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1-8:幽霊 VS 言霊 


 龍は女子トイレに入るのは初めてだった。見慣れた縦長の小便器が一つもなく、壁で仕切られた個室だけが並ぶ白い空間は殺風景に見える。

 「しかたないですね。今回だけですよ、女子トイレに入っていいのは」と、しいからお許しをいただいたときは内心トキメキが止まらなかったが、龍の期待に応えてくれるものは生憎何もなかった。


 トイレには鏡が二箇所あった。洗面台の正面にある鏡と、その背面にある等身大の鏡だ。


「わたしが霊臭を感じた鏡は洗面台の方でした。幸田さんは、手を洗っているときに連れて行かれたんだと思います」


 学校へ来る途中にドラッグストアで購入した眼帯を装着しながら、しいが言った。

 『花子さん』は、自分とそっくりな容姿の女の子が鏡の前に立つと、鏡の世界へ引きずり込もうとすると言う。しいが囮になって、『花子さん』をおびき出す作戦だ。

 龍が女であれば彼女を危険な目に合わせるようなことはしなかったが、さすがに幽霊になっても性転換は無茶な話であった。


「眼帯を付けるだけで『花子さん判定』に引っかかるものなんだろうか」


 話を聞くかぎり、幸田健美としいの外見は特に似ていない。片や長身のショートヘア、片やおチビのおかっぱ頭だ。


「たぶん大丈夫です。どんな姿が判定に引っかかるかは怪談で語られていない部分ですが、言霊(ミーム)のブラックボックスは、噂を強く信じた人間の思い込みが反映されます。今回は、それが『眼帯付き』で確定してしまったんでしょう」

「噂を強く信じた人間ってことは……幸田健美は『鏡の花子さん』を信じていた?」


 龍が尋ねると、しいはため息をついた。


「そういうことになりますね。眼帯のせいで見た目が変わって、『花子さん判定』を強く恐れるようになったことで、それが現実になってしまったんです。まあ、原因の怪我をさせたのはわたしなんですけど……」

「あんまり自分を責めるなよ。自分のものを取り返そうとするのは当たり前だろ」

「あはは……ありがとうございます」


 龍は振り返って、トイレの外からスマートフォンで二人を撮影している島霧鈴愛を睨め付けた。

 鈴愛は幽霊も除霊師も信じていない。強がっていたようで内心『花子さん』を恐れていた幸田健美と違って、本当に与太話など真に受けていないだろう。そういう意味では、生前、丹治を信用しなかった龍に似ているのかもしれない。


「(でも、俺はあいつとは違う)」


 龍は丹治を友人だと思っていたが、鈴愛は果たしてどうだろう。しいが鏡の前で一人滑稽な姿を晒すことを期待しているのだ。

 さっき少しばかり驚かしてみたが、どれほど効果があったのかも分からない。元はと言えば彼女がしいをいじめたことが事の発端なのに、呑気なものである。


「準備できました」


 眼帯を付け、怪しげなお札をあちこちに貼り終えたしいが、両手で自分の頬をペチペチを叩いた。景気付けのつもりらしい。マブい。


「これから鏡の前に立ちます。すると『花子さん』はわたしを攫いに来るはずです。必ず鏡の外に出てくる瞬間があるはずなので、そこを龍さんが叩いてください」

「要はぶん殴ればいいんだよな?」

「はい。でも相手は悪霊です。どんな手を使ってくるかわかりません。だから、心に留めておいて欲しいことがあります」


 しいは豊満な胸に手を当てた。


「龍さんも今は幽霊であるということです。だから、相手と同じように”どんな手でも”使えます。不条理な手段で敵を追い詰めるのは、幽霊の十八番(おはこ)ですから」

「了解した」


 龍としいは洗面台の前に並んだ。幽霊である龍は映らず、生身の身体を持つしいだけが鏡の中に立っている。気味の悪い光景だ。

 

