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憑かれる俺のラブコメ事情  作者: 夜冲知一
待ち人来る
2/11

霊能力者は17歳

「待って、お父さん!」

 一人の少年が大きな背中を追いかける。その声に目の前の背中が振り返った。

「すまんすまん。しっかし、―――は足が速いなあ」

 そう言ってどこか誇らしげな男性とは対照的に、傍にいた女性は心配気にこっちを見つめている。

「もう、お父さんったら。―――が転んだらどうするの!」

 すまんすまんと謝る男性と少し不機嫌な女性。それを見つめながら笑みを浮かべる少年。

 そこで気が付いた。そうか、これは夢だ。でも俺はこの3人を知らない。なんなんだ、この夢は?考えていると、ふいに視界が霞がかったかのように虚ろになった。



「はっ!」

 俺は勢いよく目を覚ました。何か夢を見ていたようだが、どんな夢だったのか思い出せない。その時になって初めて自分が布団の上で寝かされていることに気が付いた。天井からして自分の家と同じ和室だと分かるが明らかにそれとは違う。なぜ俺がこんな所で寝ているのだろうか。目を覚ました俺がぼんやりと天井を眺めていると、その視界に祥子の顔が飛び込んできた。

「リョウちゃん、大丈夫?私が分かる?」

「祥子?ああ、そうか・・・」

 俺の名を呼ぶ祥子を前に、少しずつ記憶のパズルが組み合わさっていく。そうだ・・・俺は確か明海香津子さんの霊に身体を乗っ取られて、それから・・・・。

 その時になって俺は自分の身体が思い通りに動くことに気が付いた。起き上がり自分の右手を閉じたり開いたりしてみる。

「気が付いたみたいね。どう、身体の具合は?」

 突然、別の方角から声が聞こえてきた。祥子と共にそちらに視線を移すと、そこには正座した状態で俺のことを見つめる天野の姿があった。

「天野・・・何でお前が?」

「助けてあげたのに随分な言い方ね。ひょっとして、覚えてないの?」

 怪訝な顔をする天野に何故か違和感を感じたが、彼女の言葉に記憶のパズルの最後のピースがはまって俺はようやく全てを思い出した。

 そうだ。身体を乗っ取られた俺が祥子に手をかけていたとき、天野のおかげで・・・

「いや、思い出したよ。天野が助けてくれたんだな。おかげで助かったよ」

 ありがとうと伝えたが天野の反応は薄く「どうも」と短く返事を返されただけだった。

「そんなことより、いい加減答えてよ!何であのタイミングで天野さんが現れたの?それに、あの力は一体なんなのよ!」

 そんな天野に祥子がすごい剣幕で詰め寄った。確かに祥子の言い分は正しい。なぜ天野はあの時、俺達の前に現れたのか。それにあの時いったい俺に何をしたのか。目の前の女子に俺は言い様のない得体の知れなさを感じていた。

そんな俺達を前に、天野はいたって冷静だった。

「ああ、その事ね・・・」

 そう言って天野は身を乗りだし俺の首元に左手を伸ばしてきた。

「ちょっと、天野さん!リョウちゃんに何するつもりよ!」

「すぐ済むから待ってなさい。阿澄君、ちょっと失礼するわよ」

 そう言って今度は右手を俺の肩に乗せ、そのまま顔を寄せて抱きつくような格好で左手だけしきりに襟元をいじりだした。

これはまるで朝のホームルーム前の再現ではないだろうか。天野から漂ってくる良い香りに思わず鼻の下が伸びそうになるが、目の前にいる祥子が凄い形相でこっちを睨んでいるので、俺はなるべく天野のことを意識しないよう顔を引き締めた。

俺と祥子が困惑する中、しばらくして天野が左手を掲げるとそこには四つに折りたたまれた小さな紙切れが摘ままれていた。

「これを襟元に忍ばせておいたの。だから、ここの場所が分かったのよ」

 そう言って天野は紙を広げて俺達に見せた。そこには五本の線が交わった星のマークが描かれており、加えて紙を持つ天野の指には一本の髪の毛が挟まれていた。その紙切れが何なのかは分からないが、天野はそれを俺に仕込むためにホームルーム前にあんなことをしたのか。「俺に気があるのでは?」という空人の言葉は全くの的外れだとこれではっきりとした。

五芒星(ごぼうせい)に・・・その髪の毛って、もしかして!」

 その紙を見ていた祥子がポツリと呟くと、天野が小さく頷いた。

「その通り。これは私の髪よ。さすが神社の娘と言うべきかしら?」

「ていうか、それ何なんだよ?そんな紙切れでどうして俺の居場所が分かるんだ?」

 そんな天野の髪と妙な紙切れが何を意味するのか俺にはさっぱり分からなかった。そんな俺に天野はわざとらしく溜息を吐いてから説明を始めた。

「これは私の髪を媒介にして、忍ばせた相手の居場所を伝える呪符なの。分かりやすく言えば一種の発信機のようなものね。今朝、阿澄君に霊が取り憑いているのが視えたから仕込ませてもらったわ」

「呪符?」

「お守りやお札の一種だと思えばいいよ。リョウちゃん家にもウチのお札が飾ってあるでしょ?天野さんが持っている紙はそのお札のかなり特殊なものなんだよ」

 俺の疑問に祥子が答える。確かに俺の家の玄関には吉田神社で買った家内安全のお札が飾られている。天野が持つ紙切れはその仲間だと思えばいいんだな。

大まかに納得する俺の目の前で、祥子はそのまま天野に向き直るや眼光鋭く彼女を睨みつけた。対する天野も余裕な笑みを浮かべながら祥子に受けて立っている。

「天野さんがここに現れた理由は分かった。でも、あの時使った力が一体何なのか説明してないよね?」

「説明もなにも、この呪符を見れば大体の見当はつくと思うけどなぁ」

「答えて!」

 飄々とした天野の態度に祥子が声を張り上げ、俺は僅かに怯んだ。幼馴染として付き合いは長いが、こんな祥子を見るのは初めてだったからだ。祥子の剣幕に天野は再びわざとらしく溜息をついた後に口を開いた。

「簡単に自己紹介するけど、私は陰陽師(おんみょうじ)――ようは霊能力者なの。さっきの阿澄君に対しても、呪符を使って霊障(れいしょう)を取り除いただけよ」

 これで納得した?と言って天野は祥子に視線を送る。天野が助けに入った時に俺の額に張り付けられた紙は呪符だった訳だ。祥子はそんな天野に何か言いたげだったが何も口にしないまま押し黙ってしまった。だから代わりに俺が口を開いた。

「霊能力者ってテレビとかでたまに見かける連中のことか?」

 俺はとりあえず気になることを質問してみた。すると天野はあからさまに不機嫌な表情をして俺を睨んできた。

「そんな連中と一緒にしないでよ。ああいう連中のほとんどは偽物なんだから。私は本物の霊能力者なの!」

「それは悪いことを言ったな。じゃあ陰陽師とか霊障って一体何なんだ?お前の話は俺には専門的過ぎて分からないんだ。教えてくれ」

 そんな天野に俺も反論を試みた。すると俺の反論が余程に意外だったのか、天野が僅かに怯みながらもちゃんと律儀に答えてくれた。

「まず最初に、陰陽師は古代中国の陰陽(いんよう)五行説(ごぎょうせつ)に基づいて災厄や吉凶を占う方術を使う術者の事よ。ちなみに陰陽五行説は、光を意味する陽と闇を意味する陰、それと、木、火、土、金、水の五つのエレメントの力関係を現したものと思って頂戴。私は主に呪符を使うことが多いわ」

 そう言って天野は制服のポケットから数枚の紙を広げて見せた。その一枚一枚には祥子が言っていた五芒星と共に、よく分からないが漢字らしきものが書かれていた。これらが天野が使っている呪符ということなのだろう。

