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0-1:1987


 1987年。昭和62年の10月2日。


 それが俺の命日だ。


 命日――つまり、風鳴龍(かざなりりゅう)という人間が死んだ日。

 あの日、一体何が起きたのか。

 俺の現状を理解してもらうためには、まずこの日の出来事について語らなければならないだろう。



 命を失うきっかけになったのは、お袋とのケンカだった。

 夜、夕食の席で言い合いになって、俺は家を飛び出した。いつもならばお袋が些細なことで怒鳴るのだが、その日に限っては、先にかんしゃくを起こしたのは俺の方だった。

 そして、家を出た先の住宅街でぶらついていたら、死んだ。


 ケンカの原因は俺の友人のことだった。

 ダチの名前は寺誉丹治(てらほまれたんじ)

 丹治は生真面目な優男で、地元で名の知れた寺院一来寺(いちらいじ)の長男だ。僧侶という家業を継ぐために、いつも修行で忙しそうにしていた。部活にさえ入っていなかったし、俺が遊びに誘っても、なかなか都合を付けられなかった。

 つまり一緒に遊ぶ時間は少なかったのだが、ときたま流行りの映画を観に行って、帰り道に映画の見所を熱く語り合った。あいつとはそういう仲だった。


「坊さんの修行って何をしてるんだ? 座禅とか組むのか?」


 死ぬ日の昼間に、教室でそう尋ねた。

 丹治が授業中にほとんどイビキをかいていた日の放課後だ。もう数日間ずっとそんな調子で、あまりにも疲れている様子だったから心配になったのである。

 すると丹治は机に顎を付けたまま、かぶりを振った。


「そういう普通の修行は全部終わってるから」

「普通じゃない修行ってなんだよ。からくり人形を相手に特訓でもするのか。武闘派か」


 有名なカンフー映画のワンシーンを思い浮かべながら言うと、苦笑いで返された。


「あれは作り話だよ。映画の見過ぎだ、龍」

「冗談だって。じゃあ何をやってるんだ?」

「あー……まあ、龍になら話してもいいか」

「言いづらいならいいけど」

「いや、話しとくよ」


 丹治はおもむろに背筋を正した。さっきまで眠そうにこすっていた目は真剣な光を宿していていた。

 何気なく振った話題でそこまでかしこまらなくても、と俺は戸惑ったが、丹治の口から出てきた言葉はまったく予想もしていなかったものだった。


「悪霊退治の訓練」

「はあ?」


 突拍子もない答えに、俺は間抜けな声で聞き返していた。


「なに? あくりょう?」

「うん」

「悪い幽霊的なやつか?」

「そう、それ」

「あー……そっちの方がよっぽど作り話っぽいぞ」

「本当のことだよ。普通、死んだ人間の魂は成仏する。だけど、この世に未練を残した人の魂は現世に留まってしまうことがあるわけだね。彼らは概ね無害なんだけど、ときどき悪さをする連中もいる。そういう悪霊を成仏させるのが、僕の家系が代々引き継いできた仕事なんだ」

「お、おい」

除霊師(じょれいし)と言うんだけどね。まあ、あまり人前で話すことじゃない」


 丹治はありえないようなことを真顔でとうとうと語った。

 与太話をまるで真実であるかのように、俺の目をまっすぐに見て。


「マジで言ってんのかよ」

「大マジさ。龍もこの世ならざるものには気をつけた方が良い」


 おどしているつもりなのか、不自然に抑揚のない声色を使った忠告に、俺はややためらった末、鼻で笑って見せた。


「面白い話だけどよ。だいたい気をつけるったってどうすりゃいいんだよ。相手は悪霊なんだろ? たぶん俺に霊感はないぜ。生まれてこの方一度も心霊現象に出会ったこともない」

「霊感がなくても、予防はできる」


 丹治は通学カバンを漁り、何か小さなものを取り出してみせた。

 それは黒い布で包まれた巾着だった。

 中身はわからない。布に不可思議な幾何学模様の装飾が金色の糸で刺繍されていて、いかにも怪しげな空気を纏っていた。


「いい機会だ。ここ最近、霊障の案件が増えてる。龍もこれを持ってるといいよ」

「なんだこれ」

「呪い避けのお守り。身につけているだけで低級の悪霊なら追い払えて、強力な悪霊が近づくほど次第に熱を帯びる。万が一それが勝手に焼け焦げた場合、命の危機が迫ってると考えた方が良い。すぐに除霊師を頼るべきだ」