「それにしても幽霊が怖いのに、よく囮役を引き受けたよな」

「今だって怖いです。正直逃げ出したいです。でも――」


 しいは微笑んで何かを言おうとしたが、そこで言葉は途切れた。目を見開いて、鏡を凝視している。

 何事かと思って鏡を見てみると、同様に怯えた表情のしいが映っていた。

 いや……怯えていない。

 ――鏡に映ったしいは、怯えてなどいない。


 笑っている。


 口角を吊り上げ、眼帯に隠れていない目を歪めている。鏡の中のしいは、否、『花子さん』は紛れもなく笑顔だった。


 ぴたん。

 『花子さん』が一歩こちら側に歩みを進めると、水の跳ねたような音がした。

 トイレの蛍光灯が明滅し、どこからか下水道のような不快な臭気が漂ってくる。

 隣から生唾を飲み込む音が聞こえた。今、しいがどれほどの恐怖に囚われているのか、龍には想像することもできない。


「あナたも――」


 『花子さん』が、言葉を発した。ざらついた、魂にまとわりついてくるような生理的に不快な”音”だ。

 その唇の隙間の先には黒々とした空洞が広がっており、見ているだけで吸い込まれそうな錯覚に陥る。


「いっョシ、にあソボ?」


 『花子さん』が腕を伸ばすと、鏡が小石を穿たれた水面のように波打つ。

 ずるり、と、不自然なほど真っ白な腕がこちら側の空間に現れる。

 腕はゆっくりと伸びてきて、現実のしいの首元にその指をかけ――


「今です!!!!!」


 しいが叫んだ。

 龍は咄嗟に動き、白い腕を両手でつかんだ。力を込め、爪を立て、決して逃さないようにする。

 

「アぇ!!?ッ?」


 『花子さん』は喉の潰れたような奇声を発した。


「引きずり出してやる! このバケモ――」


 龍が勝ちを確信したときだった。

 ガクン、と、突然、龍の身体が後ろに引っ張られた。

 のけぞった拍子に、『花子さん』の腕が両手からすり抜けてしまう。


「何がっ――――!?」


 背後を振り向くと、一人の少女が龍を羽交い締めにしていた。

 ショートヘアの長身で、右目に眼帯を付けている。


「お前、幸田健美か!?」


 問いかけるも、返事は返ってこない。健美の左目は白目を剥いており、口からはよだれを垂らし、首はまるで赤子のように座っていない。女子中学生とは思えないほど強い力で、『花子さん』から遠ざけようとしてくる。

 よく目を凝らせば、健美の身体から無数の青白い糸が伸びている。糸は背後にあるもう一枚に鏡に繋がっており、同じものが『花子さん』の本体からも伸びていた。

 人間であるにもかかわらず幽霊の龍に触れることができているのは、霊的存在に操られているからだろうか。


「健美!?」


 トイレの外から鈴愛の悲鳴が聞こえた。彼女にも正気を失った健美の姿が見えているのだろうか。スマートフォンを投げ出して、駆け寄ってくる。


「龍さん!!!! 龍さん!!!!」


 今度はしいが金切り声をあげる。目を向けると、『花子さん』の腕がゴムロープのようにしいの首に絡みつき、鏡の中へ引きずり込もうとしている、まさにその瞬間だった。しいの頭から鏡面を通ってズブズブと埋まっていっている。


「この……離しやがれ!!」


 幸田健美の身体を気遣っている場合ではない。龍は床を踏みしめ、渾身の裏拳を健美の顔面に打ちつけた。

 白い閃光が打点を中心に広がった。一来寺で触手を殴ったときと同じ現象だ。光が収まると、無数の青白い糸は消え、健美は目を閉じてトイレの床に倒れ伏していた。


「しい!!!!」


 すぐさま『花子』さんの方に振り向く。もはやしいの身体の九割以上が鏡の向こうへ埋まっていた。こちら側には、苦しそうにもがく脚先しか残っていない。

 

 龍は踏み出して手を伸ばす。

 しかし――わずかに届かなかった。

 内履きのつま先が鏡面の向こう側へ落ち、龍の手は、虚しくも空を切った。


「……しいを返せ!!」


 鏡の向こう側へ吠えた。

 しいの姿をした『花子さん』は、もう一人の、気絶した本物のしいを愛おしそうに抱き寄せる。

 そして、龍に向かってほくそ笑むと、煙の揺れるように消えていった。

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