その1っ! 落下物と色々
――今日はクリスマス・イブ。
なんだか物凄く嫌な予感を感じる今、僕の視界には嵐の前の静けさ的な、神秘溢れる世界が広がっている。聖夜前に相応しい澄み切った風に、透明な夜空。そこに浮かぶ数多の星と、ひっそりと光を放つ三日月が、暗いだけの夜空を優しく彩っている。
冬休みの序盤、僕はまったく進まない宿題を放置、毎日をだらだらと過ごしている。
ふと、終業式以来会っていないクラスメイトのことが頭に浮かんだ。
今頃クラスの仲間たちは、各自家族でイブのパーティーとかツリーの飾りつけとかやってるんだろうな。我が家では最近、クリスマスなどの行事を全てやらないままにしている。端午の節句なんて僕が幼稚園を卒園した途端に中止となった。息子の成長をもっと願えよ! そう言えば、小学校まではツリーお飾り労働会やらクリスマス会なんかがあって、放浪癖のある両親がいなくてもそれなりに楽しいクリスマス・イブだった記憶がある。
ただの冬休みなのに遠い目をしてどうするんだよ! 僕!
自分に突っ込み、視線を空へと戻す。そこには相変わらず闇とわずかな光があった。
「あ……」
今、ほんのちょっぴりだけ切なくなったのは、きっとで夜空がこんなに綺麗だから……というのは嘘で、冬休みも残りあとわずかなのに宿題がなかなか進まないからだ、きっと。少し気分が暗くて重いのは、確実にそのせいだが。
「ふぅ――」
肺に溜まった息をそっと吐き出せば、それは真っ白く凍り付いてすっと闇へ溶け消える。
現在時刻は午後九時半。
まだ雪が降らないこの地域。いつもクリスマス三日前まではイルミネーションが輝いているのに、当日になると一斉に電球が切れる商店街。そしてその代わりと言わんばかりに点滅を開始する街路灯。毎年同じで、いつまでも変わらないこの風景に涙さえ感じてしまう。
感じてしまうけれど、そろそろ町を見下ろすのに飽きてきた。
また、闇を見上げる。
視界には、空気が澄み渡っている夜空がさっきと変わらず広がっている。切なさを混ぜた視線を遠くへ投げれば、薄っすらとした山の輪郭が見えた。今は闇と同化した濃緑の山。午前では見られない新しい木々の姿は、威風堂々としていてとても感動する。風が吹き、思い出したように寒さが体中を駆け、ぶわっと鳥肌を作った。
綺麗な夜空、濃緑の山。なぜかそこに、自然界にはありえない真紅の物体が浮かんでいるけれど、それはそれで素晴らし…………い? くない! (否定)全っ然素晴らしくない!
ってかアレは一体なに?
あまり、というか思いっきり信じたくない光景に、しばらく言葉を失った。
けれど黙ったところで現実が変わるはずもなく、謎の物体は落下を続行。僕と未確認浮遊物体との間隔は、わずか数十メートルまで縮んだ。
そしてあと三十メートル、二十三メートル、十五メートル――――
「やっほぉ――――い!」
今のは僕の声ではない。
「こらークロス! 待ちなさい!」
これも僕の声ではない。
サンタクロースのような恰好をした女の子は、すでに僕の五メートル前に浮いていた。
「ええっ! ちょちょちょ、ちょっと待った! ……ぐおえっ」
制止を掛けたがすでに時遅し。
重力に引っ張られてきたサンタは、空中でひらりと身を翻すと見事に受身の姿勢をとる。そして僕の顔面に背中から着地。華麗に僕へ直撃したサンタは、僕の首をあまり一般的ではない方向へと曲げた。驚きと激痛に、一瞬息が出来なかった。
「ぐはっ、ぷはぅあのっすみません、少しどいてくれませんか」
体育でやる馬とびのような姿勢の僕は、とにかく息苦しかったので声をかけて首をまわした。すると、バランスを崩したのかサンタクロースの少女は僕の背中からずり落ちて、くるりと丸まると僕の足元へ落下しはじめた。ごちゃごちゃと鋭利なものが無造作に置かれているベランダ。このまま落ちたら間違いなく死んでしまう! そう思い、僕は咄嗟にその辺の障害物を退けて少女が無事に降りられる場所をつくった。けれど……
「ええぇぇ! ねぇ君は天邪鬼か何かですか?」
