1-6:力試し
「事情はだいたいわかったよ」
しいの話を聞き終えた龍は浅くため息をついた。
「学校生活ってのは大変だな、いつの時代も」
「ごめんなさい……。龍さんを呼び起こしたのが、こんなに自分勝手な理由で、がっかりしましたよね」
しいは喋っている間にもどんどん目が潤んでいっていた。
蘇ってからずっと、ほぼ彼女の涙目しか見ていないような気もする。
「馬鹿にされたのが悔しくて啖呵を切ったのに、結局、自分ではどうしようもないんです。誰かの力を借りなきゃ何もできない臆病者です。それに……その……実は、わたし、除霊師なのに霊が大の苦手で……」
「知ってるけど」
「ふえっ!?」
急に赤面して間抜けな声をあげるしい。まさか気づかれていないとでも思っていたのだろうか。思っていたのだろうな……。
龍は姿勢を正して、しいの肩に手を置いた。体が強張るのを感じたので、落ち着かせるために、ゆっくりと話しかける。
「幽霊が怖いのはともかくだ。少なくとも俺は、お前が自分勝手だとも臆病だとも思わない。力が足りないのなら誰かに頼るのは当たり前だ」
「そ、そんなこと……」
「むしろ人が良すぎるだろ。だって『花子さん』に連れていかれた奴は、しいをいじめてたんだろ。もしも生前の俺がお前と同じ立場なら、絶対に放っておくと思う。ざまあみろってな」
「悪魔みたいなこと言いますね!?」
「それが普通だと思うぜ。嫌いな奴のために、嫌いなことを我慢してやってやろうなんて、俺みたいな並の人間には到底できっこない。お前はすげえ優しくて、すげえ勇気を持ってるよ」
「え……え、えへへへ、そ、そうでしょうか……へへ……」
しいは涙目を拭って、ニヤついた笑いを浮かべ始めた。普段、誰かに褒められることに慣れていないのだろう。お世辞と思われたかもしれないが、それでも、龍が語ったことはすべて本心だった。
「俺にできることは何でも協力する。二人で、その幸田健美とかいうクソ野郎を助けてやろう」
「はい、ありがとうございますっ!」
笑顔になったしいの背中をポンと叩いて、龍は畳から立ち上がる。
さっきから座りっぱなしだったので全身の筋肉をほぐしたくなる。幽霊になっても肉体の感覚があることに驚きながら伸びをしていると、しいがじっと龍の顔を見ていることに気がついた。
「顔になんかついてる?」
「あ、いえ……その、一つ聞いてもいいですか?」
「ん?」
「わたしから頼んだこととはいえ、どうしてそんな熱心に協力してくれるんですか?」
「あー……」
龍は綾の仏壇に目を向ける。綾の仇を取るためだけに動くのならば、確かに、しいのことなど無視してしまっても良いのかもしれない。言われて気づいたことではあるが、しかし、そうしない理由が龍にはあった。
「協力する理由は三つある」
三本指を立てる。
「一つ、友人の娘の頼みを断るわけにはいかないから」
丹治が龍を頼るように言ったのだから、期待を裏切るわけにはいかない。
「二つ、寺誉を馬鹿にするやつを、個人的に見返したいから」
しいをいじめる二人組の、特にリーダー格の島霧鈴愛の態度は、どことなく龍の母親と重なって見えた。三十年前、お袋が丹治を根拠もなくこき下ろしたことを、龍はまだ許していなかった。
「三つ目は……」
そこで龍はもったいぶって間をとる。
「……マブいからな! お前が!」
ぶっちゃけ、しいは龍の好みのタイプだった。
だって和服ロリ巨乳とか最高じゃね?
