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0-2:2017

 あてもなく夜の住宅街をぶらついた。

 

 お袋の無神経な言葉は許せなかった。一方で、ありえない話を語る丹治を不気味に感じてしまった気持ちが少しだけあるのも確かだった。明日にでも、笑い飛ばさず真面目に話を聞いてやろうと思った。


 そんなことを考えていたときだった。ふいに、あたりが一層暗くなっていることに気がついた。


 はて、と思って頭上を見上げてみると、街灯から光が消えていた。

 それどころか、周囲の民家の窓にも明かりがまったくない。目をこらさなければ一寸先も見えなくなっていた。


「停電か……?」


 停電にしては誰も騒ぎ立てていなかった。腕時計の針は21時。寝付く時間にはまだ早い。

 しかし、妙に静かだった。というよりも改めて意識してみれば、人の気配どころか、一切の物音が聞こえなくなっていた。張りつめた静寂に包まれていた。


「おいおいおいおい……なんだよこれ」


 俺は幽霊を信じていなかった。

 だから、ありもしないものに恐怖心を膨らませることはなかった。

 とはいえ闇夜のただ中に一人取り残されるというのは、もっと根源的な、どうにもならない不安をかき立てられた。

 息が詰まった。手のひらにじんわりと汗をかいた。ジーンズで汗を拭おうとして――

 

 手首を、何か柔らかくて冷たいものに掴まれた。


「――――!!!???」


 突然のできごとだった。手首から、底冷えするような悪寒が伝って来た。


 叫びたいのをこらえ、腕をひねり、とっさに身を翻して背後に振り向いた。

 何も見えなかった。しかし気配があった。眼前の暗闇に、一層濃くて深い闇をまとった”何か”がいた。

 そしてその”何か”は、明白な悪意を俺に向けていた。


「マジかよ……」


 俺は幽霊を信じていなかった。

 しかし、相対している何かが埒外の存在であることは、少なくとも確かだった。


「おい」


 言葉の通じる相手であること願って、闇に向かってしゃべりかけた。


「誰かそこにいんのか」


 今思えば、俺は平常心を失っていたのだろう。相手の正体が何であるにしても、逃げるという選択肢が頭になかったのだから。

 あるいは、昼間丹治に語った雄弁が自分を縛り付けていたのかもしれない。「映画は映画。現実は現実」と。


「聞こえてんだろ」


 再び語りかけた。やはり返事はなかった。


「……隠れてんなら出てこいよ」


 そう言った途端、ひゅう、と風がなびいた。

 反応する隙も無かった。殴りかかろうとするよりも先に、全身が凍り付いたように動かなくなった。身体がまるで棒きれのように硬直し、おもむろに倒れ込んでコンクリートに顔面をしたたかに打ちつけた。


 何が起きたのかわからなかった。叩きつけた鼻から熱い血が流れ出るのとは対照的に、身体はあっという間に凍えていった。

 ”何か”に必死に抵抗しようとした。しかしどんなにもがこうとしても、手足はピクリとも動かなかった。

 眼球だけはかろうじて動いた。あたりを見渡そうとして、うすぼやけた視界の端に、見覚えのあるものを捉えた。


 それは黒い巾着袋だった。昼間、丹治から「呪い避け」と称して渡されたものだ。さっき倒れ込んだ拍子にポケットから転がり落ちたのかもしれない。

 そして、道ばたの巾着は、煙を立てて燻っていた。

 丹治の言葉が脳裏に蘇った。

「強力な悪霊が近づくほど次第に熱を帯びる。万が一それが勝手に焼け焦げた場合、命の危機が迫ってると考えた方が良い」

 命の危機――その言葉がリフレインした。巾着はまさに焼け焦げている真っ最中だった。刺繍された幾何学模様に沿って、か細い火が赤く立ち上っており、暗闇の中で煌々と存在を主張していた。

 いつから熱を帯びていた? ポケットの中に入れてあったから、意識を向けていればもっと早くに気がつけたはずだった。呪い避けを冗談だと笑わず、真摯に受け止めていれば、この事態は防げたのだろうか。

 除霊師に、丹治に助けを求めなければならなかった。しかし、どうやって?


