第2話 大魔王サタン
しかし、時すでに遅く、瀧川優はサタンの部屋の前に立っていた。……が、なにか様子がおかしい。
「せーいーっと!」押しても引いても部屋の扉が開かないのだ。
部屋の扉は観音開き。瀧川優はその扉を先刻から両手で押したり引いたりして開けようとしている。
「はーっせっ!」やはり、押しても引いても開かない。
「いっはー!」押しても引いても――
「あ……」瀧川優は何かに気づき、顔を赤面させ、耳まで赤くする。
「いやー、これ、横に開く扉だわー。恥ずかしー!」
両手を顔の前でパタパタさせ、火照った顔を冷やそうとする。
「待てー!!」もの凄い勢いで追いかけてくるベルゼブブ。
「やば」瀧川優は扉を開いて、急いで部屋の中に飛び込む!
「あぁ……、サタン様!」
懸命に瀧川優の後を追い、サタンの部屋に入るベルゼブブ! すると……!
「にゃはーん♪ かーやーいーねー♪ ボクー、こんなところでー、何してるのー♪」
男の幼児―― 人間の2歳児だろうか―― を、胸元でだっこして、ほっぺをすりすりしている瀧川優がいた。
それを見たベルゼブブは、また変な声を出す。
「ハエ?」ベルゼブブだけに。
「やぁめてよー! はなしてよー! だれなのー!? おーばーさーんー!」
瀧川優のだっこから逃れようとする幼児は、必死に体をばたつかせる。その幼児は、髪は黒くどーみても平均的な2歳児の体型だった。それにしても、普通おばさんと言われたら、心が傷つくか、殴打されそうだが、
「えー♪ おばさんはねー♪ 瀧川優って言うのー♪ ボクはーここでー、何してるのー?」
幼児の両脇を持ち、胸元より少し離して抱き変えるとそう答えた。おばさんと言われても平気みたい。
「あ……」
瀧川優が幼児と戯れ(?)ながら部屋の入口の方を振り向くと、ちょっと安堵な表情で立っているベルゼブブがいることに、ようやく気づく。ちょっと頬を赤くする瀧川優。そして幼児を右腕でお尻から抱き上げ、胸元でだっこし直し、左の手を口元に当てると「コホン」と咳払いをし、こう言った。
「えー……、そこの貴方、……名前、なんでしたっけ?」
どうやら、名前を忘れたようです。
「ベルゼブブよ! さっき、名乗ったでしょうが!」
安堵の表情から一転、顔をキリっとさせ返答する。
「あ、うん、そう、そうそう。ベルゼブブさん、ここ、サタンの部屋ですよね?」え? さん付け?
さん付けされたことに変な気持ちになりつつ、瀧川優の質問に返答するベルゼブブ。
「そ、そうよ! ここはサタン様の部屋よ! それがどうしたというの!?」
ぷにぷに。ぷにぷに。幼児のほっぺたを指でつつく瀧川優。で、
「肝心のサタンはどこにいるの? この子は誰? 何でこんなところにひとりでいるの? 親は何をしているのかしら!?」
矢継ぎ早に質問する。そしてほっぺを、ぷにぷに。ぷにぷに。
ベルゼブブは断腸の思いで
「……今、あなたがだっこ―― 抱いている方が、今のサタン様―― 現サタン王よ……」と、告げる。
それを聞いた瀧川優は瞬間「へー……」みたいな顔をした……、が、
「あなたがサタンちゃんでちゅかー♪ かやいーでちゅねー♪」
次にはもう、これである。ぷにぷに。ぷにぷに。
「だから、これ以上、ほっぺをぷにぷにしないで!」と、
ベルゼブブは両手を広げ、自分の元へ返すように要求する。
瀧川優は返答こそしなかったが「えー」と、顔で答えていた。その時である。何者かがサタンの部屋に入ってきた。
「優! 遅れてすまん! 大丈夫か!」本明清三郎だった。
なんかちょっと焦げてるし。
「あ、あれ? 何かあったのか?」
急いで現状を確認しようとする清三郎。だが、瀧川優がサタンちゃんをだっこしたまま、清三郎の前まですっ飛んでいき、
「あ! 見て見て清三郎! この子がサタンちゃんだって! かやいーよねー♪」と、紹介した。
「ちょっ!!」ベルゼブブ、瀧川優を静止できず。
清三郎は、目の前の幼児が現サタン王だと聞かされ「へー……」みたいな顔をしたが次には、
