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1-5:プロローグ『C』

 島霧鈴愛(しまぎり すずめ)幸田健美(こうだ たけみ)は寺誉しいにとっての敵だった。


 彼女たちはしいのクラスメイトの中学一年生だ。島霧さんは文句なしの美少女で、明朗快活なみんなのリーダー。幸田さんは高身長で運動神経抜群、バレー部期待のルーキーだ。そして、二人ともカッコいい彼氏を持っていた。

 つまり“リア充”……チビで、臆病で、除霊師の仕事に日常を縛られたしいがどんなに望んでも手の届かないところにいる雲の上の存在である。

 しかし、しいの手は彼女たちに届かなくとも、彼女たちはいとも簡単に、しいのことを足蹴にしてくる。


 一日前の昼休みにもまた、しいは島霧幸田の二人組に教室の隅で絡まれていた。


「何書いてんの?」


 しいが黙々と綴っていた学習ノートを、島霧が背後から不意に取り上げる。

 整然と書き記していたページに、ボールペンのインクが汚い糸を引いた。


「あっ……!」

「『その出自による霊の三つの分類。精霊スピリット幽霊ゴースト言霊ミーム』……うわっ、びっしり書き詰めてある。超キモいんだけど。ほら健美、見てみなよ」


 島霧はせせら笑いながら、ノートを幸田に手渡す。幸田はノートの中身をほとんど読まないまま「キッモ」と同調した。

 しいは、怖いのを我慢して必死に勉強している除霊術を「キモい」の一言で笑い飛ばされたことに腹が立ったし、一切興味を示されなかったことにも自分の存在意義を定されたような気分になった。

 島霧は馴れ馴れしくしいの肩に手を回し、身体を乱暴に揺さぶる。


「一人でオカルトごっこなんてまだやってんだ。そういう陰キャっぽいの、みんなに嫌われるよ」

「お、オカルトごっこじゃない……もん……っ!」

「は? 何言ってんの?」


 弱々しく発した抗議の言葉は、威圧的な声に殺された。

 島霧が目配せをすると、幸田は教室の窓を開け、ノートを持った手を外に突き出した。2階の窓の真下には、前日の雨が作った泥のぬかるみが待ち構えている。


「やめてっ! 返して!」

「じゃあ、みんなに謝りなよ。『わたしはインチキ除霊師です。みんなを騙してゴメンなさい』って」

「そ、それは……」


 除霊師であることは他人に明かしてはならない。

 父の丹治から幼い頃に教えられた規則だ。

 理由は二つある。一つは、しい自身が白い目で見られるようになるだろうから。もう一つは、仮に信用されたとしても、本当にオカルトや心霊現象を信じる人間が増えてしまったら、言霊も生まれやすくなってしまうから。

 ところがしいは、中学校に入学してすぐに、自分が除霊師であることを明かしてしまった。小学生時代はただの影の薄い子だったから、進学を機に自分の立場を変えたいという個人的すぎる欲望が勝ってしまったのである。有り体に言えば、中学生デビューのつもりだった。

 ――父の懸念どおりに誰からも信じてもらえなかったどころか、気味の悪いやつだという評判が立って敬遠されるようになったのだが。


 一度、八分儀中学校で霊障事件が発生した。しいは自分の正しさを証明するチャンスだと喜び勇んでクラスメイトに霊障の危険性を説いて回った。しかし彼女自身に事件を解決できるだけの力はなかった。

 結局、被害者が出る前に、父がいつも通り穏便かつ速やかに事件を解決し、しいには「ことを騒ぎ立てただけのインチキ除霊師」のレッテルだけが残った。


「謝ったら、この趣味の創作ノートは返してあげる」


 島霧は念を押した。ノートは今にも幸田の指先からこぼれ落ちそうだった。

 しかし、しいは意固地だった。

 半べそになりながらも、島霧が肩の腕を緩めた隙を突いて、しいは幸田に飛びかかった。

 幸田は体勢を崩した。ノートはそのまま落下し、幸田は窓のサッシに顔をぶつけた。


「痛っ!」


 小さなうめき声が聞こえた。

 幸田の右目まぶたに大きな切り傷ができていて、赤い血がだらだらと流れ始めた。


「あっ、ごめ……そんなつもりじゃ……」


 しいは呆気なく立ちつくす。傷つけるつもりは全くなかった。求められていたのとまったく違うことで反射的に謝ってしまったが、二人にその言葉はまったく聞こえていないようだった。

