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憑かれる俺のラブコメ事情  作者: 夜冲知一
待ち人来る
4/11

過去のキズ、今のオモイ

「なあ、良。お前、疲れているのか?顔色が悪いぞ」

 犯人探しが始まって二週間目。学校の休み時間。廊下を歩いていると隣の空人が怪訝な顔で俺の顔を覗き込んできた。隣で浮いている明海さんからも同じ質問を今朝に聞いたばかりだ。

「俺、そんなに疲れているように見えるか?」

「はっきり言って、ヤツレテいるように見えるな」

 何かあったのか?と尋ねる空人に俺は「ちょっとな」と言って深い溜息を吐いた。

 天野達との共同生活に祥子まで加わるようになり、俺の負担は一気に跳ね上がった。一緒に暮らすようになって、祥子がやたらと俺の世話を焼くようになったのだ。

 背中を流すと言ってお風呂に突入して来たり、夜中に俺の布団に潜りこんできたりするのだ。幼馴染とはいえ年頃の男子にとっては精神的にあまりにもよろしくない。

その現場に天野が加わると状況は最悪で、どういう訳か俺めがけて平手が飛んでくるのだ。ここ数日でどれだけ天野の平手を喰らっているのか考えたくもない。明海さんがフォローを入れてくれるが、俺は心身共にかなり参っていた。

「あっ、リョウちゃん。いたいた!」

 そんな俺の耳にチリンと鈴の音と共に祥子の声が聞こえてきた。こっちが振り向くと、祥子は駆け寄ってくるなり俺の腕に抱きついてきた。最近では学校でも俺とスキンシップをとるようになり、あらゆる面で家でも学校でも休まることが無い。

「お、おい、祥子!?やめろって!」

 空人を始め周囲の目が気になり腕を振りほどこうとするが、祥子は一向に離れようとはしてくれない。

「もう、リョウちゃんたら。恥ずかしがること無いじゃない」

 そう言って俺の腕を強く抱きしめる祥子。控えめながらも柔らかい感触が腕に伝わって、こっちの心拍数が上がる。

「吉田さん。最近は良との仲が深まっているみたいだね」

 そんな俺達を茶化すように空人が口を挟んでくるが、祥子は「そんなことないよ」と謙遜している。

「私とリョウちゃんは元からこんな感じだよ」

 空人の冷やかしにも動じず、祥子はさらに俺との親密さをアピールするかのように身体を寄せてくる。最近になって知ったことだが、祥子も天野のようにファンクラブがあるわけではないが、多くの男子生徒の憧れの的なのだそうだ。その証拠に、今の俺に向かって来る視線の中には、嫉妬の色を帯びた物が混じっている。

周囲の目が痛さを増す中、今一番会いくない人物が俺達の前に現れた。

「あら。お二人とも、随分と見せつけてくれるわね」

 言わずもがな天野である。学校では猫を被っているため口調は丁寧かつ穏やかなままだが、俺にかかる威圧感が半端ない。目が全然笑っていないのだ。あの目は怒りの目だ。間違いない。

「そうだよぉ。私達ラブラブだもんねぇ、リョウちゃん?」

 そんな天野に見せつけるように祥子はさらに肩を寄せ密着してくる。

対する天野はニッコリとした笑みを向けてきた。キレる寸前。怒りに満ちた瞳を俺に向けながら・・・

「そうですか。お二人の仲の良さは分かりましたけど、阿澄君も『ただの』幼馴染とのスキンシップは控えるべきだと思いますよ?」

 そう言って微笑む天野に笑みを浮かべながら祥子が口を開いた。

「大丈夫だよ。私達、ちゃんと節度は守っているつもりだから。(アバズレの)天野さんの心配はいらないよぉ」

 そう言って笑う祥子の目はちっとも笑ってなどいない。ていうか今、何か変な言葉が聞こえたような気が・・・

「あら、そうなの?(誰がアバズレよ、まな板女)余計なこと言ってごめんなさいね。(アンタの胸とは違って)出過ぎた真似をしたわ」

 対する天野の口からも似たような言葉が聞こえてくる。勿論、表情は笑顔のままだ。

「気にしないで、天野さん。(ダ・マ・レ、腹黒女)まあ天野さんも、まだ分からないことも多いだろうし(胸にしか栄養が行ってないから)仕方がないよねぇ」

「本当にごめんなさいね。(栄養が胸にすら行ってないアンタよかマ・シ・よ)以後、気を付けるわ(ドタマかち割るぞ、このアマ)」

「どういたしまして(やってみなよ。その胸そぎ落としてあげる、淫乱女)」

 そして数秒の無言の後、

「「うふふふふふふ・・・・・」」

 乾いた笑い声をあげる天野と祥子。今なら二人の間で火花が散る光景が見えそうだ。ていうか、なんなんだこの会話は。なんなんだこの空気は。二人ともスッゲェ怖いんですけど!会話の所々でお互いを罵り合う二人に俺は戦慄した。

 そんな異様な空気を前に明海さんと空人は勿論、周囲にいた生徒達まで距離をとり始めた。俺もそうしたいのだが、祥子に腕を掴まれているので逃げる事すら出来ない。

誰か助けてください!そんな俺の想いが届いたのか、廊下の向こうから誰かがこっちにやって来た。なんとそれは宇梶だった。

 おそらく俺と天野が一緒にいるので圧力を掛けに来たのだろうが、そんな事はどうでも良い。この場から脱出できるのなら誰だってかまわない。

「おい、阿澄――」

 そう言って宇梶が近づいてくる。同時に天野と祥子がギロリと視線を向けた。

「――君の友達の田門空人君。ちょっと話が・・・」

 二人に睨まれ、宇梶は俺の脇を素通りして空人のところへ行ってしまった。結局、何しに来たんだよ、お前は!どこまで小心者なんだ!

