解決 成仏 鉄拳制裁!
「おい、天野。マジでやる気か!?」
「当たり前でしょ。ここまで来たら後には引けないわ」
隣にいる天野に尋ねると当たり前のように頷かれた。
「でもさすがにこの格好は・・・」
「別に変じゃないわよ?普通にしていれば誰も気づきはしないわ」
「お前は良いとしても、俺のはさすがに・・・」
俺は自身の着る服の裾を摘まみながら首を傾げる。普段から着ている物とは違うため違和感が半端ないのだ。
俺が着ているのは上下お揃いのジャージだ。しかし今、俺が身に着けているのは普段から着けている物とは違いサイズが僅かに大きいものだ。
「やっぱりボクのは少し大きかったみたいだね・・・」
香津子さんが申し訳なさそうに俯く。そう・・・俺が着ているのは香津子さんが生前に着ていたジャージなのだ。
「いや・・・大きさよりも女の子が着ていたものを着るのに抵抗が・・・」
「仕方無いでしょ。アンタが着られそうな物がこれしか無かったんだから。幸い多神西は男女同じジャージなんだから文句言わないの」
そう言う天野が着ているのは同じく彼女の着ていた制服のカッターシャツとリボン、ならびにスカートである。こちらも若干サイズが大き目だがそれさえ除けば特に違和感なくまとまっているといえる。カッターシャツは袖をまくっているため天野の白く細い腕が見えている。俺達三人は今、香津子さんの母校である多神ヶ原西高校、通称「多神西校」の前にいる。何故俺達がこんな格好でここにいるのかというと、俺が見た夢とここが関係あるからである。
俺が見た夢の場所。それは学校の廊下と教室の扉だった。しかし俺が通っている場所とは違う内装をしており、それを聞いた天野は夢の場所が多神西校だと推理した。
「つまり明海さんは自分の学校で殺されたってこと!?」
「多分そうでしょうね。犯人は明海さんを殺害してからあの公園へ遺体を運んだ」
驚く祥子に対して天野は冷静に何かを考えている様子だった。
「・・・近いうちに多神西に行ったほうがいいわね」
天野が何気なく呟いた一言に全員の視線が集まった。その視線に天野は気づいたらしく顔を上げて理由を語り出した。
「明海さんの記憶を取り戻す良い機会でしょ?」
話しながら天野が香津子さんに目配せする。視線を向けられた香津子さんが拳を握るのが見えた。その目にはもう迷いが無いようだ。「それに」と言って天野が話を続ける。
「警察は明海さんの殺害現場を探しているのだけれど、その候補に多神西校は入っていないのよ。明海さんが殺された日、彼女が学校を出る姿を目撃したって証言が学校関係者から出ているから」
「えっ?でもリョウちゃんが見た夢だと・・・」
「そう・・・ツカサが見た夢――つまり明海さんの記憶とは矛盾している。夢の内容が正しいと仮定すると、目撃証言が嘘だってことになるでしょ?その証言をした人物が誰なのかは分からないけど、そいつは事件に関与している可能性が高いわ」
「つまり香津子さんを殺害した犯人は多神西の関係者ってことなのか!?」
驚く俺に天野は小さく頷いた。祥子や香津子さんも驚きを隠せない様子だった。
「これまでに分かっていることを総合すると、犯人は多神西の関係者で男性。少なくとも車の免許を持っている人物・・・もしかしたら教師って可能性があるわね」
「そんな・・・」
香津子さんの顔が青ざめていく。まさか自分を殺した犯人が教師だとは思わなかったらしい。
「天野の推理が正しいとしたら、犯人がいる多神西に行くのは不味くないか?それにどうやって校舎に潜入するんだよ?俺達部外者なんだぞ?」
俺は頭に浮かんだ疑問をぶつけてみた。香津子さんの記憶の問題を解決するチャンスではあるが、犯人がいる場所への潜入はリスクが大き過ぎるように思える。それに潜入するにしても他校の生徒である俺達が学校に入ろうとしても追い返されるのがオチだ。
「何言っているのよ。警察の目が学校に向いてないのだから犯人だって油断しているはずよ。もしかしたら証拠だって残っているかもしれない。潜入するなら今がチャンスよ!」
そう言って胸を張る天野。そして「大丈夫よ」と言って不敵な笑みを見せた。
「潜入方法なら考えてあるわ。と言っても、推理小説に登場するベタな方法だけどね」
得意げにドヤ顔をする天野に俺は何故だか嫌な予感しか覚えなかった。
その予感は見事に的中した。その日の放課後、俺は天野に半ば無理やり教室から連れ出された。周囲の視線に見送られながら連れてこられたのは香津子さんの家だった。天野は彼女が生前着ていた制服やジャージを拝借し、あろうことかそれを着て多神西に潜入する方法を取りやがったのだ。翌日の放課後、再び天野に連れ出された俺は渋々そのジャージを着て多神西に潜入することになった。
「なんか、犯罪に加担しているような気分だ・・・」
溜息をつきながら校内を歩く。多神西に無事潜入を果たした俺達は人目を避けながら夢に見た場所を探していた。
「人聞きの悪い事を言わないでよ。これも明海さんのためなんだから」
そう言って隣を歩く天野は俺とは対照的に足取りが軽い。他校に潜入している今の状況にテンションが上がっているのではないだろうか。いや、そうに違いない。
「ほとんど犯罪に近いだろう。現に俺達が着ている服は香津子さんの物なんだぞ。はっきり言って窃盗だよ、こんなの」
「ちゃんとご両親の許可は取ったでしょ?」
「許可ぁ?『アレ』を許可と言うか、お前は!霊能力者は何でも有りなのかよ」
天野の言い分に俺は目を剥いた。もはや呆れるのを通り越して感心してしまう。
「呪符を使った一種の催眠術よ。二人は『盗られた』とは思っていないわ」
天野は懐から一枚の呪符を取り出し得意げに振って見せた。
香津子さんの家に行った時、目の前で呪符を取り出した時は何事かと思った。それをご両親の前にかざした瞬間、二人が天野の言うことを聞くようになり俺達は唖然とした。
歩きながら天野が「大丈夫よ」と言葉を続けた。
「催眠はあくまで一時的なものだし、普通だったらあそこまで効くことは無いわ。二人の精神力が弱っていたからあそこまで効果が発揮されたのね」
「・・・・・」
隣にいる香津子さんの表情に陰が差し込んだ。おそらく両親のことが心配なのだろう。
初めて会った彼女の両親は見るからに憔悴しきっていた。俺達の言葉にもどこかうわの空で、見ていて痛々しいものだった。
「無理もないわ。娘を失ったばかりか空き巣にまで入られているのだから」
催眠にかかっているご両親から聞いた話によると最近、香津子さんの部屋が荒らされていたらしい。幸い盗まれた物は無かったとのことだが、二人の精神的負担は相当なものだったのだろう。そんな両親の変貌に心を痛めている彼女に声をかけた。
「大丈夫だよ。犯人が捕まればご両親だって元気になるさ」
俺の言葉に香津子さんが「うん」と僅かに笑みを浮かべた。歩きながら俺は天野に声をかけた。
「おい天野。俺達は今、どこに向かっているんだ?まさか闇雲に歩きまわっているんじゃないだろうな?」
「そんな訳ないじゃない。ちゃんと吉田から聞いた情報を元に歩いているわ。今、女子更衣室を探しているところ」
スマホを眺めながら天野が答える。おそらく祥子からの情報がそこに書き込まれているのだろう。俺が祥子から聞いた話によると、香津子さんは遅くまで部活動をして帰りはいつも遅かったらしく、事件当日も遅くまで学校に残っていた可能性が非常に高いとのことだ。
「そう言えば最近、あの子の帰りが遅いわね」
「言われてみればそうだな。何やってんだろアイツ。昨日も香津子さんの家にはついて来なかったし」
ここ最近、祥子は寄る所があると言って帰りが少し遅い。さりげなく理由を尋ねてもはぐらかされるし、あまり深く詮索するのもおこがましいのでそのままにしているのだが、どうにも気になる。
「まあ祥子にだっていろいろあるだろうし、今日だって用事が済んだら多神西にも来るって言っていたから・・・あっ、メールだ」
ポケットに入れていた携帯に着信が入る。祥子からかと思って画面を覗くと差出人は叔父さん夫婦からだった。メール内容を読んでから「分かりました」と返信する。
「誰からだったの?」
天野が画面を覗きこもうとしたので慌てて携帯をポケットにしまい「なんでも無い」と答える。天野も「そう」と言って深く詮索もせず再び前を向いた。
その時、前方から誰かの足音が聞こえてきたので俺と天野は近くにある柱に身を隠すことにした。息を殺して聞き耳を立てていると声が聞こえてきた。
「白井先生、私は大丈夫ですから・・・」
「足を挫いたのだろう?ちゃんと保健室で診てもらった方がいい・・・」
隠れているため姿が見えないが、会話の内容からして教師と生徒のようだ。柱の影から覗くと一人の若い男性教師が女子生徒に肩を貸しており、その手が生徒の腰に周っているのが見て取れた。
(あの先生は?)