「次に霊障についてだけど、これは霊による災いのことよ。幽霊に憑依されることによって頭痛がしたり身体が重くなったり、最悪の場合だと、その幽霊に身体を乗っ取られることもあるんだけど・・・要するに、さっきまで阿澄君の身に起きていたこと全部よ」

 天野の説明を聞いて俺はこめかみ辺りを軽くマッサージしながら考えをまとめてみた。

 なるほど・・・つまり

「つまり天野は俺に取り憑いた霊をその呪符を使って祓ってくれたわけだな?」

 つまり俺の霊障が天野のおかげで取り払われたこと。それと天野の話は専門的過ぎて一般人の俺には全くついて行けない事だけが分かった。

 天野は一言「そうよ」と頷いた。

「どっかの誰かさんと違ってヘマはしないわよ」

 そう言ってちらりと祥子に視線を送る天野。すぐさま祥子が噛みついた。

「・・・それってどういう意味かなぁ?」

「そのままの意味だけど。事実でしょ?」

 余裕の笑みを浮かべる天野とそれを睨みつける祥子。空気が張り詰めるのを感じた。どうやらこの二人の相性は最悪のようだ。

このとき俺は今まで感じていた違和感の正体に気が付いた。それは天野の態度だ。相手を挑発し逆撫でする言動にふてぶてしく自信に満ちた態度。学校で見る天野の姿とは似ても似つかない。しかしそれが違和感なく自然で、こっちが普段の天野ではと錯覚してしまいそうになる。いや、多分こっちが本来の天野で普段は猫を被っているのだろう。

「あー疲れた。そろそろ失礼するわね。阿澄君も帰るんでしょ?」

 そう言って天野が立ち上がり背を向ける。祥子はまだ言い足りない様子だったが、結局は何も言わずそのまま見送った。おかげで張り詰めた空気が和らいだ。



「リョウちゃん。何かあったら、ちゃんと私に連絡してね?」

 そう言って横目で天野を警戒しながら最後まで俺を心配する祥子の家を後にした。そして今、俺は天野と一緒に帰り道を歩いている。

天野って祥子よりも背が高いんだな。俺の首と同じ位置に頭がある天野の身長は祥子よりも少し高い。いつも小柄な祥子と並んで歩いている俺にとっては、視線を合わせるために首を曲げる角度が少ないのはなかなかに新鮮な感覚だった。横目で様子を窺う俺に「何よ?」と天野が訊ねてきた。俺は思い切って疑問に思っていたことを訊くことにした。

「なあ、天野。お前、何で学校じゃ猫被ってるんだよ?ひょっとして霊能力者であることが関係してるのか?」

 我ながら遠慮のない言い方だったと思う。天野はジロリと俺を睨んだあと、溜息をつきながら前を向いた。

「まあ、それもあるけどね。でも一番の理由は必要以上に目立ちたくないからよ。ほら、私ってただでさえ美人で目立つでしょ?」

 得意げに胸を張る天野。なんて自意識過剰な・・・って訳でもないな。実際美人だし。

「だから転校して早々、あのバカのせいで注目浴びちゃったのには参ったわ。おかげでファンクラブなんてものが出来ちゃったし。まあ、私の美貌なら出来て当然だけど」

 一言だけ余計だが天野は再び溜息をついた。

「お前、アマテラスの会の事知ってたのか!?」

驚く俺に天野は「まあね」と答えた。俺は空人から聞いて知ったが、どうやらこいつはアマテラスの会の存在を認知しているらしい。

「会長の宇梶君が小心者のおかげで基本的に無害だし、いざって時に利用出来そうだからそのまま放置しているのよ。利用できるものは何でも利用する。それが私のポリシーなの」

ふふんと笑う天野の性悪さを垣間見ることになった。こいつは自分の容姿や周りからの評判を充分に理解したうえで、それを利用するなどしたたかな一面もあるようだ。はっきり言って相当にタチが悪い。

宇梶よ・・・お前の憧れる天野は狡猾で腹黒い奴だぞ。決して女神なんて呼べるような女じゃないぞ。ここにはいない宇梶に憐みの言葉を贈るが真実は言うまい。知らない方が幸せなこともある。そんな話をしていた俺達は交差点の前で立ち止まった。

「俺こっちだから」

 俺は天野が歩く方向とは反対側を指さした。つまり、俺達はここでお別れになる。

 じゃあなと言って背を向けようとした瞬間、突然天野に胸倉を掴まれ引き寄せられた。目の前には天野の綺麗な顔。いきなりの出来事にドギマギしつつ、やや前屈みの体勢で向き合った。

「あっ、天野!?」

 突然のことに驚く俺を前に天野は険しい表情のまま口を開いた。

「危うく見過ごすところだったわ。いい加減『そこ』から出てきなさい・・・明海香津子さん」

 えっと驚く間もなく、俺の胸のあたりから半透明の塊が飛び出てきた。よく見るとそれは人の頭部で、そこから肩、背中、腰、脚と俺から抜け出てくると一人の女子高生の姿が現れた。それはテレビで見た女子高生の姿だった。

「なっ、なんだよこれ!どうなってんだよ、これ!?」

 パニックを起こす俺に「少しは落ち着きなさい」と天野がたしなめた。

「今朝のテレビ見なかったの?殺人事件の被害者、明海香津子さんよ」

「知ってるよ!なんで俺の中から出てきたのか訊いてんだよ!ていうか、なんで幽霊が視えてるんだ!?」

 今まで取り憑かれこそすれ視たことなど一度もなかったのに。半透明で浮遊する女子高生を前に混乱する俺を天野が「知らないわよ」と目くじらをたてながら諫めた。

「さしずめ今回のことで視えるようになったのね。良かったじゃない。視えていれば憑かれる頻度は減ると思うし。吉田から聞いたけど、アンタ霊に取り憑かれやすいんでしょ?」

 俺が気を失っている間に祥子からあらかたの事情を聴いたのだろう。平然とした天野を前に俺は食って掛かった。

「良かねぇよ!ていうか、お前は霊を祓ってなかったのかよ!」

「うっさいわね。もちろん祓ったわよ!手ごたえもあったし、そのつもりだったわよ!まさか阿澄君の中に潜んでいるなんて・・・さっきまで気づかなかったわ。阿澄君の体質のせい?」

 落ち込みながらも考え込む天野に少し冷静になれた俺は改めて幽霊である彼女、明海香津子に目を向けた。

 俺達とは違う高校の制服に身を包んだ彼女の身体は半透明で、存在そのものが明らかに『こちら側』とは違うと確信できた。そんな彼女が俺たちを窺うように話しかけてきた。

「あの・・・さっきと言うか今もだけど――ごめんなさい!ボク、なんか色々と頭の中がグチャグチャになってたっていうか・・・その・・・・・」

 オドオドとした態度の明海さん。どうやら彼女の一人称は「ボク」のようだ。

「えっと・・・その、明海さんでいいのかな?取り合えず君の事情を教えてくれないかな?」

 恐る恐る訊ねる俺にコクリと頷く幽霊の明海さん。傍から見たらなんとも奇妙な光景だ。いや、そもそも普通の人には見えていないのか。う~ん・・・なんか複雑。

「あの・・・気が付いたらあの公園にいて、その・・・しばらくしたら目の前にツカサ君が現れて・・・気づいたら、こうなってて・・・・・」

 言葉を選ぶように言ってこちらを窺いながら縮こまる明海さん。ていうか、なんか微妙に俺から距離をとっているような立ち位置なのが気になるんだが。

「死んでから混乱したままだったのね、無理もないけど。それで、どうしてあなたはコイツに憑きっぱなしだったの?」

 俺たちに割って入るように天野が主導権を握った。しかし「コイツ」って、俺の扱いがぞんざいになったな、天野よ。

「それがボクにも分からなくて。これ以上ツカサ君から離れられないんです」

「なるほど・・・吉田から聞いた『コイツの体質』ってことね」

 困惑する明海さんと一人納得する天野。話を総合すると、つまり

「つまり、二人とも俺のせいだって言いたいのか?」

「いえ、そういうわけじゃ――」

「そういう事になるわね」

 きっぱりと肯定する天野。少しは明海さんみたいに気を使ってくれてもいいだろう。軽く凹んだが今のこの状況をどうするべきか考える必要が出てきた。俺は気持ちを切り替えた。