 宇梶に非難の視線を向ける中、ふとある事に気がついた。明海さんと宇梶。この二人、並べて見てみると雰囲気が似ているような気がする。

 しかしそんな発見も祥子に腕を引っ張られたことでうやむやになり、俺は再び居心地の悪い空間に逆戻りすることとなった。

 皆の視線に囲まれ、天野と祥子の板挟みに遭い、この生活はいつまで続くのだろうか。自然と口からため息が漏れた。



 その日の夜だった。俺は夢を見た。目の前に女子中学生がいる。ショートボブの髪型に活発な印象。歳は若いが、ひょっとして彼女は明海さんか?よく見ると明海さんと思しき女の子の膝頭には擦り傷と思しき傷があった。

「どうしたの香津子、その怪我は!?」

 そんな彼女を見て驚きの声を上げる女性が現れた。その隣にはもう一人、男性の姿もある。彼女の両親だろうか。

「ごめん、部活で張り切り過ぎちゃった」

 そう言ってにっこりと笑みを浮かべる様子は時折みせる明海さんの姿そのもので、俺の予想は当たっていたのだと確信する。そんな明海さんを前に彼女の母親が深いため息を吐いた。

「まったく・・・どうしてこの子は、こうも女の子らしく無いのかしら・・・」

 そう言って再びため息を吐く母親。本人にとってはたいした意味で言った訳ではなかったのだろう。しかし、その言葉に明海さんは小さく「えっ」っと呟き固まってしまった。その表情は傷ついているように見える。

「良いじゃないか、母さん。そのおかげで変な虫が付かないんだから。香津子は一生嫁には行かなくていい!」

 これも娘を持つ父親の発言としては当たり前のものだと思う。しかし、その言葉を前に明海さんの表情がさらに歪み、泣きそうな顔になっていることに二人は気づいていないようだった。



「夢か・・・」

見慣れた天井・・・時刻は深夜といったところか。妙にリアリティのある夢だった。まるで明海さんの過去を見ているかのようだった。それにこの夢は以前にも見た覚えがあった。いったいどういう事だろうか。

 一人思案する俺はその時になってようやく誰かの視線に気が付いた。顔を上げるとそこには驚いた様子で俺を見る明海さんの姿があった。

「ツカサ君・・・・・どうしたの?」

 彼女は宙に浮かんだまま目元に手を当てていた。その目には涙の水滴が浮かんでおり、誰が見ても泣いていたのだと容易に想像できた。

「明海さんこそどうしたの?なんか泣いていたようだけど?」

 俺の言葉に明海さんは慌てて目元を擦って涙を拭った。

「なっ、何でもないの。いろいろと考えていたら急に・・・」

 ゴメンねと言って明海さんは笑みを浮かべた。それは無理に笑っているようにも見えた。

「起こしちゃったみたいだね?」

「それは別に良いんだけど・・・良かったら話ぐらいは聞くよ?」

 明海さんは「えっ?」と目を見開いた。

「ちょうど目も覚めちゃったし、話し相手になってくれないか?」

 目が覚めてしまったのは本当だ。しかしそれ以上に明海さんが泣いていた理由を知りたいと思った。こう言えば彼女も話しやすいだろうと自分なりに気を遣ってみたのだ。

 明海さんはしばらく俺の事を見つめたまま黙っていたが、意を決してようやく重い口を開いてくれた。

「ボクっていろんな人に迷惑をかけているなって思っちゃって・・・・」

 俯いたまま明海さんはポツリと呟いた。口を挟まないよう俺は黙って話を聞くことにする。

「ツカサ君や天野さんだけじゃなくて吉田さんにまで気を遣われているのに、結局ボクは何も思い出せないままズルズルと・・・」

 話しながら鼻をすすった後、明海さんは「でもね」と続けた。

「ボクだって思い出そうと努力はしているんだよ?だけど、『あの時』の事を思い出そうとする度に苦しかったこととか思い出しちゃって・・・」

 明海さんが両手で顔を覆った。その肩が震えているのが目に映った。

「すごく怖いの、あの時のことが。でも思い出さないとみんなに迷惑かけちゃうことが申し訳なくて、ボク・・・」

 部屋中に嗚咽の声が響き渡る。ここ最近、明海さんが表情を曇らせる場面をよく目にするようになっていた。まさかそんな悩みを抱えていたとは思わなかった。

 次の瞬間、考えるより先に口が動いた。

「そんなに辛いなら、無理に思い出さなくても良いぞ?」

 えっ?と明海さんが顔を上げた。「でも・・・」と言葉を続けながら彼女は目を伏せた。

「ボクがいるせいでみんなに迷惑が・・・」

「もし本当に迷惑だったら、天野も祥子も俺ん家に泊まったりなんかしないって!そもそも君を成仏させるつもりが無いなら、どうにかして俺から引き離す手段を考えていると思うし」

 これは想像だが天野ならそれが可能だと思う。確証があるわけではないが、なんとなくそんな気がする。だけど天野はそれをしようとはしない。祥子だって同じだ。自分じゃ無理なら親父さんに頼むことだって出来るのに、あえてそうしないのにはちゃんと理由があるのだ。二人とも本気で明海さんを成仏させるために頑張ろうとしている。二人は明海さんの事を考えているのだ。迷惑だなんて思っていないと断言できる。

「むしろ謝らないといけないのは俺の方だ」

 ゴメンと言って頭を下げると、明海さんが目を見開き驚愕した。

「何でツカサ君が謝るの!?ツカサ君、全然悪くないのに!」

 まくしたてようとする明海さんを右手で制す。

「俺、明海さんの事何も分かってなかった。そうだよな・・・自分が殺された時の事なんて思い出したくなんて無いよな。それなのに俺、無神経だった」

 自分が殺された時の苦しみや痛み、それを思い出すなんてどれほど辛いことなのか俺には想像できない。天野が明海さんに優しかったのだって、彼女に一番辛いことをさせている負い目があったのかもしれない。