天野が声を潜めながら香津子さんに尋ねる。
「白井先生です。ボクのクラスの担当じゃなかったですけど、女子の体育を担当していてすごく優しくて良い先生らしいです。先生のファンもいるくらいですから」
どうやら生徒から人気のある教師のようだ。香津子さんの説明を聞きながら改めて白井先生を観察してみる。背が高く見た目はやせ形だが、ジャージの上からでも筋肉がしっかりとついているのが見て取れる。顔立ちは整っており、甘いマスクと体格が合わさって生徒受けは良さそうだ。同じ体育教師なのに俺の担任である大黒とは真逆のタイプといえる。体を支えられている女子生徒も顔を赤らめている様子を見るからにファンなのかもしれない。
二人が立ち去ると天野は白井先生をしばらく見つめた後「行きましょ」と言って先を歩き始めた。俺達も後に続いた。
校舎内を歩き回った俺達はようやく目的の場所へと辿り着いた。扉の上にあるプレートに「女子更衣室」と書かれている。
「そう言えば、何で天野は女子更衣室を探していたんだ?」
部屋の扉を前に俺は疑問に思っていたことを口にした。夢に出た場所を探す目的で来たのだが、なぜそれが女子更衣室なのかはいまいちピンと来ない。
「明海さんの死亡推定時刻と吉田から聞いた死亡当時の予想される行動・・・それらを総合してツカサが見た夢の場所はここじゃないかと思ったの」
「なるほど・・・つまり天野は、香津子さんは部活動の後、着替えを済ませた直後に襲われたと思っているんだな?」
俺の推理に「そういうこと」と天野が頷いた。
改めて現場を眺めてみる。部屋の扉に廊下。窓の並びと目に映る景色を夢で見た光景と比べてみる。間違いない。ここが夢で見た場所だ!
「どうツカサ。ここで間違いない?」
天野に尋ねられ、俺は小さく頷いた。
「間違いない・・・ここが夢で見た場所だ。香津子さんはどう?何か思い出して――」
尋ねようとした俺は言葉を飲み込んだ。
「・・・・・」
俺の目の前で香津子さんはその場で固まったまま微動だにしない。どうしたのだろうと彼女に手を伸ばそうとした矢先、天野がその手を制して首を左右に振った。
「待って・・・もしかしたら、何か思い出すかもしれない」
「分かった」
俺達は黙って彼女の様子を見守ることにした。しばらく無言だった香津子さんは突然ビクッと肩を震わせ、目を大きく見開いた。
「思い出した・・・そうだ・・・ボクはここでアイツに!」
そう呟く彼女の顔色は蒼白だった。天野が「思い出したようね」と言って彼女に近づいた。
「詳しく説明してくれない?」
穏やかな口調の天野に香津子さんは小さく頷いた。
「あの日、ボクはいつものように部活動を終えて帰ろうとしたんです。ここで着替えを済ませて部屋を出たすぐに後ろから・・・」
そう言って香津子さんは自分を抱きながら肩を震わせた。そんな彼女に「大丈夫よ」と天野が優しく声をかける。
「すごく怖くて、苦しくて・・・助けを呼ぼうとしても誰もいないし、声も出せないし・・・そしたら、どんどん意識が遠くなって・・・」
「犯人の顔は見てないの?」
天野の問いかけに香津子さんは首を左右に振った。「そう」と呟く天野が肩を落としているのが見えた。
「ごめんなさい・・・結局、犯人のことは何も・・・」
「そんな事ないわ。辛い事を思い出させてごめんなさい」
そう言ってほほ笑む天野だが、その背中からは落胆の色が窺えた。犯人に繋がる有力な手掛かりが空振りに終わり、捜査がふりだしに戻ってしまった訳だから無理もない。
「どうする天野?とりあえずの目的は果たせた訳だし、そろそろ・・・」
俺の提案に天野は「ちょっと待って」と言って思案し始めた。
「早いところ引き上げたいところだけど、更衣室の中も調べたいわね。明海さん、ちょっと付き合ってくれないかしら」
そう天野が言うと香津子さんは「こっちです」と言ってドアをすり抜けていった。
「ツカサはそこで待っていなさい」
そう言って扉を開け天野も更衣室へと入っていく。
二人が出てくるのを待っている間、俺は手持ち無沙汰になり改めて校舎の中を見回してみることにした。時刻は夕方をまわっているため、目の前にあるガラス窓の向こう側は夕焼け色に染まり始めている。遠くからは部活動に励む生徒達の声が聞こえて穏やかな放課後そのものだ。以前はこの学び舎で香津子さんも普通の学生生活を送っていたのだろう。
しかしその命は非常な犯人によって奪われてしまった。今、自分が立っている場所で殺人が起こったなんて誰が想像するだろうか。それを思うと感傷的な気分になってきた。
「そこの君。こんな所で何をしているんだ?」
だから突然聞こえてきた声が自分に向けられたものだと最初は気づかなかった。周囲に目を向けてから自分のことだと気付いた俺は視線を声のする方へと向けた。
そこには教師と思しき男が立っていた。背丈は祥子と同じぐらい。さっき見た白井先生とは対照的にスーツ姿で黒縁眼鏡を掛けたいかにも真面目なタイプの教師だ。歳は白井先生と同じくらい。顔は悪くは無いが特別良くもない『普通』と呼べる。
「ここは女子更衣室だぞ。なぜこんな所にいる?」
こちらを見上げる体勢で男が睨んできた。初めからこちらを疑うようなその眼差しに少しムッとしたが、ここで事を荒立てるのは不味いし何より天野達がまだ戻ってきていない。俺は適当な言い訳を口にした。
「すいません。彼女を待っていて・・・」
天野が聞いたら怒りそうだが、他に思いつく言葉も無かったので心の中で詫びを入れる。俺が更衣室のドアに視線を向けると男もそれに倣うようにドアを見た。その時、こっちに向かって駆けてくる足音が聞こえてきた。
「菅原先生。どうかしましたか?」
やって来たのは白井先生だった。こうしてみると白井先生は香津子さんより僅かに身長が高い。先生は駆けつけるなり俺達を見て怪訝な顔を向けている。
