その4っ! 落下物と別れ
「んー斗助ぇ! 今日は散歩に行きたいー!」
「こんな寒いのに?」
「うん。行こうよー、散歩散歩散歩散歩おぉ」
というわけで、僕とクロスはマカディミーアモンド商店街に行くことにした。
イルミネーションが全て取り外された商店街はどこか殺風景で、より寒く感じられた。けれどクロスはとっても元気。早速、文房具店を見つけそこに入っていた。
「うっわー! ここすっごーい! ねぇなんでこんなにキラキラしたものがたくさんなの?」
辺りを見回して目を輝かせるクロス。
「それは多分お店だからじゃないのかな? そうだ、なにか欲しい物ある?」
「お店!」
即答。相変わらず変な思考だ。
「無理だよクロス、そういう欲しい物じゃなくて、もっと小さな欲しい物だよ!」
「無理じゃないよ! だってぼく、サンタクロースだもん! 見習いだけど」
そう言うと、クロスは空中でとんとんとステップを踏み始めた。そして、華麗にジャンプ。着地より少し遅れて、巻き上がっていたスカートが元に戻った。人差し指を回しだす。ってなにする気だ、あのサンタ!?
「さけてとろけてかるしうむ♪」
白い閃光が店主を直撃。あっという間にセロハンテープへ変身した。ことん、と鈍い音を立てて床に落ちるセロハンテープ。白い床を転がり、柱に当たって停止した。
「ほら」
一瞬の沈黙。
「ほらじゃねェヱゑっ! …………………………こうなったら、逃げるよクロスッ」
バカサンタの手首を掴むと、僕は一目散に文房具店から逃げ出した。もう二度とこいつとは買い物に行かない! 絶対に行かない!
「まったく、クロスはすぐに魔法を使うんだから! いい、復唱して? この世界にいる限り魔法は絶対に禁止!」
「この世界がある限り時間は流れる!」
「なくても時間は流れますッ! とにかく、魔法は使わないこと! なにがあってもダメ! ゼッタイ!」
「しかたないなぁ……斗助がそう言うなら善処するよ。絶対に使わないよ、魔法は」
真剣な顔で、グッと親指を立てるクロス。ものすごい勢いで信用できない。
しばらくぶらぶらと歩いていたら、文房具店から凄まじい悲鳴が聞こえた。野次馬たちの声からすると、どうやらセロハンテープが勝手に歩いて喋るらしい。
犯人はとくに気にしていない様子。
「あの『質問の多い料理店』って何?」
「レストランだよ。そうだ、今日は商店街を散策しよっか?」
「賛成っ!」
ハイテンションなサンタクロースを引き連れて、とりあえず本屋からまわることにした。まだ人の少ない商店街。
かわいらしいポップな文字で『本屋さんだよん♪』と書かれた看板を見つけ、早足になる僕。自(分で)動(かしてお開けください)と張り紙されたガラスの引き戸を開ければ、本屋特有の甘い香りが暖房と混ざっている空間が。
クロスはそこに並べられる大量の本を見て、さらに興奮。感極まったというように、僕の名前を連呼した。
「斗助、斗助、斗助、斗助これ、これ欲しい!」
ばひゅっと空気を切り裂いて僕の目の前に差し出されるのは『それゆけ! サラリーマン』。絶対的大人気児童書……。
「君は何歳だったけ?」
「十四歳」
「今、君が持っているのは何歳の子向けの本かな?」
「五歳だよ? でも大丈夫。読めるもん」
対象年齢はあまり気にしない様子の十四歳。ちなみに、『それゆけ! サラリーマン』とは、社会の平和を守りたいと願う、アンパンのように太っていて、つるっぱげの中年サラリーマン山田の妄想日記である。小さなお友達に大人気の絵本で、アニメ化したほどだ。
(ばか子)サラリーマン! 新しい取り引きよ!
(サラリーマン)元気百倍サラリーマン! 残業パーンチ!
(社長)うわああああ
(リストラされそうだった社員)ありがとう、僕らのサラリーマン!
(サラリーマン)ふははははははははは。では、さらば
〈びゅーん、サラリーマンは飛んでいきました〉
(本物の社長)こら、山田くん! しっかり仕事をしないかね!
(サラリーマンこと田中)ご、ごめんなさい社長! お願いですから見捨てないでください!
「おもしろい、これすんごくおもしろいよ! 買って買って!」
「まったく、もう少しまともなもの読んだらどうなの。例えば……」
「男の子と女の子 図解 よくわかる体のひみつ、とか?」
にっこりと、分厚い本を突きつけてくるクロス。
「やめて、サラリーマン買うからそれをもとの棚に戻して。じゃないと変態だと思われる」
……そんなこんなで(便利な言葉です)ようやく本屋を出た僕とクロス。嬉しそうに、それゆけ! サラリーマンを読みふけるクロスは、歩いている間一言も話さなかった。
「そうだ、クロス」
「ん?」
ようやく、ふいっと本から顔をあげるクロス。
ぽんぽんつきの帽子もその動きと一緒に上を向く。
「これ、さっきの本屋で買ったんだけどね、クロスいつも同じ色の服でしょ? だからさ、青いミサンガ。これつけてみて?」
そっと、紙袋に包まれた紐を渡す。クロスは、うわぁと喜んでそれを受け取った。わしゃわしゃと紙が千切られる音。
「ね、ここ結んで?」
細くて真っ白い腕に、水色のミサンガが絡んでいる。でも、それは両端が繋がっていなくて。
「これをつけている間は、不思議な力を使っちゃダメって約束ね? ………………はい、これでよし。きつくない?」
「ちょうどいいよ! ありがと」
腕を虚空へ伸ばし、左右に振ってみせるクロス。赤いサンタ服に水色のミサンガ、と似合わなすぎる色あわせだったけど、それでもそれは綺麗だった。真っ白な腕に結ばれた水色の紐……それは、クロスがこの世界にいる証。
「クロス、今日は家に帰ろうか……ね」
「うんッ!」
「……お待ちなさい、ジャスティリア・タサン・クロス。サンタの国より迎えに参りました。さぁサンタの国へ帰りましょう」
突然、後ろから掛かる不気味なほど澄みきった声。
振り向けばそこには、長身痩躯で暗銀色の長い髪を垂らす美人な女性がいた。その人は、人差し指と親指で赤い輪ゴムをつまんでいる。やはりサンタ服なその女性は、ジャスティリア・タサン・クロスによく似ていた。
ごくりと息を飲み、身を硬くして僕の後ろに隠れるジャスティリア・タサン・クロス。
長い…………やっぱりクロスのままでいいや。
「いや、帰らない! だってぼくはここにいないといけなんだもん!」
迎えに来た? ってことはクロスが帰る? せっかく居候が許可されたのに? 今更?
