第6話 ライラだけでできるもん♪
……さてその頃、当のライラちゃんはというと、既に城下町の街門を抜けて、大きく長い坂に差し掛かっていました。
この坂は、馬車が三台は余裕ですれ違えるほど横幅が広く、通行する分には比較的安全に思われますが、坂を上っていくとヴァンパイアの街は全体が見渡せるほど小さくなり、道の端は中々の断崖絶壁になるため、ライラちゃんみたいな好奇心旺盛な子供なんかはうっかり目を離すと「すごーい♪」とか言いながら崖の下を平気で覗きに行ってしまうでしょう。
でも大丈夫です。ライラちゃんは疲れてしまったのか坂を上ってまもなく、座り込んでしまいましたから。
崖から落ちることはありません。
「お腹空いちゃったなー……」
勢いでここまで来てしまったライラちゃん。少しずつ溜まった疲労や空腹が、今になって「不安」という形になって声に出ます。
「お家に帰ろうかな……?」
ライラちゃんは何となく後ろを振り返りますが、そこに見える城下町との距離が、いっそうライラちゃんの不安を煽ります。
「お母さん……」
疲労や空腹を満たすものは、何も持ってきていないライラちゃん。一度空を見上げてから辺りを見渡すと、ライラちゃんの心を強く引き付けるものが目に飛び込んできます。
それは、ライラちゃんから見て右手側にある断崖絶壁でした。そうです。断崖絶壁はもうひとつあったのです。『落石注意』の方です。
全然大丈夫ではありませんでした。
「ほえ~ー…………」
目覚めた子供の様に立ち上がる好奇心旺盛なライラちゃん。不安も空腹も吹き飛ばし、断崖絶壁を目を輝かせながら見上げます。
「あ、マヨ……イ? のモリだー……」
崖の上には『迷いの森』が見えました。因みにこの森は、先代サタンが呪いをかけたとか、凄い魔術師が魔法をかけたとかは一切無いただの森なのですが、何故か迷う人が多いのでこう名付けられたようです。
ライラちゃんはずっと上を見続けて首が痛くなっちゃったのか、ゆっくりと視線を降ろすと、目の前の断崖絶壁をぺちぺちと触りながら、ふと、一年前の思い出がよみがえります。
「おじいちゃん、すごーい♪」
「ははは……。そうだろう、おじいちゃんは凄いだろう?」
それは、ライラちゃんが何故か崖の中腹部分をおじいちゃんのグラジさんと一緒によじ登っている、断片的な記憶でした。
「どうだい、ライラ? 楽しいかい?」
「うん!!」
ライラちゃんはこの断崖絶壁が大好きで、それを知ったグラジさんが孫娘を喜ばせようと、崖を登り始めたのでしょう。
ですが、レイラさんとゲルファさんはたまったものではありません。愛娘の身を案じ、下から大声で叫びます。
「お義父さーーん!! 早く降りて下さーーい!! ライラが怪我をしたらどうするんですかーー!?」
「父さーーん!! 何やってるんだよーー!? 危ないだろーー!?」
ライラちゃんはふたりが必死なって叫んでいるのが面白いのか、きゃっきゃっ、きゃっきゃっと喜んでいます。
「大丈夫じゃーー!! ライラは儂に任せておけーー!!」
「そういう事を言っているんじゃありませーーん!!」
「父さーーん!! そうじゃないんだよーー!!」
レイラさんとゲルファさんの呼びかけも、どんどん登り続けるグラジさんの耳には届きません。
その日は何事もなく無事、迷いの森まで登り切ったグラジさんとライラちゃんですが、レイラさんとゲルファさんに後でしこたま叱られました。
……そんな楽しい思い出に浸りながら(両親にとってはたまったものではありませんが)断崖絶壁をしばし見つめるライラちゃんは、さらりととんでもないことを言い出しました。
「ここ、いまなら私でものぼれるかもー?」
そしてライラちゃんの右手は躊躇なく、断崖絶壁の出っぱりを掴んだのでした。
……ここで時間は、ライラちゃんが家からの脱走を企てる少し前、舞台は人間界に移ります。