できるだけいい笑顔を作って言い放ったのだが、しかし、肝心のしいはピンと来ていないようだった。
「……”マブい”ってなんですか?」
「えっ」
「わかりました、死語ですね! 流れ的に子供っぽいとかそういう意味でしょう!」
「あっ、ちょっ、ちが……」
完全に勘違いで怒りだしたしいを前にして、龍はしどろもどろになる。
当時”マブい”といえば”いい女”を指す流行り言葉だったものだが、どうも現代では使われなくなっているらしい。
まったく想定外のところでダダ滑りした恥ずかしさで訂正できないでいると、ぷりぷり怒っていたしいが、今度は急にうつむいた。
「まあ……子供っぽいのは否定しませんけど……」
「(めんどくせえ~~~~~~~!!!)」
勝手に怒って勝手に落ち込まれても困る。三十年間のジェネレーションギャップとはかくも溝の深いなものなのか。
「とにかく! とにかくだ!」
おかしなことになった場の雰囲気を龍は必死に持ち直そうとする。
「俺はお前に協力する! 以上! どうする、もう学校に出発するか? 今日の夕方なんだろ?」
「あっ……そう、その前にですね。準備をしておかないと。龍さんにもやってもらいたいことがあるので」
「お、なんだろう」
会話が普通のテンションに戻って安心する。
しいは薄桃色の和服の帯から鍵束を取り出すと、嬉しそうに微笑んだ。
「龍さんの力試しです」
***
外に出た二人は、一乗寺から続く小道を進んだところに建つ、立派なお蔵の前に来ていた。
「そういえば、この蔵から黒い巾着袋を持ち出したんだっけ」
怪しげな札の張られた木箱を持って、蔵から早足で出てきたしいに尋ねる。
瓦屋根に白壁造りのお蔵は、軽々しく入るのがはばかられる荘厳な雰囲気を纏っていた。
「ですね。だいたい大事なものはこの中にしまってあります」
「俺は巾着を”呪い除け”と言われて渡されたけど、魂を閉じ込めておく効果なんてのもあったのか」
「どうなんでしょう……。あの巾着の不思議な幾何学模様は、わたしの知識では見覚えがなかったですね。まだまだ勉強不足なので、お父さんだけが使えた高等な術式なんだと思います」
「奥が深いのな、除霊術」
俺の魂を悪霊から救い出した丹治が、なぜ魂を成仏させずに、三十年間も封印しっぱなしにしていたのか。
別に悪い気はしないので今まで気に留めていなかったが、今度丹治に会ったら改めて尋ねてみようと思った。
「で……その箱、何?」
しいが蔵から取り出した木箱を指差す。
「この中にはですね、以前退治した悪霊の残りカスが入っています。除霊の訓練用のザコ敵です」
「ははあ」
「龍さんはすでに現世への物理的干渉を簡単にやっちゃってるので、上級の霊以上の力はあると思うんですけど。悪霊と戦う方法は覚えておいたほうがいいので」
「それは俺も助かる」
「じゃあ、まず除霊の基本を説明しますね」
しいは、かけてもいないメガネをクイッと上げる真似をする。
「除霊の方法は主に二種類あります。”成仏”と”滅法”です。」
「ふむふむ」
「現世にいる霊は、みんな因果の糸に縛り付けられています。その糸を因果律に沿って解いてやる……平和的な除霊方法が、”成仏”です。幽霊の未練を晴らしてあげたり、言霊の元となる噂自体を流れなくしてしまったりする方法です」
「それなら霊感さえあれば誰でもできそうだけど」
「はい。”成仏”ならわたしにも一応できます。ただし致命的な欠点があって、時間がかかるんですよ。だから今回のように被害者を助けたい場合など、スピードが求められる場面では使えません」
「なるほどなあ」
「そういう緊急事態に使うのが、”滅法”です。これは因果の糸を強引に断ち切る攻撃的な除霊方法です。相手の霊体に暴力でダメージを与えるんです。即効性に優れますが、霊体に対して干渉する手段がなければ使えません。霊体同士、つまり今の龍さんなら、単純に殴り倒せば除霊できるでしょう」
