ちょろかったよ
そこには何も無かった。そう、何も無かった。
地面と呼べる地面もなし、天と呼べる天もなし、俺とルピナスは浮いている訳でもなく、かと言って立っている訳でもましてや歩いている訳でもない。
俺とルピナスの存在はちゃんと感知出来るのに肉体の所在が分からない。酷くあやふやだ。
一応神をも比較的簡単に殺せる俺ではあるが飽くまで地球の神に対して強かったからに過ぎない。ここら辺は神々が俺から没取しようとした半神格聖遺物、知恵の盃が原因なのだろう。正義の神は『この半神格聖遺物は逃走中に地球の神に対して有効な攻撃方法を学習しておりそれを使えば悪しき神を滅する事が出来る』と言っていた。
その頃は俺を上手く飼い慣らして気に入らない神を洗脳の失敗による暴走という名目で殺害出来ると言うことを考えていたらしい。
それは自らの弱点を露呈させることとも理解していない、なんて酷いザマだ。
本当に笑える皮肉だ。
フッと嘲るように鼻をならす。
「何か良いことあった?」
「なんでも…いや、何にもない」
ほんの思い出し笑いだ。
キモいとか思われただろうか。
反応が気になって端正な顔を覗き込む。
別段気にした様子はない。
周りは相変わらずあやふやなままだし何にもない。
…あれ?
何か、物凄く大切な事を見失っている気がする。俺のアイデンティティたる負の感情、嫉妬、憂鬱は確かにその存在を主張しているし、何も俺自体には変化が無いように思う。では、この何とも形容し難い喉の奥に小骨が引っかかったような違和感、異物感。これは何だろうか?
「どうかしたの?」
「…あ、ああ。何でもない」
まただ。
俺の本能が再三アラートを鳴らす。今のまま進めば結末は最悪だ、と。
漠然とした不安感が募る。
不安感は焦燥を呼び思考を鈍らせるのだ。
とー。
「!?」
手が暖かくなった。
「大丈夫。怖くないから」
優しい、あやすような声音で彼女は言った。
手元を見ればルピナスが俺の手を握っている。感覚が鈍麻しているせいか感触はぼやけていた。
けれど、確かに熱はあった。
そう言えば他人に手を触れられたのは初めてだ。こんなにも暖かかったのか。
俺、人恋しかったんだな。
ああ、クソ、女々しくてやってられない。
「…別に、怖くない」
そう強がる。すると彼女は全てお見通しとばかりにクスクスと微笑むのだ。
そんな表情に目が釘付けになってしまい、胸が高鳴る。
ドクドクと流れる血流が小うるさい。
でも、静まるのは何処か物悲しくてもどかしい。
こんな感情は知らない。
「…俺ってチョロいな」
それは多分愛とか恋では無い。もっと汚くて醜悪だ。けれど感じてしまった。
人はこれを好意と言うのだろう。
これを悪く無いと思う俺は一体誰なんだろうか。
それはきっとーとうに忘れてしまった。