「どうすればいいんだよ。明海さんをこのままにしちゃ不味いんだろ?」

 俺は率直に天野に尋ねた。不思議なことに幽霊に憑かれていても頭痛がしないが、かと言ってずっとこのままでいる訳にもいくまい。天野は考える素振りも見せず「簡単よ」と応えた。

「この状況はアンタの体質と恐らくだけど明海さんに未練があって成仏できないことが合わさって起きていることだと思うから、要はこのどちらかを取り除けばいいのよ。阿澄君の体質はどうすることも出来ないから、つまり――」

「明海さんを成仏させればいいんだな?」

 コクリと頷く天野。そして明海さんに視線を移すと、彼女は不安そうな目で俺達を見つめている。彼女を成仏させると口にしたが具体的にどうすればいいのだろう。ここは専門家に訊くのが速い。俺は再び天野に尋ねた。

「明海さんを成仏させるのは分かった。でもどうやるんだ?そもそもお前は明海さんの未練が何なのか分かっているのか?」

 未練を取り除けば明海さんは成仏できるのは分かる。だがその未練が分からなければそれすら出来ない。天野に尋ねるとすでに予想していたのかすぐに答えが返ってきた。

「そんなの、自分を殺した犯人の逮捕に決まってるじゃない。つまり犯人が誰なのか探さないといけないってこと。どこから探そうかしら?」

 考え込む天野に「ちょっと待て」と待ったをかけた。

「まさかお前、自分で探すつもりか?素人に出来る訳ないだろう。そういう事は警察に任せろ!」

「何でよ!」と漏らす天野の口ぶりからして自ら動きそうだったので慌てて止めた。犯人探しなんてただの高校生に出来る訳がない。もし犯人に遭遇したらどうするつもりだ。危険すぎる。

 しかし天野はわざとらしいため息を吐いた。

「あのねえ、そんな悠長なこと言ってられる状況じゃないのよ、わかる?アンタは今、明海さんに憑りつかれているの。今は大丈夫でもそのうち霊障に悩まされるだろうし、そもそも霊に憑かれてても基本的に良い事なんてないんだから」

 それにと続けた天野の視線が明海さんへと注がれた。

「明海さんにとっても好ましい状況じゃないの。未練を抱えたまま現世を彷徨い続ける霊の行きつく先なんて悲惨なものよ」

「どうなるんだよ?」

 俺が訊ねると天野はチラリと明海さんを一瞥した後に口を開いた。

「永遠とも呼べる永い時間をあてもなく彷徨う内に生前の感情や記憶は薄れ、自分がなぜ彷徨っているのか、そもそも自分は何者なのかさえも分からなくなっていくのよ。そして最後に待っているのは完全なる消滅――『無』よ」

 俺は息を飲んだ。明海さんを見ると、彼女も似たような様子で立ち尽くしている。天野の言葉は文字通り悲惨なものだった。自分が自分でなくなりながらの消滅――そんな状況を考えただけでも恐ろしいとさえ感じる。

 恐らく天野は明海さんにそんな結末を迎えて欲しくないのだろう。だから一刻も早く犯人を見つけようとしている。そんな天野を見て俺も決心した。

「分かった・・・だったら俺も手伝うよ、犯人探し」

横から明海さんの視線を感じた。俺の発言に驚いたのだろう。天野も「急にどうしたのよ?」と言って少し驚いたように俺を見ている。

「この状況、半分は俺のせいでもあるからな。責任を取りたいと思っただけだ。それに天野ひとりだといろいろ危ないだろう。ボディーガードって奴だ」

嘘は吐いていない。言っていない部分があるだけだ。天野が言った末路を明海さんに迎えて欲しくないとも思った。これは完全に俺の自己満足に過ぎないから言わなかった。

そんな俺を前に「ふ~ん」と含みを持ったように頷く天野。何か言いたげだったが、それを遮り質問した。

「とにかく俺も協力する!ところで犯人探しはどうするんだ?まさか「無計画です」なんて言わないよな?」

 そんな訳ないでしょとジト目で睨む天野。

「警察の捜査状況なんて簡単に知ることが出来るし、そもそも私達には事件の被害者(・・・・・・)っていう最強の切り札があるんだから!それだけで警察よりも犯人に近づいていると言えるわ」

 天野の視線の先には明海さんの姿があった。なるほど。確かに犯人に一番近い人物はその被害者だ。常識的には無理なことだが、俺達はその被害者と話すことができる。これなら早く犯人を見つけられるだろう。

 しかしそんな俺達に明海さんが「待ってください」と待ったをかけた。

「その・・・言いにくい事なんだけど、ボク犯人の顔を覚えてなくて。そもそも、死んだこともついさっき知ったばかりだし・・・」

 申し訳なさそうに俯く彼女。確かに彼女は今までかなりの混乱をしていた。当然、犯人の記憶が無い可能性だって考えられる。落胆もしたがそれ以上に明海さんに対してこっちまで申し訳ない気持ちになってしまった。

 しかしそんな明海さんに「大丈夫よ」と天野が声をかけた。

「記憶の混乱は一時的なものよ。そのうち思い出せるわ。あなたにはつらい想いをさせてしまうけど、私が必ずあなたを成仏させてみせるから」

 天野の瞳には迷いがまるで感じられなかった。そんな天野を前に明海さんも少し逡巡した後小さく「分かりました」と返事した。


 成り行きとは言え殺人犯を探すことになった俺達。天野の提案でこのことは祥子をはじめ知り合いには内緒にすることになった。当然だ。こんな危ないことに他人を巻き込むことはできない。俺と天野は連絡を取り合えるようお互いの番号とアドレスの交換をした。まさかこんな形とはいえ天野の連絡先を手に入れることが出来るなんて思いもしなかった。宇梶あたりにばれたら即プロレス技だなこれは。

