品を入れた。ニツから貰ったコップも、割れないように布に包んで入れた。一番高い着物を着た。それは避難民となる際の常識。途中でお金が足りなくなった時、路銀に変えるためだ。そんなマメ知識が役立つ日が来るなんて思ってもみなかった。彼女が着たのは緋色の着物で、図柄は金糸銀糸で刺繍した鳳凰。彼女の晴れ着。背嚢を背負い、その上に鎖で編んだ防刃着をはおった。それは子供用の防刃衣。ポンチョ型で頭巾付き。
その間にも開け放たれた窓から、人々の喧騒聞こえ来る。
まだ防壁は超えられていない––、そう判断できた。壁にかけた棒を取り、灯火の粉をかけて呪文唱えた。防刃着の前から片手だけ出し、灯火の術かけた棒を手に階下へ降りると、ユウの支度もできていた。弟は泣きべそ顔で、彼女と同じ防刃衣着せられていた。ユタは床板の一枚を踏み抜いた。両隣の床板も外した。そこには空間があったようで、ユタが中から取り出したのは一振りの立派な斬馬刀だった。それは柄の部分に龍が彫られ、刃には錦の布が被せられていた。ユタは素早く錦の布を取り去った。稲穂型の大きな刃がギラリと現れた。
彼女にはビックリする事だらけだった。
兄はそんな彼女に御構いなし、口早に告げた。
「襲ってきたのは小鬼族の大群だ。俺たちはこの村を逃れキヴァラギ様の村へ向かう。まずはウェナを受け取る。行くぞ」片手に斬馬刀、片手にユウの手を取り、ユタは表へ出た。
聞きたいことは山ほどあったが、兄の背中を追って表に出た。するとそこには巫術師のお爺さんが既に来て待っていた。お爺さんの隣には長槍を持ったラナイさんがいて、後ろはオニマルさんや染め屋のおじさん達が護っている。オニマルさんとおじさん達は皆んな武人のように鎧を着込み同服を羽織っていて、ラナイさんとお爺さんは廟堂の道服を羽織っていた。ユタはお爺さんの前に跪き、彼女に前に来るように促した。
お爺さんは言った。
「調合は終わった。既に呪文ひとつの光は宿されてある。ウェナを受け取りなさい」
彼女が前に立つと、お爺さんは首にウェナを掛けてくれた。その間に忍び寄った小さな黒い影をオニマルさんが斬り捨てた。彼女は息を呑んでビックリした。瞬く間に二匹を退治したからだ。しかし誰も彼もまるで驚いていない。まるで当たり前かのように構えている。
ラナイさんがユタに言った。
「蠻族の大群は北に群れている。第三の抜け道を使いなさい。鍵守りと落ち合う場所は手筈通りに」
無言で頷いた兄のユタ。立ち上がるとユウの手を引き、彼女を促した。「行くぞ」
いくらなんでも彼女も気づいた。その場の雰囲気で。
「ちょっと待ってよ」喉から絞り出した。頭の中がグルグルして混乱の極みだった。「ちょっと待って。皆んなは逃げないの? どうして? どうして私達だけ逃げる?」
優しい声でお爺さんは言った。
「行きなさい。旅立ちの時が来たのだ。少しばかり早かったが、お前は既に答えを知りたがっている。時が満ちたのだ。マアシナ様の導きに従いなさい」
「あんな神さまなんてどうでもいい。信じてない。それよりわけが分からない。どうして皆んなは逃げない」言い返しているとオニマルさんに背中を小突かれた。
「早く行け。ここは俺達が護る。心配するな。襲撃はアオイセナが命懸けで教えてくれていた。予想以上の大群だが何とかできる。けれどお前達が早く逃げてくれないと護りきれない」それからユタに目を向けて「託したぞ」と言った。
ユタは「必ず」と頷いた。振り返り「行くぞ」と言った。
足が動かない彼女を見て、ユタはユウの手を離し、彼女の手を引っ張り駆け出した。ユウが泣きながらついて来た。駆けながら彼女は兄の手を振りほどき、ユウの手を握らせた。今はもうあきらめて隣を走りながら、同じことを聞いた。
「どうして皆逃げない? まさか私達だけ逃げるの?」
ユタは「今は説明できない」とだけ答えた。
通りには人が溢れている。篝火が焚かれ昼間のように明るい。既に入り込んだ人型の異種族と斬り結ぶ人の姿が彼方此方に。隣のルル姉さんとすれ違った。ルル姉さんは着物をたすき掛けしていて、柄の長い鎌を持っていて、彼女に気づくとグイッとガッツポーズをしてみせて。そして駈け去った。「待って」と言う暇もあればこそ。
どうしてルル姉さんまで逃げない、おっとりのくせに、どうして戦う気満々なんだ––。
弓を持った少年が隣を並走していた。レイカナカだった。彼女が気づくと。
「サラハナウラ様。どうかご無事でお逃げください。ここは我らにお任せを」言い残して駈け去った。
「待って! サラハナウラ様って⁉︎ なんで様付けなんだ! どうしてレイまで? 絵師だろ? 子供だろっ?」叫んだが人混みの向こうへ消えた。
人影が途切れ気づけば路地裏の奥の奥へ来ていた。つまり行き止まり。高い壁が聳えている。暗がりの中に待っていたのはニツカヒネだった。
彼女はビックリして言った。
「ニツっ! どうしてこんな所に一人でいるんだっ! 危ないじゃないか、蠻族が入り込んでるんだぞ」しかし彼女の言葉は無視された。
「ユタ様。お待ちしておりました」ほんの少し大人なお澄まし顔で、ニツはユタに向かい言った。
無言で頷いたユタ。
そんな二人に彼女は噛みついた。
「なんで⁉︎ なんなの⁉︎ 意味が分からないっ、ちょっと説明して! お願い」
ニツは突つけば泣き出しそうな、そんな脆い笑顔でこう言った。
「私は第三の道の鍵守り」
サラは全身の力が抜けてしまった。「アンタまでわけわかんない事言わないでよぉ……」
サラの目に浮かんだ涙を見て堪えきれなくなったのか、ニツは友達の顔に戻った。泣きじゃくりながら、一生懸命笑顔を作り、こう言った。
「サラ。きっと元気でいてね。きっと逃げのびてね。そして世界を救って……」後ろを向いて、首飾りを外し、その首飾りの石を壁の窪みにはめた。ボウっと石が光り、足元の石畳が動き、真っ黒い口を開いた。月明かりで急傾斜の階段見える。地下の抜け道への入り口。
もはやサラは口まで動かなくなっていた。
「せ、せかいをすく……なんて今日一意味がわかんな……」