「誰……ですか?」
「申し遅れました。わたくし、サンタの国クリスマス総合会議の議長を務めます、ジャスティリア・タサン・リリスと申します」
「お姉ちゃん! なんで、なんで来たの?」
「お姉ちゃんッ!? 確かによく似てるけど、まさか本当に」
「迎えに、来たのです。それと……わたくしは議長です」
クロスの姉らしいリリスは、冷たい視線で僕を眇め見た。
その途端、ぱしゅっとリリスが持っていた輪ゴムが伸び、クロスを捕らえる。動きを封じられたクロスは、なにか叫びながら辺りに真っ赤な光を撒き散らし、右手に赤いとびなわを顕現させた。
「そんなものでわたくしに勝とうと?」
壮絶な姉妹喧嘩の火蓋が切って落とされた。
「くっ…………えいっ」
クロスは輪ゴムを引きちぎると軽やかに跳躍し、距離をとった。そして右手を空中で振れば、直線に伸びていくとびなわ。それを紙一重で避けたリリスは両手で輪ゴムを挟み、クロスの後ろにあるコンクリートの壁目掛けて投擲した。そして姿勢を低くして後退。
直後、クロスの後ろにあった壁が弾けとんだ。
「どうなってるの? クロス!」
「斗助? ぼく、サンタの力を使わないって約束したのに……ごめんね? 先に帰ってて。ぼくも必ず帰るから……」
「クロス、あなたは帰させませんよ」
「また後でね斗助。えぇぇいっ!」
声を上げ、とびなわを振り回しながら突進していくクロス。リリスは輪ゴムを指に絡め、シールドを作る。
「てやぁっ」
しかしクロスは、とびなわをシールドに当てる寸前で引いた。打撃対象を失ったとびなわは威力を保ったまま、地面に転がっていたコンクリートに直撃。超重量の塊を空高く舞い上げた。
刹那、轟音が空気を駆け、振動が地面を走った。
砂煙を撒き散らしながら砕け散るコンクリートの塊。辺りは一瞬にして、真っ白な世界へと変わった。その奥に揺れる、赤い色。
見紛うはずがない。間違いなく、あれはクロスだ。
「クロス、一緒に帰ろう」
「ううん先に帰ってて。ぼくは必ず戻るよ?」
なにかを堪えたように細かく震えている、やっぱりものすっごい勢いで信用できない声で、彼女は呟いた。
それはまるで、独り言。
切なくて、苦しくて、もう二度とクロスに会えないかもしれないという思いが、さらに胸を締め付ける。
「必ず戻ってきてね……」
それしか、言えないから。
「うん、約束する」
これが最後の約束になるかもしれない。
姉の攻撃を、避けることも防ぐこともできなくなったクロスは、諦念を表情に載せ、その場に座り込んだ。
「……先に帰るなんて、できないよ! ずっと僕と一緒にいよう?」
「う、ん。しかたっなく、善処、してあげる、ん……だから」
「ありがとう、クロス」
微笑して、ぐったりとした四肢を地面に突き立てるクロス。そのままばっと跳躍し、虚空に立つと専用武器であるとびなわを顕現させた。
想うのは、存在のみ。
人間の世界は、想像するほど綺麗な場所じゃなかったよ。
でもね、あなたがいてくれたんだ。
認めてくれる、優しい君がいたの……。
だから、ここで消えるわけにはいかない。
最後の力を使い、クロスはとびなわを振り上げた。もうリリスがどこにいるかなんて分からなかったけれど、すべてをとびなわに委ねて、ひたすら振った。
虚空を切り、風を唸らせ、けれどリリスにそれは当たらない。力が尽きる直前――
打撃の感触。
そして、リリスの悲鳴。
なにかが途切れたような、沈黙。
雨が降り始めた。
クロスの霞む視界に、血を流しながらも、しっかりと立っているリリスが見えた。
「帰るんです……」
かすれてしまった姉の声。クロスから、一切の力が抜け落ちた。
それを待っていたかのように、血でぬらりと光る輪ゴムがクロスと斗助を拘束する。
「大丈夫です、斗助さん。クロスやわたくしたちサンタに関わる記憶は全て消えますから。では、さようなら」
いやだ、と叫ぼうとするクロス。けれど喉が渇いてしまい、声が出ない。
涙が唇を濡らし、舌を潤す。
最後の言葉を紡ぐため。
「やだ、忘れられたくない! 忘れないで、忘れないで! 絶対に一緒だよっ! だから忘れちゃいや!」
そして――