「明海さんだって、俺達と同じ生きている人間だったんだ・・・」

 口にしてハッと気づいたが遅かった。「だった」と過去形で話すこと自体、明海さんに対して失礼だと思った。明海さんは「そうだね」と言ってすぐさま俯いてしまった。

「・・・明海さん?」

 明海さんの顔を覗き込む俺は彼女の目に涙が溜まっていることに驚いた。

「そうなんだよね・・・ボクも『生きていた』んだよね・・・・・ボクも、生きて・・・生きて・・・イキ・・・・・!」

 突然、明海さんが両手で顔を覆ってうずくまってしまった。

「明海さん!」

 咄嗟に手を差し伸べようとしたが、その手がむなしく空を切る。触れられない事へのショックを感じるなか、明海さんは声を上げて泣き崩れた。

「何でボクが死ななければいけなかったの?ボクだってやりたい事がたくさんあったのに!死にたくなんかなかった!もっと生きたかったのに、どうして!どうしてボクが!」

 目の前で明海さんが泣き叫んだ。殺された事への絶望。生への渇望。明海さんの溢れ出した想いが濁流となって溢れてくるのを見た気がした。

 これは彼女の未練だ。あって当然の想いだ。今まで彼女はどれほどの想いを抑えていたのだろうか。

「もっと、生きたかった・・・!」

彼女の肩が震えるなか、手を差し伸べることの出来ない俺は呆然とその様子を見つめることしか出来なかった。


「ゴメンね・・・みっともないところ見せちゃって・・・」

 ひとしきり泣き叫んだ明海さんがしゃくり声を上げながら謝罪する。胡坐をかいていた俺は首を左右に振った。

「少しはスッキリした?」

 俺が尋ねると彼女はうんと頷いたが、表情は硬かった。

「ツカサ君は優しいね・・・もっと早くにツカサ君に会いたかったな・・・」

 明海さんがポツリと呟き、俺は「えっ?」と首を傾げる。

「どういうこと?」

 尋ねる俺に明海さんは自嘲気味に小さく笑った。

「中学生の頃なんだけどね。両親に言われたんだ、「女の子らしく無い」って」

 彼女は懐かしむように遠くを見つめながら話を続ける。

「ボクって昔から体を動かすのが好きだったんだ・・・だから、よく怪我もして。それに・・・」

 そう言って明海さんは俺の前で背筋を伸ばして立ち上がった。俺も立ち上がって確認すると、普段から宙を浮いていたので気付かなかったが、明海さんは俺よりも背が高かった。

「産まれつき他の子よりも背が高かったんだ、ボク。クラスの男の子よりも高くて。そしたら男の子の目が怖くなって・・・両親ともそんなに背は高くないのに、どうしてボクだけ・・・。女の子らしく無いって、確かにそうだよね・・・」

 そう言って再び俯く明海さん。子供の頃のトラウマで男性恐怖症になったと聞いたが、さっき見た夢の内容がそのまま彼女のトラウマになったわけだ。なんて声を掛ければ良いのか分からないが、彼女を元気づけたいと思った。

「それって、明海さんのスタイルが良いって事だろ?」

 えっ?と顔を上げた明海さんと目が合った。俺はそんな明海さんを見ながら思った事を口にした。

「背が高いってスラッとしているって事だろ。明海さんってスレンダーなのに出るところは出てるから、女の子としてかなりスタイルが良いんだよ。それに可愛いし」

 正直な感想を口にすると、明海さんの顔がみるみる内に赤く染まった。

「ちょっと、ツカサ君!いくらなんでも言い過ぎだよ!ボクなんか天野さんや吉田さんに比べたら全然スタイル良くないし、ましてや可愛くなんて・・・」

 真っ赤な顔で俯く明海さんに「それは謙遜だよ」と否定した。

「明海さんはコンプレックスに感じてるかもしれないけど、背が高い分、手足が長いから長身モデルみたいだし、ボーイッシュな見た目でそんな女の子らしい仕草をされたら男心がかなりくすぐられちゃうよ。明海さんには天野や祥子にはない魅力があるんだって」

 これは誇張やお世辞で言ったわけではない。明海さんの全身を見て思った事だが、何かスポーツをしていたのか全体的に引き締まっているため、背の高さと合わせてモデル体型をしているのだ。体形的に天野や祥子のいい部分を合わせた感じだし、二人とは違った魅力があると思う。断言できる。

 俺の評価に明海さんはこれ以上ないくらい顔を赤くしたまま黙り込んでしまった。さすがに言い過ぎたかなと思った矢先、明海さんが上目づかいに俺の顔を覗き込んできた。

「ツカサ君は、もしボクが・・・」

「ん?何か言った?」

「ううん!なんでもない」

 俺が尋ねた途端、慌てた様子で明海さんは両手をパタパタと振った。何か言いかけていたようだけど、どうしたのだろう?見ると明海さんは何か考えているようで、俺はしばらく様子を見ることにした。

 時間にして5、6分といったところだろうか。明海さんは意を決したように顔を上げ俺の目を見ながら口を開いた。

「ねえ、ツカサ君。お願いがあるんだけど良いかな?」

「お願い?まあ、出来る範囲内でなら構わないけど・・・」

 明海さんが誰かに頼みごとをするなんて珍しいことだ。どんなお願いなのかは分からないが、別にかまわないだろう。明海さんは「本当にいいの?」と少し驚いた様子だったが、同じくらい嬉しそうに笑みも浮かんでいた。

お願いごととはなんだろう。黙って待っていると、明海さんは胸に手を当て大きく深呼吸をしてから口を開いた。

「ボクのこと、名前で呼んで欲しいんだ・・・香津子って」

「えっ?そんなのでいいの?」

 意外なお願いに驚く俺に明海さんが頷きながら指を絡ませる。

「だって、ツカサ君にはボクが成仏しても憶えていて欲しいから。それに・・・」

 そう言ったきり明海さんの口から続きの言葉が出てこない。何か思うところがあるのだろう。これ以上聞くのは野暮だ。彼女が成仏しても忘れるつもりなんて無いが、それで本人が満足するなら叶えるまでだ。