「そっかー♪ きみがサタンちゃんかー♪ 今日はー♪ 何してたのかなー?」と、
サタンちゃんのほっぺをぷにぷに指でつつき始めた。
「もー! いーやー! いーやー! なーのー! おーろーしーてー!」
ふたりの勇者につつかれちゃう為、本気で嫌がるサタンちゃん。
後ろでオロオロするベルゼブブ。必死に下に降りようと、サタンちゃんは四肢をのばす。手で瀧川優の顔を押さえつけ、足で顔をふみつける。瀧川優の顔がめにょっと変形する。
「あはははははははははまみみむむむめめめめももももも♪」
瀧川優、嬉しそう。
「ごめんねー♪ サタンちゃん♪ 嫌だったよねー♪」
瀧川優は、サタンちゃんを足の方からそっと地面に下ろす。サタンちゃんは瀧川優から解放されるなり、脱兎のごとく(遅いけど)ベルゼブブの方へ逃げ、後ろに隠れる。そして、そこから顔を出し、そっと覗きこむ。
「ベルおばさん……」
「も、申し訳ありません! サタン様! 私がこのふたりを逃したばかりに!」
ふたりの勇者からかばうように、両腕をしっかりと伸ばすベルゼブブ。
「よくもサタン様を弄んでくれたわね! 今こそ決着つけてやる! 覚悟なさい!」
瀧川優と本明清三郎に向かって指を差し、ベルゼブブはそう言った。
「ねえ」「何!?」
真顔になってから瀧川優が声をかけると、ベルゼブブは即答する。
「先代のサタン王? その子の父親はどうしたの? 子供がいるってことは、母親もいるはずよね? 何処にいるの?」
瀧川優がそう質問すると、ベルゼブブの表情が一変する。
ベルゼブブにとって、一番聞かれたくないことのようだった。
「ぐぅ……」と、
言葉にならない声を出すとしばらく沈黙し、ようやく言葉を発する。
「し……、死んだわ……」
ベルゼブブは少しうつむき加減になり、涙目になりながら言った。
「え!?」瀧川優と本明清三郎が聞き返す。
「亡くなったのよ!! 事故に巻き込まれて!!」
顔を下に伏せ、叫びながら両腕を振りおろすベルゼブブ。
「事故に……って、どういうこと!?」瀧川優は聞き返す。
「解らない!! 解らない!! 何でああなったのか!? あんなの!! 意味が解らない!! 私、どうしたらいいの……! ううっ……!」
両手で顔を被い、ひざまづくと、ついには泣き出してしまったベルゼブブ。今までピンと張っていた何かがプッツリと切れた―― そんな感じだった。
「泣かないで! ベルおばさん!」サタンちゃんが慰める。
「いや? しかし、おかしいな? もし、本当に先代サタンが死んだのなら、そういう噂は人間界の方にも流れて来るはずだ。優、何か聞いていたか?」
本明清三郎が首をかしげながら、瀧川優に問いかけると、首を横にふる。
瀧川優がまた質問する。
「ねえ、その事故があったのっていつ?」
ベルゼブブが少し声をかすらせながら答える。
「……2週間前……」
「最近やないかい!!」
「最近やないかい!!」
瀧川優と本明清三郎が同時にツッコム(?)。
「あの事故のせいで、城から魔族は半分近くは出ていくし!! 貴方たちが攻めてくるっていうし!! どうしろって言うの!! もういや!! やってらんないわよ!!」
また泣き出すベルゼブブ。
「なるほど、だから、ここまで来やすかったわけか」
顎に手をあて、清三郎は言う。
サタン城に、魔族が決して居ないわけではなかった。しかし、瀧川優と本明清三郎が攻め入った時、襲いかかって来る魔物の数は、多いとはいえなかった。普通なら、囲まれたり、道を塞がれたりするほどの魔物がいるものだが、必ずどこかに隙があった。
瀧川優と本明清三郎にとっては城に入る前―― むしろ、道中の方が大変だったかもしれない。
「ベルゼブブさん、そんな大変な中、ずっと気を張って頑張ってたのね、なんか、ごめんねー!!」
瀧川優、ハンカチで涙を拭いながら、(泣)。なんか、またさん付けだし。後、ハンカチはどこから出した?
「あーーーーーーー!!!!!!」
その時である。扉の方から、可愛い、子供の声が聞こえたのは。