「嬉しいニュースだな」
龍は拳を握って笑う。
「でも、人間の除霊師はどうやって“滅法”を使ってるんだ?」
「いろんな方法があるので話すとまた長くなるんですが……。寺誉の家系は、自身の霊力を武器として出力する”滅法”によって、悪霊と戦ってきました」
「おお、霊力を武器に! かっけえ!」
「いや……その……」
しいは口をモゴモゴさせる。
「でも、わたしは本当に才能がなくて…………頑張ってもこのくらいしか……」
しいは右腕を前に差し出し、念仏のような呪文を唱え始めた。
すると、雨粒大の青白い光球がいくつもしいの体を纏い、やがて手のひらに集まって一つの形を作っていった。
数十秒後に霊力によって生成されたその物体は、毛玉のようだった。優しく、ふわふわと、しいの手のひらで転がっている。
「何……これ?」
「これ、毛玉です」
「見たまんまかよ!」
「しょっ、しょうがないじゃないですか! 霊力に殺傷力を与える一番簡単な方法は針の形にすることなんです! でも、細くすることはできても、どんなに頑張っても”硬くならない”んです!」
もう半べそだった。
「だから……ふわふわの毛を作るのが……精一杯なんです……」
「ま、マブい……」
「子供っぽくて悪かったですね!!!!!」
龍は笑いをこらえていた。しいは触り心地の良さそうな霊力の毛玉をしまうと、木箱のお札に手をかけた。
「とにかく、今見たいのは龍さんの力なんですから! いいですか、出しますよ!?」
「オーケー、どんと来い!」
龍は腰を落とし、両腕を胸の前に持ってきて、中段で受ける構えをとった。箱から何が出てきても、とりあえずこの型ならば自由に対応できるはずだ。
しいがお札を剥がした――直後、蓋がバネのように開き、中から一斉に赤黒い物体が飛び出した。
赤黒くぬめぬめした触手のような物体は、粘液を撒き散らしながら箱から這い出ると、臨戦態勢を取っていた龍に向かって――ではなく――すぐ近くにしゃがんでいたしいに向かって一斉に押し寄せた。
「いっ……ひゃあああああああああああああああああ!!!??????」
嬌声が響き渡る。
一瞬で触手に足を絡め取られたしいは、抵抗しようとするも、あっけなく転んでしまった。
隙間だらけのしいの和服のあちこちから、ぬめぬめが這って無遠慮に入り込んでいく。
「ちょっ……やめっ……ヒィ……た、助けっ……ひゃひゃひゃいいぃぃ……!」
恐怖とくすぐったさで顔をまだら色にしながら、あられもない姿を晒しているしい。
まるで巨大で淫靡なイソギンチャクに捕食されているようで……龍は、目を背けた方が良いと思った。
「りゅ……龍さん! ちょっと! 見ないふりしないで……これを早く……っ……ああああああああああそこはダメ!! ストップ……ストップ!!!」
「しょ、しょーがねーなー……」
龍は重〜い腰を上げる。
できるだけ脇見をしながら歩いて近づくと、まずは試しにと、一発、正拳突きを触手にぶつけてみた。
――瞬間、空気が膨張した。
殴ったところの触手の肉が膨れ上がったかと思うと、視界が白い光に覆われ、熱をともなった爆風が広がった。
とっさに顔を腕でかばい、飛ばされないように足を踏ん張る。
数秒後、爆風が収まって顔を上げると、そこに触手は跡形もなく、和服がはだけて粘液まみれになったしいが、息を上げてへたり込んでいた。
「い、今の……俺がやったのか……?」
触手にぶつけた右の拳を見る。たった一突きで、これほどの威力。
「すごい……」
しいもあっけにとられてつぶやく。
想像以上の力だったのだろう。今さっきまで酷い目に遭っていたことも忘れた様子で、俺のことを信じられないという目で見ている。
「あー……」
言葉に困った。
「これなら『花子さん』はなんとかなりそうだからさ……」
「……はい」
「とりあえず、しい、もっかい着替えてこよっか……」
直後、力のない平手が龍の頬をすり抜けた。