「分かった。これからは君の事、香津子さんって呼ぶよ」

「うん・・・・・ありがとう」

 そう言って嬉しそうに微笑む香津子さんは本当に可愛いと思ったが、このことは本人に伝えないでおこうと思った。



「ところで、犯人探しはどこまで進んでいるの?」

 次の日。朝食を食べ終え一息入れようと思った矢先、祥子が口を開いた。共同生活にも慣れてきた頃だった。

祥子の疑問に対して「その事なんだけど」と天野が口を開いた。

「今朝、式神から捜査に進展があったって連絡が入ったのよ。朝早く起こされたから、おかげで寝不足よ、まったく」

 そう言って天野は小さく欠伸を漏らした。

「それで、何が分かったんだ?」

 俺が尋ねると天野は左手で指を二本立てた。

「分かった事は二つ。一つは凶器が特定されたこと。明海さんの首に残った痕からして、凶器はネクタイだって分かったわ」

「ネクタイ・・・ってことは、犯人は男ってことだね」

 祥子が唇に指を当てながら考えを述べる。

「まあ、彼女を殺害するくらいの力で首を絞めた訳だから、警察も犯人は男だって見ていたけどね」

 天野の話はさらに続いた。

「そしてもう一つが明海さんの殺害された場所についての事」

「殺害現場の事か?あの公園、確か死体遺棄現場だったんだよな?」

 俺が口を出すと、天野は「そうよ」と肯定した。実は今朝、香津子さんの事件に進展があったとテレビのニュース番組で報道されたばかりだった。

「警察もようやくその結論に至ったようね。目下、現場付近の防犯カメラに不審な車が映ってなかったか捜査中よ」

「車?」

「そうよ。明海さんの遺体を運ぶには自動車か何かで運ばなくちゃいけないでしょ?」

 なるほど。言われてみれば確かにそうだ。

「つまり、犯人はどこか別の場所で香津子さんを殺害後、車か何かで遺体をあそこに運んだってことか・・・」

 香津子さんの身長からして遺体を運ぶには車が必要だ。つまり犯人は少なくとも自動車免許を持っているということだ。

一人考えを巡らせている最中、俺は奇妙な違和感を感じて視線を上げた。

「どうしたんだよ二人とも?俺の事、変な目で見て?」

 見ると天野と祥子の二人が怪訝な顔で俺と香津子さんの事を見つめていた。

「ねえ、リョウちゃん。今、明海さんの事、名前で呼んだよね?」

 祥子の質問に天野も頷く。

「確か昨日は普通に苗字で呼んでいたはずだけど。どうしたの、突然?」

 二人の言葉に俺と香津子さんは顔を見合わせた。すると香津子さんは何故か指を絡ませ俯いてしまった。ほのかに顔も赤くなっている。

「ボッ、ボクがお願いしたんです・・・名前で呼んでって・・・」

「そうなんだ。昨日の夜中にちょっとな」

 あのやり取りについては香津子さんの名誉の為にも詳しい説明は省くことにした。自分があれほど取り乱したことを知られたくはないのだろう。それは彼女の今の態度で理解した。こんな説明で納得してくれるとは思っていなかった俺だが、二人の反応は予想とは別のものだった。

「へ~~~ぇ、そうなんだぁ。ふ~~~ん・・・・・」

 何故か祥子が不機嫌そうにジト目で俺を睨みながら一人納得する。

「何をしていたかは知らないけど、二人とも随分と仲良くなったのねぇ?」

 天野も同じように俺を睨みながらわざとらしく溜息をついた。なんなんだ、一体?

「どうしたんだよ二人とも?なんか機嫌が悪そうだけど」

 二人の様子が気になり尋ねるのだが、「別にぃ」と異口同音に返され、二人はそっぽを向いてしまった。こっちとしては訳が分からず首を捻るしかない。

「そっ、そんな事より、ボクを殺した犯人の事で何か分かったことがあったんですか?」

 香津子さんが慌てた素振りで話題を元に戻すと、天野が「そうだった」と小さく咳払いをして表情を引き締めた。

「今までの情報からして、犯人は男性で少なくとも自動車の免許を持っているってことと、動機は強盗目的だけど現金ではないってことかしら?」

「つまり、それってほとんど何も分かってないってことだよね?」

 祥子の指摘に天野は苦虫を噛み潰したような顔になり黙ってしまった。その指摘通り、現状は僅かな補足が付加されただけで何も分かっていないということだ。式神が伝えてくれた事だってすでにニュースで報道されている。天野だけでなく俺と香津子さんも黙ってしまった。

「もう、しょうがないなぁ・・・・・」

 祥子が溜息交じりに呟いた。俺達の現状に呆れているといった感じだった。

「私の方でも調べてみるよ。何人か友達に当たれば、少しは何か分かるかもしれないし」

「警察でも分からない事を、アンタの友達が分かる訳ないじゃない」

 祥子の言葉に天野が怪訝な表情を見せる。しかし祥子はそんな天野にチッチッチッと人差し指を振って得意げに胸を張った。

「そんな事ないよ。私、明海さんの高校にも友達がいるんだから。明海さん、多神(たかみ)西(にし)だよね?」

「えっ?ええ・・・」

 若干、驚きながらも頷く香津子さん。

 上下グレーの制服である俺達と違い、明海さんの制服はブレザーとスカートの色がインディゴと呼ばれる濃紺――和名が茄子紺と言われている――の物だ。加えて胸には特徴的な桜をあしらった校章のワッペンが付いている。(ちなみに俺達のブレザーにはネームの刺繍がある)

俺も彼女の制服から高校がどこなのか見当はついていたが・・・

「お前、多神西に友達がいたのか?初耳だぞ、それ?ていうか、どうやって知り合ったんだよ?」

 幼馴染の意外な交友関係に驚く俺。香津子さんが通っていた多神ヶ原西(たかみがはらにし)高校は受験対策に力を入れている進学校だ。そんな高校の生徒とどうやって知り合ったのか俺にはいまいちピンとこない。