「いえ、何でもありません。白井先生こそ何故こんな所にいるのですか?」
菅原と呼ばれた男が今度は白井先生に視線を向けながら尋ね返した。その目は俺の時よりも鋭い眼光を放っている。なんだろう、この感じ?目の前にいる菅原先生からは白井先生に対する敵意のようなものを感じる。まあ俺も最近は天野や祥子のことで宇梶を始め多くの男子から同じような視線を向けられることが多いから、女子生徒に人気の高い白井先生に嫉妬でもしているのだろうと解釈した。
「怪我をした生徒を保健室まで連れて行ったので・・・君は?」
「あっ・・・いえ、その・・・」
そんなやり取りの最中、更衣室の扉が開き中から天野と香津子さんが姿を現した。どうやら調べ物は済んだようだ。突如現れた天野に対して菅原先生はチラリと顔に視線を向け、対して白井先生は全身を見るように視線を上下に動かすのが見えた。当たり前だが二人には香津子さんの姿は見えていない。
そんな二人の視線など気にすることも無く天野は俺の腕を取り先生方に向き直った。
「どうかされましたか?私達、そろそろ帰りたいのですが・・・」
おそらく俺達の会話を聞いていたのだろう。天野は俺の嘘に合わせてアドリブを入れて二人に話しかけた。
「そうだね。これ以上引き留めるのも悪い。気を付けて帰りなさい」
白井先生が人の良さそうな笑顔で俺達に話しかける隣で菅原先生はそんな彼を横目でじろりと睨んでいるのが見えた。余程に白井先生の事が嫌いらしい。
失礼しますと言って天野が俺と腕を組んだまま二人の脇を抜け歩き出す。咄嗟についた嘘とはいえ、なんだか役得である。「悪い。助かった」と小声で話しかけると、天野はこちらをジロリと睨んで二の腕をつねってきた。
(誰が彼女よ。誰が!)
(仕方がないだろ!いきなりだったんだから)
痛みに耐えながら天野に反論する俺の背後から「待ちなさい!」と声がかかった。菅原先生の声により俺達はその場で固まった。
「君達はどこのクラスの生徒だ?顔に見覚えが無いのだが」
いよいよもってマズイことになった。白井先生は誤魔化すことが出来たが、菅原先生の目は誤魔化せなかったようだ。「どうする?」と横にいる天野に相談する俺。
「決まってるでしょ・・・逃げるわよ!」
天野の口が動いた次の瞬間、俺の腕が力一杯引っ張られた。やっぱりか!突然のことに最初は足がもたついたが、どうにか体勢を立て直して走り出す。背後から「待ちなさい!」の声と共に二人分の足音が聞こえてくる。当たり前だが二人が追いかけてきたようだ。
「どうするんだよ、この状況!」
「うっさい!とにかく走るのよ!」
走りながら言い合いをする俺達の前を香津子さんが飛行しながら先行する。
「二人ともこっちです!」
この校舎を熟知する香津子さんの指示に従って俺達は追いかけてくる二人の先生追跡を完全に撒くことに成功した。
どうにか二人を撒いた俺達は周囲を気にしながら廊下を歩いていた。
「ねえ、香津子さん。あの菅原先生ってどんな先生なんだ?」
周囲への警戒をしながら香津子さんに尋ねてみる。
「菅原先生?普通の先生だよ。でも最近、ちょっとおかしいかも」
気になる発言に「おかしいって?」と再び尋ねる。
「なんて言うか、白井先生の事を目の敵にするようになったの。あと、更衣室の周りをうろつくことが多くなったってクラスで噂されていたし・・・」
その言葉に俺の中でも合点がいった。白井先生に対する敵意の目もそうだが、更衣室の前で俺が声をかけられたのも考えてみれば少し妙な話だ。
犯人はここの教師の可能性がある。香津子さんが殺された場所で彼が一体何をしているのか考えた途端に寒気を覚えた。
まさか・・・な・・・頭に浮かんだ嫌な予感に俺は首を左右に振った。
「早く校舎を出た方が良いんじゃないか?これ以上騒ぎが大きくなるとまずいし」
さっきの一件で俺達は完全に不審者として扱われてしまっているだろう。一刻も早くここを脱出するべきだと思った。そんな俺に天野は「分かってるわよ!」と苛立ちを露わにした。
「こっちだって早く帰りたいわよ!でも先生達が探し回っているだろうし、私だって考えているんだから邪魔しないでよね!」
そう言って天野は歩きながら思案する。俺も何か良い案が無いか考えてみる。そんな俺達が曲がり角に差し掛かった時だった。突如目の前に現れた人物に俺の視線は追いつかなかった。「きゃっ!」と悲鳴を上げられ、俺はその人物とまともにぶつかり倒れ込んでしまった。勢いはあったと思う。にも関わらず俺は何かクッションのような物のおかげで痛みを感じることは無く怪我を負うことも無かった。ちょうど掌にその柔らかいものがあるので判断出来たことだ。
「すまない・・・大丈夫――」
状態を起こした俺の目の前によく知る人物の姿があった。
「リョウちゃん?」
「祥子!?何でここに?」
驚く俺の目の前で祥子が何故か顔を赤らめていた。
「やだ、リョウちゃんたらこんな所で。そういう事は、せめて人目のない草場の影で・・・」
「どうしたんだ祥子?何を・・・あっ」
祥子の視線を追うと同時に自分の状況を確認してみる。辺りには祥子の通学鞄の中身が転がっている。そして何より、俺は仰向けに倒れている祥子に馬乗りになっているばかりか、その胸に手を乗せていることにようやく気が付いた。倒れた拍子に押し倒す体勢になってしまったらしい。
急いで手をどけようとしたが、起き上がったばかりのこの体勢では難しい。
「いやっ・・・これは、そのっ・・・・・イテッ!」
とりあえず事情を説明しようとした俺は突如頭を襲った痛みに声を上げた。振り返ると天野が拳を握ってこちらを睨みつけていた。考えるまでもなく天野に殴られたと理解できた。
「まったく、アンタって奴は・・・毎回毎回いい加減にしなさいよ!」
怒鳴る天野の隣で香津子さんが白い目でこちらを睨んでいた。違う。わざとじゃないんだってば!