 なにはともあれ、もう日も落ちかけている。犯人探しもいいが早く家に帰ったほうがよさそうだ。どこに殺人犯が潜んでいるのか分からないのだから。

「とりあえず、具体的なことは明日聞くことにするよ。もう時間も遅い。天野も気を付けて帰れよ」

 そうねと言って天野が背を向けた。俺も「じゃあな」と言って歩き出そうとした時だった。

「あの・・・ちょっと待ってもらえないですか?」

 俺と天野は同時に声の主に振り向いた。その主はもちろん明海さんだった。

「どうしたの明海さん?もしかして、何か思い出したとか?」

 天野の問いに明海さんは首を振った。そしてそのまま俺にむかって口を開いた。

「ツカサ君って一人暮らしなんですよね?吉田さんが話しているのを聞いたんだけど」

 俺が眠っていた時に聞いたのだろう。モジモジとしながら明海さんが尋ねてきた。

「あぁ。俺が子供の時に両親が事故死しているからな。それがどうかしたの?」

「それじゃ、これからしばらくの間、ボク達一つ屋根の下で暮らすことになるんですよね?」

 明海さんはやたらとモジモジと両手の指を絡ませながら俯いた。明海さんは俺から一定の距離までしか離れられない。必然的に一緒に暮らすことになる。

「まあ、そういうことになるけど。一人暮らしと言っても一軒家だからそれなりに広いよ?」

 明海さんが窮屈な思いをすることはないはずだ。しかし明海さんは「そういうことじゃなくて・・・」と言って口籠ってしまった。

「何かあるんだったら、ちゃんと言っておいた方が良いわよ。こいつ、そこら辺の女心が分かってなさそうだし、はっきり言っておかないと後で後悔することになると思うし」

 俺に対する気遣いなど微塵も感じさせない言い回しで天野が口を挟む。俺達が見守るなか、しばらく黙り込んでいた明海さんが意を決したように口を開いた。

「実はボク・・・その・・・男の人が苦手で・・・・・」

 とても消え入りそうな声だった。

「「・・・・・はぁ?」」

 俺と天野は異口同音に首を傾げた。俺達二人が見つめるなか、明海さんは申し訳なさそうに俺と天野の顔を交互に見ながら口を開いた。

「実はボク、子供のころのトラウマで男性恐怖症なんです」

「だからこいつと一緒に暮らすのは勘弁してほしいと?」

 天野の問いに明海さんは頷いた。これまで彼女がやけに俺と距離をとっていたのはそのためだったのか。

「なるほどね。急に明海さんの気配を感じた理由が分かったわ。私と別れる時に阿澄君と二人っきりになると思って動揺したせいね」

「べ、別にツカサ君のことが嫌いとかって訳じゃないんです!ボクだって初対面の男の人にここまで近づけたのは初めてだったし。ていうか中に入っていたし・・・って、何言ってんだろう、ボク。とにかく、決してツカサ君が嫌だってわけじゃ――」

「いや、変に気を遣わなくてもいいから・・・」

 そこまでむきになってフォローされると逆に凹むんですけど。心に僅かな傷を負った俺に新たな難題が降りかかってきた。これからしばらく共に暮らそうとした矢先だというのに、まさかその相手から「二人きりは無理」と言われることになろうとは思ってもみなかった。

「とはいってもなぁ・・・明海さんには我慢してもらうしかないと思うんだけど?」

「それはやめておいた方が良いわよ」

 天野の忠告に俺は首を傾げた。

「どういうことだよ。何か問題があるのか?」

「阿澄君も『ポルターガイスト現象』くらいは知ってるわよね?」

「それって物が勝手に動いたり変な音が聞こえてきたりするってやつのことか?」

 昔のホラー映画に同じ名前のものがあったのでよく覚えている。DVDを借りて観たことがあるが、なかなかに怖かった記憶がある。

「そのとおり。そのポルターガイストの原因として最も有力な説の一つが心霊的なものなのよ。明海さんには精神的な負担をかけるのはお勧めしないわ」

「つまりお前は、明海さんに無理な我慢をさせるとポルターガイストが起きるって言いたいのか?」

天野が「そういうこと」と言うと、明海さんが待ったをかけた。

「待ってください。ボクはツカサ君に迷惑をかけるつもりはありません!」

「明海さんにその意思がなくても無意識的になんらかの作用を及ぼすことが考えられるの。現に明海さんの感情が爆発して彼の身体を乗っ取ったことがあったでしょ?さすがにそんなことはもう無いと思うけど、それでも用心するに越したことはないわ」

 天野の言葉に明海さんは口をつぐんでしまった。確かに天野の言い分には一理ある。それにこれは俺のエゴだが、突然殺されてしまった明海さんには成仏するまでの間だけでも無理はしてほしくないという想いもある。しかし、

「そうは言うけど・・・だったら天野には何か良い考えがあるのかよ?」

「それは・・・」

 俺と天野は二人して眉間を寄せて考え込んでしまった。明海さんのことでしばらく考えていると、その本人が控えめに「あのぉ・・・」と右手を上げた。

「ボクの男性恐怖症なんですけど、近くに女の人がいれば何とか我慢できるものなので・・・だから・・・」

 そう言って天野に視線を送る明海さん。その視線に天野がハッと何かに気が付いたかのように目を見開いた。

「ちょっと待って。まさか、私もこいつの家に泊まれって言いたいわけ!?」

 コクリと頷く明海さん。明海さんも俺と二人きりにならなければ大丈夫だということなのだろう。明海さんはさらに言葉を重ねてきた。

「そうすれば天野さんが言っていた問題も無くなるし、ボクのせいでツカサ君に何かあった時にも対処しやすいと思うから・・・」

「なるほど。確かに天野が一緒だったら、いろいろと都合は良いわな」

 明海さんの考えに一人納得する俺を天野が凄い形相で睨んできた。

「何が『なるほど』よ!今どういう話をしているのか分かってる?私がアンタの家に泊まるってことよ?しかも一日や二日じゃなくて、しばらくの間ずっと一緒に暮らすってことよ?」

「もちろん分かっているさ。俺の家、使ってない部屋もあるから心配ないぞ?」

「そういうことを言っているんじゃないの!私が言いたいのは・・・その・・・」

 それまで勢いがあった天野の言葉が途端に小さくなった。見ると天野は顔を赤らめており、何故か俺から視線を逸らしていた。

「これじゃまるで、私とアンタが同棲するみたいじゃない・・・」

 そう言って天野は顔を俯け縮こまってしまった。今まで見てきた姿の中では珍しい反応だ。こいつの本性を知っているにも関わらず、俺は不覚にもドキッとしてしまった。

 天野と同棲―――まあ、確かにそう言えないことも無いのだが。俺は頭を掻きながら天野に向き直った。霊能力者とはいえ、こういうところは歳相応の女の子なんだなと思う。そんな天野を安心させるために俺はある提案をした。

「同棲じゃなくて宿泊って考えたらどうだ?たいした家じゃないけど食事くらいはちゃんと出すからよ。明海さんの為にひと肌脱いでくれないか?」

 天野の口から同棲と聞いて俺も少なからず動揺はした。しかし明海さんも天野がいれば安心できると言うのであれば、それに従いたいという気持ちもあった。俺と明海さんが見つめるなか、しばらくして天野が深い深~い溜息をついた。