「友達の友達は友達ってことだよ、リョウちゃん。その子から明海さんが殺された日の事や、周囲の様子とか聞いてみるから。女の子の情報網って侮れないんだよ?」

 期待しててよと言ってウィンクする祥子。

「勝手にすれば・・・まぁ、私は私で調べるだけだし・・・」

 天野がむくれた様子でポツリと呟く。祥子とは違い天野には友達と呼べる交友関係が無いため、どうしてもそう言った情報を集めることが出来ない事を認めざるを得ないからだろう。

「出来れば明海さんが記憶を取り戻してくれると良いんだけど・・・」

「ああ、その事なんだけど、無理に思い出させなくても良いんじゃないか?」

 俺は天野に意見した。昨晩の一件で香津子さんに無理をさせたくないと思ったからだ。

「香津子さんは背後から絞殺されたんだろ?だったら犯人の顔を見ていないかもしれないし、無理に思い出すだけ無駄なんじゃないか?」

 もっともらしい理由で提案するが、天野の首が縦に動く気配はなかった。

「確かに、その可能性が無いわけじゃない。だけど殺害現場が別にあると分かった以上、場所を特定するには明海さんの記憶が不可欠よ」

 俺は「だけど」と返すが天野の反論は止まること無く続いた。

「アンタが彼女を庇う気持ちも分からないわけじゃないわ。私だって心苦しいわよ。でもね、成仏するためにはこの世の未練を出来る限り減らす必要があるの。自分がなぜ殺されたのかを忘れたまま成仏して、生まれ変わった時にその影響が出ることもあるのよ。そのためにも明海さんには思い出してもらわなければいけないの」

「そうかもしれないけど!」

「待って、ツカサ君」

 熱くなり始めた俺を制するように香津子さんが間に入った。

「ボク、頑張って思い出して見ます」

 香津子さんが真っ直ぐ天野を見つめながら宣言した。

「ありがとね、ツカサ君。ボクの心配してくれて」

 こちらを振り返り笑顔を浮かべる香津子さんの目に迷いはなかった。

「みんなが頑張ってくれているのに、ボクだけ何もしないなんて出来ない。ツカサ君のおかげでボクも覚悟を決めたよ」

「香津子さん・・・・・」

 俺も彼女の覚悟の眼差しに小さく頷く。出来ることは少ないかもしれない。それでも俺は彼女の為に最善を尽くそうと思った。

「な~んか怪しい・・・」

 俺と香津子さんが見つめ合うなか、祥子がジト目でこちらを睨んできた。同じように天野もこちらを疑わしげに睨んでいる。

「アイコンタクトなんか取っちゃったりして、ホ~ント仲良くなったわねぇ、アンタ達」

「リョウちゃん・・・昨日の夜に何があったのかなぁ?」

 二人が俺達に詰め寄ってくる。俺達は顔を見合わせるしかない。

「別にたいしたことじゃないって。ねえ、香津子さん?」

「そっ、そうです!本当にたいしたことじゃないですから!」

 俺は冷静に言い繕うが香津子さんはややしどろもどろに返事をする。それが返って二人の疑惑を強めたらしく、俺は天野と祥子にやたらしつこく事情を訊かれる羽目になってしまった。まあ、最後まで口は割らなかったけどな。



 昼休み。俺は身を潜めていた。俺の背中に密着するように身を屈めている香津子さんにも頼んで隠れてもらっている。

「リョウちゃん、どこぉ?」

 遠くで祥子の声が聞こえてくるが無視だ。俺は今、祥子から逃げているのだ。今朝の一件からずっと、俺と香津子さんとのことで祥子から疑いの目を向けられているのだ。天野からの追及は止んだが、何度も誤解だと言っても信じてもらえないのはもどかしい。

「ゴメンな、香津子さん。なんか誤解されちまって」

 後ろにいる香津子さんに謝罪をするが、本人はさほど気にした様子ではなかった。

「ボクは全然大丈夫だから心配しないで。それに吉田さんと天野さんも誤解している訳じゃないから・・・」

 どういう意味だろう?そう呟いた香津子さんの顔が少し赤くなっているのも気になる。

「とにかく、何処かに避難した方が良いと思うよ」

 ほら早くと香津子さんに押し切られる形で俺達は近くにあった戸を開けた。

 戸を開けるとインクと紙の匂いが鼻についた。この独特の空気感は図書室のものだ。俺は戸を閉めると、適当な本棚に身を隠し入り口に注意を向けながら辺りを見回した。

 読書や自主的に勉強する生徒達の中、見覚えのある姿を見つけた。天野だ。

 天野は窓際の席に腰掛け手にした文庫本――おそらく自分で買った物だろう――を読みふけっていた。ページをめくり、時おり口元に笑みを浮かべながら本を読む姿はとても絵になる光景だった。そのあまりにも自然な姿を見る限り、天野はここの常連なのだろう。

 あの日からずっと、ここに足しげく通っているのかもしれないな。俺は少し前の事を思い出した。


 高校一年。終業式を明後日に控えた日の放課後。その日は祥子と帰る予定だったのだが、肝心の祥子が先生からの頼まれごとで少し遅れると言うので、俺は校内を適当にぶらついていた。

 そんな俺の目に見知った女子生徒の後ろ姿が映った。天野のものだ。彼女はキョロキョロと何かを探している様子だ。転校したばかりだから迷っているのかもしれない。

「どこに行きたいんだ?」

 気付いた時、俺はそんな天野に声をかけていた。ちょっとした親切心のつもりだった。目の前の天野はビクッとしてから振り返ると、目を見開きながら俺を凝視していた。驚かせるつもりはなかったのだが、逆効果だったようだ。

「どこ行きたいんだ?案内するよ」

 もう一度声をかけると天野も我に返ったようで、小さく「あの、図書室に・・・」と返事をした。俺は「分かった」と言って図書室まで並んで案内した。図書室の前まで案内すると、天野は「どうも」と言ってその戸に手をかけた。

「本が好きなのか?」

 そんな天野の背中に声をかけている自分に俺自身が一番驚いていた。天野と話しをしてみたいと無意識に思ったのかもしれない。天野も驚いた様子で振り返って「ええ、まぁ・・・」とこちらを窺っている。