少女は、丸めていた背中をピンと伸ばし、鉢植えに頭を向ける体勢になってそのまま……。
「そこにはまだ、まだ鉢植えがぁぁぁっ! 待って待って待って――とりゃ」
「きゃんっ!」
慌てて僕は手を伸ばし、少女を支えようとしたけれど……結果は無残だった。サンタクロースの少女はその小さな頭で……鉢植えを叩き割った。
マゴバキンッ
マゴバキン、なんて音聞いたことがないけれど、あえて擬音で表すならこんな感じだ。
(注意※状況の説明がすごく長くなったけど、これは全て数秒間の出来事です)
じわり、と少女の頭から血が出るはず……僕はそっと目を閉じた。
できることなら気絶したい、と思った。しかしどうやら僕の神経はそこまでか弱くなかったらしく、しばらくの後ゆっくりと目を開けた。
が、またすぐに閉じた。
視界に入ってきたのは、ほとんど怪我もなく僕の顔をまじまじと見詰めるさっきの少女。
その子は、赤と白を基調とした百円均一で(少し高めに)売っていそうな、半そでのサンタ服を着て、観葉植物と土と破片が付着した白いぽんぽん付きのとんがり帽子を右手で押さえている。(真っ白な頬にかすり傷があったが、それは絶対自業自得)その帽子から零れ落ちる、鳶色でセミロングの髪の毛は、可愛らしく二つ結びにしてあった。
じっと互いを見詰めたまま、無言で時を流す二人。
「へくしゅっ!」
沈黙を破り、少女がくしゃみをする。
当たり前だよ、ま・ふ・ゆ!
大体そんな服装で日本の十二月の空を飛んだら、絶対に風邪を引く。こいつはニュージーランドから来たのかよッ! あ……ニュージーランド、か。少し前に地理で習ったところだ。日本と季節が反対の小さな国で、確か羊がたくさんいたはず。真夏のクリスマスがあって……なら真冬の海水浴とかあるのかな? いつか訊いてみよう。
じゃなくて。
悪夢のような出来事に、つい現実逃避をしてしまった。
そして僕は今、非現実の世界へと独走中。
これは人生初の経験であり、できれば一生したくない種類の経験だった。
「ってえぇぇぇ!」
僕が考え込んでいる間に少女は「寒い寒い」とかなんとか呟きながら、僕の秘密世界でもあるマイ・ルームへと入り、あろうことか鍵を閉めようとしていた。
もちろん、笑顔で。
「待ちやがれこの野郎ぉぉぉおお!」
慌ててガラスにへばり付き、渾身の力でそれを阻止。間一髪のところで閉め出しを免れた。
……やたらと冷たい室内。
それもそのはず、ここには暖房器具が一切ないのだ。(こんど親に抗議しよう)
さておき、いきなりやってきた落下少女……どうしたらいいんだろう。て言うかなんでよりにもよって僕の家に来たんだ? とりあえず話し合おう。相互理解には会話が重要だ。
「き、君は一体なんなの?」
緊張して声が裏返る。
謎の少女は極めて明るく、けれど聞くほうを暗くさせる返事をくれた。
「ボク? 見習いサンタのクロスだよ? サンタの国から降りてきましたっ!」
「サンタ……!? 現実にいたんだそんなの……だったらほら、サンタクロースがこんなところにいたら駄目だからお家に帰ろう? ね、ね」
帰れーと視線で圧力をかけながら僕は言った。帰ってほしいという淡い願いも込めて。
しかし。
「えー、無理だよぅ……まあ落ちちゃったのはお互いの責任だし」
ついさっき『降りてきた』って言ったの誰でしたっけ? しかもこいつ、さりげなく僕に罪を擦りつけていません?
どうやらたった今、コイツとの間に話し合いでは解決できない(かなり重要な)問題ができてしまったようです。
久しぶりに女子へ殺意に近い感情を抱いた僕は、けれど極めて控えめに、
「どうして僕まで悪くなるんですか!」
擦りつけられた罪を押し返した。
「だって君があまりにも物欲しげな顔でベランダに立っていたから、てっきり君が……」
そう言って、真っ赤に頬を染めるサンタ。今の発言のどこに照れる要素があるんだよっ、と突っ込みたかったが必死に堪える。
なぜか?
こいつには何を言っても通じないから。
かくして僕の素晴らしい平凡は簡単に奪われてしまったのであった。
同時に、新たな悲劇まみれの日常が始まった。