「どうせ金取るんだろ?」

「今なら自販機のジュース1本と交換できるよ」

「商売あがったりだな」


 たかだか百円の価値。つまりお遊びだ。


「まあ、一応もらっとくか。ぶっちゃけ悪霊なんかいないと思ってるけど、一来寺のお守りならそれだけでご利益がありそうだ」


 俺は黒い巾着袋をジーンズのポケットに突っ込んだ。

 丹治はその様子をじっと瞬きもせずに見つめていた。やや眉間にしわが寄っていたが、口元は半開きで、何を考えているのか読めない表情だった。どうかしたか、と声をかけると、なんでもないと答え、いつもの柔和な顔つきに戻った。


「龍はホラー映画も好きだから幽霊を信じてると思ったけど」

「映画は映画。現実は現実だろ」


 俺は言い切ってみせた。

 正確に言えば、ひょっとしたら幽霊も存在するかもしれないとは考えていたが、それは「お盆にご先祖様が帰ってくる」程度の感覚だ。怪談や都市伝説といったものはすべて作り話であると思っていた。


 だから俺は丹治の言葉を、結局、作り話の冗談だと受け取って笑い飛ばしたし、笑い話のつもりで夕食の席でお袋にしゃべった。

 するとお袋は、肉のない肉じゃがに伸ばしかけていた箸をちゃぶ台に取り落とした。


「気味が悪いねえ」


 嫌悪感をあらわにしていた。お袋はストレスを溜めると薬指が痙攣する癖がある。その薬指があからさまに震えていた。


「悪霊とか、この世ならざるものとか、ロクなもんじゃあないよ」

「わたし怖い話平気だもん!」


 隣に座るおさげの妹は小さな胸を張って見せた。しかし、お袋は妹を見ない。


「はは、なんだよ、真に受けんなよ」

「誰も本気にしちゃいないよ。あたしが言ってるのはね」


 お袋は拾った箸を俺に突きつけた。


「”そういうもの”に関わっていると言い張る連中に、ロクな奴はいないってことさ」

「どういう意味だよ」

「ありもしないものを、さも恐ろしいもののように触れて回る。奴らは人の恐怖心につけ込んで、金を搾り取っていくのさ。たとえばただの紙切れを、悪霊避けのお札だとうそぶいて高値で売りつけてね」

「……どんな詐欺にだまされたのか知らんけど、丹治はそんなことしねーって」

 

 ジュース一本で怪しげなお守りを買ったことは黙った。あれはただの冗談だ。

 

「ああそう、あんたの友達、丹治くんって言ったっけ? 彼とは縁を切りなさい」

「はあ……?」


 今度は俺が箸を止める番だった。たとえお袋でも言って良いことと悪いことがある。何の根拠もなくダチを馬鹿にするのは許せなかった。

 妹が、俺とお袋を交互に見てはオロオロしていた。きっとそのとき俺の額には青筋が浮かんでいたのだろう。しかし引き下がるつもりはなかった。

 険悪な空気の中、お袋は二の句を継いだ。


「友達付き合いをよしなさいと言っているの。むしろ丹治くんが本気で霊を信じているのなら、なおさらタチが悪いね。家でそういう怪しげな教育をされてるってことなんだから」

「……」

「だいたいあんたもう中学三年生でしょ。話題に出すなら、男友達のことなんかよりも彼女の報告とかにしなさい。ほら、確か最近仲の良い女の子がいるって言ってたじゃない? 今どんな感じに――」


 お袋がその先に何を言うつもりだったのかはわからない。俺はちゃぶ台に両手を叩きつけていた。茶碗がはね飛び、味噌汁がこぼれた。

 痺れる両手の痛みをこらえて、立ち上がった。


「……馬鹿にすんじゃねえよ」

「龍」

「俺の人付き合いは俺が決める。お袋が口挟むんじゃねえ」

「あたしはあんたのためを思ってね――!」

「ごちそうさん」


 お袋の言葉を強く遮って、足早に居間から出ようとした。

 二階の自室の方にではなく、外に闇の広がるベランダに向かって。

 いつの間にか涙目になっていた妹が見上げてきた。


「兄ちゃん、どこ行くの?」

「悪い。夜風に当たってくるだけだ」


 顔が火照っていた。あのときの俺は頭に血が上っていて、そしてそんな自分の状態を自覚していた。

 口論を続ければ、きっとお袋に手を上げてしまうに違いなかった。

 

 食べかけの茶碗を残したまま、俺は暗い寒空の下へ足を踏み出した……。

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