「違うんだ!これは不可抗力で・・・」
「いいから早くそこをどきなさい!いつまでそんな粗末な胸を触っているのよ!」
天野の指摘に俺は慌てて胸を触っていた手をどかした。掌には祥子の胸の感触が僅かに残っている。ちょっと名残惜しかった。
「ちょっと、天野さん!それってどういう意味!」
「落ち着いてください、吉田さん」
起き上がりながら憤慨する祥子を香津子さんがなだめている間に立ち上がると、頭に新たな疑問が浮かび上がった。
「そもそも、なんで祥子がここにいるんだよ?ていうか、その格好・・・」
祥子を立ち上がらせながら疑問に思っていたことを口にする。俺や天野と違って祥子は俺達の学校の制服を着ていたのだ。
「なんでって、用が済んだら行くって言ったでしょ?ちゃんとここの先生にも許可は取ってあるし、最近は明海さんのことで何度かお邪魔しているから大丈夫だよ」
そう言って笑みを浮かべる祥子を前に俺と天野は顔を見合わせた。「天野・・・」と声をかけると「言わないで!」と首を左右に振って自身の耳を塞ぐポーズをとった。しかし俺は敢えて口にした。
「こんな周りくどいやり方しないで、最初から祥子に口を利いてもらった方が良かったんじゃないのか?」
少なくとも人の家から犯罪すれすれの方法で服を拝借して、それで変装して潜入するより安全かつ確実な方法だと思う。俺の目の前で「うっさい!」と天野が叫んだ。
「いいじゃない。目的は達成出来たわけだし!そもそも吉田が忙しそうだったから私なりの方法を取っただけだし!友達がいなくてもやり方はあるって言いたかっただけだし!むしろ一人の方が動きやすかったし!」
癇癪を起す天野の口から痛々しい発言が聞こえたような気がするが、気のせいだと思うことにする。
「そんな事より、吉田!あんた、今まで何してたのよ!」
そんな天野の怒りの矛先が祥子に向いた。天野に睨まれた祥子が「それは・・・」と言ってチラリと俺を伺った。どうしたのだろう?
祥子は言い辛そうに「ちょっと、買い物を・・・」と口にしながら拾った通学鞄を胸の前で抱きしめた。
「買い物ぉ?何買ったのよ?」
そう言って天野は祥子の通学カバンをひったくり、中を覗き込んだ。
「ちょっと、吉田。ひょっとしてアンタは今までずっと『コレ』を探していたってわけ?最近、帰りが遅いと思ったらこんなの買ってたのね・・・」
天野の言葉に「あんまり見ないで!」と祥子が素早く通学カバンをひったくった。
「それで、リョウちゃん達は目的は達成できたの?」
鞄を抱きしめながら尋ねる祥子に俺は香津子さんの記憶が戻ったことなどを説明した。
「そっか・・・やっぱり明海さんはこの学校で殺されたんだね」
そう言って祥子は校内を見まわしながら言葉を続けた。
「私も何度かここに来て友達に聞いたんだけど、明海さんってかなり遅くまで部活していたみたいで殺された当日も一人で学校に残っていたらしいんだよね」
俺と天野が香津子さんに視線を向けると、彼女も小さく頷いた。
「それでここからが重要なんだけど、そのとき残っていた先生は2、3人だったんだって。そのうち男性の先生が1人だったらしいから――」
祥子が話している最中、遠くから「見つけた!」と叫ぶ声が聞こえてきた。言うまでも無く菅原先生と白井先生だ。白井先生が先頭でその後方に遅れる形で菅原先生がこちらに向かって走ってきている。
「ヤッバ!逃げるわよ!」
二人を見るなり天野が駈け出す。
「行くぞ、祥子!」
「えっ?ちょっとリョウちゃん!?」
俺は祥子の手を取り、先を走る天野達を追いかけた。後ろから「待ちなさい!」と叫ばれ追いかけられたが、香津子さんの先導でどうにか俺達四人は無事に多神西校を脱出することに成功した。
多神西を後にした俺は家に帰るなり溜息をついた。香津子さんの記憶は戻ったが、犯人の手掛かりは掴めず捜査がふりだしに戻ってしまったからだ。ちなみに天野と祥子は着替えるために自分の部屋に戻っている。
「ゴメンねツカサ君。ボクが犯人の顔さえ見ていれば・・・」
隣で香津子さんが申し訳なさそうに声をかけてきた。
「気にしなくてもいいよ。それより記憶が戻って良かったじゃないか」
そう言って香津子さんを慰めていると祥子が居間に入ってきた。祥子はいつも見る長襦袢ではなく、制服姿のままだった。
「なんだ祥子。着替えて無かったのか?」
尋ねる俺に「お母さんから電話があってね」と祥子が言った。
「煮物を作りすぎたからお裾分けしたいんだって。私ちょっと行ってくるね。あっ、くれぐれも私の部屋には入っちゃダメだからね」
そんな念を押さなくても天野の着替えを覗いた一件で不用意に部屋には入らないようにしているっての。祥子はそのまま居間を出て玄関へと向かっていった。それを見送った俺は、着替えるために自分の部屋へと向かった。
着替えを済ませ、夕飯の準備を始めると同時に天野が居間へとやってきた。天野は七分丈のカッターシャツにベスト、ハーフパンツというラフな格好だ。
「あれ、吉田は?」
開口一番に天野が祥子のことを訊いてきた。なんと珍しい。普段から二人は口を利くことなんてほとんど無いというのに。
「祥子なら自分の家に帰ってる最中だ。なんだ天野、祥子に用事でもあるのか?」
準備をしながら尋ねると天野の口から意外な言葉が飛び出した。
「まあね。もしかしたら明海さんを殺した犯人が分かるかもって思って」
その言葉に俺は香津子さんと顔を見合わせ天野を見た。そこには表情一つ変えない天野の顔があった。
「吉田が言ってたでしょ?殺害時刻に学校にいた男性教師が一人いたって」
そこまで言われてようやく俺にも天野の言いたいことが分かった。そうか、つまりソイツが香津子さんを殺した犯人である可能性が高いという事か!