 いつの間にか教室中の刺さるような視線が三人に集まっていた。


「最ッッッ底!!」


 島霧は大声で吐き捨てるようにしいを罵ると、「健美大丈夫? 保健室いこ?」とわざとらしく肩を貸して教室を出て行った。


 しいには自分の何が最低なのかまったく理解できなかった。


***


 幸田健美が行方不明になったのは、その日の夕方だった。


 証言者は島霧鈴愛だった。


「放課後、健美と一緒にお手洗いに行ったの。お互い個室に入って、あたしが出てきたら、健美がどこにもいなかった」


 バレー部で彼女を目撃した人はおらず、自宅にも帰っていないという。

 翌日、話は瞬く間に学校中に広まった。同時に、誰が言い出したのか「『鏡の花子さん』が幸田健美を連れ去った」と囁かれるようになった。

 

 『鏡の花子さん』の噂はそれまでもポツポツ語られていたものの、実際に誰かが行方不明になったことはなかった。

 しかも幸田はお洒落に頓着しない性格のスポーツマンで、化粧もせず髪型もいつも同じショートヘアだったから、彼女が「花子さん判定」に引っかかると考える友人は一人もいなかった。


 ところが、その日の午後の幸田には普段と明らかに違う点があった。


 しいとの喧嘩で怪我を負った右目に、眼帯を付けていたのである。


「わ、わわ、わたしのせいだ……」

(話を聞いていた龍はここで「しいのせいじゃねえだろ」と間髪入れずにフォローした)


 しいは震えが止まらなかった。話を聞いて、幸田が消えたという女子トイレの鏡を真っ先に調べた。しいの霊感は弱いが、感覚をできる限り研ぎ澄ませると、鏡からほのかに霊力に特有の刺激臭が漂ってきた。

 幸田健美の失踪が、『鏡の花子さん』にまつわる霊障事件であることはもはや疑う余地もなかった。


「島霧さん、幸田さんは今……鏡の中にいると思う」


 すぐに島霧に報告した。しかし、当然というべきか、島霧は鼻を鳴らして否定した。


「健美を傷つけておいて、まだそんな嘘を吐くの? 『花子さん』なんているわけがないじゃない。このインチキ」

「ちがっ……インチキじゃない……!!」


 しいも簡単に引き下がるわけにはいかなかった。


「今度こそ本当なの! 『花子さん』は実在する。このままじゃ健美さんが戻ってこられなくなる。だから――」

「だから何? もしもそうだとして、あんたが健美を連れ戻してくれるわけ?」

「それは……っ!」


 そこですぐに返事ができるほど、しいは自分に自信がなかった。

 事実、度胸も実力も足りていない。悪霊を浄化するのは、いつだって父だった。

 しかし、今、父は家にいない。地方の強力な悪霊の対処を依頼されて、一週間以上家を空けることになっている。強力な悪霊には通信機を媒介して干渉してくる個体も多いため、スマートフォンもノートPCも携帯していない。すぐに連絡する手段はなかった。


 しいが黙り込んでいると、ゆっくりと、島霧が意地悪な笑みを浮かべた。


「わかった。あんたにチャンスをあげる」

「チャンス……?」

「そう、名誉を挽回するチャンス」


 島霧は人差し指をしいに突きつけて言う。


「今日の放課後、眼帯を付けてきなさい。それで、同じトイレの鏡の前に立つの」

「えっ……」

「あんたが本物の除霊師なら、『花子さん』を除霊できるはずでしょう? 囮になっておびき寄せて、健美を助けてあげて。あたしは後ろからビデオを撮って証人になってあげるわ」

「で、でも」

「ただし『花子さん』が現れなければ、あんたの話は全部嘘。鏡の前で奇行に走る無様な姿が、学校中にさらされるでしょうね」

「…………」

「どう? やるの? やらないの?」


 しいは逡巡した。

 不安要素は数え切れないほどある。

 しい単独で悪霊を浄化できたことは一度だってない。

 いざ花子さんを前にしたところで、恐怖で気絶してしまわない自信もない。

 島霧さんの思うように事が進むのも癪なことこのうえない。

 それでも――

 しいは島霧を睨みつけると、意を決し、口を開いた。


「やってやる!」



***



 こうして、しいは一来寺の蔵の重い扉を開けた。

 蔵の奥の奥、懐中電灯で照らしながら涙目で進んだ暗闇の先に、“それ”はあった。

 

 不可思議な幾何学模様の施された、黒い巾着袋。


 父の不在時に万が一の事があれば開けるようにと言われたその巾着は、底冷えする蔵の最奥部に眠っていたにもかかわらず、ほんのりと温かみを帯びていた。


「この中に、お父さんのお友達、風鳴龍さんの幽霊が……?」


 幽霊に頼るのは怖い。

 できることならば自分一人で解決したい。

 でも、それで失敗するのはもっと怖い。

 悪霊相手に”失敗する”とは、すなわち、お母さんと同じ運命をたどるということなのだから。


「わたしに……勇気をください」


 なけなしの勇気を振り絞って、しいは黒い巾着を持ち出した。


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