「教室だと落ち着いて読めそうに無いから」

 続けて出てきた言葉に納得がいった。周囲の天野に対する視線は露骨なものも多く、本人にしてみれば居心地が良いとは言えないだろう。

 そんな天野になんて答えれば良いのか分からず「そうか」と言うしか出来なかった。

「気が向いたらで良いからさ、おすすめとか教えてくれよ」

 気まずさから当たり障りの無い事を言うと、「気が向いたら・・・」と返事をして天野は図書室へと入っていった。

 これが俺と天野との最初のやり取りだった。


 あの時はまさか天野とこんな形で関わるなんて思ってもみなかった。しかも今まで知らなかった一面ばかり見せられて混乱している部分もある。

 そんな想いも込めて天野を眺めていると、入り口の戸が開き祥子が入ってきた。

マズイ!俺は慌てて本棚の影に隠れて様子を窺うことにした。香津子さんも俺に寄り添う形で推移を見守っている。

図書室を見回す祥子の視線が天野を捕えると、その表情が少しムッとしたものになった。そしてしばらく逡巡した祥子は意を決して天野に近づいていくと、声を潜めて話しかけていた。

「ねえ、天野さん。リョウちゃん見なかった?」

 祥子に話しかけられた天野は読書を邪魔されたからなのか、一瞬だけ表情をムッとさせてからすぐに笑みを浮かべて丁寧な口調で返答した。

「さあ、見てませんね。少なくとも、ここにはいないと思いますよ?」

 図書室には他にも生徒がいるため、天野は絶賛猫かぶり中だ。そう言った天野がチラリとこちらに視線を向けて小さく笑みを浮かべてきた。どうやら俺の事を匿ってくれるらしい。

「本当に?」

「こんなことで嘘を言っても、私には利益なんてありませんよ?」

 そう言っておどける天野の口の端がニヤリとしているのを俺は見逃さなかった。あの顔は絶対に何かよからぬ事を考えている顔だ。

しかしそんな天野の真意に気付いていない祥子は「それもそうだね」と言って図書室を出て行った。なにはともあれ助かった。ホッと胸を撫で下ろす俺だったが、突然携帯がメールの着信を伝えてきた。

メールを確認すると『これで貸し一つね。なにを頼もうかしら♪』と陽気な文面が現れた。顔を上げるとスマホを手にした天野が桜色の唇をニヤリとさせていた。

何が「利益が無い」だ。ちゃっかり俺に恩を売ってるじゃないか!それに天野にとっては天敵ともいえる祥子を出し抜くことが出来たわけだし、本人にしてみれば良い事ずくめだ。全くもって、なんて女だ。そうやって意地の悪い笑みを俺以外の生徒に見せないようにしている所が特に狡猾だ。

そんな天野を前に全身からドッと疲れが押し寄せ、自然と口からため息が漏れた。



 祥子も犯人探しに協力するようになってしばらく経ったある日、俺はまたしても夢を見ることになった。

首に巻きつく何かのせいで気道が圧迫されて息が出来ない。なんだこれは

(苦しい・・・苦しい・・・!)

頭に「苦しい」という意識が流れ込んでくる。以前に見た時と違い、俺の意識は驚くほどに冷静だった。実際に首を絞められているのに、まるで自分の身に起きているとは思えない感覚だ。その証拠に俺の意思に反して両手が勝手に首に巻きつく何かを掴んでいる。

ほとんど無意識的に両手に意識を集中させる。おかげで手にした物が幅広の布だと知覚出来た。さらに意識を集中させると、指から伝わる感触からそれが何かが分かった。これはネクタイだ。つまり俺は背後からネクタイで首を絞められているということになる。

ちょっと待て・・・この状況、最近どこかで・・・・・

「フンッ・・・グッ!」

その時、俺の背後から小さな息遣いが聞こえてきた。男の声だ。同時に首の圧迫が強さを増し、息苦しさが一層強くなった。背後にいる男が力を込めたせいだ。

「あっ・・・、がぁっ・・・・・」

 声帯が潰れて声がまともに出せなくなった。何とかこの戒めを解こうと必死に暴れる俺の身体。しかし俺の意識は冷静なままだ。苦しさは伝わってくるのに自分のものではない感覚。まるで誰かの経験を追体験している気分だ。そこで俺はハッとした。

 もしかして、この夢って!首にかかる苦しさが強くなっているが、俺は意識を両目に集中させる。目を凝らし辺りを見渡すと俺の目に見覚えのない景色が映った。

確かに見覚えはないが、ここがどこなのかは分かる。間違いない・・・ここは・・・!



「はっ!」

 意識が覚醒する。夢から覚めたのだと理解するのに時間はかからなかった。俺の頭は先程見た夢の事でいっぱいだった。

「あの夢、やっぱり・・・・・えっ?」

 夢について考えを巡らせる俺はそこで初めて異変に気が付いた。

 身体が動かない。というか、何か柔らかいものに顔を押し付けられて息がしにくい。

「どっ、どうなってんだ、これ?」

布団の中でもがく俺。そのはずみで左手が丸みを帯びた何かに触れた。何だろうと思い、形を確かめるように左手で撫でまわしてみる。

「あん・・・リョウちゃん、ダメェ・・・」

 何故か頭上から祥子の声が聞こえてくる。幻聴かと思いながらも左手を動かすのをやめない俺。掌から丸みと共に柔らかな感触が伝わってくる。何かは分からないが、触り心地は抜群だということは分かる。

「もう・・・リョウちゃんったらぁ・・・」

 またしても祥子の声が聞こえてきた。幻聴なんかではなく、しかもその声はどこか魅惑的な気がする。イヤ~な予感が鎌首をもたげる。俺はもがきながらも押し付けられている顔を声のする方へと向ける。