その時だった。俺の携帯から着信音が鳴った。画面を見ると祥子からだった。
「もしもし、どうしたんだ祥子――」
『リョウちゃん助けて!誰かに付きまとわれているみたいなの!』
電話に出た途端、祥子から助けを求められた。電話口からは激しく地面を蹴る音も聞こえてくる。おそらく走っているのだろう。様子からして何かトラブルに巻き込まれているとみて間違いないようだ。俺の様子からただごとではないことを悟ったのだろう。天野と香津子さんの表情にも緊張が走ったのを横目に俺は冷静に対応した。
「落ち着け祥子。今、どこにいるんだ?どこかに逃げ込める場所はあるのか!?」
『そんな場所無いよ。だって私、今・・・キャッ!』
電話の向こう側で突然、祥子の悲鳴が上がった。続いて激しい物音と共に祥子の呻き声まで聞こえてくる。
「おい、どうした!返事をしろ、祥子!」
突然のことに俺は携帯に向かって叫ぶが祥子からの応答は無い。俺の隣で香津子さんも困惑の表情を浮かべている。携帯からは何の返事も無く、遂には何も聞こえてこなくなった。
祥子が危機的状況なのは間違いない。しかしこんな時なのに天野の姿がどこにもない。
「天野さんなら、さっき二階に上がっていきました!」
「なんなんだよ、アイツ!こんな時に・・・」
香津子さんの話を聞いて苛立つ俺の耳に階段を駆け下りてくる天野の足音が聞こえてきた。
「二人とも、吉田を助けに行くわよ!」
居間に飛び込むなり天野が俺達に向かって叫んだ。
「こんな時にどこ行ってたんだよ!そもそも助けるったって、祥子がどこにいるのか分からないんだぞ!」
苛立ちをぶつける俺に天野が「陰陽師を舐めないで!」と叫んだ。
「吉田の居場所なら分かるわ!これを使ってね」
そう言って一枚の呪符と共に一本の髪の毛を取り出した。天野のものではない。茶色みがかったその黒髪は祥子のものだ。
「それって、祥子の・・・」
「そうよ。あの子の部屋から拝借したの」
何故かは分からないが、天野は祥子の部屋から髪の毛を採ってきたらしい。
「髪って生命力のシンボル、命の化身として古くから願掛けや呪術に使われたりしてたのよ。アンタを助けた時に使ったことがあったでしょ?」
確か俺の襟に忍ばせた呪符の事だ。あの呪符には天野の髪の毛が挟まれていた。
「髪にはその人の魂が宿ると言われていてね、特に女の髪には霊力が宿るとも言われているのよ。特に吉田は霊感があるし本物の巫女だから、その髪に宿る霊力は充分すぎるほどあるわ。だから・・・」
そう言って天野は呪符を縦半分に折り祥子の髪の毛を挟み込むと、呪文を唱え始めた。すると呪符が一瞬のうちに小鳥の姿に変わり小刻みに首を動かし始めた。前に一度だけ見たことがある天野の式神だ。
「式神に吉田の霊力を覚えさせたから、あとはこの子が本人を見つけてくれるはずよ。さあ、行きましょ!」
そう言って天野は居間を飛び出し、俺と香津子さんも後に続いた。
時刻は夕方に差し掛かり、辺りが薄暗くなってきていた。そんな空を飛ぶ式神を香津子さんが追走し、俺達はそれを目印に走っていた。
「クソッ!何で祥子が・・・どうなってやがるんだ!」
苛立ちを口にしながら俺は国持さんの話を思い出した。
「まさか、国持さんが言ってた男に・・・!」
確か犯人はまだ捕まっていないはずだ。その犯人に祥子が襲われたとしたら――。嫌な考えばかりが頭をよぎっていく。
そんな俺に対して隣の天野は黙ったまま走っている。表情からして何か考え事をしているようにも思えた。そんな天野が突然、脚をとめ立ち止まった。俺も足を止めた。
「なにしてんだよ、天野?早くしないと祥子が!?」
焦る俺を前に天野の目が俺を捉える。
「ねえ、ツカサ。ちょっと良いかしら?」
そう言って真っすぐ見つめる天野の表情を前に俺は息を飲んだ。
リョウちゃん家を出てしばらくした時だった。背後から妙な視線を感じたのだ。気のせいかもしれないと思って角を曲がる時にカーブミラーを見たら、数メートル離れた位置からフードを被った男の姿が見えた。
まさか変質者!?以前、リョウちゃんから聞いた話を思い出して背筋が冷たくなった。どうにかして逃げなければと思い駆け足になったのが良くなかった。フードの男が異変に気付いて追いかけてきたのだ。このままでは追い付かれてしまう!適当に目についた場所へと逃げ込んだが変質者に見つかってしまうかもしれない。
怖い・・・助けて、リョウちゃん!気づいた時、私はリョウちゃんに電話をかけていた。
『もしもし、どうしたんだ祥子――』
「リョウちゃん助けて!誰かに付きまとわれているみたいなの!」
リョウちゃんの声が聞こえた瞬間、すぐさま助けを求めた。電話口から落ち着けと聞こえたような気がするが、走りながら聞いているので内容が頭にはいらない。とにかく頭の中はパニックだった。自分で何を言っているのかすら分からない状況で突然、後ろに引っ張られる感覚に短く悲鳴を上げた。追ってきた男に捕まったのだ。
強い力に仰向けにされると、目の前にフードを被った男の姿があった。男は片手で私の両腕を抑えながら空いた方の手で制服のボタンを乱暴に引きちぎってきた。目の前で弾け飛ぶ制服のボタン。胸が外気に晒されている状況だが羞恥よりも恐怖が先行した。
フードの奥で男が舌なめずりするのが見えた。その手が胸に伸びてくる。
「嫌っ!!!」
両手が動かせないので足を使って男の急所を蹴り上げた。天野さんがしていた事を真似しただけだが想像以上の効果があったようだ。よろけた拍子に両腕の拘束が緩んだばかりかフードが外れてその素顔が露わになった。
「―――っ!!」
男がしまったと言いたげな表情になると同時に、私のなかでリョウちゃん達に言いかけた名前と目の前の男の顔が完全に一致する。
まさかコイツが明海さんを!?頭に浮かんだ疑問に呆然としていたが、今は逃げることが先決だ。急いで立ち上がり逃げようとしたが、腕を掴まれてしまいあえなく失敗した。
続いて首に何かが巻きつき圧迫された。両手を拘束していた帯状の物で男が首を絞めにかかったのだ。
「・・・ぁっ・・・っ・・・・・」
声が出せなくなり、息が出来なくなった。背後から男の声が聞こえてきた。
「もう少し楽しみたかったんだが・・・顔を見られたからな。お前にも死んでもらう」
両手に力を込められ、さらに苦しくなった。朦朧とした頭の中で男の言葉に疑問を持った。
お前にも?まるで前にも誰かを殺したかのような言い方だった。それに首を絞めている凶器にも引っ掛かりを覚える。感触からしてネクタイのようだ。
ネクタイって・・・やっぱりコイツが!今まで聞いた天野さんの話から、私を襲っているこの男が犯人だと確信した。そして今、その犯人の手によって私の命が奪われようとしている。
嫌だ!こんな奴に殺されたくない!私はあらん限りの力を振り絞って抵抗した。
ここで命が尽きてしまうなんて絶対に嫌だ。まだリョウちゃんに想いを伝えてないのに。しかし犯人はさらに力を込めて私を殺しにかかってくる。男の力に敵う術が私にはない。
嫌だ!死にたくない・・・明海さんもこんな気持ちだったのだろう。必死に抵抗していたが、だんだんと意識が遠くなってきた。
助けてリョウちゃん・・・。意識が完全に落ちようとした時だった。
「テメェ、祥子から離れろ!」
幻聴だろうか?リョウちゃんの声が聞こえたと同時に身体が軽くなった。
「祥子!しっかりしろ、祥子!!!」
続いてガクガクと身体が揺さぶられ、さっきよりもはっきりと声が聞こえてきた。ゆっくりと目を開けると、今にも泣き出しそうなリョウちゃんの顔がそこにはあった。
「リョウ・・・ちゃん・・・?」
朦朧とした意識の中でどうにか口が利けた。
「祥子、大丈夫か?」
リョウちゃんの顔が僅かだが安堵したように見えた。その顔を見た瞬間、目頭が熱くなって視界がぼやけて見えた。
「リョウちゃん・・・良かった・・・・・」
それだけ呟くと、意識が次第に遠くなり、私は完全に気を失った。
天野の式神が降り立った場所に祥子と犯人と思しき男の姿があった。男は後ろから祥子の首をネクタイを使って絞めつけている真っ最中だった。香津子さんが「吉田さん!」と叫ぶ中、俺は犯人めがけて突進した。
「テメェ、祥子から離れろ!」
全体重を乗せて当て身をくらわせると、不意をつかれた犯人は地面を転がりながら近くの木の根元にぶつかった。打ち所が悪かったのか犯人は呻き声を上げたままうずくまっている。その隙に俺は祥子に駆け寄ると同時に上着を被せた。犯人によってだろうか、祥子の制服が引きちぎられて下着に包まれたささやかな胸が露わになっていたからだ。
「祥子!しっかりしろ、祥子!!!」
「吉田さん、目を開けて!」
隣にやって来た香津子さんと一緒に声を張り上げた。肩を揺すりながら叫ぶと祥子が僅かに目を開けた。
「リョウ・・・ちゃん・・・?」
その声を聞いた瞬間、身体が脱力して安堵の溜息が漏れた。良かった。間に合った!
