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1-1:俺、幽霊になります。

 眠りから覚める感覚というものは時と場合によって様々で、一言で説明しづらい。


 目覚まし時計に叩き起こされるときは直前まで自意識は真っ暗であるし、逆にまどろみの中で「起きなきゃ……起きなきゃ……」と脳みそだけは覚醒しているのに身体の方が動いてくれないこともある。


 睡眠時間の認識も難しい。

 就寝から起床までの間には何時間も経過しているはずであるが、眠っている間はそれほどの長い時間を意識できない。かといって、睡眠中の自意識は完全に途切れているのかといえばそうとも言えず、「眠った直後その瞬間に起床した」と認識することはない。「眠っている間の時間」というものが存在したことを、漠然と感じとっているのだ。


 ところが、「眠りからの目覚め」と「死からの目覚め」はまったく違うものだった。

 端的に言えば、死からの目覚めはタイムスリップだった。「死んでいた間の三十年間」をまったく認識できなかった。

 過去から未来へ、龍の意識は時間を飛び越えたのである。



***



 夜の住宅街で無様に倒れた龍は、後悔に苛まれながらも死を覚悟し――


 次の瞬間、明るい太陽の下で、砂利の上に突っ立っていた。


「え……?」


 あたりを見回す。

 白い砂利の敷き詰められた庭園のど真ん中。

 庭の左右には立派な松林が植えられていて、ちょうど真正面に瓦屋根の寺院が門を構えている。小池のししおどしが音を立てて傾いた。


 この場所を龍は知っている。

 一来寺だ。

 さっきの今まで夜の路地に倒れ込んでいたはずなのに、いったい何が起きたのか? 


 悪霊――そう、丹治の魔除けが燃えていたから、あれは悪霊だったのだろう。悪霊に取り憑かれ、龍の心臓は確かに止められたはずだった。全て夢だったのだろうか。あるいは今この瞬間が夢の中なのだろうか。

 夜道から昼の一来寺に瞬間移動したことが意味不明であるし、庭の木々の背丈が龍の記憶にあるよりもずいぶん成長していることも不自然だ。


 とにもかくにも、立ち止まっていてはどうにもならない。

 あたりを散策しようと思い、数歩進んだところで、龍は足元に違和感を覚えた。

 地面を踏みしめた感触がない。身体は前に進んでいたが、砂利を踏んだときに聞こえるはずの小気味良い「サクッ」という音もしない。


 龍は足元を見下ろして――そして、危うく腰を抜かしかけた。


 足首までジーンズを履いているのは問題ない。

 しかしその先、くるぶしから下にかけての身体が半透明になっている。

 脚を上げると足先も透明なまま持ち上がった。靴底に触れようとした手のひらは虚しくも空をすり抜けた。


「これって……まさか……」


 足の半透明な死んだ人間。

 今の龍の状態を形容するにふさわしい言葉が頭に浮かんだ。

 いや、まさか。そんなことあるわけがないと、馬鹿げた考えを否定しようとした時だった。

 カラスが一羽、正面にある松の木から飛び立った。

 カラスはまっすぐに宙を滑空し、人間が通り道を塞いでいることをまるで意に介さないまま彼の胴体のど真ん中を素通りしていくと、小池の魚をついばんで空へと舞っていった。

 龍は呆然とした。たった今、他の物体が何事もなくすり抜けたばかりのお腹に、ゆっくりと手を当てる。当然、カラスのぶつかった感触はなかったし、血も流れていなかった。


「……俺、幽霊になっちまったのか?」


 信じるより他になかった。

 龍は命を落とし、この寺の庭園にて幽霊になった。

 風鳴龍はもうこの世にいない。その事実を否応なく突きつけられ、しばらくショックで動くことさえできなかったが、やがて気持ちが落ち着いてくると、ふつふつと高揚感が湧き上がってきた。龍がこの世ならざるものとなってから初めて覚えた感情は、不安や、ましてや恐怖でもなかった。


「す……すげえよ!! ははは!!!!」


 笑いがこみ上げてくる。これが笑わずに居られるか! 今、自分自身が幽霊として、この世界に存在している! 

 「幽霊なんて都市伝説」と確かに豪語していたが、本当にいるならばその方が絶対に面白いに決まっている! 

 今の龍には悪霊として人間に悪さをしようなどという邪な考えも微塵もない。自我はこれ以上なく鮮明だ。


 今日から中学校で勉強をする必要もないし、映画館だって年中フリーパスだ。お袋のうるさい説教からだって解放される。

 お袋――それに、妹と親父。龍の死に直面したはずの家族に考えが及ぶと、チクリと罪悪感で胸が痛んだが、しかし、死んだこと自体は龍だって不本意だったのだ。あんなものは事故としか言いようがない。

 丹治の言葉を真剣に受け止めていれば防げた事態なのかもしれないが、道端で突然悪霊に襲われる可能性など普通の人間は考えないではないか。

 死んでしまったものはどうしようもない。

 それよりも、龍の頭は霊体という未知の存在になったことへの興奮でいっぱいだった。


「ヒョオオオオオオオオオオ!!!!」


 拳を振り上げ、高らかに声を張り上げたときだった。

 右手の松林から、せわしない物音が聞こえた。振り向くと、ひときわ立派な松の後ろに、小さな人影が身を隠すのが見えた。


 羞恥心で心臓が――もう心臓は止まっているが――跳ね上がる。

 もしかすると、今の恥ずかしい奇声を聞かれたのかもしれない。カラスには身体を素通りされたが、幽霊になっても人には姿や声が認識されるのか?

 

 平静を装って、誰かが隠れているはずの木に近づいていく。すると、木陰から腕が伸びて、何か小さくて四角いものを龍の方に思いきり投げてよこしてきた。


 見慣れない機械だ。

 手のひらサイズの薄いプラスチックの箱の表面に、テレビのモニターのようなものが一面に広がっている。画面は光を発していて、空色の模様を映し出している。

 手のひらに収まる大きさの画面といえば、ゲーム&ウォッチを彷彿とさせるが、操作するためのボタンがないし、これほど綺麗で色彩豊かな画面も見たことがない。


「なんだ……これ?」


 触るのをためらっていると、突然、機械が振動した。


「うおっ!?」


 伸ばしかけていた手を引っ込め、情けなく後ずさる。そのまま動き出すのかと警戒したが、機械は一瞬だけ震えた後、また静かになってしまった。

 よく見れば、画面に表示されている内容が変化している。さっきまで空色の背景だけだったところに、白い吹き出しと日本語の文章が現れていた。

 遠目からでは文字が小さくて読みにくい。幽霊の身体で物体に接触できるのかどうか自信がなかったが、「拾おう」という意志を持って機械をつかむと、そのまま持ち上げることができた。便利な身体なもんだ、と感嘆の口笛を吹きつつ、表示された文章を改めて読む。


『あなたは風鳴龍さんですか?』


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