「リョウちゃん・・・すぅ・・・」

 目の前には祥子の可愛いらしい寝顔があった。穏やかな寝息を立てて完全に熟睡しきっている。ちょうど俺の顔が祥子の胸に押しつけられている体勢になっていた。

「―――――ッ!!!」

声にもならないとはまさにこの事だ。おかげで俺の布団に祥子が潜りこんでいるのだと分かるまでに数秒の時間を有した。

ここ俺の部屋だよな?なんで祥子が!?ていうか、何でこんな!そんな疑問が頭を掠めると同時に左手に力が入り、俺は掌に広がる丸みを帯びた何かを鷲掴みにしてしまっていた。

「あんっ・・・もう、リョウちゃんったら。エッチなんだからぁ・・・」

 祥子が寝言と共に僅かに身じろぎする。すると、

「リョウちゃんったら、しょうがないなぁ・・・ちょっとだけだよぉ?」

 どんな夢を見てるんだと言いたくなるような寝言と共に、祥子が両腕に力を込めて俺の頭を強く抱きしめてきた。おかげで顔がさらに押しつけられて呼吸が困難になり、俺は祥子の腕の中で懸命にもがき苦しんでいた。よく見ると寝巻用浴衣の胸元が僅かにはだけているせいで谷間――というか、素肌の胸板が見えている。そんな所に顔が押し付けられているものだから、俺はあらゆる意味で危険な状況に身を置いてしまっていた。

 祥子の腕を振り払うことが出来ないなか、何とか呼吸が出来る場所を確保する。冷静に状況を分析してみて、不謹慎ではあるがちょっと嬉しいと思う自分がいた。

 天野と比べると胸のボリュームは圧倒的に無いに等しいが、それでも柔らかさと弾力は充分に伝わってくるし良い匂いもしてくる。加えてスベスベとした肌の質感とトクントクンと一定のリズムを刻む心臓の音が妙な安心感を与えてくれてもいた。

 なんか落ち着くなぁ・・・僅かに香る汗の匂いが脳を痺れさせて正常な判断が出来なくなっているのかもしれない。この状況から脱出しなければならないのかもしれないが、正直どうでもよくなってきた。

「まあ、このままでも良いか・・・」

 祥子の胸に顔を埋めながら再び眠りに就こうと目を閉じる・・・しかし、

「良いわけないでしょう、この変態!」

 突然の怒号と共に布団が引き剥がされた。春とはいえ夜の冷たい空気で身が縮む。

「寒っ!なんだよ、いきなり・・・あっ」

 顔を上げた俺は目の前の光景に絶句した。

「まったく、アンタって奴は・・・」

「ツカサ君・・・最低!」

 天野と香津子さんが非難の目で俺を見下ろしていた。まあ、祥子のはだけた胸に顔を埋めているのだから無理もない。それどころか俺の左手は祥子のお尻を鷲掴みにしていたのだ。どうりで触り心地が良いわけだ。

などと言っている場合ではない。香津子さんはともかく何で天野がここにいるのだろうか。そもそも祥子がここにいる理由も分かっていない状況なのだ。説明して欲しい。

「何で天野が・・・?」

 眠気の取れていない頭に浮かんだ疑問がそのまま口をついて出る。

「明海さんがアンタがうなされているって呼びに来たのよ。そしたら吉田が様子を見に行くって言ったっきり戻ってこないから・・・」

 ハァと溜息をつきながら天野が事情を説明してくれた。なるほど、合点がいった。

天野はその場にしゃがみ込み、祥子の腕を解いてから俺の頭に拳骨を落としてきた。おかげで眠気が一気に吹き飛んだ。

「イッテーな!何で俺が殴られなきゃ――」

 頭を押さえながら起き上がり、抗議を上げるが、

「理由言わないといけない?」

「いえ、結構です・・・」

 天野に睨まれ俺はあえなく沈黙した。祥子の胸に顔を埋め、あまつさえその尻を撫でまわした挙げ句、鷲掴みまでした俺は殴られて当然の男です。ハイ。

「ほら吉田、いい加減に起きなさい。まったくアンタは、油断も隙もないんだから!」

 天野が祥子の肩を揺すって起こしにかかる。

「あん、ダメェ・・・リョウちゃんたらぁ・・・」

 祥子は蠱惑的(こわくてき)な寝言を呟くだけで全く起きる様子がない。

「寝ぼけてないで早く起きなさい!ほら吉田!」

そんな祥子の身体を揺さぶりながら天野は根気強く起こそうとするが、

「やん。ダメだよリョウちゃん、そんな激しくしたら・・・」

祥子は身じろぎをするだけで一向に起きる様子が無い。本当にどんな夢を見てんだよ。

「起きろっつってんでしょうが、鬱陶しい!」

 とうとう天野がキレたらしく、平手で祥子の頭を叩いて乱暴に揺すり始めるが、それでも起きる気配を見せない。この幼馴染は意外にも寝起きが悪いようだ。やがて諦めたのか「まったく」と呟きながら天野が溜息を漏らした。そんな天野が俺を見るなり怪訝な表情を見せた。

「どうしたんだ、天野?」

「ツカサ、その首・・・」

「首?俺の首がどうかしたのか?」

 天野の指摘に首元を擦ってはみたが、触った感じは特に違和感はない。むしろ自分の首がどうなっているのか確かめようが無いというのが本音だ。

「その痣どうしたの?何かで絞められたような・・・ちょっと見せて!」

 言うなり天野が俺に詰め寄って来た。首元に顔を近づけ、しきりに何かを確認しているようだが、俺の方は首筋に吐息がかかってしまって心穏やかではいられなかった。おまけに髪から香るシャンプーの匂いに鼻孔をくすぐられてしまって顔が熱くなってくる始末だ。