「リョウちゃん・・・良かった・・・・・」
一言だけ呟いた祥子の目から涙が零れ落ちたかと思うと、祥子はゆっくりと目を閉じてしまい、そのままぐったりとなってしまった。突然のことに俺の頭は真っ白になった。
「祥子?おい、目を開けろ、祥子!」
必死に叫ぶが祥子からは何の反応も無い。身体を揺する俺の肩に天野が「大丈夫。気を失っただけ」と呟いた。その言葉に俺は再び安堵の溜息をついた。
「ツカサはそのまま吉田の傍にいてあげて。私はアイツを・・・」
そう言って天野は立ち上がり、ベストのポケットに手を入れてから視線を犯人に向け一歩前へと踏み出した。祥子を横にしてから天野の視線を追うと、犯人の男がゆっくりと立ち上がろうとしているところだった。
そんな犯人の背中に向けて天野が口を開いた。
「これはどういう事ですか・・・白井先生?」
その言葉に振り返った男は多神ヶ原西高校の体育教師、白井先生その人だった。隣にいる香津子さんが信じられない様子で彼を見つめている。
「意外な所で会いましたね。もしかして、明海香津子さんの無念に呼び寄せられたのかしら?」
天野の皮肉に白井は眉を僅かに動かしただけだった。俺達がいるこの場所は香津子さんの遺体が遺棄され、そんな彼女の霊と俺が出会った公園だった。俺達と対峙する白井はおどけた表情で肩をすくめながら笑みを浮かべた。
「君はいったい何を言ってるんだい?私はこの子を助けようとしただけだよ」
余裕すら伺えるその表情に殺意すら覚えた。ここに駆け付けた時、祥子の首を絞めていた場面を見ていないとでも思っているのだろうか。
「そんな言い訳が通用するとでも?」
「言い訳も何も実際その通りだしね。君達は誤解しているんだよ。少し冷静になって話をしようじゃないか」
棘を含んだ天野の言葉にも動じる様子のない白井に苛立ちを感じた時だった。
「・・・・・許さない」
突如聞こえてきた地を這うような声と共に一つの影が白井の背後に現れた。
「・・・許さない・・・よくも・・・」
白井の背中に張り付くように以前に見た幽霊少女が姿を現した。
「・・・許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない・・・」
目の前の光景に背筋が冷たくなった。同じ言葉を繰り返す幽霊少女の目には強い『憎悪』の感情が読み取れた。顔は見えないが、天野も突然のことに困惑しているようだ。ただ一人、幽霊の見えない白井だけが怪訝な表情をしている。
なぜ彼女が現れたのか。その答えは意外な所から出てきた。
「思い出した!あの子・・・!」
突然、隣にいた香津子さんが叫んだことに俺は驚いた。彼女は独り言のように話し始めた。
「どこかで見たことがあったと思ったらあの子、ボクが殺される少し前にこの公園で見かけたんです。服装が乱れてたし、何かから逃げるかのようだったから、どうしたんだろうって思って・・・」
香津子さんの声を聴きながら俺は幽霊少女を見た。以前、香津子さんが幽霊少女の事を気にしていたのはこのことだったんだ。幽霊少女はなおも白井に向かって同じ言葉を呟き続けている。それを目にして「なるほどね」と天野の声が聞こえてきた。
「話が見えてきたわ。白井先生。最近、ここら辺で起きている連続婦女暴行事件の犯人はあなただったんですね?」
天野の言葉に俺はもちろんだが目の前の白井が初めて動揺するかのように目を見開くのが見えた。
「被害を訴える女性はごく少数。たとえ被害届を出されても顔さえ見られなければ捕まることはない。先生にとっては都合がいい事ばかりだった。でも一人の女子高生を襲った時、その現場をたまたま居合わせた別の第三者に見られてしまった。しかも都合の悪いことに、襲った女子高生が自殺してしまいアンタは焦った。事実が明るみになれば自分は破滅。それを防ぐためにその目撃者である明海さんを亡き者にした・・・」
こんなところかしらねと言う天野を前に白井は無言のままだった。これで香津子さんが殺された理由が明らかになった。さらに目の前の男の更なる罪状が明るみになった瞬間だった。祥子を襲ったのは事件の口封じのためと共に『そういった理由』も含まれていたのだろう。
「自分の欲望のために女性を傷つけ、保身のために明海さんの命を奪ったアンタは最低のクズ野郎よ!」
そう言い放つ天野の背中越しに白井の様子を伺った。
「・・・・・」
白井は天野の推理に一貫して無言のままだった。目の前の男に俺は言い様の無い怒りを覚えた。自身の欲望のために罪を犯し、それを隠すために香津子さんの命を奪ったばかりか祥子をも襲ったこの男を俺は許すことが出来なかった。それは香津子さんも同じだろう。彼女は一言も発することなく白井の事を睨みつけたまま微動だにしない。俺達三人は白井への怒りを滾らせた。
「・・・・・フッ」
その時、白井の口から初めて小さな嘲笑が漏れた。
「・・・何がおかしいのかしら?」
白井の態度に天野がすぐさま反応する。背中しか見えないが声に苛立ちが込められている。そんな天野に白井はフウと小さく息を吐いた後に口を開いた。
「・・・まさか、そこまで見破られるとは思わなかったよ。どんな関係かは知らないけど、彼女の為にそこまでするとはね・・・」
白井は薄ら笑いを浮かべながら小さく拍手をしてみせた。自分の罪を認めたにも関わらず、その目は俺達を見下しているようだった。白井の口元がいやらしく歪んだ。
「でも残念だったね。君達が証明できるのはそこの女子生徒を襲ったことだけだ。それだけじゃ、明海の殺人は証明できない。違うかい?」
天野の肩がピクッと震えるのが見えた。俺も何も言えずにいた。俺達では香津子さんの殺害を証明することは出来ないのは事実だ。そんな俺達を見て白井はさらに口の端を歪めながら得意げに語り始めた。