「分かったわよ。明海さんが成仏するまでの間だけだからね。なによ、このベタなラブコメ展開はっ」

 悪態を吐きながらだったが、天野の許可が下りたことにホッと胸を撫で下ろす明海さん。俺も安堵していると「ただし!」と言って天野が人差し指を俺達に突きつけてきた。

「このことは他の人間には絶対内緒だからね!特に吉田には!」

「えっ、なんで?」

 突然出された条件に首を傾げていると天野がジロリと睨んできた。

「分かんないの?彼氏が他の女と一つ屋根の下で暮らしてるなんて知ったら、どうなると思ってるのよ!」

「ちょっと待て。お前、何言ってんだ?誰が誰の彼氏なんだよ?」

 天野の発言に俺は眉間に皺を寄せた。対する天野も「はぁ?」と素っ頓狂な声を上げ、そんな天野に同意するかのように明海さんも「えっ?」と不思議そうに俺を見た。

「えっ?アンタと吉田って付き合ってるんじゃないの?ねぇ、明海さん?」

 天野の質問に明海さんもコクコクと頷く。

「はい。ボクもそうだとばかり・・・」

 困惑する二人を前に俺はヤレヤレと溜息を吐いた。空人もだけど、この二人も勘違いをしているようだ。

「俺達は別に付き合ってなんか無いって。ただの幼馴染で腐れ縁なだけだよ」

 俺が説明しても天野達は納得していない様子だった。

「とても『ただの幼馴染』とは思えないんだけど。吉田だってあんなに・・・」

「それだったら尚更わかるだろう?俺達が仲の良い友人同士だって」

 呆れる俺を前に天野と明海さんが信じられないと言った目でこちらを見てきた。

「えっ、気付いてないの!?うっわぁ・・・吉田が可哀そう」

「ツカサ君・・・それはさすがに酷いと思うよ?」

 非難の目を向ける二人に俺は首を傾げたくなった。俺が「どういう事?」と訊いても、二人とも憐れみの目でこちらを見てくるだけで答えてくれる様子が無い。

 そんな脱線しかけた話を「とにかく!」と言って天野が元に戻した。

「私がアンタの家に泊まっているなんて知れ渡ったら大変な目に遭うわよ。アンタ、宇梶君からプロレス技を食らいたいの?」

 俺は思わず言葉を詰まらせた。昼休みに俺の所にまで乗り込んできたくらいだ。もしこのことがばれたら日の輪裁判をすっ飛ばしてプロレス技フルコースが確定だ。

それは嫌だ。納得できない事は多々にあるが、俺は天野の提案に乗ることにした。

「まぁ、お前がそこまで言うのなら・・・・・」

 俺は渋々と了承することにした。天野は「絶対だからね!」と釘を刺してからヤレヤレと言った様子でクルリと背を向けた。

「一度家に帰って仕度するから、阿澄君は夕飯の買い物でもしてなさい。献立は任せるから」

 そう言って歩き出す天野に俺と明海さんは従った。



 天野と別れてから俺は明海さんと一緒に近くにあるスーパーで夕飯の買い物をすることにした。後で天野と合流する予定だ。そこで明海さんは大活躍だった。「野菜はこっちの方が新鮮だよ」「この商品は割引をしてくれる時間帯がある」など一人暮らしをするようになってそれなりに買い物のコツは掴めていると思っていた俺でも知らない知識を披露してくれたおかげで、いつもより買い物が安くスムーズにいった。なんでも生前はよく母親と一緒に買い物の手伝いをしていたのだそうだ。

「ありがとう、明海さん。おかげで助かったよ」

 上機嫌な俺に対して「大したことないよ」と謙遜する明海さん。まだ幾分ぎこちないが買い物を通じてお互いの親睦は深まったと思う。

「いやいや、そんなことないって。やっぱ女の子の意見は違うなぁ」

 ひとり関心する俺に明海さんはますます謙遜した。

「女の子って・・・ボクなんか天野さんや吉田さんに比べたら全然女の子らしく無いよ。それに今じゃ幽霊だし」

 そう言った明海さんの表情に一瞬だが影が差し込んだように見えた。何か気に障ることでも言ったかな、俺?確かに明海さんは幽霊ではあるけど、

「幽霊は関係ないでしょ。明海さんだって可愛いんだし充分女の子らしいと思うけどなぁ」

 天野や祥子と違ってボーイッシュな印象を受ける明海さん。ショートボブな髪型。それに加えてスポーツをしていたのだろうか、祥子と同じくらい細身な体形だが女の子特有の曲線を描いた身体のラインは天野に近い。この組み合わせで活発さを窺える顔立ちが合わさって天野や祥子とは違った魅力を感じる女の子だと思う。空人がいたら同じ感想を言うだろう。

 特に深い意味で言ったわけではなかった。しかし、

「えっ、ちょっ、ツカサ君!?いきなりなに言い出すの?そっ、その、可愛いって・・・」

 明海さんが今まで見たこともないくらいワタワタとし始めた。半透明で分かりにくいがその顔が赤みを帯びているようにも見える。

「うん。明海さん、可愛いと思うよ」

 俺としては褒めたつもりだったが、後になって自分の失言に気が付いた。つい今朝方、祥子に同じことを言って突き飛ばされたばかりではないか。俺は慌ててフォローを入れた。

「いや、その・・・特に変な意味で言った訳じゃなくて、そのっ!」

 必死に言い訳をする俺に「うっ、うん・・・」とぎこちなく返事をする明海さん。

 せっかく親睦が深まったと思った矢先、再びお互い気まずい雰囲気になってしまった。その後、俺と明海さんはまともに目も合わせられなくなってしまった。目があった瞬間、明海さんが顔を赤らめ俯いてしまうからだ。そんな俺達を後で合流した天野が不思議そうな目で眺めているのを感じながら、俺は三人が暮らすことになる自分の家へと足を運んだ。


「とりあえず一階はこんな感じかな?」

「あそこの奥の部屋は?」

「あれは俺の部屋。もともとは両親の部屋だったんだけどな。天野には二階の適当な部屋を使ってもらおうと思ってる」

 玄関を上がり居間、キッチン、浴室、トイレと共同生活に関わる部屋を中心に案内を終え、俺達は階段を上がって二階へとやって来た。二階は廊下を挟んで六畳間が四部屋だが、一つは物置として使っているので実質的に三部屋になる。その一つを天野に使ってもらうことにした。

「へぇ・・・使ってない割には綺麗ね」

「掃除はこまめにしているからな。ところで天野は両親の許可は大丈夫だったのか?」

 一通りの説明を終え、俺は天野に尋ねた。これからしばらく一緒に暮らすにあたって両親には何と言ってきたのか気になったからだ。

 しかし天野から返ってきた答えは意外なものだった。

「いないわよ」

 ひどくつまらなそうな発音だった。「えっ」と驚く俺と明海さんを前に天野はため息を吐いた。

「だから両親はいないって言ってるの。二人とも私が子供の時に死んだから。後見人はいるけど今は一人暮らしをしているわ」

 その場の空気が重いものになった。明海さんは目を伏せ俺もなんて言っていいのか分からず視線を彷徨わせていると、再び天野がため息を吐いてから口を開いた。

「言っとくけど、変な気遣いはしないでね。私、気を使われるのが一番嫌いだから。それに、両親の事ならアンタだって同じでしょ?」

 有無を言わせない言い方に明海さんが何か言いかけが黙り込んでしまった。おそらく「すみません」とでも言おうとしたのだろう。俺も口を開こうとしたが天野にパンと両手を打ち鳴らされてそれを防がれてしまった。

「はい、この話はこれで終了!とりあえず着替えるからアンタ達は出てって、出てって!」

 シッシと左手を振って天野が俺達を追い出した。突然のことに部屋の前で俺達は呆然としたまま立ち尽くしたが、このまま突っ立っていてもしょうがない。そろそろ夕飯を作らないといけない時間だったため俺達は階段を下りてキッチンへと向かった。


「なんだよ、天野の奴・・・」

 鍋に火をかけながら俺は憤慨していた。理由は勿論さっきの天野の態度にだ。強制的にこっちの話を終わらせたばかりか、着替えて階段を降りてきた矢先に「お風呂に入りたい」と言って風呂掃除をさせられたのではっきり言って俺はイライラしていた。しかしそんな俺に対して明海さんはさほど怒っている様子ではなかった。

「天野さんなりにボク達に気遣ってくれたんだと思うよ?」

「天野が?そんなことあるわけ・・・」

 言いかけて俺はハッとした。明海さんに「可愛い」と言った一見以来、彼女との間に生じていた気まずさが今ではすっかり無くなっていたのだ。天野に付き合わされることでいつの間にか普通に会話をしていることに気が付いた。明海さんがニッコリと微笑む。

「ツカサ君も気づいたみたいだね」

「ったく・・・気遣うならもっと分かりやすくしろっての!」

 小さく毒づく俺に明海さんが「だよね」と言ってほほ笑んだ。

「天野さんはボク達のことを気にかけてくれているよ。ツカサ君が気を失っているときも心配そうに君のことを眺めていたし、ボクにも「手荒なことをしてごめんなさい」って謝ってくれたし」

「天野が・・・?」

 明海さんの口から天野の意外な姿を聞いて俺は面食らった。そんな様子などおくびにも出してはいなかったので気付かなかった。

「あっ、でもこれ、ツカサ君には内緒にしてって言われてたんだっけ」

「なんだよそれ・・・今更じゃねぇか」

 いたずらっぽく舌を出す明海さんと共に俺は小さく笑う。そんな中、突然、明海さんが後ろを振り向いた。

「天野さん、お風呂から上がったみたいだね。こっちにくるよ」

「えっ・・・天野が?」

 明海さんの言葉に振り向いた俺だったが、耳を澄ますと確かに天野の足音が聞こえてきた。俺達がいる台所から浴室までそこそこ離れているのに、よく気が付いたな。驚きながらも目の前の料理に視線を戻したとタイミングと同時に天野が台所に入ってきた。