「(俺……死ぬのか……?)」


 身体に広がる冷気は思考することさえ許してくれなかった。身体だけではない、もっと深いところにまで、”何か”は侵入してきた。代わりに、自意識が泥沼の底に沈んでいく。


 やり残したことは、きっと数え切れないほどあった。一ヶ月後には空手の地区大会に出場する予定だったし、楽しみにしていた新作映画も何本もあった。高校受験は――まああまり試験勉強のことは考えたくなかったが――進学したらにいっちょ華々しい高校デビューをしてやろうなどと密かに画策もしていた。最近クラスメイトから告白されたという妹の恋路の行方も兄としては最後まで追いたかった。出張中の親父と最後に言葉を交わしたのは一週間前のことだ。お袋との最後は、喧嘩別れという最悪の形になってしまった。


 後悔が走馬灯のようにあふれ、その全てが瞬く間に暗闇へ消えていった。


 もはや視界も闇に包まれ、意識が途切れそうになる寸前、どこかから声が聞こえてきた。


「――う! 龍!!」


「(丹治……?)」

「……龍! 離れて!」

「(おせえよ、馬鹿野郎……)」


 心中、ごちた。丹治が悪いわけではないことはわかりきっていた。

 悪いのは、ダチの言葉を信用してやらなかった俺の方だ。

 ほんのかすかに、聞いたことのない言葉を紡ぐ丹治の声が聞こえた。それが、俺の脳にある最後の記憶だった――。


 こうして命を失ってから初めて、俺は幽霊を信じた。


 俺を殺した悪霊の実在を、信じたのだった。



***



「――というのが、俺が死んだ経緯なんだけど」


 龍はようやく語り終えて一息ついた。

 あぐらを組み直し、盆に乗った茶を無造作にすする。味はしない。気分だけだ。


 目の前に正座している女の子を見やる。

 おかっぱ頭に、きゅっと結んだ口元。まだ幼さの残る顔つきだが、一応中学生らしい。服装は薄桃色の浴衣のような和服だ。着物の上からでもハッキリとわかるくらいに胸がふっくらしている。

 そして女の子の顔は青ざめ、目に涙を溜めていた。


「あー……。今の話、怖かった?」

「こ――」


 尋ねた途端、蒼白だった顔にさっと朱が挿した。


「怖くなんてありません! ええ、ええ、そりゃもっと描写を控えてもらって、ざっくりした説明だけで良かったとは思いますけど。わざと怖がらせてるのかなって疑いましたけど。でも慣れっこですもん。力は弱くても、悪霊なんて毎日相手にしてますもん。だってわたしは――」


 女の子は大きく息を吸い込んで、キッと見得を切った。


「除霊師ですから!」

「悪かったよ……」


 除霊師。悪霊を祓うことを生業とする職業。生前の龍は信じていなかったが、今はもう当たり前のように受け入れている。

 ちょっと落ち着いた様子の女の子は改めて口を開いた。


「本当に、お父さんと友達だったんですね」

「ああ」


 お父さん。確かにそう言った。初めて聞かされたときはにわかに信じられなかったが、じゃあ、やっぱり……


「きみは……丹治の娘さん……なんだね?」

「はい。寺誉しい……わたしの名前です」


 寺誉。わかりやすく珍しい名字である。もはや同性同名を疑う余地すらなかった。

 そして、この場所は”一来寺”の客間。

 何度か来たことがあるからわかる。10畳一間の質素な和室に、壁には立派な水墨画の掛け軸。備え付けのテレビが薄くなっていたりするなど些細な相違点はあるが、紛れもなく記憶にあるとおりの一来寺だった。


 さっき渡された新聞の欄外をもう一度読む。

 小さく印字された西暦は、2017年。

 龍が命を落としてから、30年後の未来にあたる日本。


 つまるところ――


「さっき庭で聞いた話をまとめたいんだけど」

「はい」

「俺が死ぬ直前、丹治は俺の魂を救い出した」

「はい」

「魂だけになった今の俺は、悪霊と戦うことができる」

「はい」

「その力で、しいちゃん、君を助けて欲しい……と。そのために君が俺を呼び起こしたと」

「……はい」


 宙を仰いだ。


「悪霊の実在が、人生で一番の驚きだと思ってたんだけどな……」


 そんなことはなかった。

 蘇って早々に剛速球をぶつけられた。


 こうして、風鳴龍の二度目の人生は幕を開けたのだった。

 


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