「残念だったねぇ。所詮は高校生・・・ガキだってことだよ!お友達が死んだことに大人しくピーピー泣いてりゃ良いものを、くだらない正義感で探偵ごっこなんてするから足元すくわれるんだよ、バカが!」
白井が豹変したことに俺と香津子さんは驚いた。白井はそんな事など気にも留めず、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
「まあ、いい。そこまで知られたからには、君達にも死んでもらう・・・明海と同じようにな!」
「やっぱり、アンタが明海さんを!」
天野が声を荒げるが、白井は薄ら笑いを浮かべながら近づいてくる。
「ああ、そうさ。あのガキ、俺を脅すつもりでいたんだ。このままじゃ俺はおしまいだ」
隣で香津子さんが「えっ?」と言って困惑している。こいつは何を言っているんだ。
「まったく、ちょっと楽しんでただけだってのに自殺なんてしやがって。あのガキのせいでとんだとばっちりだったよ」
面倒臭そうな口調で女性を襲っていたことを認める白井がゆっくりと手にしたネクタイを持ち上げた。
「そのネクタイで明海さんを殺したのね・・・」
こんな状況のなかでも天野は冷静に白井に疑問を投げかけている。それに対して白井は鼻で笑いながら呆れた様子だった。
「そんな訳ねぇだろ?明海を殺したネクタイは燃やして処分したから、もう見つけられっこねぇよ!俺がそんなヘマするかよ、バーカ!」
口汚く得意げに高笑いをする白井がさらにこちらに近づこうとした時だった。
「ねぇ・・・今の話、聞いた?」
天野の言葉は白井ではなく俺達に向けられたものだった。
「ああ、バッチリだ」
隣で香津子さんも強く頷く。そんな俺達を前に、白井は不愉快と言わんばかりに眉をひそめたのが目に映る。それを見計らってか、天野がベストのポケットから手を出した。
「これ、な~んだ?」
そう言って天野が取り出したのは小型のボイスレコーダーだった。再生ボタンを押したらしく、そこからさっきまでの会話が流れてきた。勿論、白井の自白の言葉も入っている。
「きっ、貴様!」
そう叫ぶ白井の顔に初めて焦りの色が浮かぶのが見て取れた。そんな白井を前に、天野は左手に持ったボイスレコーダーを軽く振って見せた。
「明海さん殺しの物的証拠が無いのは百も承知よ。だから本人に自白させて証拠にしようって思ったの。相手が子供だってバカにしているアンタなら簡単に白状すると思ったけど、まんまと引っかかってくれたわねぇ。口を割らせるためにいろいろと考えていたけど、必要なくなっちゃった♪」
楽しそうな口調で語る天野。背中しか見えないが、コイツは今、ものすごくいきいきとした顔をしているだろうなと思った。そんな天野がこちらに振り向くなり目で合図を送ってきた。
「まだ驚くのは早いわよ」
そう言う天野に合わせて、俺はズボンのポケットからスマホを出して見せた。
「もしも~し、そっちにも聞こえてましたかぁ?」
天野の声に通話口から『バッチリだ!』と信行さんの声が聞こえてきた。あらかじめスピーカーに切り替えて、この場にいる全員に聞こえるようにしていたので辺りに声がよく響いた。
「貴様、誰と会話を!」
目に見えて狼狽える白井に対して天野は心の底から楽しそうだった。
「誰って、そんなの警察に決まってるじゃない♪正確に言えば、知り合いの刑事なんだけど」
勝ち誇ったかのように左手を腰に当てる天野。
祥子を探している間、天野から祥子を襲っている犯人は香津子さんを殺した犯人ではないかと聞かされていた。話しながら天野は、確実な証拠として白井の自白をあらかじめ用意しておいたボイスレコーダーに録音し、さらにそれを警察に聞いてもらう事を提案したのだ。祥子を探しながら天野は電話で信行さんに大まかな事情を説明した後、通話を切らずにスマホを俺に預けておいたのだ。天野自身は白井と対峙した時にボイスレコーダーの録音スイッチを押して白井が自白するのを待っていればいい。こうして俺達の作戦は見事に成功した。これで白井はもう逃げられなくなったわけだ。
『あまり褒められたものではないが、協力には感謝するよ。君達がどこにいるのかも分かっている。すぐに行くから、くれぐれも無茶はしないように!』
そう言い終えて刑事さんからの通話は終わった。スマホをポケットに仕舞い白井を伺うと、彼は放心したかのように立ち尽くしていた。
「もうすぐ警察が来るわ。アンタはもう終わりよ!これからゆっくりと罪を償っていく事ね」
それと、と言って天野がゆっくりと息を吸い込むのが聞こえた。
「高校生舐めんな、バ――カ!」
天野がそう言い放った瞬間、白井はがっくりと膝をつき項垂れてしまった。これでようやく事件は解決したのだった。
「そんな・・・なんで・・・・・」
小声で何かを呟く白井に、天野が小さく鼻で笑ったのが見えた。
「吉田の様子はどうなの?」
そう言って天野が俺達の方へ向かって歩き出した。
「なんで・・・俺が、こんなことに・・・・・」
その背後で白井はブツブツと何かを呟いている。そんな白井の目が天野の背中を捕えるのが見えた。
「そうだ・・・お前のせいだ・・・お前のせいで、俺は・・・・・」
白井の目に闇が渦巻くのが見えた瞬間、背中がゾワリとした。マズイッ!本能的にそう思った時だった。
「貴っっっっっ様あああぁぁぁぁぁぁっ!!!」
突然、白井が天野の背中めがけて襲いかかってきた。
「天野!」
俺の叫び声で天野が後ろを振り向くが、白井は既に背後まで迫っていた。白井が手に持ったネクタイを今にも天野の首に巻きつけようとしている!