「いいお湯だったわ・・・ごはんまだぁ?」

「ちょっと待ってろ。もうすぐ出来――」

 振り返った俺は目の前の天野の姿に釘付けになった。

「どうしたの?」

 不思議そうに俺を見つめる天野。その湯上り姿を見た男子は学校内ではおそらく俺以外にはいないだろう。もしこのことがばれたら確実に袋叩きだ。

 元から白い素肌はほんのりと赤みがさしており、長い髪は上に持ち上げられタオルによってまとめられていた。おかげで普段はお目にかかれないうなじが見えていて全く違う印象を受けるし、加えて上下が薄手のパジャマな為、身体のラインが鮮明になって目のやり場に困ってしまう。天野ってグラマーな体形なんだな。

「いや、何でもない・・・もうすぐ出来るから居間で待っててくれ」

 見惚れていたことを悟られないよう視線を戻したが、天野は立ち去るどころか隣に立って鍋を覗き込んできた。シャンプーの香りが僅かに鼻孔をくすぐり、加えてシャツから伸びた二の腕が俺の腕に触れて体温が伝わって来た。

「へぇ、サバの味噌煮かぁ・・・良い香り」

「俺の得意料理の一つだ。時間短縮と骨まで食べられるようにするために、圧力鍋を使っているのがポイントなんだ」

 サバがコトコトと煮込まれて、味噌と臭み取りの生姜の香りが何とも食欲を刺激する。

「ホントいい匂い・・・料理の腕は確かなようね」

「・・・まあな」

 答えながら俺は慌てて視線を逸らした。視界に天野のうなじが入ってきたからだ。緊張するこっちの事など知らずに天野は俺から離れて居間へと向かった。ホッと胸を撫で下ろそうとした矢先、天野がこちらを振り向きざまに口を開いた。

「どうだった?私の湯上り姿を間近で堪能できた気分は?」

 ニヤリと笑みを浮かべる天野。どうやら俺の心の動揺はお見通しだったようだ。さっきまでの行動が全部計算づくだったとわかり、俺は一気に顔が熱くなった。

「てめぇ、わざとか!」

 怒鳴る俺を他所に天野はホホホと笑って居間へと消えていった。

くそっ、人の事を弄びやがって!俺はしばらく居間の方を睨んだ後、苛立ちと羞恥心を抑えるように乱暴にコンロの火を切った。その様子を明海さんが笑いをこらえるように眺めているのが視界の隅に映った。


 俺は天野と向かい合うように座卓に座った。明海さんは男性恐怖症のため俺から僅かに距離をとって座っている。座卓の上に並んだ料理を囲んで俺達は夕食を食べ始めた。食事が出来ない明海さんに対して申し訳ないという気持ちもあったが、彼女はそんな俺達を楽しそうに眺めていた。

「どうだ、お味の方は?」

 向かい合わせに正座する天野に感想を尋ねる。天野は左利きらしく、左手に持った箸でサバを口へと運んでいく。

「美味いか?」

「・・・・・」

 質問には答えず天野の箸が肉じゃがへと向かう。

「美味いだろう?」

「・・・・・」

 天野は一言も発することなく黙々と食事を続ける。

「どうなんだ天野?美味いか?」

「あーっ、もう!うっさいわね。美味しいわよ!」

 フンと言いながら天野の箸はどんどん進む。それを見て俺は胸の内でガッツポーズをした。自分の作った物を美味しいと言ってもらえるのは正直に嬉しい。

「くそっ、コイツを調子付かせたくなかったのに・・・・」

 恨み言を言いながら味噌汁をすする天野にドヤ顔を決めつつサバを口へと運ぶ。

うん、良い味だ。無言で食事を続ける天野を見つつ俺もおかずを口へと運び、食卓に並んだ料理はあっと言う間に空になった。


 食器を片づけ緑茶の入った湯呑を出すと、天野はそれを一口飲んでからフゥと一息ついた。

「お腹もいっぱいになったことだし、共同生活にあたってこれを渡しておくわ」

 湯呑に口をつけていた俺は小首をかしげると、天野は茶色い封筒を俺に差し出した。

「これからしばらくお世話になるから先に渡しておくわね」

 封筒を受け取り中身を見た俺は驚愕した。隣で同じように封筒を見たのだろう明海さんも目を丸くしていた。そこには諭吉と思しき紙の紙幣が数枚入っていた。

「ちょっと待て!なんだよこれ!?」

「何って、この家で私が使うであろう光熱費ならびに水道代、食費の全てよ。洗濯は近くのコインランドリーを使うから省いてあるわ」

 淡々とした口調で話す天野に俺は封筒を突き返した。

「いくらなんでもこんなの貰えねぇよ!」

 しかし天野は封筒を俺に押し返し首を左右に振った。

「宿泊って言ったのはアンタでしょ?これは私のポリシーなの。宿泊代として受け取って頂戴」

 それに・・・と言って天野が俺から視線を逸らし、聞こえにくい声で呟いた。

「アンタの料理、本当に美味しかったから、その気持ちの分も入ってるから・・・」

 見ると天野の耳が真っ赤に染まっていた。その様子から、おそらくこっちのほうが本心なのだろう。

「受け取った方が良いと思うよ?天野さんなりの気遣いだと思う」

明海さんの言うとおり、これも天野なりの気遣いなのだろう。俺は溜息をついた後、封筒を受け取ることにした。

「分かった・・・とりあえず、これはありがたく受け取らせてもらうよ」

 もし受け取らなければ天野は納得しないだろうと思った。俺はなんとなく壁を作られているような気がして少し寂しかったのだが、天野は納得したように微笑んだ。

「大まかなことはこれで良しとして、細かなところはおいおい決めていきましょう。その方がいろいろと都合がよさそうだし」

「そうだな。俺もその方が良いと思う。これからよろしく頼む」

 そう言って頭を下げると天野が「そうそう」と言って意外なことを口にした。

「アンタの名前ってこんな字だったわよね?」

 そう言いながら天野が紙とペンを取り出し俺の名前を書き上げる。

「そうだけど、それがどうかしたのか?」

 いきなり何を言い出したのか見当がつかないため首を傾げると、天野は意外な言葉を口に出した。

「もしかしたら、アンタの霊媒体質は名前が原因かもしれないわよ?」

「なんだって!?どういうことだよ、それ?」

 驚く俺に天野は先程書いた俺の名前の右横に振り仮名を書き加えた。

「アンタの名前って、アズミツカサの他にこんな風にも読めるのよ」

 続いて天野は俺の名前の左横に「アスラ」と書いて見せてきた。

「アスラ?なんだよそれ?」

 確かにそう読めないことも無いが、それが一体なんだというのだ。俺の質問に天野は湯呑のお茶を一口飲んでから口を開いた。

「修羅道の主である三面六臂(さんめんろっぴ)の姿をした仏教の守護神の事よ。阿修羅(あしゅら)って言ったら分かるかしら?」

「それって顔が三つの腕が六本の神様の事だよな。テレビでその仏像を見たことがある。て言うか、修羅道ってなんなんだよ?」

六道(りくどう)輪廻(りんね)って言って、天国を意味する天道、地獄を意味する地獄道、私達人間が住まう人道、飢えと渇きだけの世界の餓鬼(がき)道、神や人以外の本能だけで生きる動物だけの世界の畜生(ちくしょう)道。それともう一つを合わせた六つの世界に生と死を繰り返し、さ迷い続けるという仏教の教えの一つがあるんだけど・・・」

「その六道の内の最後の一つが修羅道だと?」

「そう言うこと。修羅道は戦いや争いが絶えない世界の事なんだけど、そこの主が阿修羅、つまりはアスラってわけ。ちなみにアスラって名前は古代インドの魔神アスラが仏教に取り入れられた名残って所かしら」