 そんな事など知りもしない天野が「やっぱり!」と声を上げた。声からして若干だが興奮しているようにも聞こえる。

「こんなにはっきりと霊的外傷が出ているじゃない!ちょっとツカサ!アンタ、身体は何とも――」

 そう言って顔を上げた天野とまともに目が合った。息がかかる程の至近距離でお互いが身動きすることなく見つめ合う。

「そんな事よりも、俺としてはこの状況の方がいろいろと・・・」

 天野は壁にもたれて座る俺の両脚の間に膝立ちし、両手を俺の胸に添えるようにしな垂れかかっていた。暗い室内の雰囲気も合わさってイケナイ気分になってくる。

天野も自分の置かれた状況に気付いたらしく、顔が赤くなっていくのが僅かな月明かりでも視認出来た。

 そんな中、祥子が小さな呻き声を上げながらモゾモゾと動くのが目に入った。

「二人とも早く離れた方が良いんじゃないかな?吉田さん、もうすぐ起きるみたいだし」

 香津子さんが何故か刺々しい口調で助言を入れる。

「そっ、そうね・・・とりあえず、離れてくれない?」

「いや、この体勢だと俺が動けないから、天野が離れてくれないと・・・」

「そっ、そうよね・・・ごめんなさい・・・」

 ぎこちなくだが天野がゆっくりと俺から離れたタイミングで祥子が起き上がり、俺は内心ホッと胸を撫で下ろした。さっきの姿を見られたら何を言われるか分かったものではない。

「あれ?リョウちゃんどうしたの?ていうか、何で天野さんが?」

 寝ぼけ眼を擦りながら尋ねる祥子に、さっきまでの変な空気が幾分か和らいだように見えた。



 外はまだ夜中ではあるが、俺達は居間に集まることになった。

「で?吉田は何でツカサの部屋に行ったきり一緒に寝ていたのかしら?」

 天野が問い詰める口調で祥子を睨みつける。俺も同じ疑問を抱いていたので祥子の顔を見つめながら返答を待っていた。それに対して祥子は少し照れたような笑みを浮かべながら事情を説明し始めた。

「明海さんから話を聞いて部屋に入ったら、リョウちゃんが本当にうなされていたの。だから添い寝してあげれば良いかなって思って」

「何でそんな発想になるんだよ・・・」

「でもリョウちゃんだって、私がお布団に入った途端にギュッて抱きついてきたんだよ?リョウちゃんってばダ・イ・タ・ン・・・キャッ」

 そう言って祥子は両手を赤らめた頬に添えて俺から視線を逸らした。寝ている間にそんなことをしてたのかよ、俺・・・

「へぇ・・・吉田に抱きついたんだ、アンタ?ホント、どうしようもない色魔ね」

「ツカサ君・・・」

 天野と香津子さんに白い眼で睨まれ、俺の居心地の悪さが一層増した。

「そっ、そんな事より、俺が見た夢の事なんだけど」

 居心地の悪さに耐えかねて俺は話を逸らすことにした。元々このためにみんなに集まってもらったのだ。

「そうだったわね。あれだけ霊的外傷がハッキリ出ていたんだもの。どんな夢を見たのか興味深いし、話して頂戴」

 天野に促され俺は夢の内容を覚えている限り話した。俺が話を進めるごとに天野の眉間が深くなり、対照的に香津子さんの顔は少しずつ強張っていくのが見て取れた。

 一通り話し終えると天野はフウと息を吐き出し口を開いた。

「話を聞く限りだと、間違いなく明海さんが殺された時の状況よね、その夢・・・」

「やっぱり天野もそう思うか?」

 頷く天野の横で香津子さんは浮かない顔をしていた。

「でも、話を聞いても全然記憶に無いんだけど、ボク・・・」

 天野から聞いた死亡状況と夢の内容が同じだったから話してみたのだが、香津子さんの反応はイマイチだったようだ。

「香津子さんがそう言うなら、この夢って全くの無関係なのかな?」

「それは無いんじゃない?明海さんが覚えていないだけで、リョウちゃんが見た夢が無関係だとは言えないんじゃないかな?」

「私も吉田の意見に賛成。多分、ツカサとの繋がりが強くなったから明海さんが忘れていることを夢として見たんじゃないかしら?」

 珍しく天野と祥子の意見が合致する。俺と香津子さんはそろって顔を見合わせた。確かにこの夢は香津子さんに憑かれてから見るようになったものだ。前にも香津子さんの過去を夢に見たこともあるし間違いないのだろう。おかげで犯人探しの有力な情報を得ることが出来た。

「もしそうだとしたらマズイわね・・・」

「うん・・・これ以上はリョウちゃんにとって危険だよね」

 しかしそんな俺の喜びとは裏腹に天野と祥子は浮かない様子でお互いの顔を見合わせていた。

「どうしたんだよ二人とも?何がマズイんだよ?」

 怪訝な顔をする俺に天野が人差し指を突きつける。

「アンタの首――今はもう痕も残ってないけど、ネクタイの柄まで映っていたわ」

「そんなにはっきり出ていたのか!?だったら犯人が見つかる可能性も高いんだな!」

「そういうことを言ってるんじゃないの!」

 喜ぶ俺に天野が一喝する。その隣で祥子も深刻そうな表情を浮かべていた。俺には二人が何を心配しているのかよく分からない。天野が呆れた様子で溜息を吐いた後、表情を引き締め俺の事を真っ直ぐ見つめながら口を開いた。

「私達が言いたいのは二人の繋がりが強くなりすぎているってことなの。夢の中で犯人に首を絞められてツカサの首に本当に痣が出来てしまった。つまりアンタの肉体が明海さんの『死の記憶』を追体験しているってことなの。このまま行くとツカサ自身が明海さんの『死』そのものを体験――つまり文字通り死んでしまうことになるわ」

「死ぬって、そんな・・・冗談だろ?」

「こんなタチの悪い冗談、いくら私でも言わないわよ」

 淡々とした口調で事実を告げる天野。祥子も目を伏せて表情を曇らせる。『死』が迫るという現実に俺の背中が冷たくなった。

「ここまで状況が悪化するなんて、ツカサの霊媒体質を甘く見ていたわ。早いとこケリをつけるわよ!」

「急ぐにしたってどうやって?」

 尋ねると天野が俺に向けて再び人差し指を突きつけてきた。

「アンタが見た夢にヒントがあったわ。あんた、明海さんが首を絞められた場所に心当たりがあるんでしょ?」

「ああ・・・あの場所に見覚えはないけど、どこなのかは分かる」

 夢に出た景色・・・そうだ。あそこは間違いなく――


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