油断した!事件が解決した安心感で気が緩んで、白井が凶器のネクタイを持っていることを俺達はすっかり忘れてしまっていた。これでは白井の言った通りガキじゃないか!怒りで我を忘れた白井のネクタイが今にも天野の首にかかろうとしている。
間に合わない!そう思った次の瞬間、
「天野さん!」
さっきまで隣にいた香津子さんが天野めがけて飛びかかり、そのまま吸い込まれるようにその身体へと入っていった。その直後、天野は膝を曲げて素早く白井の攻撃をかわし、空振りに終わった相手の腕を掴むや、その勢いを利用して豪快な背負い投げを決めてしまった。
予想外の反撃に油断したのか、白井は受け身もとれずに背中から地面に叩きつけられてしまい、そのままピクリとも動かなくなってしまった。白井に駆け寄り様子を伺うと、目を回した状態で完全に気を失っている。俺は白井が掴んでいたネクタイを取り上げそのまま両腕を後ろに回して縛り上げた。これでコイツが目覚めても俺達を襲うことは無いだろう。凶器として持ち出したネクタイで自分が拘束されるなんて皮肉な結末だと思う。俺は白井を一瞥すると、その場に立ち尽くす天野に目を向けた。
「天野・・・じゃない。香津子さんだね?」
天野の身体で香津子さんがコクリと頷いた。
「ごめんなさい。天野さんが危ないと思って、無我夢中で。後で怒られるかも・・・」
そう言って天野の声で香津子さんが謝った。
「謝る必要は無いって言いそうだけどな」
実際、香津子さんが取り憑かなければ事態は最悪な結末になっていたかもしれないのだから、むしろ感謝すると思う。
「それにしても凄い背負い投げだったな。もしかして何か武道でもやっていたの?」
彼女が見せた背負い投げは無駄な動きが全く無く、とても素人が出来るような芸当ではなかった。俺の疑問に香津子さんは指を絡めながら控えめに口を動かした。
「実はボク、柔道部に所属してたんだ。これでも黒帯なんだよ」
なるほど、どうりで。何はともあれ、これで無事に事件は解決したことになる。
つまり・・・
「これで、お別れだね・・・」
俺より先に香津子さんが別れの言葉を口にした。白井を捕まえたことで彼女の未練は晴れたことになり、もう現世に留まる理由は無くなったことになる。
成仏の時が来たのだ。この公園で彼女と出会い、一緒に暮らすことになってから数週間。いざ別れとなると寂しくもあった。それは相手も同じなのだろう。顔は天野だが、香津子さんもどこか寂しそうだった。
「大丈夫だよ。あの世も多分だけど良い所だと思う・・・行ったことが無いから分からないけど」
別れは少しでも寂しくない方が良い。そう思って香津子さんを元気づけるが、その表情が晴れることはなかった。それどころか何やら思いつめているようにも見える。どうしたのだろうと思い声を掛けようとした矢先、突然、香津子さんが「あの!」と急に顔を上げた。
「最後に・・・どうしてもツカサ君に聞いてもらいたい事があるの」
決意に満ちたその表情に、俺は「なに?」と聞いた。俺に促され香津子さんはゆっくりと深呼吸をしてから意を決したように表情を引き締めた。
「ボク、子供のころからの夢があったんだ。いつか素敵な恋がしたいって夢が・・・」
変だよねと言って寂しげに笑う香津子さん。俺はそんな彼女の夢を変だとは思わず、むしろ彼女らしいと思った。そう言おうと思ったが敢えて口にはせず黙って聞き役に回ることにした。
「男の人が苦手だったボクでも、いつかはって思ってた矢先に殺されて・・・もう、諦めた夢だったんだけど・・・」
そう話す彼女の言葉に俺は「ん?」と疑問を抱いた。
苦手だった(・・・)?あれ、過去形になってる。そういえば最近は俺の隣にいても平気みたいだし、ひょっとして男性恐怖症が・・・
「ねえ、香津子さん。もしかして――」
そのことを尋ねようとした時、柔らかな感触が唇に触れた。目の前には天野の身体を借りた香津子さんの顔。そんな彼女の唇が俺のものと隙間なく密着していた。突然の出来事に俺の頭は真っ白になった。
(まさか死んだ後に恋が出来るなんて思わなかった・・・)
頭の中で香津子さんの声が木霊していた。同時に目の前にいる天野から彼女の気配が少しずつ薄らいでいくのが感じ取れた。
(ありがとう、ツカサ君。それと・・・)
大好きだよ。そう言い残して香津子さんの気配は完全にこの世から消えてなくなってしまった。どうやら無事に成仏出来たらしい。最後の告白には驚いたが、これで彼女の未練は完全になくなったのだろう。祥子も無事だったし天野も・・・
ん?ちょっと待て・・・香津子さんがいなくなったってことは今、俺は――
「――――んぐっ!?」
驚いた顔の天野とまともに目が合った。大きく見開かれた瞳が目の前にある。当然、俺達の唇はいまだにくっ付いたままだ。
「ア――――――――!?」
突然、何処からか悲鳴に近い叫び声が聞こえてきた。何事かと思った矢先、俺は目の前の天野に突き飛ばされて尻餅をついた。顔を上げた俺の目の前に、左手で口元を押さえた天野の姿があった。
「私、初めてだったのに・・・」
目に涙を溜めながら俺を睨みつける天野。事情を説明しようと慌てて立ち上がった俺の目にもう一人の人物の姿が映った。
「リョウちゃんと・・・天野さんが、キッ、キキキキキッキスして・・・・・」
いつの間にか意識を取り戻したらしい祥子が青ざめた顔で上体を起こしていた。どうやら天野とのキスも見ていたようだ。白井は未だに目を回しているし、さっきの悲鳴は祥子のもので間違いないだろう。
「あっ、あの・・・二人とも・・・?」
なんて言えばいいのか考えあぐねていると、
「リョウちゃんの・・・リョウちゃんの・・・!」
次の瞬間、祥子の顔がくしゃりと歪んだ。
「リョウちゃんの唇、盗られたああぁぁぁぁぁ!!!」
なんと祥子はその場で子供のように泣きじゃくり始めたのだった。
「お、おい祥子、どうしたんだ、いったい!?ウオッ!」
突然のことに慌てて祥子に駆け寄ろうとしたが、天野に胸倉を掴まれ、それも不可能になってしまった。天野は右手で胸倉を掴んだまま肩を震わせている。相当に怒り心頭のご様子だ。
「あ、天野・・・さん?」
恐る恐る様子を伺っていると、おもむろに天野の左手が上がりバシンと頬を平手打ちされた。それだけに止まらず、続いて二度三度と往復ビンタの応酬が始まった。
「この変態!最っ低!私のファーストキス返しなさいよ!!!」
天野のビンタが際限なく続く。
「黙ってないで、なんとか言いなさいよ!」
返事をしようにも、何度も頬を張られ続けて言葉を返すことなど出来るわけがない。
どれだけ殴られたのだろうか。数えきれないほど頬を張られて頭がくらくらし始めた頃、ようやく天野のビンタは収まった。
しかし安心したのも束の間、天野は左手で拳を作り思い切り振り上げた。
「ツカサの・・・・・」
低い声を発しながら天野がこっちを見据える。俺は戦慄した。
「ちょ、ちょっと待て天野!グーはやめて、グーは!」
パンパンに腫れ上がった頬で懇願する俺。
しかし天野の腕が下ろされることは無く――
「待ってくれ天野!待っ――」
次の瞬間、胸倉を掴んでいた天野の右手が離れ、
「バカ―――――――――――――!!!」
天野の放った左ストレートにより、俺の身体は3メートル吹っ飛ばされた。見事な左だった・・・
そんな俺の脳裏にある光景が浮かぶ。祥子のスマホの画面。そこに映し出された占いの結果・・・
まさかとは思っていたけど、間違いない。
女難の相あり・・・あの占い、スゲェ当たってる・・・
事件も解決し、これで全てが元通り―――になるかと思いきや・・・