 霊能力者としての一般教養なのか、はたまた本人の気質からくるものなのか。長々と語る天野に頷きながら湯呑を片手に俺は話に聞き入った。明海さんも感心した様子で天野を見つめている。

「それで、そのアスラと俺の霊媒体質がどう結び付くんだよ?」

「名は体を表すって言うでしょ?偶然にもアンタは神の名を持ってしまった。その名前に引き寄せられてこの世ならざる者達を集めてしまっているってことよ」

 なるほど・・・分かったような、分からないような。

「つまり俺のこの体質は、そのアスラって名前に問題があると言いたいんだな?」

 コクリと頷いた天野は再びお茶を一口飲んでから口を開いた。

「あくまで可能性だけどね。もしその体質を治したいなら、改名するかどこかに婿養子に入るかしないといけないってこと。まあ、その気はなさそうだけどね」

 チラリと視線を向けた後、天野は湯呑を傾けお茶を飲み干した。婿養子云々は別として、天野の言うとおり親からもらった大事な名前を変えるつもりは無い。俺は空になった天野の湯呑に急須からお茶を注いだ。

「とまあ、アンタの体質についての話も区切りがついたことだし、ちょっと甘いモノでも食べましょ!」

 そう言うや天野は突然立ち上がりキッチンの方へと歩き出した。

「甘いモノなんて家には無いぞ?」

 家にあるお菓子なんて煎餅くらいしかない。しかし天野は冷蔵庫を開け、中からビニール袋に入った何かを取り出した。

「大丈夫よ。私がコンビニで買った物があるから。ツカサはそこで待ってなさい」

「ちょっと待て。ツカサって・・・呼び捨て?」

 突然呼ばれた「ツカサ」の名前に俺は面食らった。天野はイタズラっぽい笑みを浮かべながら袋からプラスチック製のフォークを取り出した。

「そうよ。これからはアンタの事、ツカサって呼ぶからそのつもりで。光栄に思いなさい。男子を名前で呼ぶなんて滅多に無いんだから」

 壁を作られたかと思いきや、いきなり懐まで踏み込んでくるし・・・天野との距離感がイマイチ掴みずらい。そんな俺の事などお構いなしに「さあ、食べましょ」と言って天野が袋片手に戻ってきた。

 居間に戻ってきた天野が袋から取り出したのはコンビニで売られているショートケーキだった。天野は皿を二枚取り出し二切れあるケーキの一つを取り分け俺の前に差し出した。渡されたプラスチックのフォークを使ってケーキを一口食べると、口の中に生クリームとスポンジの甘い香りが広がった。

「美味いな」

「でしょ?コンビニのケーキって結構美味しいのよね」

 自分の分を取り分けてケーキを食べる天野は幸せそうな笑顔だった。その表情を見ているだけでこっちまで幸せな気分になってくる。

「確かに美味いけど、夜に甘いモノを食べても大丈夫なのか?俺は別にいいけど、お前の場合はカロリーとか気にならないのか?」

 女は甘いモノが好きであると同時に体重やスタイルを気にすることは理解しているつもりだ。だからこそ、夕飯はそれなりにカロリーや健康を気にして脂肪分が少ないメニューにしたつもりだった。

 しかし天野はそんな俺の心配を「大丈夫よ」と言って一蹴した。

「普段はこんなことしないわよ。今日は特別な日なの」

「特別?今日ってなんかの記念日だっけ?」

「私にとってはね。今日、誕生日なの」

「えっ?」

 思わぬカミングアウトにフォークを持つ手が止まる。呆然と見つめる俺を他所に、天野はケーキを美味しそうに食べている。あと一口で食べきってしまうだろう。

「だから、今日が私の誕生日なの。星座で言えば牡羊座。今日で17歳になったってこと」

 フォークを置いて緑茶を啜る天野を見つめながら俺の手は小刻みに震えだした。

 なんだよ、それ・・・何で・・・・

 天野が残りのケーキを食べようとした瞬間、俺はフォークを叩きつけるようにバンと置いて身を乗り出した。

「バッカ野郎!何でそんな大事なこと今まで黙ってたんだよ!」

「な、何よ、いきなり?何そんなに怒っているのよ・・・?」

 声を荒げる俺に天野は顔を上げ僅かに身じろぎしていた。俺の怒りは収まらず、さらに言葉が口をついて出てきた。

「怒るに決まってるだろ!誕生日だぞ?一年に一度の記念日なんだぞ?ひとこと言ってくれれば、ちゃんとお祝いだって出来たのに・・・それなのに!」

「ツカサ君、落ち着いて・・・」

 オロオロと困惑した様子の明海さんを無視して俺は天野を睨みつけた。そんな俺の言葉を天野は黙って聞いていた。そして真っ直ぐ俺の目を見ながらゆっくりと口を開いた。

「・・・・・私、変な気を遣われるのが一番嫌いだって言ったわよね?」

 とても静かで力の籠った声だった。俺は転校して間もない天野が起こした騒動のことを思い出した。きっとあの時の天野はこんな表情をしていたのだろう。真っ直ぐ俺を睨みつける天野の迫力に俺は少し身構えた。

「もし言えばアンタが気を遣うだろうって想像できたからね。だから言わなかったの。これで納得した?」

「なんだよそれ・・・」

 淡々とした口調で言いたいことだけ言ってフウと溜息をつく天野の態度に俺の怒りは収まるどころかさらに湧き上がってきた。

「呆れた・・・お前、バッカじゃねぇの?」

 その怒りに任せて本心が口をついて出た。

「・・・なんですって?」

 眉を吊り上げ天野が再び睨み返してきた。俺はその目を真っ直ぐ睨みながらわざとらしく溜息をついた。

「聞こえなかったか?天野はバカだって言ったんだよ」

 俺の挑発に天野はバンと座卓を叩き身を乗り出してきた。

「誰がバカですって!」

「お前のことだよ!」

 俺も身を乗り出し応戦した。そんな俺達のことを戸惑った様子で眺めている明海さんの姿が視界の隅に映る。しかしそんな明海さんを無視するように俺と天野の口論は熱くなっていった。

「私の何処がバカだって言うのよ!」

「気を遣われるのが嫌だって言ってるところがバカだっつってんだよ!」

「それの何が悪いのよ!私はただ――」

「俺はお前に気を遣って誕生日を祝ったりなんかしねぇよ!」

 天野がビクッと肩を震わせ固まった。目は見開いたまま俺を捕えてはいるがさっきまでの力強さは感じられず、むしろ困惑の色を映し出していた。俺は気を落ち着かせるためゆっくりと息を吐き出し、天野を真っ直ぐ見つめ返した。

「あのな・・・俺は純粋に天野の誕生日を祝いたかっただけなんだよ。お前に気を遣って祝いたかった訳じゃない・・・」

 これは本心だ。何かを祝うことは、それだけでめでたいことなんだ。相手に対する負い目や後ろめたさなんて無い、純粋な喜びからの行為なんだ。そうあるべきなんだ。死んだ両親や叔父さん夫婦から誕生日を祝ってもらったからこそ、確信を持って言える。

「共同生活でお互いの親睦を深めるって意味もあるけど、天野が誕生日を迎えたことがめでたいから祝いたかったんだ。だから――」

 続きの言葉を言おうとした時、俺の口が何かで塞がれてしまった。口の中に生クリームの甘さが広がっていく。天野が最後の一口を無理やり俺の口に押し込んできたのだ。

「あーっ、もう、うっさい!とにかくこの話はこれでおしまい!私もう寝るから!」

「天野さん!」

明海さんの制止を無視して「お休み!」と言って天野が居間から出ていった。階段を乱暴に駆け上がっていく足音が聞こえてきた。明海さんと一緒にその足音を聞きながら俺は口の中のケーキをお茶と一緒に飲み込んだ。よく考えたらこれって関節キスじゃないか?まあ、天野がそんなこと気にするような奴じゃないとは思うが。

「ったく・・・」

 溜息をつく俺に少し離れた位置から明海さんが見つめている。

「ツカサ君・・・・」

「ごめん、明海さん。嫌な想いさせちゃって・・・」

 謝罪をすると明海さんは首を左右に振った。

「天野の気持ちも分からない訳じゃないんだ。俺も昔はそうだったから・・・」

 両親を亡くしてから叔父さん夫婦のもとで暮らすことになった俺は、二人に対して迷惑をかけないよう気を遣いながら生活をしていたことがあった。今でこそ気兼ねなく振る舞えるようになったが、昔は二人に対する負い目や後ろめたさが先に立ち、お互い気まずくなったことが多々あった。

 だから今の天野の気持ちが分かってしまう。だけど――

「アーッ、クソッ!」

 頭を掻きながら唸った後、俺は居間の押し入れを開けて中からあるものを取り出した。

中身を確認する。よし!これだけあれば大丈夫だ!

「ツカサ君?」

 不思議そうに見つめる明海さんの目の前で俺は『準備』を始めた。



 翌朝、いつもより少し遅い時間に俺は朝食の準備に取り掛かった。正直なところ眠気で頭が重く思考が回らないが、朝食ならびに昼食の弁当は着実に出来上がりつつあった。

「ツカサ君、大丈夫?」

「ああ。明海さんも付き合わせて悪かったな?」

「ううん。ボクのことは気にしないで・・・あっ・・・天野さんが来るよ」

 明海さんの言うとおり、階段を下りる足音が聞こえてきた。俺は居間の座卓に朝食を運んでいった。

「・・・おはよう」

 昨日のことを引きずっているらしく、制服姿の天野の声は固かった。ソッポを向いて俺とは視線を合わせようともしていない。

「おう・・・」

 昨日の今日なので、気まずい空気なのは仕方がない。短い挨拶を済ませて俺達は向かい合う形で座卓に座った。両手を合わせて少し気合いを入れて合掌した。

「いただきます!」

「・・・いただきます」

 俺達は食事を始めた。俺達は食事の最中一言もしゃべることはなく、食卓はとても静かだった。食事が終盤に差し掛かった段階で無言の空気に耐えられなくなった俺はリモコンのボタンを押してテレビをつけた。画面は朝のニュース番組の占いコーナーを映し出した。

『今日、第一位の星座は牡羊座のあなた!突然のサプライズに一日中ハッピーな気分!ラッキーアイテムはぬいぐるみ!』

 テレビの音声に天野は一瞬だけ画面に視線を向けた。どうやら占いの結果が気になったようだ。そんな天野の横顔を見ながら口元に笑みが浮かんだ。

「・・・何よ?」

 俺の視線に気づいた天野が不機嫌な口調で尋ねてきた。どうやらまだ根に持っているらしい。

「別に?」

 短く返事をすると天野は何も答えなかった。

『八位は蟹座のあなた!ライバルの出現で恋のピンチ!』

 テレビの占いの声が居間に響き渡るなか、食事を終えた頃合いを見計らって俺はキッチンからあるものを取り出した。

「これ、今日の弁当。宿泊代を貰ったからな。これはお前に気を遣った訳じゃないから、ちゃんと受け取ってくれよ」

 弁当の包みを天野に差し出すと、天野は素直に受け取ってくれた。

「分かっているわよ・・・バカ」

「言っとくけど、中身は昨日の残り物がほとんどだから過度な期待は持つなよ?」

「そんなこと思わないわよ」

 両手で弁当箱を持ちながら悪態をつく天野。やっと本調子に戻ってきたようだ。この様子なら渡しても大丈夫かもしれない。

「それと、これ・・・」

 俺は背中に隠していた『ある物』を天野が持つ弁当箱の上に置いた。

「何これ?」

「何って、見れば分かるだろ?テディベア」

 弁当箱の上には高さ15センチくらいのテディベアがちょこんと鎮座していた。

「そんなの分かっているわよ。これはどういう意味か訊いているのよ」

「どうもこうも、そんなの決まっているだろ?一日遅れたけど、誕生日プレゼントだよ、お前の。誕生日にプレゼントが無いっていうのもどうかと思ってな」

 えっ?と天野の目が見開かれる。その目は驚きと混乱の色を映しており、少なくとも迷惑だと思っている様子ではなかった。

「言っとくけど、これは天野に気を遣ったわけじゃないからな。俺が送りたいから勝手に用意したものだからな」

 もっと気の利いた事を言えばいいのだが、気恥ずかしさからぶっきらぼうな言い方になってしまった。

「本当だよ、天野さん。その子、ツカサ君の手作りなんだから。昨日から徹夜して作ってたんだよ、それ」

 明海さんが天野の隣に移動して耳打ちする。

「明海さん!それは言うなって言っただろ?」

 思わぬ密告に狼狽える俺に明海さんがいたずらっぽく舌を出しながら微笑む。

『今日、最下位の運勢は牡牛座のあなた!思わぬ人と急接近!だけどそれが原因でトラブルに発展するかも!周りの気配りはこまめにね!』

 何やら牡牛座の俺にとって縁起の悪い声がテレビから聞こえてくるが、目の前の天野の反応が気になってそれどころではない。微動だにしないままの天野がポツリと呟いた。

「これ、ツカサが作ったの?」

「まあな。俺の叔母さん、裁縫が上手くてよ。それを見ながら育ったから、俺も裁縫が出来るようになったんだよ。昔、祥子の誕生日プレゼントにヌイグルミを作ってやったことがあって、その時の材料がまだ余ってたんだ」

 押入れの中からヌイグルミの材料とミシンを取り出して徹夜で作りあげた物だ。ところどころ雑になってしまったが、それでも一晩で作ったにしては良く出来ていると思う。

「アンタこんな特技があったんだ・・・」

「ボタン付けとかも得意だぞ。取れかかっていたら言えよな。縫い直してやるから」

 天野はテディベアをジッと見つめていた。

「目の下のクマ・・・ずっと気になってた・・・これ作るために徹夜したんだ」

「まあな」

天野は顔を伏せたまま動かない。

「バカじゃないの?こんなことの為に・・・」

「バカって、お前――」

 俺は続きの言葉を飲み込んだ。目の前の天野は肩を小刻みに震わせていた。

「私の為に徹夜までして、こんな・・・こんな私なんかの為に・・・・・」

 天野の声が震え始めた。次第にその声が嗚咽交じりのものに変わり、鼻をすする音まで聞こえてきた。俺は天野の顔を覗き込んだ。

「天野・・・もしかしてお前、泣いてんのか?」

「うっさい!見るな、バカ!」

 悪態をつきながら、天野は俺から顔を背けた。今の自分の顔を見られたくないのだろう。俺は黙って天野が落ち着くのを待った。


 待ったと言っても、その時間は5分もかからなかった。先程までとは打って変わって、天野は顔を上げるなりニヤリとした笑みを浮かべ俺を見つめた。

「ツカサが徹夜をしてまで作った物だし、これはありがたくもらっておくわね!」

 クルリと背を向ける天野。さっき見せた姿が嘘のように思える。あの時の俺の心配はどうやら杞憂だったようだ。

「ツカサ・・・」

「なんだよ?」

「・・・・・アリガト」

 とても小さく聞き取りにくい声だった。見ると天野の耳が赤く染まっていたが、言えば怒り出すであろうと思い「おう」と返事をするにとどめた。

「それと・・・」

「ん?まだ何かあるのか?」

 俺が尋ねると、天野はこちらを振り向きブレザーのボタンを指さした。

「ボタン、取れかかっているから直して・・・得意なんでしょ?」

 そう言って天野は取れかかっているボタンを俺に見せてきた。


ひょんなことから照美と香津子と同棲を始めた良。

そんな良達に疑惑の目を向ける者が・・・

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